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雨色パラソル

 空色のパラソルを開いて、君に会いに行こう。


 梅雨に入って、空色の傘を差す機会が増えた。今日も午後から雨の予報が出ていて、知雨はお気に入りの傘を持って、学校に向かう。空色の傘は持っているだけでも心を軽くしてくれる。


「雨、降るといいなぁ」


 知雨は青く澄み渡った空を見上げて、小さく呟いた。

 名前のせいからか、小さい頃から雨が好きだった。さらさらと降る雨の音、傘に落ちる雨雫の音、水溜りで跳ねる水の音。雨が奏でる音全てが魅力的で何処か惹きつけるものがある。高校生になった今でも、雨が降ると心が弾む。今日の雨はどんな音を奏でてくれるのだろうか。この前の雨より、素敵な歌を歌ってくれたらいいのに。友達が文句を言っている傍で、いつも知雨は一人そう思っていた。

 予想通り、午後から雨が降り始めた。それと同時に教室の雰囲気も少し暗くなる。朝はあれだけ晴れていたのに。何人の人がそう思っているだろう。知雨はそんなことを考えながら、放課後を楽しみに待つ。


「本当、知雨はいいよねー」

「なーんで?」

「雨が降って、喜んでるのあんただけだし」


 友達の真生が憂鬱そうに呟く。視線は窓の外に向けたままだ。知雨も窓の外を見た。外はいい感じの雨。激しくもなく、弱すぎでもなく。さーっと降る雨に思わず微笑んでしまう。


「なんか知雨、変人化してるって」

「う、うるさいなぁ……」


 そう言ったと同時にチャイムが鳴って、本日最後の授業が始まった。これが終われば、待ちに待った放課後になる。


「雨だー♪」


 知雨は空色の傘を差しながら、少し暗くなった灰色の空を見上げる。……うん、丁度いい感じ。


「何か、いいことありそう」


 小さく微笑みながら、知雨は一歩踏み出した。ちゃぷん、と水が跳ねる。一歩また一歩踏み出す度に、ちゃぷん、ちゃぷん、とリズム良く水が跳ねて、歌を紡ぎ出す。

 いつもの角を曲がると、小さな公園が見えた。雨の日はおろか晴れの日も誰もいない、寂しい公園。だけど、今日は少し違った。誰かが、いる。

 知雨が見たのは、空を見上げる少年の姿。傘も差さないで、ただただ空を見上げている。こちらに背を向けていて、顔は全く分からない。着ている制服から隣町の高校の生徒だということだけが分かった。

 知雨は暫くその場で彼の姿をじっと見つめていた。なんとなく近づきたいと思って、ゆっくりと彼に近づいた。


「何、してるの?」


 空色の傘を少年に傾けながら、知雨は言った。少年は驚いたように知雨を見る。暫く口を丸く開けたまま見ていたので、知雨も不思議に思いながら彼を見つめた。


「……いや、別に。何もしてないけど」

「風邪、引くよ?」

「うん……そうだな」


 知雨は鞄を探って、タオルを少年に差し出す。


「あ、さんきゅ」

「あっちで雨宿り、しよ」


 知雨は公園の真ん中にある屋根付きのベンチを指差した。少年もそちらに顔を向けて頷いた後、知雨の傘を無視して歩いていく。知雨も遅れて彼に続いた。


「近くの人? 立石高校の人だよね?」


 タオルで濡れた髪を拭く少年に、知雨は恐る恐る尋ねた。少年はシャツを脱ぎながら、知雨を見る。


「……あんたは東高校だよな」

「そう、だけど」

「何年?」

「一年……って私の……質問は……別にいいけど」


 だんだんと声が窄んでいく。少年はその様子が可笑しかったのか、小さく吹き出した。


「ご、ごめん。近くの人ではないけど、立石だよ」

「近くの人じゃないのに、よくこんな小さな公園、見つけたね」


 地元の人でも知っている人は少ない小さな公園。脇道の少し奥に入った場所にあるので、ここを通る人くらいしか知らない。知雨にとっては中学も高校も公園の傍を通って通学しているので、馴染みの深い公園だけど。それでも、最後にここで遊んだ時のことは覚えていない。


「偶然、通りかかったんだ」

「静かで、いいとこでしょ」

「ん、そうだな」


 知雨はベンチに座り、シャツの水気を絞る少年の背中を見つめる。空色の傘は畳んで、ベンチの端に立てかけた。傘から流れる雫が綺麗だと思った。まるで空が洗われた後のようで。


「なんか、足止めしてるな、俺」

「ううん、暇だから大丈夫だよ。……雨、強くなってきたね」


 学校を出た時よりも雨脚が強くなり、地面で雨雫が激しく弾けている。

 少年は上半身に何も身につけないまま、知雨の隣に腰を下ろした。沈黙が二人の間を静かに通り過ぎる。雨はいつものように歌を紡ぎだしているはずなのに、その空間だけ切り取られたように静かだった。


「……雨、嫌いなんだよな」


 少年が小さく呟く。知雨は視線を雨の世界から彼に移した。彼は雨の世界を見つめたまま、初対面の知雨に小さく消えそうな声で言葉を吐き出した。


「親が事故した時も、雨だった。最後の日も雨で。親戚の家に嫌々迎えられた日も追い出された日も雨で。……雨は、嫌いだ。何もかも俺から奪い取っていく」


 知雨は何も言わない。何を言えばいいのか分からないのではなく、雨を好きな自分がここにいてもいいのかと思ったから。


「……あんたは、雨が好きそうだな」

「な、なんで?」

「あそこの角から出てきた時、すっげー楽しそうな顔してたから」


 少年は小さく微笑む。そして雨の世界を閉ざすように目を伏せる。


「雨は歌を奏でるから好き、とか言ってる奴がいたんだ」

「……私と同じだ」

「うん、なんか似てると思ったから……そうだと思った」


 知雨は彼から目を離し、再び雨の世界に浸る。少年の声は雨のようだと思った。静かにゆっくりと紡がれる言葉は、まるで雨の歌を聞いているような感じで。知雨は彼の声は好きだ、と純粋に想った。


「誰、なの? そんなこと、言った人」

「……知らない。小さな頃だったから、聞いた名前も忘れた。……ただ、この公園で言われたことだけは今も覚えてるんだ」


 知雨は何故か懐かしいような気がした。その話を知ってるような気も同時に溢れる。聞いたことがある。同じシチュレーションで、誰かから同じような言葉を。そして、嬉しくて誰かに伝えた幼い記憶を思い出す。


「……その子に会いに来たの?」

「うん……会えないって分かってたけど。でも丁度雨だったから、会えるかなって。……なんか知らないけど、無性に会いたくなったんだよな」


 少年はゆっくりと立ち上がった。


「……止んだ」

「え?」


 知雨は言葉の意味が分からなくて、顔をあげた。いつの間にか雨は止んで、日が差しているのか、さっきよりも明るくなっていた。


「虹が、出るかもね」


 少年は知雨に目をやると、小さく微笑んだ。知雨も彼を見上げる。何処かで見たような表情が、そこにはあった。


「タオル、洗って返すから」

「いいよ、自分で洗うし」

「……もう一度、会いたいから」


 少年が照れくさそうに知雨から目を逸らして言った。ほんのり赤くなっている顔が見えて、知雨も少しだけ顔を赤くする。


「……確か、あいつの名前、雨って漢字が気がするんだ」

「思い、出したの?」

「うん。あと少し、なんだけどな」


 なんて名前だったっけなぁ、と少年は空を見上げる。知雨はこの近所に『雨』の付く名前の人がいたかどうか考えてみた。思い当たりは無い。この近所に住む誰かの親戚の人だったのかもしれない。そこまではさすがの知雨も考えようが無い。


「……あ」

「どーかした?」

「私の名前も、雨って漢字使ってる」


 そうだった、と知雨は思い出した。この『雨』という漢字が名前にあるから、雨が好きになったんだ。


「何て言うんだ?」

「……しう。知るに雨って書いて、知雨って……あっ」


 同じ言葉を誰かに言ったような気がする。誰かは分からない。いつだったかも思い出せないけど。それでも、同じような台詞を、丁度今のような雨上がりに言ったような気がする。


「……知、雨?」

「うん……」


 頷くと、少年は手を口元に当てて、過去に記憶を巡らせていた。知雨もその少年の様子を見つめたまま、記憶を辿る。誰だろう。誰に自分の名前をさっきと同じように言ったのだろう。誰に少年の思い出の人と同じ台詞を言ったのだろう。


「ま、さか」


 少年は驚いたように知雨を見た。頭の先から足の先まで視線を巡らせた後、とても嬉しそうに満面の笑みを浮かべる。


「見つけた」

「思い出せたの?」

「うん。あんただ。十年前も同じように、そうやって自分の名前を説明してた」


 十年前、と言われて、知雨も思い出す。そう言えば、その頃は毎日晴れてる日はもちろん雨の降る日もこの公園に通っていた気がする。


「こんな偶然……意外とあるもんなんだな」

「……本当に、私なの?」


 少年は確信を持ったように頷く。恐らく彼の記憶は間違っていないだろう。初めて見た笑顔と頷きでわかる。……違う、初めてじゃない。

 やっぱり何処かで見たことがある。その表情、その仕草、その声……。


「空、くん?」


 記憶の片隅に見つけた名前を口に出すと、少年は知雨に手を伸ばした。


「正解」

「本当に……あの空くん?」

「……空が好きだから、雨は嫌いなんだ。だって空が見えないから。そしたら、僕も誰にも見えなくなってしまいそうで」


 知ってる。聞いたことがある。雨の歌が紡がれている小さな公園のベンチで、今も変わらないこの場所で、同じ台詞を聞いた。


「空くん……」

「思い出して、くれた?」


 知雨は小さく頷いて、あの頃より背の高い空を見上げた。


「私、もう会えないと思ってた」

「俺も。親戚の家に預けられて、ここから遠くに離れてしまったから」


 空の手が優しく知雨の腕に触れた。反対側の手は背中に伸ばされ、ゆっくりと引き寄せられる。


「高校に入って……やっと、探しに来れたんだ」

「……私、思い出した。何故雨の日に空色の傘を差すのが好きだったのか……」


 何? と、空は知雨の顔を覗きこむ。


「空くんが、雨の日は空が見えないから嫌いだって言ったから。だから、空と同じ色の傘を差せば、空くん、雨が好きになってくれると思ったの」

「……うん。一番最後に会った日、知雨ちゃん、そう言ってた」


 空は知雨を離すと、知雨の横を通り過ぎていった。知雨が追うように振り返ると、空は知雨の傘を手に取り、パッと開く。傘から弾かれた雨雫が知雨に降る。空は傘の隙間から顔を見せた。そして、さっき知雨がしたように傘を傾ける。


「……また、仲良くしてもらえない?」


 そう言った空の笑顔が、記憶の中の笑顔と重なって。知雨はやっぱりいいことがあった、と思いながら、頷いた。

視界の片隅に、小さく虹が見えた気がした。

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