ひまわり
唯衣は悩んでいた。
無事に第一志望の高校に入学できて半年が経つ。入学以来悩み続けていた種はすくすくと成長中。
「先輩……」
「んだよ。さっさと水やりしろ」
「なんで全く笑わないんですかっ?」
百均で買った鼻眼鏡をかけたまま顔を上げた。滑稽なその姿にも目の前の男はピクリとも表情を動かさない。
神谷夏、園芸部部長。唯衣の現在の最大の敵。何をしても笑わない冷たい心の持ち主……というのは大袈裟だけど。
「……別にいいだろ。つーか、穴開いてるんすけど」
唯衣の持つホースの先を見つめて呟いた。唯衣もつられて視線を動かすと、ホースから落ちる水が花壇に小さな池を作っていた。慌てて花壇からホースを遠ざけるが遅すぎた。隣で沸き上がる黒いオーラに背筋が凍る。
「ひまわり」
「わーっ、ごめんなさーい」
そこにはやっと芽を出したひまわり。しかも唯衣のわがままで時季外れに種が蒔かれたもの。
見事に水没しているそれを見て、唯衣は慌ててその場にしゃがみ込んだ。その瞬間べちゃりと不快な音が聞こえる。
「……さーくーのー?」
「うぎゃーっ」
思わず放り投げてしまったホースが先輩の足下に転がっている。その白いカッターシャツには不自然な肌色が透けている。
どうやらホースは先輩に水を浴びせながら地面に落下したらしい。というか、きっとそうだ。ヤバイと思ったときには頭に冷たさを感じていた。
「ぎゃー、何するんですか!?」
「巻き添え」
地面に転がっていたはずのホースはいつの間にか先輩の手に握られていて。その口は真っ直ぐ唯衣に向けられ、容赦なく水をかけられた。
まだ日差しが照りつけて暑かったから冷たい水は涼しくてよかったけど……これから家まで自転車で帰るんですが。それを知ってか知らずか、先輩は暫く唯衣に水をかけていた。
……無表情で。
*
「くしゅんっ」
「バカみたいに水遊びなんかするからよ」
「してないし。……くしゅっ」
案の定というか何というか。鼻のむず痒さに風邪を引きかけていると予感した。水浴びには少し時期が遅かったらしい。
「あんたがちゃんと後処理しないからでしょ」
「……やっぱり?」
あの後タオルで水気を拭う先輩とは反対に、びしょ濡れのまま自転車に跨って帰った。帰り着いた頃には制服も殆ど乾いていたので、着替えただけだったのが悪かったという。
美草が言ってるんだから確かだろう。
「蛍も何か言ってよ」
「えー。先輩にやられたんなら本望じゃない?」
「ちょっと、それどういう意味ですか」
ふふっと謎の笑みを浮かべる蛍に唯衣は苦笑いするしかなかった。
見た目と違って少し大人びた性格を持つ蛍は少し怖い。考えていることが怖い。
「そのまま保健室に行って、押し倒してもらえばよかったのにー」
「なんでそうなるのかなぁっ!?」
「あぁ、確かに」
「みみみ美草ちゃんっ?」
しれっと頷く幼稚園以来の親友に泣きたくなる。因みに蛍とは高校で知り合った。
まだ半年、されど半年。この長くも短い時間で蛍と仲良くなったことを少し後悔することがある。いや、大分。
「私もこんな処女丸出しの唯衣と仲良くなるとは思ってなかったわよ」
「しょしょしょっ!」
「蛍、あんたも人のこと言えないでしょ」
「唯衣ほどお子ちゃまじゃないし」
蛍の言葉は先輩の行動を同じく容赦ない。ぐさぐさとそれが刺さっていくのを感じ、本当に涙が出てきた。二人はそれを見てけらけらと笑っている。
友達なのか疑いたくなるのは度々のこと。というか、二人の結束力の強さが何処から来たのかが謎だ。
「もう、笑い過ぎだよぉ」
「あはは、ごめんって」
笑いを堪えながら謝られても許したくない。……と思うのはいけないことだろうか。
いけなくてもいけなくなくても許すつもりはないけど。
「ほら、蛍の夏休みの話聞きたくない?」
「え、何かあったの?」
「あー、知らない大学生の別荘に押しかけて、偽名使って取り入って捨ててきた」
……それ、立派な犯罪なんじゃ。
思わず呟きそうになって口を押さえた。自分で自分の首は絞めたくない。蛍に敵う自信は更々ない。
「大学生ねぇ……いいんじゃない?」
美草がうんうんと頷く。その顔には不気味な……じゃなくて異様に素敵な笑みを浮かべている。
何が何だかさっぱり分からない唯衣は首を傾げた。少し間が開いて、二つのため息が降ってくる。呆れたように首を振る二人に怒りを覚えた。
「ま、頑張ってね」
「うんー」
完全に除け者にされて話は終わった。結局何も分からない唯衣は納得のいかない表情を浮かべたまま机に顔を伏せた。
*
放課後、呑気に恋愛話を始めた二人を気にしながらも、唯衣は教室を飛び出した。
本当は混じって聞くだけでも聞いていたい。彼氏持ちの美草の話は結構役に立つし、経験がないはずの蛍も何かと鋭いことを言うのに。それを誰かに向けて活用する予定はないけど、いつかのために聞いておきたい。
そんなことを思いつつ、唯衣は階段を駆け下りる。腕時計を一瞬見やって唸った。
……こんなに急ぐ理由はただ一つ。園芸部は基本水やり以外普段の活動はない。別に行かなくてもいいが、先輩は毎日通っているから。
笑顔が見れるかもしれないこんないい機会を逃すわけにはいかなかった。
「せーんーぱ……ぐはっ」
「……水玉かよ、色気ない」
叫びたいが声が出ない。地面に突っ伏せた顔を上げると、先輩が呆れたようにため息を零した。
……本日三度目。先輩は知らないだろうけど。
「水玉って何の話ですか」
「パンツ」
そう言われて、唯衣は慌ててスカートを押さえた。それは思いっきり捲れ上がっていた。恥ずかしいという感情より、どうしてこうなっちゃうんだろうという疑問が頭を占める。
ひりひりと痛む鼻を擦りながら立ち上がった。膝から血が伝い落ちる。白い靴下が赤くなった。
「何もないとこでよく転けられるよな」
「うるさいですー」
ハンカチで伝った血を拭いながら口を尖らせた。靴下の血は諦めるしかない。踝までのだから外からは見えないはず。
「……ほら、行くぞ」
「へ? 何処行くんですか? あ、花屋に新しい種……ってそんな部費ありましたっけ」
「保健室だよ、このバカっ」
左腕を力強く掴まれる。先輩はそのまま唯衣を引きずるように歩き出した。方向転換が上手く出来ずに後ろ向きで歩く羽目になり、即効で尻餅をついた。
見上げた先の先輩の顔が怖い。眉間の皺が一層怖い。
「……大丈夫か?」
「は、はいぃ……」
情けない声を出す唯衣を立たせると、さっきとは打って変わって優しい力で腕を引いてきた。大人しく唯衣はその背中を追って歩き出した。
以前にもこんなことがあったのを覚えている。忘れられない夏の思い出。
保健室の入り口で友達と談笑している先輩をちらちらと見ながら、唯衣はその大切な記憶を掘り起こしていた。目の前の先輩は唯衣が見ていないと思っているのか楽しそうな笑顔を浮かべている。
同じ笑顔を向けられた時はちゃんとあった。それなのに今はない。こんなに近くなったのにそれが向けられることはなかった。
「はーい、完成。小学生じゃないだから毎回走る度に怪我しないでくれる?」
「うぅー……すみません」
先生に突かれた額を両手で押さえる。呆れたため息、本日四度目。
四月時点で既に保健室の常連になってしまった唯衣は苦笑いを浮かべるしか出来なかった。
体調不良ならまだマシ。唯衣がここにくるのは十割怪我だから。
「神谷ー、終わったよ」
「あ、すみません。じゃ、部活頑張れよ」
「おぉ。神谷も後輩の世話頑張れ」
「ははは……頑張るわ」
先輩は友達に手を振ってからこちらに歩いてきた。当然のことながらその顔に笑みは浮かんでいない。
無表情。本当に感心しちゃうくらいの無表情。
「行くぞ」
「今度は何処ですか? 部費なんて残ってませんよ!?」
「……知ってるよ。誰が部長やってると思ってんだ。このクソガキ」
「一つしか変わらないから、私がクソガキだったら先輩もクソガキだと思うけどなぁ」
思っていたことがそのまま声に出て、唯衣は慌てて口を押さえた。
当たり前だけど既に遅くて。目の前の顔が思いきり歪んだ。
「……お前、喧嘩売ってるんだよな?」
「ま、まさかぁ。気のせいですよ、先輩」
引きつった笑顔を浮かべて先輩の肩を数回叩く。その手を振り落とされて、唯衣は口を噤んだ。
……本気で怒っちゃったのかもしれない。もしかしなくても。
「はぁ……今週末何があるかくらい分かるだろ?」
「分かりませんっ」
「文化祭だよっ! クラスで準備してないのか!?」
「うぐ……してます」
これじゃ笑ってもくれないか。嫌々納得しながら唯衣は肩を落とした。
……それにしても。
「ちゃっかり参加しちゃうんですね、園芸部」
「ちゃっかりじゃない。ちゃんと参加するんだ」
部員二名の明らかに認められてない部が参加するんだからちゃっかりだと思う。同好会だとしても人数が足りていない。大体存在すら危うい。
声に出さないように反論していたら、エスパーでも使ったのか先輩が睨み付けてきた。
「お前は顔に全部出てるんだよ」
「えぇっ!!」
思わず顔を両手で覆ってから思った。これ、完全に墓穴を掘ったんじゃない?
指の間から恐る恐る先輩の表情を伺う。が、慌てて指の隙間を無くす。
……うっすら笑みを浮かべている。うん、ちょっとというか大分意味合いが違うような気もするけど。
「さーくーのー?」
「ご、ごめんなさーいっ」
先輩の言葉にデジャブを覚えながら、唯衣は先生の笑い声を背中に聞きながら保健室を飛び出した。
*
「ということ。分かったか、ガキ」
「ひまわりは咲いてませんけど。種なんか取れませんよ」
「うちで取れたのを配るから問題ない」
階段で転んだところを捕まって、短い逃走は終了した。
ひりひり痛むお尻を気にしながら、空き教室でミーティングをしていた。と言っても、先輩が決めたことを聞くだけなのでミーティングも糞もない。
ちゃっかり参加する文化祭ではひまわりの種を配ることになった。時季外れでどうかと思うけど、反論は止しておく。
これ以上怒らせたらクビになりそうだ。部活にそんなものがあったら堪ったもんじゃないけど。
「何袋押しつけるんですか?」
「押しつける……?」
「あ、ごめんなさい。配布でしたね」
思わず本音が零れてしまった。
取り敢えずそこまで反応しなかったのは救いだろうか。そう思いたい。
「大体百袋くらい。一袋に五つずつ詰めて、全部配布し終わるまで自由時間なし」
「え、私、初めての文化祭なんですけど」
「……園芸部に入ったのが悪いんだよ」
先輩は苦い顔をして言った。よく分からないけど、去年も同様だったらしい。先輩に文化祭がどんなのか聞いてみたものの曖昧な答えしか返ってこない。
……全部配布できなかったのかな。
「詰めるのは前日で間に合うから。それまではクラスの準備に放課後を充ててくれていい」
「先輩は? クラスの準備に行くんですか?」
「俺は委員会。これから会議あるから、今日はこれで終わり。気をつけて帰れよ。これ以上転けんな」
「もう転けませんっ」
膝の大きな絆創膏を見たら全く説得力はないんだろうけど。唯衣は鞄を引っ掴み、走り去りたいのを堪えながらゆっくり教室を出た。
外はもう赤に近い色を纏っている。日が沈むのも早くなったな、なんて思いながら下駄箱に向かった。
*
「委員会なんて入ってたっけ」
「……んだよ、いたのかよ」
「ったく神谷も罪な男だねぇ。あんな可愛い子を引きずり回して」
肩に回そうとしてくる腕から逃げながら窓の外に視線を移す。生い茂る葉の隙間から自転車置き場が見える。
暫く目を凝らしているとひょこひょこと歩く唯衣の姿が見えた。他にも人がいるのを忘れて、笑みを浮かべる。飽きずに見つめていると肩が重くなった。
「で? いつになったら可愛い後輩に笑いかけてあげるわけ?」
こいつには全部話していた。無理矢理話させられたというのが正しい。
唯衣に笑いかけないのも、冷たい態度を取ろうと努力しているのも。理由はたった一つ。
「なぁ、聞いてる? 俺が貰っちゃってもいいの?」
「よくねぇよ。……あと少しだよ」
あの夏、本気になるために決めた期限まであと少し。その時にはちゃんとこの愛おしい気持ちを伝えたい。
*
一週間は本当に早く過ぎていった。
一気に華やかになった校舎を見上げながら、唯衣は大量のひまわりの種を持って中庭を通る人に駆け寄っていく。珍しくメールが来て、同じ空き教室で先輩と一緒に詰めたひまわりの種は思っていたよりも早く無くなっていった。
いつの間にか一緒に配っていた先輩はいなくなっていた。一足早く全部配布し終えたらしい。
それもそうだ。唯衣の持たされたひまわりの種は七十五袋。先輩の分はどんなに考えても唯衣の三分の一。
「いろいろ準備があるんじゃない? ね、蛍」
配布を手伝ってくれるわけでもないのに傍にいる美草と蛍は、アイスクリームを食べながら校舎を見上げている。
唯衣はそれを横目で見ながら種を小さな女の子に渡した。嬉しそうに駆けていく後ろ姿に心が温かくなる。
「……委員会関係かな」
「先輩は委員会入ってないはずだけど」
「え、でも会議があるって……」
そう言ってたから昨日の袋詰めまで一回も会いに行かなかったのに。でも蛍が嘘をつくとも考え難い。
さっきまでの温かさが一気に冷えてモヤモヤが広がる。……そこまで嫌われてるのか。
「ま、さっさと配っちゃって一緒に回ろう?」
「うん……」
残りもあと僅か。唯衣は気を取り直して、中庭に入ってきた人に駆けて行った。
*
「……終わったーっ!」
「お疲れー。はい、お昼ご飯」
美草が買ってきてくれた昼食を受け取る。開いているベンチに三人で腰掛け、それぞれの昼食を広げた。
唯衣はたこ焼きを頬張りながら空を見上げた。結局先輩は戻ってこなかった。きっと配布し終われないと思っているのだろう。
「あ、そういや。花壇のひまわりが咲いてたよ」
「うっそ! 本当?」
「……あんた、園芸部じゃなかったっけ?」
「最近行ってないんだもん。先輩に来なくていいって言われたし」
水やりも全部引き受けるからクラスに貢献してこい。
ミーティングの翌朝花壇に行った時に言われた。初めての文化祭というのもあって、唯衣はその言葉に甘えて一度も行かなかった。
「ふぅん。どうでもいいけど」
「これ食べ終わったら見に行こっか」
美草の提案に唯衣は何度も頷いた。
*
園芸部の花壇は裏門に近い場所にある。ひっそりとあるそれは明らかに趣味のために作られたもの。先輩が作ったとしてもおかしくないくらい。
校舎裏は立ち入り禁止だからか、ひっそりとしていた。まるで表の喧噪が嘘みたいに静か。
先生に見つからないように早足で花壇まで行くと、遠くからでも鮮やかな黄色が見えた。あの夏見たものとは背丈が全く違うけど、ひまわりには間違いない。
「本当だー」
「先輩も唯衣に教えてあげればよかったのに。本当、何や……」
中途半端に言葉を止めた美草を振り返る。美草は植木の方に目を向けていた。そして、にやっと笑った。蛍も何故か変な笑顔を浮かべている。
不思議に思った唯衣が植木の方に視線を移そうとした瞬間、蛍に肩を掴まれた。
「私、ずぅっと唯衣に聞きたいことがあったの」
「私もー」
二人の笑みが怖く思えるのは気のせいだろうか。
気のせいだと思いたいと望みながら、唯衣はあまり開きたくない口を開いた。
「な、何?」
「唯衣って先輩が好きなの?」
思いも寄らない質問に唯衣は言葉を失う。突然のことに何と答えていいのか分からない。
「ゆーいちゃん?」
「ほーら。早く白状しちゃいなさーい」
「う……好き、かもしれないです」
「かも? かもなの?」
「……っ、好きだよっ! 何か文句ある!?」
迫ってくる二人にいたたまれなくなって、唯衣は大声で叫んだ。
叫んでからはっとなって顔が熱くなる。最初はきょとんとしていた二人の顔が徐々に緩んできた。
「……だーって。先輩?」
「せ、先輩っ!?」
「お前らのせいで予定狂いまくりなんだけど」
がさがさと音がして振り返ると、葉っぱまみれの先輩が植木の中から出てきた。
その表情は非常に不機嫌だ。
「私たちが先輩の計画を成功させてあげるわけないでしょう?」
「何してんの、唯衣」
「だ、だって。へ、変なこと叫んじゃったし」
あんなに近くにいたのだから聞こえていないはずがない。それが目的で園芸部に入ったなんてバレたらクビにされちゃう。
それだけは嫌だった。だってやっと手に入れたきっかけ。繋がり。時間。とても大切なもの。絶対手放したくはない。なかったのに。
「ど、どうしよ……」
「……お前らはいつまでそこにいるわけ?」
「そりゃあ、最後まで。気にしないでやっちゃってください」
美草が唯衣の背に回る。そのままその背中を押して、先輩の傍まで連れて行かれる。無理矢理先輩の前に立たされた後、二人は少し離れた。
前後からの視線が痛い。目の前の先輩は大きなため息を零した。
「咲野? さっきの本当?」
「……はい」
唯衣はぎゅっと目を瞑った。だから気付かない。待ち焦がれた優しい笑顔を先輩が浮かべたことに。
突然腕を引かれて、唯衣は前のめりになる。それを受け止めるように温かいものに包まれる。驚いて目を開けると白い世界が広がっていた。
それが先輩のカッターシャツだと気付くまで少し時間が掛かった。
「ったく。努力が台無し」
「え?」
「嫌われるためにやってたのにさ。最悪」
「えぇっ」
先輩の言葉に涙が溢れてくる。先輩の腕の中から出ようともがく。
だが一層強い力で抱き締められた。
「……言っとくけど、俺、すっげーしつこくて甘えたな嫉妬深いヤツだよ? 超束縛するかもよ? ……いいの?」
「ど、どういう……意味ですか?」
勘違いしてしまいそうな言葉に、唯衣は戸惑いを隠せない。そっと腕の力が緩んで、距離が出来る。怖くて顔を上げられないでいると、先輩が唯衣の顔を覗き込んできた。
映る先輩の表情に唯衣はもっと泣きたくなった。……辛いからじゃない。今度は嬉しいから。
ずっと見たかった先輩の優しい微笑みが自分に向けられていたから。
「俺、すっごい面倒な男だよっていう意味」
「そうみたいですね。それが……どうかしたんですか?」
「……あのなぁ。ったく」
先輩は困ったように頭を掻いた。少し乱れた髪に少し胸を弾ませる。
……なんか変だ。おかしい。
「唯衣。俺が言いたいこと、本気で分かってないの?」
「うへ?」
「……もういいよ。最悪」
先輩はもう一度大きくため息をついた。何故か背後からもため息が聞こえた。
……そういや二人もいたんだ。唯衣は思い出して、再び顔を真っ赤にした。
「先輩、唯衣は結構厄介ですよ?」
美草の台詞に先輩は苦い表情を浮かべた。唯衣はそれを見て首を傾げた。
*
「ゆーい」
文化祭も無事に終わり、また日常が戻ってきた。
楽しくも忙しくもある普通の日々。でも今までとは少しだけ違う。
唯衣は手を止めて顔を上げた。ドアにもたれかかるように立っているのは紛れもなく先輩だ。
「遅い。まだ準備できてないのかよ」
「う、ごめんなさい……」
止めていた手を急いで動かして、教科書を鞄に詰めていく。
……あれから毎日。放課後になる度先輩が教室に訪れる。たまーに朝も家の近くにいることがある。
美草曰くお迎えで、蛍曰くストーカーらしい。何はともあれ、先輩はこうやって唯衣のところに来てくれた。そして。
「待たせちゃってごめんなさい」
「いいよ、別に。ほら、行こう」
ふわりと浮かんだのは、ずっと待ち望んでいた先輩の笑顔。
*
ひまわりの花言葉は、『あなただけを見つめる』。
まだまだ遠いけど、先輩だけを見つめています。




