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no title

 梅雨もそろそろ明ける頃、その日は朝から暑かった。

 この強い夏の日差しのせいでもあるのだが、いつもの倍の人間を狭い教室に詰め込んでいるからだ。

 高校最初の夏、初めての文化祭の話し合いをしていた。


「はーい、文化祭ですけど、一年は舞台を担当なんですが何しますかー」


 教卓の後ろに立った朝原葵は、騒がしい教室に向かって叫んだ。

 後ろまで声が通っているかどうか分からない。

 はぁ、とため息をついていると、隅の方から声がした。


「劇がいいと思いまーす」

「劇ですね、げ、き、っと」


 初めて出た提案を黒板に書き留めた。

 次の提案は……出そうもない。


「……ちょっと黙ってよっ! 夜中まで続ける気なの?」


 バンッと教卓を叩いた。

 一瞬だけ、しんっとなった。

 同じクラスの人はもう三ヶ月も付き合っているから、ほとんどの人が黙ったようだ。

 でも隣のクラスはそうもいかない。

 またがやがやと騒がしくなった。

 半分以上が葵への批判だった。

 ところどころに「勝手にしてて」というのも混じっていた。

 最初よりも騒がしくなってきたので、ずっと椅子に座っていた隣のクラスの委員長・凪葉藍が立ち上がった。


「黙りなさい! あんたたち、葵ちゃんをいじめてたら、先輩が怒って怒鳴り込んでくるよ?」

「……え」

「あれ、葵ちゃん、先輩の間ですっごい人気なんだよ?」

「へぇ……そうなの」

「知らなかったの?」


 知るわけない。

 委員会の上に生徒会までやってるんだから。

 それに、部活してないから先輩との関わりも少ない。


「まぁ、いいからさ、さっさと終わって帰ろうぜ?」


 教室の後ろの方から今度は男子の声。

 それを締めにして、教室は静かになった。

 静かすぎてもやりにくい、とはここまできて言えそうもない。

 言えない。


「……えぇっと……他に意見がなかったら、劇ということで進めたいんですが……」

「それでいんじゃない」


 一人がそう言うと、ほかの人もつられて賛成の声を上げた。

 またざわつく教室で一人の手が挙がる。


「はいっ! それなら瑠璃の脚本なんかどうかな。演劇部で脚本やってるし」

「瑠璃ちゃんは?」

「あ、私です」


 挙がった手の横にいた少女が立ち上がった。

 そして、とことこと葵に近づいてくると、一冊のノートを渡した。


「これ、文化祭の演劇で没になった作品ですけど。これでいいならどうでしょう」


 そわそわと自分の手元を見ながら、瑠璃は言った。

 渡された脚本を読もうとしたとき、横からすっと手が伸びてきてそれを貰っていってしまった。

 そして横でパラパラとノートを流し読みして、藍はクラスメイトに向かって言った。


「じゃ、私監督やるから。反対の人、いないよね。役は……多数決で決めるか。じゃあ、ヒロイン役の候補挙げて」

「葵ちゃんがいいと思います」

「夕桐さんとか」

「鴇子はどうかな」


 個々に意見を言われて、葵は黒板に書き出そうかどうか迷っていた。

 チョークを手にしたまま、耳を澄まして挙がった名前を聞き取っていた。

 そうしてる間に藍は多数決を取り始め、挙がった手を几帳面に数え始めた。


「……朝原葵がダントツね。じゃ、葵ちゃん、ヒロインよろしく」

「え」


 反論する前に、拍手で声をかき消されてしまった。

 ……待ってよ、生徒会に委員会にクラス代表に……いつ練習するんだろう、私。


「次、ヒーロー役。……これは有無を言わさず日野浅葱だろ」

「はっ? ちょい、何勝手に決めてんだ!」

「賛成、拍手」


 拍手喝采。

 さっきでしゃばったことも影響して、クラスのほとんどが賛成した。

 と言っても、賛成の拍手をしなかったのは浅葱と練習時間を考えていた葵だけだったのだが。

 それからはスムーズに決まっていき、裏方仕事も決めてしまった。

 結局後半は藍にまかせっきりで、葵はせっせと提出用の紙にまとめていた。


「……じゃあ、これで解散。明日から準備に入れるように用意しといて」


 すっかり日も西に傾いて、校舎の外は夕焼けで赤く染まっていた。

 せっせと鞄に教科書を詰め込んで、部活に走る姿が目に入った。

 葵も遅刻している生徒会の会議に行かなきゃと、急いで荷物をまとめていた。


「葵ちゃんっ」

「あ、茜。どうかした?」

「一緒に玄関まで行こうと思って。生徒会、あるの?」

「あーゴメン。今から行かなきゃ。ほんとゴメンね」

「葵も大変だな、生徒会に委員長に今度は主役」


 横から浅葱が割り込んできた。

 そして茜と目が合うと、恥ずかしそうに笑った。

 いつもだ。

 何故そんな顔をするのかが、葵にはよく分からなかった。


「じゃあ、茜ちゃん、俺と一緒に帰らない?」

「んーごめんなさい、約束あるから」

「約束?」


 葵と浅葱は同時に聞き返した。

 約束があるのならどうして葵を誘ったのか。


「うんっ、常盤先輩と」

「美術部の?」

「そうだよ。あ、そろそろ行かなきゃ! じゃあね」

「あー……バイバイ……」


 嬉しそうにスキップしながら教室を出て行った。

 その背を見つめていた葵は、見えなくなってからなんとなく浅葱の方を見てしまった。

 なんか重たい空気が流れてるような気がした。


「……なぁ」

「な、何」

「茜ちゃんって……常盤先輩という人が好きなのか……?」

「はい?」


 何聞いてるんだ、こいつ、と心の中で突っ込んだ。

 でも、分かったような気がする。

 茜に見せたあの笑顔の意味が。


「好きなんだ、茜が」


 なるべく冷静に言おうとしたが、少し裏返ったような気もした。


「うん」


 また恥ずかしそうに笑って言った。

 内緒だぞ? と小さく付け加えながら。


「ふうん」


 葵は妙な気持ちになって、何も言えなかった。


「……あ、生徒会いいのか?」

「んー……今から行くよ」


 浅葱に無理やり微笑んで、その場から離れようとした。


「あ」


 何か思い出したように、葵は浅葱の方を振り返った。


「今年も生徒会で告白大会やるんだって。出てみたら?」


 このとき、何故そんなことを言ったのかよくわからない。


 *


 翌日、早くも台本が主な役柄を貰った六人に手渡された。

 その場で目を通してみる。

 結構童話的な話だ。

 香水屋の下町娘と王子様の恋……葵が下町娘で、浅葱が王子様のようだ。

 台詞が多いな、と思いながら読み進めていった。

 すると、浅葱が大声を出した。


「ちょっと、これマジでやるの?」


 浅葱が台本のある一文を指しながら言った。

 どれどれとみんなが覗き込む。

 そして、「あーやるんじゃない」と頷きながら言った。

 葵はそれを見て固まった。


「……葵、大丈夫?」


 浅葱が心配して、顔を覗き込んだ。


「私は……浅葱はどうなの」


 私は別にいいよ、なんて言ってしまいそうだった。

 何を考えてるんだろうと思いとどまったが。

 浅葱はちょっと迷ってるようだった。

 茜と役を代わろうかな、と考える。

 確か告白大会の前……一年の出し物の最後が私たちの劇だ。

 もし出場するつもりなら、これはヤバイだろう……キスシーンなんて。

 寸止めでもいい、なんて書いてあっても、見方によっては本当にしたように見えてしまう。

 というか、この台本、許可が下りるのだろうか。


「藍ちゃん、これって……」

「あぁ、許可は下りてるよ。そのシーンはないことにして。まぁ、一種のパフォーマンスってことにしておいて」


 藍は何の問題もないようにさらりと言った。

 葵はもう一度浅葱の方に向き直った。


「浅葱……告白大会出るの?」


 他の人に聞こえないように小さく言った。

「そのつもりだった」と小さく返事が返ってきた。


「でも、いいよ。そういう運命なんだよ、俺は」

「……藍ちゃん。私、役降りるわ。他にやることあるから、両方は無理っぽい」

「お、おいっ、そんなやめなくても……」

「いーから、黙っててよ。ちゃんとやるから」

「何を!」

「ちゃんと後任を推薦するって言ってるの」

「そんなことしなくていいからっ! 凪葉、今の聞かなかったことにして」


 いきなり振られた藍は、ちょっと驚いていたが、すぐに「あぁ、うん」と返事した。


「浅葱、何してんのっ」

「あーもうっ、黙れって」


 そう言って、手で葵の口を塞いだ。

 手を上げて叩こうとしたが、それも手で制される。


「……あんたら、仲良くするのはいいけど、練習サボらないでよ」


 藍が冷たく言い放って、二人は思わず離れた。

 それを見た他の人たちは腹を抱えて大笑いしていた。


「て、てめぇら、何笑ってんだっ!」


 そう言いながら、自分も笑って、みんなの輪に戻っていった。

 葵はそれを見て、ちょっとだけ微笑んで廊下の方に目を向けた。

 廊下では、美術部の茜を中心に背景の下絵を描いていた。

 ここで叫んでやろうかと思ったが、やめた。


 *


「葵、いるー?」


 台詞の読み合わせをしていた葵は、呼ばれた方へと顔を向けた。

 窓から顔を出していたその人は、葵の姿を見つけると笑って言った。


「生徒会、あるって言ったはずだけど? サボるなとも言ったはずだけど」

「あ、すみませんっ。えぇっと……藍ちゃん、抜けさせてもらってもいいかな」

「ん、全然平気」

「ごめん、また終わったら来るから」


 そう言いながら、鞄から生徒会用のパンフレットと筆記用具を取り出した。

 ……違う、このパンフレットは委員会用だ。

 なんだかんだと詰め込まれた鞄からなかなか目的のものが見つからなくて、手間取っていた。

 それも気にせず、呼びに来てくれた人は、浅葱の姿を見つけると、


「あ、日野浅葱君、告白大会のラスト任せたよ」

「え、俺まだ出してないんですけど」

「一年の人気者は出る決まりなんだよ」

「じゃあ、葵もですか?」

「葵は裏方だからね、出られないんだよ」

「というか、告白する人なんていませんから。さ、行きましょう、生徒会長」


 だいたいなんで会長直々に迎えに来るんですか、と小さく呟いた。

 後ろで「あれ、会長っ?」という声がしたのは、気のせいだということにして欲しい。

 ……この間、選挙やったばっかりなのに。

 聞いていなかったのが丸分かりだ。

 葵は誰にも分からないように小さく笑ってから、生徒会室に急いだ。


 *


「今年の告白大会は、十組参加ってことで。ラストの日野君以外は例年通りくじ引きで順番を決めていきます」


 生徒会長が淡々と資料を読み上げた。

 やっぱり浅葱が最後なんだ、と葵は改めて思った。

 結構人気あるんだな……関係ないけど。


「……で、朝原ちゃん?」

「え、あ、はい」

「ちゃんと聞いてないと、会長が飛んでくるよ」


 隣に座っていた書記の先輩にそっと耳打ちされた。

 そして目を合わせると微笑んだ。

 葵も微笑み返した。


「おい、葵、お前司会やらせるぞ」

「え、嫌ですよ、会長」


 葵は真面目に即答した。

 隣で先輩が必死に笑いを堪えているのが手に取るように分かった。


「書記、笑ってないで記録をとれ」

「はーい。司会は会長ですね、舞台設営の方は?」

「副会長に任せてある」

「え、俺っすか?」


 そんなこと聞いていないというような顔で、副会長は会長を見た。

 それも気にも留めずに、会長は次々と役を振り当てていった。


「何か質問ある人ー」

「告白する相手が被った場合はどうするんですか」

「あーそれは早い者勝ちだ」

「不公平だという意見は?」

「仕方ないだろう。どちらも断ることだって出来るし、相手は好きな人の告白を受ける。先も後も関係ないだろう」


 生徒会長がまじめなこと言ってる……と思ってしまった。

 悪い気もしたが。


「他には……ないようだな。じゃ、後は舞台設営だけだから。頻繁に会議は行わないけど、ある時はちゃんと参加するように。解散」


 葵は『解散』という言葉を聞いて、すぐに席を立ち上がった。

 早く戻って劇の練習に参加しなくては。

 それだけが頭に響いて、駆け足で生徒会室を出て行った。


 *


「えー……って誰もいないし」


 葵が教室に着いたときは誰も残っていなかった。

 ただ明々と電灯が灯っているだけで、人のいる気配は全くなかった。

 それでも葵の他にまだ鞄が残っていた。

 誰が残っているのだろうと、廊下を見渡してみた。

 廊下の奥……手洗い場の辺りで声が聞こえた。

 気になって、足音を立てないようにそっと近づいていった。

 手洗い場の壁に隠れてそっと覗いてみる。

 そこには、浅葱と茜の姿があった。


「なんでこんなに洗ってるんだよ」

「えー……みんな、用事あるって……」

「俺がいなかったら一生帰れないぞ?」

「一生もかからないって……」


 二人ともはしゃぎながら、ペンキのついた刷毛と缶を洗っていた。

 状況から見て、他の人達が茜に後片付けを押し付けていったようだ。

 まぁ、茜に言わせれば『頼まれた』仕事なのだが。

 見かねた浅葱がそれを手伝っているのだろう。


「……何よ、お似合いじゃない……」


 葵は小さく呟いて、その場を離れた。

 そして、鞄を引っ掴んで校舎を飛び出した。

 もう外はすっかり暗くなっていた。


 *


「……いちゃん……葵ちゃん!」

「……あっ、ゴメン」

「もう、茜ちゃんと代わってもらうよ?」

「え?」

「昨日の葵ちゃんのとこ、茜ちゃんが代役してくれたのよ。それがもう名演技でね、結構進んじゃった。みんな台詞覚えるの速いし」

「へ、へぇ、そうなんだ」


 葵は困ったように微笑んだ。

 そっか、茜が代役したんだ……。

 それなら最初から茜にすればいいのに、と思った。


「えー、まだ葵の演技見てないのに、それ言っちゃ可哀想だよ」


 浅葱が横からひょこっと顔を出して、口を挟んだ。


「葵だって、忙しいけど頑張ってるのにさ、ね?」

「え。あ、まぁ……でもいいよ、代わっても」

「なんで、まだやってもないのに」


 怒らせた、と葵は思った。

 少しだけ浅葱の顔が不機嫌になった。

 でも、葵には昨日の夜のことが何故か引っかかっていて。

 浅葱とは一緒に居たくなかった。


「今日も生徒会あるしさ、これ以上迷惑かけられないって」


 葵はなるべく明るく言おうとした。

「ふぅん」と浅葱はつまらなさそうに言って、他の役者のところへ行ってしまった。

 残った藍が葵の顔を覗き込んで、


「まぁ、保留ってことで。やれるだけやりましょ」


 と、肩をポンっと叩いて言った。

 葵は曖昧に返事して、台本に目を落とした。

 浅葱の相手役などやり遂げる自信なんてなかった。


 *


「なぁ、なんでだと思う?」


 浅葱は練習の合間に茜を呼び出して、さっきの出来事を話した。

 茜はちょっと首を傾げて悩んでいたようだったが、すぐにゆっくりと話し始めた。


「よくわからないけど……日野君、葵ちゃんに何か言ったんじゃないかなぁ。心当たり……ないの?」

「言ってないと思うけど……」


 じゃあ、何だろうね……と茜はまた首を傾げて考え込む。


「でも……なんかムシャクシャするんだよな。まだ葵とは練習してないのに、相手は葵じゃなきゃやりにくいっつーか、やりたくないっつーか」

「ふぅーん、よくわかんないけど」

「だよなー……」

「ごめんね」


 茜は本当に申し訳なさそうに謝った。

「大丈夫だよ」なんて言った言葉が、少しだけ震えていたような気がした。


 *


『ソール……あなた、王子だったの……』

『うん。黙っていてごめん』

『じゃあ、全部知ってるの……?』

『まあね』

「はいっ! そこまで」


 藍の声が体育館に響く。

 夏休みも終盤に差し掛かり、劇も大詰めとなってきた。

 まだ小道具が揃ってないが、本番までには出来上がるだろう。

 背景などの大道具は、この間から劇の練習で使っている。

 まだ入れ替えに手間取っているのがちょっと心配だった。

 この日も主役は葵と茜が交互にやっていた。

 あの日から二人で練習している。

 浅葱は嫌そうな顔をしていたが、練習になるとそんなことも気にしていないようだった。

 もちろんラストのハプニングは全く練習していない。

 ハプニングを練習するのもおかしいが。


「次、葵ちゃんね」

「はーい」


 葵は幾分か遅れを取っていた。

 やはり生徒会での雑用で毎日忙しく走り回っていた。

 今日もあと一通りくらい通して練習すれば、すぐに抜けなければならなかった。

 ふと、葵は視線を感じたような気がして、後ろを振り返った。

 浅葱が急いで台本をチェックしているのが見えたが、別に気にも留めなかった。


「おい、日野! 何してんの、早く行きなさいよ」


 藍が声を荒げて、浅葱に怒鳴っていた。


「……私が嫌なのね……」

「んなこと誰も言ってねぇよ」


 葵はビクッと小さく跳ねた。

 独り言で小さく呟いたはずなのに、浅葱から返事があった。

 葵は焦って、その場で躓いてこけた。


「……何してんの」


 藍が呆れたように言った。


 *


「日野くんっ」

「あ、茜ちゃん」


 休憩に入ると、茜が浅葱に駆け寄っていった。

 そして、何やらこそこそと話して、楽しそうに笑いながら体育館を出て行った。

 葵はそんな二人を見つめていた。


「ねぇ……さっき葵ちゃん見てたよ?」

「ん、そう」

「いーの?」

「何が?」

「誤解されても」


 浅葱はそこでブッと吹き出した。

 もうすでに誤解されている。

 それほど茜が鈍感なのか、それとも上手く隠し通せていたのか。

 今の浅葱にはどちらでもよかった。


「で、話ってなんなの」


 浅葱は後ろを歩く茜に聞いた。

 すると、少しだけ頬を赤くして、恥ずかしそうに答えた。


「あのね……常盤先輩にね……」


 告白されたの、告白大会でもしてくれるんだって。

 嬉しそうに微笑みながら言った。


 *


 葵は何かおかしいと思った。

 浅葱は最近変だし、茜は周りに花が舞っている。

 葵は何も聞いていなかったので、何も知らなかった。

 ただ一人首を傾げるだけだった。

 劇の方は何の問題もなく進んでいた。

 ヒロインもほぼ葵に決まって、追い込みに入っていた。

 練習の時間ばかりは浅葱の違和感もなく、普通に練習に集中していた。

 だから、葵は余計に首を傾げたくなった。


 *


 明日が本番と迫ったこの日、前夜祭の前に時間を取ってもらって、リハーサルの準備をしていた。

 一つの班に一時間しかないので、みんな慌しく走り回っていた。

 役者組はその様子を前からじっと見ていた。

 手伝おうとしていたが、藍が「怪我したら困るから」と言ってさせてもらえず、気まずい気持ちで眺めていた。

 葵は離れて立っていた浅葱の方に目を向けた。

 まだなんか変な感じが漂っていた。

 葵は「あーもう」と呟きながら、浅葱に近づいた。

 そして、浅葱の背中をバシッと叩いた。


「何、暗くなってんの」

「……なんだ、葵か」

「もう明日が本番なんだよ? もっとね、笑って笑って。なんか変だよ、浅葱」

「……お前、よくそんなに笑っていられるな」

「え」


 浅葱がギッと睨んできた。

 葵は怯んで、浅葱から一歩離れる。

 浅葱は身を翻すと、怒ったように体育館を後にした。


「なんなのよ……」


 何があったのか葵は知らなかった。

 ただ浅葱は知っていると思っていた。

 だから、バカにされていると思った。

 ……ただ二人はすれ違った。

 それだけだ。


 *


 当日になっても、葵と浅葱は喧嘩したままだった。

 いや、一方的に浅葱が怒っていた。

 それでも、劇の役は降りるわけにはいかなかったので、気まずいまま本番を迎えることになってしまった。

 幸い生徒会関係であちこちに走り回り、本番前に浅葱と顔を合わせることもなかった。

 走り回っている時に生徒会長に会い、浅葱が告白大会を辞退したことを聞いた。


「あ、葵ちゃん、遅い! 早く着替えてっ」


 なんとか集合時間にギリギリ間に合った葵は、すぐに衣装に着替えた。

 そのとき浅葱の姿を探したが、見当たらなかった。

 台本を見ながらそわそわしていたが、すぐに浅葱が現れたのでほっと胸を撫で下ろした。


『さて、次はラスト! 一年C組・D組合同の"The princess's perfume~姫君の香水~"です、どうぞっ』


 拍手が鳴り響いたあと、幕がゆっくりと上がっていった。

 何の問題も無く、劇は進んでいった。

 浅葱とも目を合わせて出来た。

 少しずつラストが近づいてきた。

 だんだんとラストの……ハプニングという名のキスシーンが迫ってきた。葵には出ないシーンがあるが、浅葱は出っ放しだった。

 葵が一人になったとき、不安が緊張とともに襲ってきた。

 怖い……が本音だった。


「葵ちゃん、いよいよラストだからねっ! 頑張って」

「うん……」


 藍が緊張を解きほぐすかのように、葵の背をポンッと叩いた。

 ……いよいよ出番だ。

 葵は息を呑んで、ゆっくり歩き出した。


『ソール……あなた、王子だったの……』

『うん。黙っていてごめん』

『じゃあ、全部知ってるの……?』

『まあね』

『王子、早くしなければ』

『分かってるよ、ルバーブ。……ミント、俺と婚約してほしいんだ』

『……無理です。身分が違いすぎます』

『好きなんだ、ミントが。身分なんて関係ないよ。最初に言ったはずだ。平民の女性と婚約すると』

『それでも……』

『ミントは俺のこと、好きじゃなかったの?』


 浅葱がゆっくりと近づいてきた。

 葵は少しだけ体を硬くする。


『好きです。でも……』

『心配しなくていい。俺の傍にいてくれるだけでいいんだ』

『……本当に私なんかでいいんですか』

『うん。ミントがいいんだ』


 浅葱はゆっくりと葵を抱き寄せた。

 それだけで観客から声が上がる。

 葵は深呼吸をした。

 少しだけ浅葱に体を預けた。


『婚約してください』

『王子が平民に敬語使っていたらおかしいですよ』


 葵は笑いながら言った。

 浅葱も笑っていた。

 無理やり笑ったような感じだったが、誰も気づかないだろう。


『ミント』


 葵は顔を上げて、浅葱を見た。

 浅葱も葵を見た。

 一瞬だけ時間が空いて、葵はそっと目を閉じた。

 寸止めで終わると思っていたが、唇に何かが当てられた。

 拍手の音が聞こえて、葵は目を開けた。

 もうすでに幕は下りていた。


 *


 文化祭の全てが終わった。

 生徒会主催の告白大会で常盤先輩が茜に告白したのを見て、浅葱が変だった理由を察した。

 浅葱は聞いたんだ、茜が常盤先輩を好きだということを。

 葵が聞かされていないのを知らなかったのだろう。

 だから、あの時浅葱は怒ったのだ。

 原因が分かって、少し心の荷が下りたような気がした。


「あ」

「……浅葱か」


 葵は後夜祭に出る気もせず、一人暗い教室から運動場で行われている後夜祭を眺めていた。


「……あー、ゴメン、劇のとき……」


 寸止めのはずだったのに、と罰が悪そうに笑いながら言った。


「それに……茜ちゃんのこと。知らなかったんだってな。ゴメン、勝手に怒って」

「ううん、いいよ。もう済んだことだし」


 葵は窓の外を眺めたまま言った。

 浅葱は、葵の隣に立って一緒に窓の外を見た。

 静かな時間が流れた。


「……葵って」


 浅葱が突然口を開いた。

 葵はそのまま浅葱の顔を見ずに「何?」と聞き返した。


「好きな人、いるの?」

「……いるよ」

「いつから?」

「入学してきたときから、かなぁ」

「ふーん……」

「誰とか聞かないんだ」


 葵は笑いながら言った。

 何を聞いてくるんだろうと思ったら、好きな人のことだなんて。


「……誰? って聞いても教えないけど」

「なんだそれ」


 浅葱も笑った。

 久々に聞いた浅葱の笑い声。

 この前聞いたのが、とても遠い昔だったような気がする。


「……ベストカップルだって、茜ちゃんたち。俺らもベストヒロイン&ヒーロー賞、もらった」

「そっか。頑張ったもんね」


 偽ハプニングとか、と付け加えた。

 葵にとってハプニングは本当にハプニングになってしまったけれど。

 浅葱にとってはどうなんだろう、とふと思った。

 あれはわざとだったのか、うっかり触れちゃったのか。

 どちらにも取れるような感じだった。


「葵」


 不意に名前を呼ばれて、浅葱の方を見てしまった。

 見ないつもりだったのに。

 見たら何もかもばれてしまいそうだったから……。

 少しの間が空いて、浅葱が口を開いた。


「俺さ、茜ちゃんに相談してたんだ」

「え?」

「葵のこと」


 一瞬何を言われているのか分からなかった。

 ……茜に相談した?


「何を相談したの? それになんで告白……」

「他にさ、好きな人がいたから」


 何を言っているのだろう。

 何を……。

 葵はよく分からなくなって、浅葱から目を離し、再び窓の外を見た。

 丁度、キャンプファイヤーの準備をしていた。

 これで大道具が頑張って作った背景も見られなくなるんだなと思うと、なんだか寂しくなってきた。


「ったく、無視すんなよ」

「んー?」

「葵」

「もう、何がいいた……」


 浅葱がすぐ傍に立っていた。

 あの劇のラストが思い出された。

 今もそのときと同じ状況に立っている。

 ただ観客のいる舞台じゃなく、二人きりの暗い教室の違いだけだった。

 それはとても長い時間だったように感じられた。

 次に目を開けたときには、浅葱に抱き寄せられていた。


「好き、かもしんない」


 なんて曖昧な言葉だろう、と葵は小さく笑った。

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