ケンタウロスの集落
「行き先はケンタウロスの集落。荷車は裏庭。もらってくるものはチーズと野菜。いい?」
「おう……」
というわけで、オレは中途半端に踏み固められた道を、1人歩いていた。
街道とはとても呼べない。
空の荷車を引いているが、両側に据え付けられた木の車輪が、時折がたんと跳ねる。
ミッケの話によると、魔王城の周囲に点在する魔物の集落に足を運び、定期的に食材を分けてもらっているらしい。
その役目をオレが負うわけだ。
「城の中にいるとそうでもないが、やっぱりまだ冷えるな」
魔法使いのローブに包んだ身体を、オレは軽く震わせた。
麻の外衣は一般的に頑丈だが、反面風通しがいい。
そして待ち焦がれる花の季節は、もうしばらく先だ。
「とはいえ、のどかだ……。ここが魔物のはびこる大陸北部ってことを、忘れそうになる」
首を伸ばすと、なだらかな草原が一望できる。
白い群れが穏やかに草を食んでいる。
この大陸ならどこでも見かける、ごく普通の羊だ。
そんな景色を更に遠望すると、午前の陽光を覆い隠す曇り空の下に、長い山脈が霞んで見えた。
このアマニール大陸を、北東から南東までいっぱいに貫いている山脈だ。
視線を巡らせても果てが見えないため、まるで巨大な壁が連なっているような錯覚を受ける。
「そして山脈の北には、ドラゴンが住んでいるから近づくな」
アマニール王国における常識であり、禁忌だ。
別にこの大陸には、魔王が常時君臨しているわけではない。
先代魔王が倒されてから、魔王ヌイが現れるまでにも、ずいぶんと長い空白期間があった。
にも関わらず、アマニール王国が大陸の北に、積極的に手を出さない理由がドラゴンだ。
下手に大陸北端まで侵攻し、生ける災厄の逆鱗に触れることを、王侯貴族のみならず民草まで恐れている。
「まあ目下のところ、触らぬドラゴンよりは魔王ってことだ」
魔王による被害は、ここ数年で幾度も出ている。
いわく、魔物の集落に攻め込んだ辺境の軍隊が、魔王1人に返り討ちの憂き目を見た。
魔王討伐に旅立った勇者たちが、何度も帰らぬ人となった。
「そう考えれば、ユウやセンは幸運な部類だったわけだ」
魔王に挑んで生きて帰れた、恐らく初めての勇者一行ではなかろうか。
まあオレだって運はよかった。
こうして年季の入った荷車を引き、魔物の使い走りに甘んじていることを差し引いてもだ。
しかし、その恐怖の権化たる魔王が……。
「言っちゃ悪いが、妙に間が抜けているというか、人間臭いというか」
どこかしら常識と感情が欠如した人間の少女。
そんな印象だった。
少なくとも悪逆非道ではない。
過度な恐怖を感じる必要はなさそうだ。
「しばらく観察してみるのも、悪くはないかもな」
単なる討伐対象から、興味をそそる観察対象へ。
オレは自分の中で、魔王という存在の格付けを変更した。
観察対象にしては物騒だが、それでも探究心には重きを置くべきだ。
「が、それはそれとして、遠いな……」
こまめな休憩を挟みながらというのもあったが、やはり荷車のせいで歩調がはかどらない。
結局ケンタウロスの集落に到着したのは、翌日の朝だった。
ケンタウロスの集落なので当たり前だが、そこかしこをケンタウロスが闊歩していた。
上半身は人間で、下半身は馬だ。
四本足で歩く様だけを見れば、馬のそれと変わらない。
「やア、人間だナ。もしやミッケ殿の代理かネ?」
肩から毛皮を羽織った逞しいケンタウロスが、話しかけてきた。
一部不思議な発音をしているが、それなりに流暢な人間語だ。
「ああ……。チーズと野菜を分けてもらいにきた……」
「朝から疲れてないカ?」
「いや、魔法使いに体力を求めるなと、帰ったらミッケに文句を言いたい……」
「あア、荷車を引きながらでハ、人間にはきつかったろウ。しかし済まないガ、人間を滞在させてやることはできなイ」
「あー……」
オレは荷車に寄りかかるようにして集落を見回し、そして目の前のケンタウロスに視線を戻した。
馬に人間の上半身が乗っているようなもので、かなり見上げることになる。
「ケンタウロスの名前は発音できないだろウ。若頭と呼んでくレ」
「じゃあ若頭。まず、どうしてすぐに、オレが魔王城からの使いってわかったんだ?」
「おかしなことを言ウ。魔王の縁を首に巻いているのだかラ、そうなのだろウ?」
魔王の縁?
この首輪の名前か?
これは、首輪の正体を知るいい機会だ。
とはいえ馬鹿正直に尋ねたら、怪しまれて教えてくれない可能性がある。
「……確かにそうだな。この首輪があると、やっぱり便利だ」
「知能の低い魔物ニ、襲われなくなるのだかラ、人間にはそうだろうナ。我々には必要のない代物ダ」
……駆け引きを始めるまでもなかった。
オレから見れば、ケンタウロスも充分、知能が低い。
しかし腑に落ちた。
人間であるオレが、ゴブリンやトロルに敵意を向けられないのは、おかしいと思ったんだ。
下働きが初日から食い殺されては、さすがにもったいないと考えたのだろう。
おのれミッケのヤツ、よくも騙してくれたな。
まあ、今すぐ魔王城から逃げる必要はないが、いざとなれば脱出しても問題ないわけだ。
大きな収穫だ。
「もう一ついいか? 人間が集落に滞在できないのは、やっぱりケンタウロスたちも人間嫌いだからか? せめて休憩くらいはさせてほしいが」
「友好的な者もいるガ、嫌いな者もいるかラ、配慮をせねばならなイ。もちろん短時間の休憩は構わなイ」
「助かる」
若頭に先導され、オレは荷車を引きながら集落の中を歩く。
周囲のケンタウロスたちは近寄ってこない。
確かに居心地が悪い。
好奇と友好、それに嫌悪がない交ぜになった視線が、四方八方からオレに向けられていた。
「ここが野菜の貯蔵庫ダ。ほどほどに持っていってくレ。俺はチーズを運んでくル」
「あ、おい……」
オレを木造の小屋まで案内すると、若頭は並足でどこかに行ってしまった。
仕方がない、オレの基準でほどほどにいただくとしよう。
「それにしても、みすぼらしい小屋だな。仮にも貯蔵庫なら、もう少しきちんと建てればいいものを」
軋む扉を押し開け、薄暗い内部に足を踏み入れる。
どこか土臭い匂いがした。
イモやニンジン、大麦があちこちに積んであった。
「集落の入り口からは見えなかったが、この近くに畑がいくつもあるんだろうな」
オレが荷車と小屋を往復し、野菜を運んでいると、若頭が皮袋を抱えて戻ってきた。
「普段より少なくて申し訳ないガ、今日のところはこれで勘弁してくレ」
「少ないのか?」
皮袋を受け取りながら、オレは問いを返す。
チーズ特有の乳の甘さが、僅かに鼻に届いた。
「運悪くチーズ喰いが沸いていてナ。ここ最近、チーズの貯蔵庫が荒らされていル」
「ああ……。人間の領域だけじゃなく、どこにでもいるんだな」
「草を焚いて追い払ってモ、しばらくたつとまた現れル。きりがなイ」
若頭がやれやれとかぶりを振る。
要するにネズミのことだ。
ネズミといえば主に穀物や野菜を荒らすが、チーズ喰いはチーズを主食にしている珍しい種類だ。ミルク色の毛をした小さな姿は、大陸中で見ることができる。
「ふむ……」
オレは腕を組んで考えた。
別にケンタウロスに義理はないが、見ればずいぶん困っている様子だ。
ここで上手いこと解決してやれば、恩を売れるんじゃなかろうか?
しばらく魔物の中で生活するのなら、こういった恩が、いずれ役に立つかもしれない。
「若頭。ちょっとチーズの貯蔵庫を見せてくれないか? 人間の視点から見て、解決方法があるかもしれない」
「構わないガ、くれぐれもチーズを掠め取ったりしないでくれヨ」
「そこいらの盗人と一緒にしないでくれ」
若頭に案内されると、チーズの貯蔵庫も案の定、野菜貯蔵庫と似たような有様だった。
いちおう四方の柱はしっかり立っているし、屋根も枯れ麦で葺いてある。
「しかし……」
オレは壁際にしゃがみ込むと、腰からナイフを引き抜き、壁板の間に押し込んだ。
すかすかだ。
壁と柱の間にも、隙間が何ヶ所も散見できる。
これではネズミに、侵入してくださいと言っているようなものだ。
あいつらは信じがたいことに、指2本ほどの隙間があれば通り抜けてくる。
だがこれなら話は簡単だ。
オレは立ち上がると、膝についた土を払った。
「若頭」
「やはり難しいかナ?」
「いや、解決した」
「ほウ」
力強く頷くオレに、若頭が身を乗り出した。
「穴を塞げばいい。何を言いたいかというと、もっとしっかり建築すればそれで済む」
「……人間ハ、どういう建て方をしているのかナ?」
「人間の場合は、領主なり地主なりが、大きな石造りの貯蔵庫を所有している。そこに皆で寄り集まって、チーズを保管している」
「ふうム」
「いや。もちろんこのあたりでは、石造りの貯蔵庫は難しいだろう。ただ木造であっても、もっとしっかり建てれば問題はない。こんな穴だらけのみすぼらしい小屋では、いつまでもネズミと追いかけっこをするしかない」
オレも建築に深い造詣があるわけじゃないが、何なら多少の指導はしてやってもいい。
木造の小屋くらいなら、どうにでもなる。
「……なるほどナ」
渋面を作っていた若頭が、表情を緩める。
打って変わった優しげな目つきで、オレを見下ろしていた。
「助言、感謝すル。検討してみよウ。とりあえず今日のところは引き上げるといイ」
「? ああ……」
若頭のその表情に、違和感を覚えたが。
「ミッケ殿も待っていることだろウ。よろしく伝えてくレ」
そうだった。
予定より時間を食ったことで、ミッケも痺れを切らしているに違いない。
「じゃあまたな。建て替えに際して、少しなら技術指導もしてやれるからな」
「あア。ではナ」
野菜とチーズ袋を積んだ荷車の重みは、来たときの比ではなかった。
腕にかかる重量に比例するため息をつき、オレは帰路に着いた。