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あなたの夢、叶えます。

 この世の中、訳の分からない看板を掲げた店がちらほらとある。この店もその一つだった。


『あなたの望みを叶えます』 


 そんなこと出来るわけもない。というか、めちゃくちゃ怪しすぎる。絶対に関わりたくない。

 でも、その時は訪れるものだった。架月凛は店の前に立っていた。もちろん、このいかにも怪しい店に用事があって来たのだが、未だに入る勇気……いや、面倒なことに関わる決心が持てないでいた。

 人通りの少ない路地ではあったが、全く人がいないというわけではなかった。ときどき、そこを通る人が不思議そうに凛を見ているのが痛いほど分かった。それに耐え切れなくなり、その怪しい店のドアを開けて入った。

 入ってみると、そこは普通の家だった。店を開業するために建てられたような内装ではなかった。普通に玄関の先には廊下があった。


「こんにちはー……」


 凛は廊下の奥の部屋に向かって叫んでみた。でも、応答の気配はない。足元で「ミャーォ」と猫の鳴き声がして、ビクッと飛び跳ねた。そんなこともお構いなしに、猫は凛の足に体を摺り寄せて甘えていた。

 しばらくして、同い年くらいの少年が出てきた。


「すみませんっ、他の仕事で……って、え?」


 出てきた少年は同じクラスの人だった。……確かうちの学校はバイト禁止だったような……。


「げ、ゴメン、見逃して」

「ちょっと待って、天羽陽っ!」


 店の奥に逃げようとする陽の腕を凛は必死に掴んだ。騒ぎを聞きつけて、奥からまた二人出てきた。


「依頼?」


 凛より一つか二つ上のような少女が聞いた。女の人と同い年くらいの男の人も口を開く。


「陽、それ彼女?」

「違いますっ!」


 凛と陽は同時に否定した。それがおかしかったのか、男の人は後ろを向いて笑い出した。たぶん、いや絶対、勘違いされたね、今。


「静さんっ、笑ってないで助けろ! 凉も何じっと見てんだよ」

「……あぁ、ゴメンゴメン。ちょっと離してあげてくれるかい?」


 静と呼ばれた男の人に頼まれて、凛は陽の腕を離した。陽はさっと静の後ろに隠れる。


「やばい、静さん、同じ学校の子」

「あ、そうなんだ。じゃ、陽が担当してあげな」

「ちょっと、俺らが退学になってもいいのか?」

「……私はいいけど」


 凉と呼ばれた女の人はポツリと呟いた。凛は話についていけないまま、その場に立っていた。凉って……。


「もしかして紫紺凉さんと紅月静さん?」


 凛がそう呟いて、三人は動きを止めた。


「全部バレたみたいね」


 凉が問題なさげに言った。


 *

 

「で、何しにきたの」

「こら、陽。お客さんにそんな口の利き方をしない」


 静がすかさず陽を叩いた。陽は静を一度睨んでから、また凛の方に向き直った。


「何の御用ですか」


 凛は膝の上の猫を撫でながら答えた。


「依頼よ、依頼。何でも叶えてくれるんでしょう?」

「まぁ、一応そうなっています」

「……友達を助けてほしいの。ちょっと今、死にかけている友達を」


 凛は寂しそうな眼をして言った。静が「可哀想に」と目を押さえる。凉は淡々と凛の依頼を用紙に記入していた。


「分かりました。友達の名前は?」

「笑。早瀬笑」


 あぁ、と陽は頷いた。いつも凛と一緒にいる女の子。でも、おかしなことに気づいた。


「早瀬はピンピンしてないか?」

「同姓同名の他の人。そっちの笑は元気です」

「そーだよな、今日会って話したしな」


 あはは、と笑いながら陽は言った。また口の利き方が悪いぞ、と静に注意されてる。

 凛はその様子を見ながら、小さく笑った。まるでその者達をあざ笑うかのように……。



「早瀬笑……そんな人、いないわよ」


 凉がパソコンをいじりながら言った。名簿を検索してみたが、この町の陽の知っている早瀬笑しか存在しない。


「でもいない人を『助けてほしい』だなんて、依頼するようなバカはいないだろ。少なくとも架月はそんなヤツじゃないと思うし」

「じゃあ、ペンネームとかハンドルネームかもしれないな。そっちで調べてみる?」


 あぁ、と陽は答えて部屋を出た。そして、地下へと向かう。地下のある部屋に入ると、独特の強い臭いが鼻を刺す。そこには静がいた。臭いなど全く気にしていないようだ。


「お、陽か」

「薬の調合、手伝おうか」

「そう? じゃあ、回復薬の方でもやってもらおうか。……どう? 架月凛の方は」

「……早瀬笑なんていなかった」

「そうか、そんな時もあるさ」


 静は笑いながら、陽を残してその部屋を出て行った。本当に能天気な人だ、と思いながら、陽は棚に並ぶ幾種かの薬草を手に取った。


 *


「えーみー?」

「あ、凛。何処行ってたの?」


 笑と呼ばれた少女は、短い髪を弾ませながら凛の元へ走りよってきた。


「みんな探してたのよー?」

「ゴメンゴメンっ、ちょっと変な路地に迷い込んじゃって……」

「もうっ、早く行こう」

「うん」


 笑は凛の手を取って、みんなのいる海へと走り出した。凛も転ばないように笑の後について走った。


「海なんて久しぶり!」

「だよね。天羽くんも来ればよかったのに。天羽くん以外みんな来てるんだよ?」

「ほんとだね」


 凛は深呼吸して、潮の香りを胸いっぱいに吸い込んだ。いい香り。気分が落ち着く。いつの間にか隣にいた笑は、海の方へ走り出していた。他の人と共に水を掛け合ってはしゃいでいる。凛はその様子を遠くからじっと眺めていた。

 笑たちが何度か誘いに来てくれたが、それを断ってずっと砂浜に座っていた。海に入りたい気持ちもあったが、どこかでそれを抑え込んでいた。入ってしまえば、ずっと奥深くまで行ってしまいそうだった。


 *


 それから幾日か過ぎていった。凛に何事も無い、以前と全く変わらない日常が毎日訪れていた。


「架月、ちょっと来い」


 それは依頼してから一週間くらい経った頃だった。凛は陽に呼ばれた。学校では話しかけることも話すことも無かったので、周りが珍しそうに二人を見た。そんな視線も気にせず、陽は凛を連れて教室を出た。

 やっと誰もいない場所を見つけると、陽は凛の方へ向いた。


「早瀬笑なんて何処にも存在しない。同じクラスの早瀬を除いて」

「……何が言いたいの?」

「あんたは誰を助けてほしいって言ったんだ? それが分からないとこっちも動けないんだ」

「……」


 凛は黙り込み、少し俯いた。陽は凛の手に小さな小瓶を持たせた。


「……何?」

「回復薬だ。どんな病気でも少しは回復する」


 それを聞いて、凛は顔を上げた。そして、手の中の小瓶をぎゅっと握り締めると、力いっぱい小瓶を地に投げつけた。二人の間で小瓶はパリンッと空しく砕けた。


「てめぇ、何しやがる!」

「誰もこんなもの、欲しいなんて言ってない! 誰も長く生きてほしいなんて言ってない……」


 陽はいきなり怒鳴られて、少し怯んだ。じゃあ、こいつは何を依頼したんだ? という疑問が頭の中をぐるぐると回った。凛はさっと身を翻すと、陽を見ないまま小さく呟いた。陽にも聞こえるくらいの声で。


「……もう一人の早瀬笑は私よ。彼女は私自身だったの」


 そう言い残して、凛は走り去った。

 陽はしばらく凛が立っていた場所を見つめていた。ハッと我に返ると、何か嫌な予感が頭を過ぎった。


「くそっ」


 そう吐き捨てると、陽も走り出した。


 *


「早瀬っ!」


 教室に戻ると、まず凛の一番傍にいる笑を探した。すぐに声が返ってくる。


「どうしたの? そんなに息切らせて」

「架月が行きそうなところ、知らないか? 好きな場所とかよく行く場所とか」

「凛? 凛なら海が好きだと思うよ? ……何かあったの?」

「ん、ちょっとな。ありがとう!」


 そう言って、また陽は走り出した。

 海、と聞いて、店の近くの海岸が一番に思い出された。一か八かでそこへと走る。静に応援を頼もうかと思ったが、やめた。店に行く間に何か起こってしまっては意味が無い。陽は無我夢中で走っていた。

 その姿を偶然見かけた凉は、急いでその後を追った。携帯で静も呼ぶ。


「陽が変。何か追いかけてるみたい。そっち向かってるから、後追って!」

『え? まだ学校なんじゃないの?』

「いーから、追って、バカ静!」

『分かった、追うから。また向かってる先分かったら連絡する』

「お願い」


 電話を切ると見えなくなった陽を勘で追った。店の方に向かっているようだ、という推測を信じて走った。


 *


「架月!」


 そう呼ばれたような気がして、凛は後ろを振り返った。でも誰もいない。ただの空耳かと笑っていたら、今度は鮮明に「凛!」と呼ぶ声が聞こえた。顔を上げると、凛を追って海へと入ってくる陽の姿があった。


「来ないで!」


 凛は咄嗟に叫んだ。そして追いつかれないように、海の奥へと急いだ。しかし水が足に絡んで、上手く前へ進めない。それでも必死に前へと進んだ。いきなり後ろに転びそうになったかと思うと、陽に抱き寄せられていた。……いつの間にか追いつかれていた。


「いやっ、離して……」

「離させるわけねーだろ?」

「行かせて……お願いだから……」


 凛は陽の腕の中で必死にもがいた。もがいてもがいてするほど、陽は腕に力を込めてきた。


「……何が目的だったんだ?」


 陽がそっと尋ねてきた。凛はもがくのを止めた。


「……長く生きるんじゃなくて。生きる希望が欲しかったの。生きたいって思える何かが欲しかっただけ」

「……俺が架月のそれになる。だから……行くな」

「そんなの信じない!」


 凛は陽が力を緩めた隙に、陽から離れた。そして、陽の方へ向いた。


「そんなの、凉さんや静さんが私と同じ状況になったら、言うでしょう?」


 陽は黙った。そして寂しそうに凛を見た。


「……ほらね」


 そう言いながら、一歩ずつ後ろへ下がっていく。陽の手が届かない場所まで来ると、凛は陽を見た。その目には涙が浮かんでいた。


「嘘でも……嘘でも『言わない』って言ってくれたらいいのに。そしたら、私だって……」


 凛は微笑んだ。それは優しく、哀しい微笑だった。


「……言わない。架月にしか言わない」

「嘘。そんなの今更……」

「嘘じゃない。凉にも静にも言わない。架月だけにしか言わないよ」


 陽は強く言った。もうこの決心は揺るがないと証明するかのような強い眼差しで言った。凛は足を止めて、その眼に見入っていた。その眼差しから目を離せなかった。それを見て、陽は一歩ずつ凛に近づいた。凛の目の前まで来ると、そっとその手を取った。


「俺が、架月の生きる希望になる」


 そう言って、陽は微笑んだ。


 *


「陽! 架月さん!」


 凉と静が、海から上がった凛と陽の元に走りよった。そして何を思ったのか、陽から凛を引き離す。


「え? ちょっと……」

「架月さん……陽に何もされなかった?」


 凉が凛を抱きしめながら言った。凛はきょとん、とした顔で「はぁ」と頷く。どちらかというと、自分が迷惑をかけたような形だ。


「静さん……何か勘違いしてるだろ」

「何をかな?」

「俺は何にもしてないぞ」

「へぇ」


 静は全く信じていません、とでも言うように答えた。陽はため息をついた。……たぶん何を言っても信じてくれないな。


「凉、架月さんを離してあげて」


 静が優しく言うと、凛は凉の腕の中から開放された。


「架月さん、陽に何か言いたいことあったら言っていいよ?」

「いえ、何も」


 きっぱりとそう答えると、静は吹き出して、大笑いし始めた。凛はまたもやきょとんとする。


「陽、残念だったな」

「別に、覚悟はできてましたから」

「陽、今日だけは可哀想ね」


 凉も笑いながら言った。何も知らず、何も分からないのは凛だけだった。居場所が無いようにそわそわし始めたのが、可哀想に思ったのか。凉が凛の耳元で囁いた。


「……陽、架月さんのこと、好きだったのよ。入学したときから」

「えぇ?」


 凛の顔が見る見るうちに赤くなって、静と凉はまた笑い出した。


「てめぇら、人の秘密暴いて、笑うんじゃねぇ……」


 陽の低い声が静かな海岸に響いた。


 *


 それからしばらくして。凛は改めて陽に呼び出された。


「えーっと……何か?」


 あれ以来あまり彼らと関わりたくなかった凛は、早く陽の前から逃げ出したかった。


「……俺らと一緒に仕事しないか?」

「え?」

「いや、校則違反なのはわかってる! でも、架月の力が必要なんだ。……その、個人的な感情は別として。ほら、架月の生きる希望になるって言ったし」

「それならもういいよ。私なんかに縛られちゃ嫌でしょ」

「嫌じゃない。……好きなんだ、だから一緒にいたい。小さな関係でも持っていたいんだ」


 生きる希望っていう大きな関係でもね、と陽は照れくさそうに笑った。


「……そう。なら、私は何も言えないかもね。助けてもらったし」


 凛も恥ずかしそうに笑いながら言った。そして、そっと陽の手を握り、陽を見た。陽も驚きながら、凛の手を握り返し、凛を見た。


「私でいいの?」

「うん」

「何も出来ないよ?」

「いいよ」

「……好き、としか言えないよ?」


 陽はハッと目を見開いた。聞き間違い……?

 凛は潮の香りを楽しむようにゆっくり深呼吸すると、陽を見て、微笑んだ。


「私も、好きだった。ずっと」

「……夢、じゃないよな」

「うん、夢じゃないよ」


 凛がそう答えると、陽は凛を抱き寄せた。現実が夢になってしまわぬよう、やっと手に入れた宝物が消えてしまわぬように、優しくそれでも強く抱きしめた。


「好きだ」

「私もだよ」

「……俺なんかでいいの?」

「それ、私の台詞だよ」


 凛は陽の腕の中で笑った。陽はなんだか嬉しくて、凛を抱く腕に力を込めた。凛も陽の背に腕を回して、力を込めた。

叶った夢が消えてしまわぬように。

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