裏切りから始まる
「決戦だ」
オレは万感の思いを込めて、目の前の大扉を見上げる。
長旅だった。
この魔王城に辿り着くまでに、何度も困難を乗り越えてきた。
しかし、それも今日までだ。
こうして石造りの通路に佇んでいるだけで、薄ら寒い空気が肌に染み込んでくる。
何より強烈な圧迫感が、大扉の向こうから感じられた。
「この奥に、魔王がいる。お前ら準備はいいか?」
オレは振り返り――。
「だるいぜ。じゃなかった、腹が痛くなってきたから、俺パスだぜ」
「……」
この筋骨隆々な馬鹿はセン。
戦士だが、楽して金稼ぎが信条の、どうしようもないヤツだ。
ついでに髪の毛が1本もない。
本人いわく、戦士はこうあるべきらしい。
「さて作戦だが」
ユウがきりっとした顔で口を開く。
鮮やかな緑髪をかき上げているが、実にさまになっている。
勇者であり、美形だ。
「まずセンが魔王に食われている間に、おれたちが魔王を倒す。めでたし、いてっ」
ユウがセンに蹴られた。
自業自得だ。
とはいえどっちも腕は立つ。
センは戦士らしく、大きな斧を軽々と扱うし、ユウの剣さばきも達人級だ。
「フッ、わかった。ジローとセン、コインを投げろ。表ならジローが囮になる、裏ならセンが囮になる」
ジローとはオレのことだ。
手には短い木の杖。
魔法使いだからってわけじゃないが、痩せているとよく言われる。
「もうユウが食われてる間に、俺たちだけ逃げようぜ」
「うむ」
センが冗談交じりの提案をし、オレもすかさず同意する。
「なんて仲間意識の低いやつらだ!」
ユウが嘆くが、オレたちは3人とも、基本的に利害の一致で仲間になっているだけだ。
もちろん長旅を共にしてきたわけだから、多少の信頼関係はあると思っている。
「さて、お喋りはこのくらいにして、扉を開けるぞ」
こういうのは勇者の役目だろうと思いつつ、オレは目の前の大扉に手をかける。
ひんやりしている。
材質はよくわからないが金属だろう。
「フハハハ! 名声を得て、王国最大のハーレムを作る。おれはこのために生きてきた」
ユウが舌なめずりをしながら、最後の意思表示をする。
内容はともかく、目的のために全てを投げ打つ覚悟と執念は、それはそれで勇者の素養かもしれない。
「大金を得て、豪遊生活だぜ!」
センはいっそ清々しい。
こいつらは間違いなく同類だ。
「人生をやり直すために!」
オレもオレで、自慢できた目的ではない。
人生に悲嘆して、田舎に引きこもっていたオレを、この2人がむりやり魔王討伐に連れ出したのだ。
この2人からすれば、魔法使いを仲間に引き入れたかっただけだろうが、それでもいちおう感謝はしている。
悪くない旅だった。
「じゃあ開けるぞ」
オレは腕に力を込めて押す。
軋み音を立てながらも、思ったより抵抗なく大扉が開いた。
薄い霧が隙間から流れ出てくる。
「ほら、お前が最初だ、ユウ」
「フッ、任せろ。おれが勇者だ!」
ユウが勢い込んで先頭を切る。
続いて、オレとセンも扉をくぐった。
広間だった。
小さなダンスパーティくらい開けそうな広さ。
足元は、むき出しの硬い石床が続いていた。
慎重に周囲を窺いながら、歩を進める。
石壁にもタペストリーの類などは一切ない。
人間の住む王城とは異なり、飾り気を排除した無骨な空間。
天井に浮かぶ魔法の明かりも、ただ無機質に揺らめいている。
「――」
誰かが息を呑んだ。
広間の奥に、簡素な装飾を施した玉座があり、そこに小さな人影が鎮座していた。
「お、女の子……?」
ユウが怪訝な声で呟く。
ゆるやかに波打つ髪も、魔法使いを模した裾の長い衣も、そして背丈ほどもある杖も全てが黒色。
上から下まで真っ黒な少女だった。
そのせいか、白い肌がやけに印象的だ。
「どうする、可愛いぞ!?」
「言ってる場合じゃねえぜ!」
センが突っ込みを入れるが、ユウだってわかっている。
かくいうオレも、杖を握る手に力がこもる。
間違いない。
こいつが魔王だ。
外見はどうあれ、肌に伝わる凍えそうな威圧感は、今まで倒してきたどの魔物をも上回っている。
魔王がゆっくりと、玉座から立ち上がる。
黒曜石のような瞳が、真っ直ぐにオレたちを捉えた。
オレは無意識に喉を鳴らす。
桃色の唇が、小さく開かれた。
「よくぞ参った、勇者たちよ」
……。
「何で棒読みなんだ?」
「ジローに聞こうぜ」
「オレも知るか」
魔王はオレたちのやり取りを気に留めることなく、言葉を続ける。
「四天王を破り、ここまで辿り着いたその実力、賞賛に値する」
「……四天王って、城門で倒した炎魔人のことか? 1匹しかいなかったが」
「それに城門からここまで近かったぜ、ジロー」
「だからオレに聞くな」
やおら魔王が、両腕を大きく広げた。
透き通るような声色で、告げる。
「お前たちに敬意を表し、この魔王自らが相手になろう」
魔王の長い杖が、オレたちに向けられる。
オレたちは反射的に、左右に散った。
「先手を打たせるな。行くぞっ!」
「おうっ、あいつは魔王だぜ。見た目が女の子だろうが、容赦しねえぜ!」
ユウが純白の剣を抜き放ち、右から突進する。
斧を担いだセンは左からだ。
「イカヅチ!」
オレも気合を込めて杖を振るった。
帯のような稲妻が、うねりを上げて魔王に襲い掛かり――。
「な、届いてない!?」
見えない壁でもあるかのように、稲妻は魔王の手前で止まり、そのまま霧散した。
「はあああ!」
「ぜっ!」
ユウとセンが、魔王の左右から武器を振るう。
白い軌跡を描く剣閃。岩をも砕く斧の斬撃。
だがやはり届かない。
いずれも見えない壁に阻まれていた。
「くそっ、どうなって――」
「バクハツ」
魔王の魔法だと気づいたときには遅かった。
広間に轟音と爆発が巻き起こり、ユウとセンが大きく吹き飛ばされる。
オレの立ち位置までは距離があったが、それでも熱風が吹き付け、髪とローブが煽られた。
「ぐ、ぐは……」
誰のうめき声だったか。
オレが首を巡らせると、2人とも床に倒れていた。
いや、それよりも、魔王がまた黒杖を掲げている。
大きな魔法を連発できるのか?
「タテ!」
オレはとっさに守りの魔法を唱えた。
ユウ、セン、そしてオレの身体を、淡い光が包み込む。
「テンライ」
直後、荒れ狂う稲妻が広間を駆け巡った。
守りの魔法を貫くように、オレたちの身体を衝撃が襲う。
肌が焦げ、喉が焼きつき、手足が痙攣した。
「がっ、はあっ、はあっ……」
視界が揺らぎ、オレは膝をついた。
有り得ない。
何だこいつは。
人間の魔法とは威力が違いすぎる。
「ま、待てっ。待ってくれ……!」
視線を上げると、ユウが必死な形相を魔王に向けていた。
「お、お前の……い、いや、あんたの勝ちだ。も、もう勝負はついた!」
ユウも息が絶え絶えだ。
苦痛に背を丸めている。
吹き飛ばされた衝撃で、どこか骨を痛めたのかもしれない。
「い、命だけは助けてくれ! おれは本当は、勇者なんてやりたくなかったんだ! そ、そこにいるジローって魔法使いにそそのかされただけなんだ!」
「おい!?」
オレは嫌な予感がした。魔王は何も言わず、ただユウを眺めている。
「そ、そうだぜ……! 本当に魔王を、いや魔王様を倒そうとしてたのは、このジローだけだぜ!」
気がつくと、センもユウに同調していた。
お前らいったい何を言っているんだ!?
「た、頼む! 何ならこいつを置いていく! おれたちだけでも逃がしてくれ! なっ、いいだろ? もう魔王様には逆らわないから!」
「お、おい! ユウもセンも、いい加減にしろ!」
しかし2人とも、オレの言葉など聞かずに、必死に命乞いを続けている。
何だ、何なんだ。
確かに、利害の一致で仲間になっていたのは事実だ。
だが、それにしても、そう簡単に仲間を裏切れるのか?
あるいはオレの目算が甘かったのか。
2人にとっては、オレは使い捨ての駒に過ぎなかったというのか。
同じ街道を歩み、同じ鍋の飯を食い、共に魔物を打ち倒した。
そんな積み重ねに、ささやかな仲間意識を感じていたのは、オレ1人だったというわけか。
ふと視線を感じて、我に返った。
じいっと魔王に見つめられていた。その黒い瞳からは、何の感情も読み取れない。
「……」
オレの目は、中途半端にくすんだ灰色だ。
だからだろうか、場違いな感想を抱いた。
深淵を思わせるような魔王の瞳を、ただ純粋に綺麗だと思った。
「うん」
気がつくと、魔王はユウに向かって頷いていた。
「仲間を差し出して、逃げていい」
――。
「ひいいいい!」
「おっ、おい! 俺を置いていくんじゃねえぜ……!」
まさに脱兎のごとく。
怪我など感じさせない勢いで、ユウとセンは広間から姿を消した。
当たり前のように、オレのほうを一度も振り返らなかった。
「……」
しばらく唖然としていたが、オレは膝に力を込めて立ち上がった。
さっきよりも身体が重い。
「もう意味ない」
杖を持ち上げたオレに向かって、魔王が告げる。
「ああ、そうだろうよ。オレはここで死ぬ」
オレは半ば自棄になって吐き捨てた。
認めるしかない。
力の差は歴然だ。
予想以上の、更に上だった。
人間と魔王では、こうまで違うものか。
「だからってな、無抵抗で殺されてやるつもりはないんだ」
オレは杖を握り締め――。
「違う」
「……あ?」
「勇者はあなたを差し出した。私はあなたをもらった。死なれると困る」
「……何が言いたい」
魔王の表情は、相変わらず読めない。
もしかすると魔王だけあって、人間のような感情がないのかもしれない。
そんなことを考えていると――。
「ミッケ」
「はい」
魔王の呼び声に応じるように、広間の奥から、ホウキを手にした人影が姿を現した。
「……使用人?」
オレは見たままを口にした。
少女だった。
魔王よりは背が高い。
流れるような金髪を、動きやすいようにだろう、頭の後ろで結っている。
汚れてもよさそうな、長めのドレススカートを身に着けていた。
「ほしがってた下働き」
「人間ですか?」
「うん」
「わかりました。ありがとうございます」
呆けているオレに、少女の視線がついと向けられた。
勝ち気そうな金色の瞳。
「あんた、名前は?」
真っ直ぐな声。意志も強そうだ。
「……ジロー・アルマ。魔法使いだ」
しぶしぶ名乗る。
悔しいが、ここで強情を張ってもいいことはない。
こいつらはいつでも、オレを殺せるのだ。
「そ。あたしはミッケ。この魔王城の使用人よ」
そうしてミッケは、にっこりと笑った。
「あんた今日から、この城の下働きね」