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03

現実は常に残酷だ、そこに頼るべき相手がいないのなら更に。

自分自身しか存在しない、そんな時に出来る事は限られている。

一つだけ利点があるとすれば、その終りまで知る事が出来ると言う事。

3



 さて、出雲佳苗には問題があった。

 仕事がない? それは問題だ。

 貯蓄の切り崩し? それも問題だ。

 目の前で室内の物が浮いている? まあ、それも問題だろう。

 が、それらを全て一時無かった事にしても良いと思える程の切実な問題があった。

 そう。


「……お手洗い、どうしよう?」


 人類と言うか生物として、切実な問題。

 接種と排泄だ。

 携帯(スマホ)は充電の為に隣の部屋にある。隣の部屋の前には台所とバストイレがあって、現在位置である寝室がある。

 つまり……室内の物がぷっかぷっか浮いている中を通って、部屋から出なければならないのだ。

 心臓はばっくんばっくん音が体の外に漏れるのではないかと思う程にわめきたてるのを止めないし、頭の中でざーざー言っている音も、いっそ脳みそごと流れ出てしまうのではないかと思う程に勢いよく流れている。気がする。

 実際には、仮にそんな事があったとしても部屋の中に居るのは佳苗一人なので確認のしようがない……例えば、知り合いに電話して聞いて見ると言う手もあるが電話の向こう側の人に心臓の音やら血液の音やらは流石に聞こえないだろうと思えるし、そもそも携帯は隣の部屋だし、それ以前に「考えたら馬鹿らしい事」に付き合って貰えるだけの知り合いと言う存在も心当たりがない……落ち込むつもりは全くないが、少し人としてどうかなあと言う気が、しないでも無かった。


「よし、寝よう……」


 現実逃避の末に出た結論としてはどうかと思うが、まだ排泄も空腹も酷く感じているわけではない。

 二日酔いをしているわけではないが、かと言って「じゃ、今からフルマラソンで42.195キロ行くか!」と言う気には無論なれない。そもそも、どこぞの女王の我儘で増やされた2.195キロを今も律儀に走り続けているランナーの気が知れないと常々思っていたと言う事を思い出して……。

 横になった。


「……だからと言ってさ、別にすぐ眠れるわけじゃないんだけど」


 どこぞの眼鏡少年とは流石に異なり、おやすみ0.93秒で寝られるほど佳苗は眠りたいわけではない。

 かと言って、この現実を前に目を向けるのは気分的にどうかと言う気はしないでもない。認める認めないは別として、目の前にあるのは事実だから仕方ない……これまでの人生的には、ずっとそう思って生きて来た。そうとでも思わなければ、佳苗は昔も思ったように国内的有名な某樹海にハイキングよろしくスキップ踏んで出かけていた可能性はある。割と高確率で。

 ちなみに、昔思って止めたのは「交通費」と「後処理」である。

 同じ最後ならば他人に迷惑を掛けたくないし、そもそも歩いていくのは距離的に無理だから交通費が必要だ。しかし、当時中学生だった時点で月のお小遣いは1,500円……本をこよなく愛する学生時代に本以外で組める予算など無く。


「参った……なあ?」


 幸いな事に、佳苗の寝室と言うより枕元には本があった。何冊も。

 漫画もあれば同人誌もある、可能な限り紙媒体の本は物理的な場所と言う意味で買いたくないとは思ったが、かと言って日本の電子書籍事情は昔に比べるとまだマシと言う程度で今もって両手離しで喜べる程ではない。

 何しろ、携帯にタブレット、パソコンと言った電子機器は大好きな佳苗ではあるが。基本「電気とネットが無かったら単なる重たい箱だよね」が心情である。以前あった災害の時にも痛感したくらいだ。

 変な所で現実的である。

 それでも、万が一にでも次の災害が起きた時の事を考えて水没した本の対処法は頭の中に叩きこんである。

 いつ使うのか、生きている間に使えるかどうかも不明な知識。

 佳苗の頭の中をかち割って調べてみたいと口にした事があった、かつての知り合いの物理学者の意見は意外と的を得ているのかも知れない。


「まあ……いっかあ……」


 ぺらり、と枕の側に幾つも積み上げている本の一つを手に取った。

 4コマ漫画の高校生の青春とかラブとかツンデレとかを舞台にしたコミックスで、これは佳苗も月刊誌の中に出て来る割に内心で学生の様に胸をきゅんきゅんさせながら何度か読み返している。読まない時は年単位で読まないが、読みたくなると何度も読み返す性格に相応しい。しかも、普段は布団の下にあるから蛍光灯の光にさえ当たらないし折り曲げる事も嫌っているから自然と「新品同前」となる。事故的な例外もたまにはあるが。

 他にも読まれる事を今か今かと順番待ちしている本達はあるのだが、どうにもひねくれているのか買ったのに読みたいと思わない本が積み上がって行くのは自身でも悪い癖だと思っている。


「うぅ…………う?」


 ごろりんと寝返りと打って、そう言えば先程までの事を思い出す。

 隣の部屋にある携帯を取りに行く事も出来なかったのだよなあ、と思いながら体を起こす……起こす?


「……あれぇ?」


 何も考えずに、立っていた。

 別に、それそのものは何の問題もない。逆に、あっても困る。

 つい先ほどまでは、何も切羽詰っていなかったから放置して置こうと思ったくらいだ。これは単に図太いとか言う事も含まれるが、一人暮らしの中年女性と言うものは頼るべき相手がいる10代や20代の可愛い女の子とは違うのだ。どうした所で。

 佳苗にとっては天敵であり台所の黒い悪魔でもない限り……否、それでも出た場所がバストイレならば悲鳴を最小限に抑えて速攻で洗剤投入と言う技に出た事は過去何度もある。最初のシャンプーを吹き付けたら泡が出すぎて掃除が大変だったので、以後はトイレ用洗剤を吹き付ける様にしている……余談である。

 あまり関係ないが、佳苗は「タイプGは洗剤をかけると効果的」と言う知識を漫画で仕入れた。洗剤をかけると奴の体をコーティングしている成分がはがされるのもそうだが窒息するからである。


「……いけないいけない」


 慌てて、佳苗は足を踏み出した。

 自然が呼んでいるのだから、今は他の事については後回しにしなければならない。いかに日常的にマイペースマイウェイを自覚している佳苗とは言え、どうしても譲ってはならない優先順位と言うものはある。


「ぶくぶくぶくぶく……がらがらがらがら……」


 配置的な関係から、用を済ませながらうがいをする。

 目が覚めたらお手洗いに入るかうがいをするべきだと言うのが、最近の佳苗のモットーだ。

 テレビに言わせると「寝ている時の口の中は危険」だと言うので信じるか信じないかは別として、口の中や周りのべたべたした粘着質な物質は洗い流したい。正直に言えば歯を磨きたい、ついでに言えばマウスウォッシュした上で舌も磨きたいと思うくらいだ。

 次の作業的には食事の支度に入るのが大体だから、歯を磨くのは後でも良いだろうと思ってしまうけれど。


「ううん……どうしたもん、か……なあ?」


 隣の部屋を横目で見ながら、佳苗は冷蔵庫から乳酸菌飲料、キャベツ、卵、ウインナー、牛乳を次々と取り出し台所に並べる。その横で視線をちらちらと動かしながらも電器ポットに水を入れてスイッチを入れて、流れる様な作業でフライパンに油を敷いてからキャベツからウインナーの順に水で濡らした包丁で水で濡らしたまな板にざっくばらんに切りつける。

 ガラス製のティーポットに一度水を入れてから中身を廃棄し、脇に置く。

 ウインナーを先にフライパンで炒めてからキャベツを投入して、火が入ってから真ん中に卵を割り入れたら蓋を閉める。味付けは塩コショウ派なので、IHヒーターの火を細くしてからタイマーを掛けると、オーブントースターで1分間のタイマーをかけて、食パンを二枚入れてから今度は2分半ほどかけて焼く。

 ここまで、およそ5分と少し。


「幻? それとも勘違い? 夢……とか? でもなあ……」


 ぶつぶつと独り言が多いのは、検証するだけの情報が少ないからだ。

 情報が少ない以上、いかに佳苗が結論を急ぎすぎる性格を自覚しているとは言っても、やはり結論を出すわけにはいかない。


「よし、今日はディクサムだな……」


 電器ポットの電源が切れると、少しだけティーポットにお湯を入れてから回し中身を捨てる。出来れば、直接お湯を流しに出したくないものではあるが、それは時々と言う事にしておこう。

 気分的に大き目の茶葉をスプーンで二杯ほど入れてから、たっぷりのお湯を注ぎ蓋をする。その間に、500CC程度のステンレスポットと蓋つきのカップを用意する。

 フライパンの蓋を取って卵が固まった事を確認したら電源を落とし、ちょうど焼き上がったパンをお皿に乗せてから更にフライパンの中身を滑らせる。

 寝室にあるテーブルに用意をしたら、テレビをつけてみるが朝に寝なおしてしまったせいかすでにお昼であるためか天気予報は見えない……時間に追われているわけではないのだから、構わないと言えば構わないが溜息をつきたくなる。仕方がない気持ちを抱えながらフライパンに水を入れて置く……テフロン加工だが強火はほとんど使った事がないので、三年以上たつがまだまだ現役だ。今後も油断なく使いたいと思う。

 そうこうしている間にお茶の葉は開いたのを見て取り、ステンレスポットに勢いよく入れてから残りの紅茶をカップに注ぐ。少し足りないくらいにしたのはわざとで、そのままティーポットは放って置く。夏場になるともう一つガラスのポットを出して、二つのポットには氷をいれてアイスティーにする事もある。


「いただきます……」


 無駄に流れているテレビの音をお供に、食事を始めた。

 いつものように、一人きりで食べる味気ない食事だ。

 乳酸菌飲料の蓋を開けて一気に喉へ流し込み、牛乳をカップに注ぎ蓋をする。出来れば、ここで冷蔵庫に戻せばベストなのだろうが希望的観測としてすぐに温くなるわけでもないだろう……熱々のパンに載せたキャベツとソーセージと卵の炒め物を挟み込んで、かぶりつく。

 塩コショウしかしていない筈ではあるが、油がなじんでいるのか常と変らない味だ。別に不満はない。


「なーんだったのか、なあ?」


 パンのさくっとした音と、中身の熱い野菜と肉と卵のハーモニーを楽しむ。

 内心では、結果的に活動を開始して今が朝ごはんと言うか昼ご飯なのだから、おやつを食べるかは別として夕ご飯は魚が良いけどご飯炊かないとなあと思いながら。

 頭の何割かはテレビの音を聞き流し、ついでに残った部分で思考する……出来れば、無かった事にしたい。特に、今は何とかぎりぎり年内生き残れると言う目途がたっただけで本当にぎりぎりだ。下手すれば年内の支払いが全て出来ない可能性がある。この年齢で親に頼るのは恥ずかしいと言うのもあるけれど気が進まないのは親の(しつけ)と言うものだろうと言う気はする。

 実家に帰って食事を作ってもらうとか、実家に届いた贈答品を分けて貰うのとは話が異なる。

 生活費を工面して貰う……そんな事、自覚のある負けず嫌いな自称「無駄な矜持」が絶対に許しはしない……許さないからと言って、物理的にどうしようもなくなったら頼るしかないだろうけれど。このまま貯蓄を切り崩すのも本当に限度があるのだ。政府は金持ち優遇処理ばかりで貧乏人と言うより若者は優遇してもある程度の中年相手だと無視しているし企業側も、気持ちは判らなくはないけれど経験と言うものを度外視するからどうしても条件は狭まって行く。それで彼らが自滅しても心は痛まないがこちらは生命の危機だから洒落にならない、少し前の団塊世代云念の話はどこ行ったと言いたい。

 特に、メインで登録している派遣会社は昨年あたり問題になる様な事を起こした人がいたのは関わらなければ忘れる程度で記憶に新しい。佳苗がどれだけぼんくらでも、そんな会社の派遣スタッフへの見る目が厳しいのは当然と言うものだろう。


「ううん……どうしたものかなあ?」


 言葉と内心では違うように見えなくはないが、頭の中でも実を言えば口調と並行して考えている部分はある。

 ただ、他人と比較した事がないから不明だが佳苗は同時に大体三つ程度の事は並行して想像する事が出来ると言うだけの話だ。もちろん、その内容と状況によって偏ったりはするけれど。


「何で、浮いてないんだろう?」

続きます。

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