こんにちは魔王城
……。
……?
隣のベッドに、イモが寝ていた。
「む……」
手を伸ばし、茶色いイモを撫でる。
「ゴブ……」
「うおっ……」
オレは慌てて手を引っ込める。
寝ぼけた意識が半分ほど覚醒した。
そうだ、ここは魔王城の大寝室だ。
首を巡らせると、十数のベッドが並んでいる。
つまり、イモだと思ったものはゴブリンだった。
「ああ……。怪我人は使い物にならないからって、まずは手当てを受けて寝かされたんだっけ」
寝ぼけ眼を擦りながら、更に視線を移す。
石枠の窓から覗く空は、薄く曇っていた。
「もう夜が明けたのか。確か大陸北部って、1年の半分はこんな天気らしいな。う、む……っ」
上半身を起こし、伸びをする。
身体のあちこちが多少痛むが、動くのに支障はなさそうだ。
「ゴブ……ゴブ……」
寝言が耳に入る。
数匹のゴブリンが、布にくるまって寝こけているのだ。
「粗末な木のベッドに、粗末なブランケット……。いや、そうだな。生きているだけ幸運だ」
ひとりごちる。
いかん、気分が沈んできた。
イモ顔を見て心を和ませよう。
「……無理だ」
むしろ心が荒んだ気がする。
それにしても、イモに大きく切れ目を3つ入れれば、それでゴブリン顔の出来上がりだから、単純な造形の生き物といえる。
いや、鼻の穴を含めれば5つか。
「さて、顔を洗って包帯を取り替えたいが……。水場どころか、どこに何があるのかすらわからない」
オレはもそもそとベッドから這い出す。
いつもより手足が重かった。
余力を考えずに魔法を使ったせいだろう。
それでも、魔王には傷ひとつつけられなかったわけだ。
「……あんまり考えると、また気が滅入りそうだ。勝手に歩き回るとしよう。さしあたり、あのミッケとかいう使用人を探すか」
ごわごわする麻の服が、妙に着心地が悪い。
衣服があるだけ好待遇だろうが、これ多分、ゴブリン用だよな……。
幸い荷物はベッド脇にまとめてあったので、杖と愛用のナイフだけ腰紐に押し込んだ。
戦いたいわけではないが、仮にもここは魔王城、念を入れるに越したことはない。
そうしてオレは大寝室を離れた。
石造りの通路を歩く。
硬い足音がくぐもって反響する。
どうやら城内は、最外周を通路が一周しているらしい。
各所に魔法の明かりが浮いている。
自分の影がいびつに歪むのが、やたらと不気味だった。
手近に木の扉を発見した。押し開ける。
「……」
トイレだった。
次に行こう。
角を曲がると、ほどなくして石製の大階段が現れた。
「この階段を上ると、すぐに大扉があって、その向こうは魔王がいた広間だったな」
しかし、この階段にしても飾り気というものがない。
仮にも、玉座をしつらえた広間に通じる主階段だ。
絨毯くらい敷き詰めてあっても罰は当たらないんじゃないか?
どうにもこの魔王城は、意図的に装飾の類を排除しているらしい。
「ゴブー」
思索にふけっていると、オレの行く手からゴブリンがやってきた。
纏っている服は粗末だが、使い込まれた鉄の槍を持っている。
見回りかもしれない。
僅かに身を硬くし、腰の杖に手をかける。
オレは人間だ。
魔物に見つかれば、やはり襲われるんじゃなかろうか。
だが杞憂に終わった。
ゴブリンは、イモ顔でオレを一瞥すると、何事もなかったように歩き去った。
「人間を攻撃しないのか? まさかな……」
疑問に思うが、戦闘にならないならそれに越したことはない。
大階段に背を向けると、外へと続く通路が伸びている。
この先は城門だ。
駆け足で逃げ出したいところだが、さすがに殺されるかもしれない。
名残惜しいが、オレは城内の探索を続ける。
また角を曲がると、隅に奇妙な石像が鎮座していた。
鳥のような顔に、逞しい肉体、一対の翼。
見上げるほど大きい。
「……装飾といえば装飾品か。不気味な彫像だな。まさか動き出したりしないだろうな」
いわゆるガーゴイル像か。
これは魔王の居城に似つかわしい。
薄ら寒いものを感じつつ、なおも通路を進んでいく。と――。
「これは……。パンを焼く匂い。厨房か?」
微かだが香ばしい空気が、鼻孔をくすぐる。
空腹を覚え、オレは吸い寄せられるように、その部屋を覗き込んだ。
……。
緑色の巨人と目が合った。
厨房だった。
焼き釜があった。
火が炊いてあった。
調理台があった。
角切りにされたイモが積まれていた。
いやそれより、この巨人はトロルだ。
なぜミルク樽を持っている?
人間を一刀両断できそうなその大剣は、もしかして調理用の刃物なのか?
「トロー!」
トロルが低音で吼えた。
オレはトロル語を勉強しなかったことを悔いた。
「朝食なら、まだできてないって」
「……は?」
オレが振り返ると、金髪を後ろでまとめた少女が立っていた。
昨日と変わらず、ホウキとドレススカートの格好だ。
「このトロルが何を言ってるのか、わからなかったんでしょ……って、オーガーに食べられる直前のコボルトみたいな顔してどうしたの?」
「あ、ああ……。いや、そうか。助かった……」
オレは脱力した。
「使用人のミッケ、だったよな?」
「ええ。あんたは人間のジローよね。怪我はどう?」
オレはミッケに先導されて、再び通路を歩いていた。
歩き慣れているのだろう、ミッケの足音は静かなものだ。
「あちこち痛むが、動きに支障はなさそうだ」
「そ。じゃあ、今日から早速、雑用ね。いくつか教えることがあるから、一度で覚えてね」
印象通り、ミッケは遠慮のない性格のようだ。
このぶんなら回りくどい会話より、疑問があれば直接ぶつけたほうが早いだろう。
「さっきのトロルはいったい何だ? まさか料理番なんてことは」
「他に何があるっていうの?」
「やっぱりそうなのか……。いや、トロルは不器用なうえに、清潔でもないだろう? 気になってな」
「普通はね。あのトロルは身体が小さくて、トロルの集落から弾き出されたのよ。でも、代わりに手先が器用だったから、魔王城で働いてもらってるの」
そういえば、オレより3回り大きい程度の体躯だった。
トロルにしては小さいほうだ。
「あと毎日、きちんと身体を洗わせてるから、清潔よ」
「ああ、それから通路の角にあったガーゴイル像だ。オレに襲いかかってこないよな?」
「あれは厄除けだから動いたりしないわ。人間だって、建物の門とか屋根に、似たようなのを据え付けるでしょう?」
そういえば、とミッケが振り返る。
含みのある笑みを浮かべていた。
「その首輪。勝手に外したり、ここから逃げ出そうとしたら、どうなっても保証できないから、気をつけてね」
「首輪……?」
気圧されつつも、オレは自分の首に手をやる。
滑らかな革の感触がした。
「待て、何だこれは……!」
「今まで気づかなかったっていうのも、あれだけど……。魔法の首輪よ」
「いや、だから」
「命が惜しかったら、外しちゃダメよ。あ、ここの木扉から、裏庭に出られるわ」
「……」
なぜ人間のオレが、魔物からこんな扱いを……。
頭を抱えたくなった。