└ ぷりーず、ゆー
前々話「すまいるあげいん」の番外編です。
誰かが自分のために頑張ってくれることが、こんなにも幸せだとは思わなかった。
もう残された時間は少ない。
君は、ここを去った後も隣で笑っていてくれるのだろうか?
*
風が冷たい。
夏は一枚の紙を風に靡かせながら、思いに更けていた。
目の前に広がる空は、嫌になるほど清々しい。
いっそのこと、灰色の絵の具で、塗り潰されてしまえばいいのに。
そうすれば、今の憂鬱も少しは軽くなるかもしれない。
視界の隅ではためく白い紙。
淡々と記された『進路希望調査』という文字。
必要ないと言えば、必要ない。
担任に薦められて、何気なく受けた推薦には合格していたし。
ここらの高校生にとっては、合格圏内に入ることさえ出来ない、そんな大学の推薦。
何故自分に回ってきたのか知らないが、よく取れたものだと思う。
何も文句はない。
元々園芸関係に興味があったし、それでも夏は迷っていた。
いつも隣で笑っていた彼女を思い出しながら。
推薦の話が来たのは、八月。
園芸部に顔も出せない程慌ただしくなって。
かれこれ三ヶ月近く行っていない。
三年の引退時期はもう過ぎている。
きっと彼女は来ないと思ってるだろう。
たった一人の園芸部。
去年感じた寂しさを、彼女もまた感じてるはず。
……自分よりも、ずっと。
*
「あ、先輩っ」
進路の方は家で考えることにして、夏は園芸部の花壇に向かった。
花壇が見えてきた頃、小さな影がこちらに気付いて、大きく手を振った。
夏は思わず笑みを零す。
ついさっきまであんなに悩んでいたのが阿呆らしく思える。
やっぱり自分にはここが一番だな、と思った時、影の隣に見慣れない姿が映った。
「誰、あいつ」
「さっき言った先輩。神谷夏さんだよ」
遠くからでも分かる二人の仲。
見たことがないから、後輩には間違いなさそうだ。
クラスメイトだろうか。
――あぁ、あの笑顔は誰にでも向けられているものなんだ。
夏は足を止めて、仲良さげな二人を見つめた。
風が吹く。
冷たいそれは想いまでも、冷ましてく。
自分の笑顔は確実に唯衣だけに向けていたのに。
虚しくなる。
今までの時間が、消えそうだった。
近付いている、そう思っていたのは、自分だけだったらしい。
ただの馬鹿な勘違い。
ずっと隣にいると思っていた唯衣は、今違う少年の隣にいる。
「咲野」
思ったよりも低く冷たい声が出て、自分でも驚いた。
呼ばれた本人よりも戸惑っていた気がする。
「もう、部活来れないから。……頑張って」
無理矢理微笑んで、夏は唯衣に背を向ける。
唯衣に声をかけられる前に、校舎に入った。
空き教室に入って、静かに扉を閉めた。
そのまま扉に持たれて、座り込む。
「何やってんだ、俺は」
寂しい。
久々に感じた思いに、夏は苦笑した。
廊下を駆ける足音が聞こえる。
段々近付いてくる音に、夏は息を潜めた。
音が通り過ぎてから、夏は教室をそっと出て、学校を後にした。
*
「あれ、神谷。園芸は?」
放課後、動くのも欝陶しく思えて、窓の外を見ていた。
いつも一番に教室を飛び出して、花壇に向かっていたからか。
笹倉が不思議そうに尋ねてきた。
「……うん」
「うんって……答えになってねぇし」
笹倉は深くため息をつくと、夏の前の席に腰掛けた。
一瞬彼を見て、すぐに視線を窓に戻した。
何かがある訳ではないけれど。
ただ、何となく、ここから逃げたかった。
「咲野ちゃん、待ってるんじゃないの?」
「昨日、辞めるって言ってきたから、待ってないだろ」
それに。
あの少年が、一緒だから。
自分がいなくても、唯衣は笑っている。
昨日の光景を思い出して、夏は眉間に皺を寄せた。
「狙ってるんじゃなかったっけ? 油断してると、取られるぞー」
「……別に。俺だけ願ったって、無理なもんは無理なんだよ」
夏はため息をつきながら、立ち上がった。
笹倉の声が後ろから聞こえたが、そのまま逃げるように教室を出た。
*
学校を少し離れたところで、急に携帯が震え出した。
淡い期待を胸に抱きながら、ポケットから取り出す。
「なんだ……」
予想は見事に外れ、期待も一気に落胆に変わってしまった。
メールの受信を終えた携帯も静かになる。
表示されているのは、合格発表の日に大学で知り合った子。
「紫伊、か」
ここ最近、毎日のようにメールを交わしている。
……本当は唯衣としたいのだけれど。
紫伊のように、唯衣からメールが来たことはない。
いつも始まりは、自分から。
だから、唯衣専用の着メロも、最近は全く耳にしていない。
「唯衣……」
夏は携帯を握り締めたまま、その場にしゃがみ込んだ。
*
好きだ、好きだ、好きだ。
あの日、わざわざ黄色のチューリップの球根を選んだのは、気まぐれなんかじゃない。
花言葉を与えたのも、ふと思い出したからじゃない。
全部、全部、唯衣への気持ちだった。
精一杯の告白だった。
精一杯の想い、だった。
でも、何も伝わらなかった。
きっと遠回しすぎたんだ。
分かってる。
そんなこと、ずっと前から知ってた。
変わらない笑顔に、変わらない声。
伝わってないなんて、最初から。
唯衣。
心でそっと呟く、愛しい名前。
これが最後。
もう行かないと決めたのだから。
もう君を想わない。
それが君の重荷となる前に。
だから、だから、ただ幸せに。
誰よりもそう願うよ。
ずっと願ってる。
「……バイバイ」
バイバイ、ひとひらの恋。
さよなら、愛しい人。




