桜色幻想曲
桜が舞う。消えかけた幻想を追って、私は走る。何処に行けばいいかは、分からない。それでも、やらなきゃいけないものがあるから。
君に、会いに行く。
*
「今更だけど、バカだよね」
「それを言うな、それを」
私は、机に顔を伏せた。言われなくても、分かっている。自分でもバカだって思ってるし。そもそもあんな馬鹿げた事を、わざわざ体育館の裏に呼び出して、言ったアイツが悪いんだ。
「ったく、アイツも何考えてるんだか」
紫紺は小さくため息をつきながら、教室の隅にいるアイツを見た。私も顔を上げて、それに倣う。アイツは、傍で戯れる友達を冷たい目で見つめていた。もっと子供らしくすればいいのに。何処か大人びているところが少し気に食わない。
「でも、朔、杏珠は椿が好きだってこと、知ってるはずなのに」
じゃあ、やっぱりあれはからかわれただけで……って。
「な、な、なんで、アイツが知ってるのよ!」
「私が言ったからに決まってるでしょ」
紫紺は何事もないように、さらりと言った。秘密を秘密だと思っていない辺り、紫紺らしいと言えば、そうだけど。
「言わないでよ―……」
「ごめんごめん。っと、噂をすれば」
紫紺は怪しい笑みを浮かべて、アイツの方を指差した。丁度椿くんがアイツに近づいているところだった。
「おい、朔空、聞いたぞ?」
「何を」
「柊ちゃんに、告白したんだって? 何で言ってくれなかったんだよ」
椿くんが笑顔で朔空の肩を叩いた。教室中の視線が、一気に朔空の下に集まる。ちらほらと、私の方にも視線を向けられている気配も感じる。
「お前に言うようなことじゃないし」
「んな寂しいこと言うなよ。幼馴染なのにさ」
視線に気付いたのか、朔空は顔を歪める。それにも気づかない様子で、椿くんはまだ朔空に何か喋っていた。
「ま、末永くお幸せになっ」
「お幸せに―」
「まだ付き合うって決まってないっ!」
*
事の発端は、ほんの数時間前。朝、机の上に置かれていた封筒。中には見慣れた字で、『体育館裏』……。
「これだけってどうよ」
時間指定はない。けれど、これを書いた奴の机の上に鞄があるということは。確実にそうだとは限らないが、取り敢えず教室を出た。
「に―いはらっ」
「……遅いぞ、チビ」
予想通りそこにいたのは、新原朔空。いつもの嫌味に、頬を引きつらせる。私に対するこれは、どうにかならないのだろうか。
「そんな顔すんなよ。これからいい話するんだから」
……この時、話なんか聞かずに帰っていればよかった。朔空がするいい話なんて、私にとって悪い話なのに。
「杏珠、俺と付き合お?」
冬が終わる少し前、柊杏珠は一番嫌な奴に拒否権を奪われました。
*
「こいつらが付き合うとはなぁ」
昼休み、中庭でお弁当を食べていると、椿くんが余韻に浸るような声で言った。紫紺は適当に相槌を打ち、朔空は無視。私が反応しない訳にもいかなくなって。
「誰も付き合っていません」
「照れなくてもいいよ」
誰も照れてないんだけど。そう言い返そうとした時、背筋がぞっとした。い、嫌な予感……。
「……杏珠」
「な、何」
朔空の方を振り向いた途端、唇に温かくて柔らかいものが当たった。すぐに何か分かって、目を丸くする。……何で?
「見せ付けてくれるねぇ」
紫紺が椿くんと笑いながら言ったらしいけれど、私の耳に入る事は無かった。離れ際、朔空が囁いた言葉だけが、私を支配していた。
*
あれからのことは殆ど覚えていない。いつの間にか、放課後になっていて。紫紺は椿くんと一緒に帰ってしまった上に、朔空の姿も見当たらない。何となく帰る気になれなくて、教室でただ一人、ぼんやりと座っていた。
ふと、昼の朔空の言葉を思い出す。あれは、私に何を与えるために囁かれたのだろう。諦めさせるため?それとも……。
「何やってんの、杏珠? 風邪、引くだろ」
ふわり、と頭からコ―トを被せられる。意外な優しさにドキッとした。……いや、気のせい。
「まだ昼の事、気にしてる訳?」
「そりゃ、気にするよ。……私は、椿くんが好きなんだから」
知ってるんだからいいよね、と私は本音を漏らした。朔空の様子を伺ったが、全く変わりない。ほっとしたのも束の間、次の瞬間コ―トごと抱き締められた。
「そんなに、椿と紫紺が付き合ってたこと、ショックだった?」
後ろから、耳元に囁いてくる。その声は何処か切なくて。いつもとは違う朔空に、少し戸惑う。
「今も付き合ってるかも、しれないよ?」
「そんな、こと」
「ない、なんて、お前に言い切れるのか? 高校からの俺らしか知らないのに?」
私だけ、中学が違っていた。今では幼馴染の一人として見られてもおかしくないくらい、三人に馴染んでいるけれど。でも、中学以前の彼らは全く知らなかった。知っているフリをしていた。……そうじゃなきゃ、ここにいられないような気がしたから……。
「杏珠」
いつの間にか背後にいた朔空が、目の前に立っていた。声と同じ切ない表情。
「新原は、紫紺が好きなの?」
何となく思ったことを口にした。すると、朔空が驚いたように私を見た。……そうなんだ。心の中で、疑問が確信に変わる。紫紺の代わりなんだ、私は。
「ごめん、帰る」
「ちょっと待て、杏珠っ」
「ごめん」
背中に朔空の声を受けながら、私は教室を飛び出した。
胸が、ちくりと痛んだような気がした。
*
あの日から、学校に行っていない。仮卒で、元々登校の必要がなかったから、丁度よかったのかもしれない。時々紫紺からメ―ルが来たが、適当に受け流した。
「何で、あの人たちの中に入ったんだろ」
一人だった私に、紫紺が話しかけてくれたのがきっかけだった。その後すぐに、違うクラスだった椿くんと朔空に紹介されて。その時、椿くんに一目惚れしたんだ。でも……もしかしたら、この時にはまだ二人は付き合っていたのかもしれない。紫紺に相談した時、表情一つも変わらなかったけど、本当は心の中で傷ついていたのかもしれない。
「ごめんね……」
届かない言葉を、小さく呟く。こんなのじゃダメだって、分かってる。でも、紫紺に、椿くんに朔空に合わす顔なんて、もうなかった。
「杏―、お友達来てるわよ」
階下からの母の声に、私は重たい瞼を上げた。いつの間にか眠ってしまったらしい。部屋が薄暗い。
「杏の部屋、二階に上がってすぐの扉だから」
そんな声が聞こえて、慌てて起き上がる。そうやって、すぐに部屋に通すの、やめて欲しい。暫くして、控えめなノック音が聞こえた。
「どうぞ?」
「柊ちゃん、元気?」
入ってきたのは、椿くんだった。思いがけない人の訪問に、私は少しだけ心が軽くなった。まさかこの人が来てくれるなんて。
「朔空も紫紺もすっげ―心配してたよ」
「……ごめん」
取り敢えず謝罪の言葉を口にする。朔空の名前を聞いた途端に体が硬くなって、それどころじゃなくなった。こんなに動揺するとは思っていなかった分、余計に焦る。
「柊ちゃん、朔空と上手くいってないの?」
突然の椿くんの言葉に、私は耳を疑った。
「あの、つば」
「朔空がまた桜の所に通い出したから、心配なんだよな」
「桜?」
「中学の近くの川原に早咲きの桜の木があるんだ。いつも何かあったら、そこに行ってた」
それが、どうして私と上手くいっていないことに繋がるんだろう。そもそも上手くいく、いかないの前に、付き合ってもいないのに。……いや、付き合ってるようなことになってるけど。
「椿くん」
「ん?」
「私、新原と付き合ってないよ。だから、私は関係ない」
関係、ないんだ。桜の所に通っている理由なんて、全く分からないし。それに……紫紺や椿くんのことよりも、朔空のことの方が、私は知らない。
そっか、私、朔空のことは殆ど知らないんだ。
明日は学校に顔を出す、と約束をして、椿くんは帰っていった。果たせるかどうかは分からない。……何となく、朔空に会いたくない。何も知らないこと、知られたくない。
どうしてだろう。私は椿くんが好きなのに。こんなに、朔空が気になるなんて。私、変だ。朔空の言葉が離れない。あの時見せた、朔空の表情が忘れられない。
「新、原?」
部屋の窓から椿くんを見送っていると、玄関に朔空の姿を見つけた。私は慌てて部屋を出て、玄関に向かった。私の家なんて知らないはずなのに。何で、何で。
「新原っ」
「うわっと……チビのくせにデカイ声出すなよ」
いつもの、朔空。椿くんがあんなこと言うから、ちょっと変わったかと思えば。……全く問題ないじゃん。
「椿、来てたんだ? よかったねぇ」
「な、なんで」
「で、どうなんだよ。上手くいきそう? 椿と」
朔空はいつもにも増して、嫌味ったらしく言った。こっちの話なんて、一つも聞いていない。確かに、おかしいのかも。嫌味を言っても、私の話はちゃんと聞いていてくれたから。
「椿、言ってたよ。『柊ちゃん、可愛い』って」
「それが、どうしたって言うのよ……」
「『好き』じゃないから、不満か?」
「だから、それがどうしたって聞いてるのっ!」
嫌だ、嫌だ。こんなにも苛々するなんて、私もどうかしてる。さすがにこれには驚いたのか、朔空もそれ以上喋らなかった。
「新原、それを言うだけに、ここに来たの?」
「……そうだって言ったら?」
「酷いよ、ばか」
私はそう呟いて、その場にしゃがみ込んだ。膝に額を押し付けて、朔空に表情を見られないようにする。何故か、涙が溢れた。
春になりきっていない風は、少し冷たい。
*
付き合ってる、なんて、言えるのかな。取り敢えず、付き合ってることになってるけれど。一切言葉を交わさずに、迎えようとしているのは、卒業式。別れの言葉を聞かなくても、別れられるから。だから、少し寂しいんだ。
卒業という別れと同時に、大切な何かを失いそうで。
「いよいよ明日だね、卒業式」
「だね―」
見慣れた景色を眺めて、私と紫紺は小さくため息をついた。それぞれ進むのは、違う道。大学に進学する三人とは、もう殆ど会えないだろう。今まで学校があったから、会えていたようなものだから。
「朔とはどう?」
「ん―、どうだろね」
「朔ってあんなんだけど、すっごい寂しがり屋だから、見捨ててあげないでよ」
「紫紺が一緒にいてあげれば」
「杏珠しかダメでしょ」
彼女なんだから、と続いた言葉に、胸を痛くする。朔空の望む彼女は、紫紺なんだよ。そう言えないことを、もどかしく感じる。
「それに、私には椿がいるし」
淡々と口にしてるけれど、何故か想いがこもっている。椿くんと朔空が家に来た次の日、紫紺から椿くんとの関係を聞かされた。朔空がそうするように、頼んできたらしい。……二人は、中学の頃からずっと続いていたんだって。
「朔、卒業式には来るといいけど」
私と入れ替わるように、朔空は私たちの前に姿を現さなかった。……いや、私だけなのかもしれない。私だけ、朔空に会っていない。
*
卒業式って、こんなに淡々としたものだったのかな。実際はそうではなかったようだけれど。みんな涙して、友達と抱き合って、さよならの言葉を交わして。私一人だけ、違う世界にいるようだった。
朔空は、式ギリギリに学校に来た。先生に怒られてるところを初めて見た。紫紺と椿くんは、私の隣で大爆笑していた。だけど、私がいたからなのか、彼らにも朔空は近づかなかった。
そして、始まる最後の式。誰よりも寂しく思っていたのは、私でも他の誰でもなく、朔空だったのかもしれない。
「桜のある、場所?」
「朔空のいる場所でもあるけどね」
卒業式が終わって、解散になった頃。紫紺と椿くんが突然思い出の場所に行こう、と言ってきた。私のいない、彼らの中学時代の思い出の場所。そんなところに、私が一緒に行ってもいいのだろうか。
「大丈夫。柊ちゃんにとっても、思い出の場所になるから」
椿くんの言葉に渋々頷いて、私たちは学校を後にした。
*
紫紺の自転車に乗って、十分くらい。紫紺は椿くんの自転車に二人乗りして、川原に着いた。まだ枝しかない桜並木の途中、一本だけ桃色に染まった木があった。
「あの桜が、朔空の行き付け。高校入ってからは、あんまり来てなかったみたいだけど」
私のせい。暗にそう言われてる。確かに朔空がここに通い出したのは、私と微妙な感じになってからだ。思い出に浸らなければならないほどの何かを、私は彼に与えたのかもしれない。
朔空の姿を探していると、背中を優しく押された。慌てて振り返ると、紫紺と椿くんが笑顔で自転車に跨っていた。
「朔空、あの桜の木の下で、寝転がってるから」
「大丈夫。朔、待ってるから」
「ちょ……、何処行くのっ?」
「散歩兼最後の制服デート」
私が呆然としている間に、二人の姿は見えなくなってしまった。川原に一人、ぽつりと立ちつくす。
「えっと……新原?」
桜に目を移す。全く朔空のいる気配はないけれど。私よりも長く一緒にいたあの二人が言うのだから、本当にいるのかもしれない。
私はゆっくり歩き出した。だんだん歩調が速くなって、最後には走り出す。あと少し。ぼんやりと見えた桜は、今はもうはっきりと見える。私は必死で走った。
誰でもない、君に会うために。
「朔空っ」
朔空の姿が少しだけ見えて、私は思わず叫んだ。それに驚いたのか、朔空がいきなり起き上がった。
「杏珠? って、危ない!」
「きゃあっ」
草に足を取られて、私は転んだ。朔空が急いで駆けてくるのが見える。……こんな時に、転ぶなよ、私。
「バカ、何処で転んでんだよ」
朔空は私を軽々持ち上げた。その場に立たせて、草まみれになった私を見て、小さく吹き出す。笑いながら、服や髪にたくさん付いた草を払ってくれた。
「そんなに笑わなくても」
「ごめ……っ、可笑しすぎて」
……久しぶりだな。朔空の笑顔を見て、しみじみと思う。久しぶりどころか、同じクラスになってから殆ど見てなかった。ここ最近は全く見ていない。こんな子供染みた笑顔なんて、初めてかも。
「何で、ここに杏珠がいるんだよ」
一頻り笑った後、私に背を向けて、朔空はそう言った。答えに困る。無理矢理連れて来られたような気がするし、もっと三人の中に入りたい、なんて図々しいことを思って、来たような気もする。
「杏珠、俺に会いに来てくれた?」
桜に向かって歩き出した朔空に、私もついて行く。桜の前に立ち止まった朔空の隣に立って、空を見上げた。
「桜、綺麗……」
「……俺みたいな桜だから、なんか親近感が沸く」
「新原、みたい?」
「あれ、もう朔空って呼んでくれないの?」
顔が赤くなる。そう言えば、勢いに任せて呼んでしまった。朔空、なんて呼ぶ予定、全くなかったのに。でも。呼んでみたいなぁと思った。……でも、素直に言えなくて。
「ここで朔空って呼んだら、桜と区別付かないじゃん」
「付く。『朔空』には、杏珠の想いが詰まってるだろ。つ―か、詰めろ」
「……その命令、どうにかならないのかな」
「んだと」
心の中で呟いたのに、口にしてしまったらしい。隣の気配が一瞬にして黒くなった、ような。
私はもう一度空を見上げた。見上げた空は、半分以上桃色に染まっている。さくら色に染まっている。たぶん、私も私の心もさくら色。紫紺と椿くんのことを聞いた時、何も思わなかったから。椿くんの向こうに、朔空を見てたことに気付いたから。
「朔空」
「杏珠」
見事に声が重なって、私と朔空は目を合わせた。そのまま譲り合うかのように黙り込んでしまって。暫くして、朔空が先に口を開いた。
「お前、俺が紫紺のこと好きだって言ったけど」
「そう、なの?」
「……俺、あいつらに会ったの、中三の時だから。その時にはもう、あいつら付き合ってたし。……それに、俺も杏珠に言えないくらい、あいつらのこと知らない」
朔空は、桜に手を伸ばした。一つ花を千切ると、私の正面に立つ。
「俺は、ずっと杏珠しか見てなかった」
私の髪に桜をそっと挿しながら、朔空は優しく笑った。恥ずかしくなって、朔空から目を逸らした。
「椿のこと、頑張れよ」
「……頑張っても無理でしょ。それに、頑張る気もない」
紫紺の幸せを奪ってしまうのも嫌だけど。振られて傷つくのも、ギクシャクしてしまうのも嫌だけど。
「朔空、これからも私だけ見てくれる?」
朔空は少し驚いた顔をして、すぐに私を引き寄せた。囁かれた言葉は、ずっと忘れない。
桜が、私と朔空を包むように、少しだけ散った。




