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one more step

 少し立ち止まってしまえば、次の一歩が踏み出せなくなることがある。そして、きっかけが掴めないまま。

 人生一番の危機。他に表す言葉が見つからないから、そうしておく。取り敢えず、ピンチかも。精神的に。


「それでさー、って聞いてる?」

「聞いてる、聞いてます」


 未玖は、満面の作り笑顔で答えた。長年付き合っているからか、すぐにバレて、目の前の顔が歪んだ。


「聞いてないでしょ、未玖」


 はぁ、と呆れたように、莉世はため息をつく。いやいや、つきたいのはこっちだから。


「だーかーらー……日曜日の初デート、一緒に来てね?」

「なんで私が行かなきゃいけないのよ」

「だって恥ずかしいんだもーん」


 恥ずかしいも何も、幼馴染でずっと一緒にいたくせに。今更恥ずかしいなんて、絶対信じられない。信じろっていう方が無理だ。

 それでも、頷いてしまうのは、相手が莉世だったからだろう。そして、莉世の彼氏が亮介だから……。


「仕方ない。今回だけだよ?」

「やったぁ」


 嬉しそうに亮介のもとに走っていく莉世から視線を外し、窓の外を見た。窓にうっすら映る二人の姿に、胸がほんの少し痛くなる。昨日よりも鈍くなった痛みに、ほっとしながら、次の授業の準備を始めた。

 痛みは消えない。たぶん、もう暫くは。いつからだろう、そして、いつまでだろう。ここを離れるときは、まだ見えない。ずっと追いかけていた姿を、まだ追いかけている。止められないもどかしさに、苦しくなる。


「未玖、次移動じゃんっ。早く言ってよー」

「私は移動じゃないもの」

「あー、遅刻するっ」


 ペンケースを引っ掴んで、教室を飛び出していく莉世を亮介も笑って見つめていた。

 誰かが言ってた。本当にほしい答えは、自分で見つけるしかないんだって。だから、消えてしまいたくなるとき。そんな時は、きっとその答えを求めて、歩き疲れたときなんだと思う。次の一歩への休息なんだと思う。……きっと。


 *


 日曜日、約束の場所に着くと、もう既に二人の姿があった。……そこまでは、よかった。何故か知らない顔が一つある。


「あ、未玖ー」


 嵌められた。ブンブンと効果音が付きそうなくらい、勢いよく手を振る莉世を見て、思った。何も聞いていないけど、お節介な莉世と亮介の考えることだ。たぶんあの人も、嵌められてる。可哀想に。


「遅いよぉ。五分前集合基本でしょ?」

「てか、私メインじゃないし」


 ポツリ、と呟いたら、後ろから鞄が飛んできた。もちろん避けられるような奇跡は起きず、直撃した。


「帰っていい?」

「ダメ」


 冷たく言い放たれて、未玖は黙った。これ以上やっても、疲れるだけだ。それに。


「ほら、莉世。折角来てくれたんだから」

「ぶー。そうだけど」


 優しく慰める亮介を見て、未玖は誰にもばれないように、小さくため息をつく。……これが見たくなかったのに。だから、嫌だったのに。


「最悪」


 誰にも聞かれないと思ってた言葉を、誰かに聞かれているとは思わなかった。


「じゃ、自己紹介して」


 莉世が落ち着いてから、未玖たちは近くの喫茶店に入った。それぞれ注文してから、突然亮介にそう言われた。


「自己紹介?」

「こっちは済ませたけど、未玖ちゃんはまだでしょ?」


 そう言って、亮介は未玖の隣に視線を移した。未玖も釣られて隣を見る。名前も知らない男の人が、無愛想にこちらを見てきた。暫く見つめ合ってから、亮介に視線を戻す。


「する必要、あんの?」

「ないだろ。俺ら付き添いだし」

「いや、あのね」


 亮介は困ったように笑った。でも、名乗るつもりはない。簡単に二人の企みに、嵌まる訳にはいかない。癪に障る。ただでさえ苛々しているのに。


「今日一日一緒に居るのに、名前も知らないのはやりづらいでしょ」

「だからメインは、莉世たちでしょ?」

「俺たちがメインじゃないんだし」


 待ってました、とばかりに笑顔になった莉世と亮介。その表情を見て、未玖は嫌な予感がした。地雷踏んだな、隣の人。


「聞いて驚くなっ」

「驚きません」

「これはね」

「莉世、黙って」

「メインはあなたたち!」


 言った途端、しんっと静かになった。莉世はやり遂げた感たっぷりで、微笑んでいる。それを優しく見守る亮介に、頭が痛くなった。


「は? どういう意味?」

「そのままだよー」


 隣の人もそろそろ気付いたらしい。横目で見ると、眉間に皺を寄せている。素直に、気の毒だと思った。


「……千早」

「え?」

「千早。これでいいだろ」


 そう言って、椅子から立ち上がると、千円札を財布から取り出した。テーブルに置くと、亮介を睨んだ。


「じゃ、帰るから」

「え、帰るの?」

「こんなくだらないことに付き合ってる暇はないから」


 ご尤もなことを言って、立ち去ろうとする千早を、亮介は慌てて追いかける。店の外で何やら話し込んでいる。これなら暫く帰って来なさそうだ。千早ってなかなか折れそうな性格じゃ無さそうだし。ほっと一息つくと、莉世の顔が目の前にあった。


「な、何?」

「どう? 千早くん。未玖の好みにピッタリでしょ」


 やっぱり、くっつけようとしてたんだ。呆れて言葉も出ない。好きな人、莉世には気づかれなかったようだ。亮介はたぶん気付いてる。だから、こんなことを計画する。


「私、あんなのが好みだって言ったっけ」

「あんなので悪かったな」


 上から声が降ってきて、未玖は体を堅くした。嫌な予感。もの凄くタイミングが悪い。さっさと終わらせた亮介が憎い。変なところで、妙に説得力があるんだから。


「未玖、だったよな」

「う、そうですが」

「これで、自己紹介は終わり。次は?」


 亮介の方を見ながら、千早は未玖の隣に座り直す。少し冷めてしまったコーヒーを一口飲んで、亮介は笑顔を見せた。


「じゃー、第一印象はどう?」


 千早だけかと思って、油断していた。ミルクティーを飲みながら、外を見ていると莉世に視界を遮られた。


「もち、未玖もだよ?」

「さっき言ったじゃん」

「俺聞いてないもん」


 もん、って。絶対楽しんでるな、こいつ。


「第一印象……ねぇ」


 明らかに楽しんでいるような声が隣から聞こえて、背筋が一瞬寒くなった。なんか、聞きたくないし、言いたくないんですが。


「正直に言ってね」

「正直、ね。そうだな、ウザそう」

「酷っ。私の何処がウザそうなのよ」

「全部」


 バカにしたような笑みで言われて、ムカッとした。言い返そうとしたところで、亮介が横から口を挟んだ。今日は、本当にタイミングが悪い。


「正直に、って言ったよね、千早」

「……お前、なんか怖いぞ」

「いつもと同じだけど?」


 未玖も千早と同意見だ。少なくとも、いつもより楽しんでいる。莉世はともかく、亮介に楽しまれると、先がとても重い。


「千早」

「わぁーったよ。言えばいいんだろ、言えば。……ちょっとやばかった」

「何が、何が?」


 少し頬を赤くした千早に、莉世が笑顔で食いつく。未玖も思わず千早の顔を見た。三方向からの視線に、千早は戸惑いを隠せていない。


「何って、どんな奴か知らないのに、見た目しかないだろ」

「可愛かったってこと?」


 ストレートに聞いてくる莉世に参ったのか、千早はそっぽを向いた。莉世は身を乗り出して、千早の服を引っ張るが、千早は一切無視だ。暫く続けてから、未玖に向き直って、笑顔で首を傾けた。


「未玖は?」

「私? あー……可哀想だなって」

「何で?」

「変な陰謀に巻き込まれてて」

「酷いよ、未玖ちゃん」


 苦笑いの亮介と目が合いそうになって、未玖は慌てて視線を千早に移した。千早が驚いたように、こちらを見てくる。


「な、何見てんだよ」

「誰もあんたなんか見てないわよっ」


 千早の赤い顔に、自分の顔も赤くなるのを感じた。莉世と亮介の笑顔が変わったのも同時に気付いた。最悪の展開。この後の二人の行動が目に見えて、心の中で大きくため息をつく。それが表情にも出ていたのか、千早が怪訝そうな顔をした。

 ちらりと見る横顔に、いつの間にか何も感じなくなった。それがいつからか、よく覚えていない。でも、そのきっかけは何となく覚えてる。


 *


「ね、ね、海行こう!」


 喫茶店を出た後、莉世は亮介に抱き付きながらそう言った。この時期に海? と未玖は首を傾げる。亮介はまんざらでもなさそうに、莉世の意見に頷いた。


「千早はどうする?」

「別に。行きたければ行けば?」

「じゃあ行こっ」


 亮介の腕を引いて、莉世は歩き出した。未玖の意見は聞かないつもりらしい。聞かれても、千早と同じ意見だけど。それでも聞くのが普通じゃない?


「未玖。行かないの?」


 千早が振り返って、未玖に手を差し出した。ぼうっとしていた未玖は、慌ててその手を取る。取ってから、おかしいことに気付いた。……なんで、手を繋いでるんだ? え、しかもさっき、呼び捨てされたよね。何気に。


「面白い奴」

「……うるさいよ、あんた」


 すぐに手を振り解こうとしたが、逆に強く握り締められた。……何がしたいんだろう、この人は。そう思いつつ、莉世たちに追いつくために、少し走った。


 案の定、海には人一人もいなかった。潮風が少し強い。髪を押さえるのに、精一杯だ。


「海だー」


 靡く髪は気にならないのか、莉世は亮介と共に水際に走って行く。二人ともいつもと変わらないはしゃぎっぷり。本当に嵌められたんだなと実感する。


「ガキだな、あいつら」

「あんたは、亮介と仲良いの?」

「まぁ、認めたくないけど。未玖は幼馴染だっけ」

「そんなとこ。って、なんで勝手に『未玖』って呼んでんのよ」

「未玖ちゃん、の方がいい?」


 そう呼ばれて、背筋がぞっとした。同時に、ちくりと痛みが走る。思い切り首を横に振ると、千早は腹を抱えて大笑いした。


「そ、そんなに笑うことないじゃない」

「いや、ホントに亮介が好きだったんだなって思うと……」


 言ってもない事実を、何の抵抗もなく言われて、ドキッとする。そんなにバレバレなのだろうか、亮介への気持ちは。莉世に気付かれなかったから、ちゃんと隠せてるんだと思ってた。


「だから、未玖」

「……それは、どーも」


 なんかやり切れない。きっと千早が上から目線で物を言うから、苛々するんだ。もやもやした気持ちを、それに結び付けて、自分を納得させる。


「あれー? 千早じゃんっ」


 背後から明るく可愛らしい声が聞こえて、二人は同時に振り返った。誰かが千早のもとに駆け寄ってくる。声に合った、とても可愛い子だった。


「こんなとこで、何してるの?」

「それ、俺の台詞」


 優しい。ふと思った。今日一番優しい表情。女の子もとても嬉しそうな笑顔。


「街でね、千早を見つけたから尾行して来ちゃった」

「尾行って、お前なぁ」


 くしゃくしゃっと頭を撫でまわしながら、困ったような笑みを浮かべている。まるで、猫と飼い主。ごろごろと猫……じゃなくて、女の子が千早に甘えている。未玖は見ていられなくて、二人からそっと離れた。


「未玖っ?」


 千早が慌てたように名前を呼んでいたが、未玖は無視して、莉世と亮介のもとへ駆けて行った。

千早が未玖たちのところに合流したのは、それから暫くしてからだった。もちろん、と言うのも変かもしれないけど、その隣にはあの女の子。


「妃咲。俺の……友達」


 友達、と言ったとき、一瞬目が合った。未玖はすぐに目を逸らした。なるべく莉世たちの影に隠れるように立つ。


「へぇ、妃咲ちゃん。本当に千早の友達?」

「……嘘つくようなところじゃないだろ」


 いや、つくところでしょ。思わず、突っ込む。口には出さなかったけど。後ろでギャーギャー言い合ってるのを聞きながら、ミュールを海水に浸した。まだ水は冷たい。でも、その冷たさが何だか心地よくて、海の中に足を進めた。


「ちょっ、未玖!?」

「え、あ、きゃぁっ」


 ぼうっと歩いていたら、いつの間にか膝まで、水に浸っていた。スカートの端が海に浮いている。少し重たくなっていた。


「お前、何してんの?」


 千早に腕を掴まれて、はっと顔を上げる。呆れたような表情に、慌てて顔を伏せた。深いため息が聞こえる。何だか泣きたくなった。


「あーぁ。濡れた」

「……知らないわよ、あんたが勝手に入ってきたんでしょ?」


 千早の腕を振り払って、未玖は海岸に引き返した。後ろは何となく、振り返れなかった。

 きっと振り返らなければ、バレない。少しだけ、ドキドキしてることも。顔が熱いことも。未玖は顔を伏せたまま、海から出た。

 だから、気付かなかった。千早が未玖に向かって、優しく微笑んだことも。


 *


 ストップが効かない。言っちゃいけないことも、言いたくなる。いっそのこと、全部無くなっちゃえば、こんなに悩むことはないのに。だけど、一人じゃ何も出来ないから。誰かの手を掴んでおかなくちゃ、ここにいられない。

 あの日曜日から、もう一週間が過ぎた。あれから一度も千早を見ていない。同じ学校に通っているはずなんだけど、時間が合わないようだ。その代わりに、と言っては何だが、妃咲はよく廊下の端で見かけた。


「未玖、聞いてー」


 また莉世の惚気が始まった。休み時間毎に聞かされるそれには、もう慣れたと思っている。実際は慣れていないのかもしれない。また、と思い続ける限り、無理なのかもしれない。


「ちゃんと聞いてよぉ」

「聞いてるって。亮介くんがどうかした?」

「ほら、聞いてないじゃん」


 むぅ、とむくれる莉世に、呆れた笑みを浮かべる。本当に、幸せなんだな。二人とも。


「最近、全く話聞いてくれないよね、未玖」


 莉世の言葉に、目を丸くする。そんなことはない、と言いかけて、口を噤んだ。そう、かもしれない。ずっと逃げていた。亮介が好きだったから。聞くのが辛かったから。でも、今は違う。もう、何も。


「未玖って、最近変」

「え?」

「何言っても、作り笑いだし。私、何かした?」

「そんなことないけど」

「嘘。今も作り笑いじゃない」

「違うっ」


 思わず声を張り上げてしまった。莉世は一瞬驚いたような表情を見せたが、すぐに辛そうな表情に戻る。


「違わない」

「……っ! じゃあ、放って置けばいいじゃないっ」

「そんなの出来ないよ。親友だもん」


 その言葉を聞いて、笑ってしまいそうになった。『しんゆう』。本当にそう? わからない。


「ねぇ、ちゃんと言ってよ。言ってくれなきゃ、わかんないよ」


 制服の袖を引っ張られる。目に涙が浮かんでいた。


「莉世、どうしたの?」


 声を聞きつけたのか、亮介が近づいてきた。莉世は未玖から手を離して、亮介に抱き付いて、顔を埋める。亮介は困ったように、未玖を見て、莉世の頭を優しく撫でた。


「未玖ちゃん」

「な、何」

「莉世、ずっと未玖ちゃんの心配してた。もっと莉世のこと、信じてあげてもいいんじゃない?」


 一瞬何を言われているのか、わからなかった。何を意味しているのか、理解できなかった。何度か反芻して、あぁ、と頷く。


「それ、この前の日曜日のことも言ってるの?」


 亮介は、頷いた。それを見て、思わず笑いが零れる。心配、ね。ただのお節介だと思ってた。莉世のことだから、ダブルデートがしたいとか、そういうことだと思ってた。心配だったんだ。心配。


「……の心配?」

「え?」

「それは、何の心配? 私、そんな心配されるようなこと、してるの?」


 まだ、お節介の方が優しかった。心配、なんて。


「私、莉世や亮介くんに心配させるようなこと、してないと思うんだけど。心配であんなことされると迷惑だから、止めてくれない?」

「迷惑って……そんな言い方ないでしょ」


 莉世は亮介の胸に、顔を埋めたままだ。何も言わないから、何を考えているのかはわからない。何を思っているのかも、わからない。いつの間にか答えるのは、亮介。きっと、端から見れば、悪いのは自分。莉世を守る亮介は、勇者。


「迷惑なものは迷惑なんだから、仕方ないじゃない。余計なお世話。いっつも、そう。私ってそんなに可哀想に見えるわけ? 本当、ウザイんだけど。莉世も亮介くんも」

「未玖ちゃん。人の好意をそんな風に言っちゃダメだよ。俺も、マジで怒るよ」

「怒れば? 大体好意なんて、上から目線じゃない? 私、そういうの嫌」


 亮介も珍しく苛々している。抑えているけど、わかる。いつも見てたから、雰囲気の違いはよくわかる。こんなことなら、見ていなければよかった。好きになんか、ならなきゃよかった。


「亮介くんは、いつも莉世ばっかり。そんなに莉世がいいの? 我侭しか言わないし、お節介だし……」


 そこまで言ったところで、頬に痛みが走った。叩かれたことを理解するのに、数秒を要する。


「未玖ちゃんのこと、見損なった」


 冷たい声が、胸に突き刺さる。自分が招いたこと。乾いた笑いで、涙を堪える。泣いてはダメ。泣いたら、きっと亮介は謝るから。また、心配させてしまうから。


「俺は、お前に見損なったけどね」


 割り込んできた背中に、未玖は声が出せなかった。僅かに見える亮介は、目を大きく見開いている。


「未玖も言いすぎだけど、手出すほどじゃないだろ。大体莉世ちゃんと未玖の問題に、亮介が首を突っ込むもんじゃない」


 何故か、千早がいる。何故か、亮介じゃなくて、自分を庇っている。未玖は、訳がわからなかった。千早は、亮介の友達のはずだよね? どうして、亮介じゃないの。


「莉世ちゃんがそうやってすぐに亮介に縋るから、未玖は何も言えないんじゃないの」


 千早はそう言って、未玖の手を取った。そのまま教室を後にする。未玖はただただ、それに従うしか出来なかった。

 ずっと、この場所から離れられないと思ってた。でも、ただわからないフリしていただけだった。離れる方法を、知らないフリしてただけ。本当は知ってた。どうすればいいかなんて、そんなこと。


 千早に促されて、未玖は図書室に入った。授業が始まっているこの時間、図書室には当然誰もいない。


「亮介に敵うわけないじゃん。アイツ、すげー腹黒いのに」

「知ってます。敵わないから、莉世が頼るんでしょ」


 既に涙は止まっている。少し、もやもやするけど。頬の痛みも、引いていた。


「どうして、助けたの」

「助けられたと思ってるんだ。てっきり邪魔されて、怒ってるのかと」

「……あのままあの場所にいても、自分の立場が悪くなるだけだもん」

「だな」


 千早は傍にあった本を手に取って、パラパラと捲った。質問には、答えるつもりはないらしい。そこまで聞きたいことでもなかったから、未玖も千早の隣に立って、本を手にした。


「すっきり、した?」

「え?」

「言いたいこと、結構言ったんじゃない?」

「……逆に、モヤモヤが増えた」


 そっか、と千早は笑った。今日はなんか優しい。久々に会ったから、そう思うのかもしれない。そうじゃなかったらいい、ふとそう思った。思って、何だか恥ずかしくなった。


「未玖、授業サボっても大丈夫?」

「あんたこそ大丈夫なの? 妃咲ちゃんに怒られるよ」

「何で」

「彼女でしょ」

「違うって言っただろ」


 そう言えば、と言ったら、持っていた本で軽く叩かれた。……やっぱり、なんか今日は優しい。変だ、変。なんかよくわからないけど、変。


「俺、好きな子いるし」


 さらっと言われたので、未玖もさらっと流した。小さく苦笑いが聞こえる。釣られて、未玖も笑った。静かな図書室に、暫く笑い声が響いた。


 *


「放課後、どうする?」


 さすがに二時間サボるわけにも行かず、未玖は千早に教室まで送ってもらった。教室に入ろうとすると、後ろから声を掛けられる。


「どうするって、何が?」

「どうせ、一人だろ。二人と喧嘩したんだし。すぐに一緒に帰る、は気まずいと思うけど」


 確かに、と頷くと、迎えに来ると言い残して、千早は自分の教室に戻っていった。返事を聞かないところは、莉世や亮介と一緒だ。そう思って、結構二人の存在が大きいんだな、と感じた。あの二人と似てるとされるのは、ちょっと可哀想だけど。


「未玖ーっ」


 教室に入った途端、泣きそうな声で莉世が抱き付いてきた。何だかそれがとても可笑しくて。必死に笑いを堪えていると、莉世は不思議そうに未玖の顔を覗き込んでいた。


「未玖、大丈夫? 亮介に叩かれて、変になったんじゃ……」

「大丈夫。てか、あんなヘボで変になるわけないじゃん」

「ヘボで悪かったな。……ごめん、頬大丈夫?」

「ん、痛過ぎて死にそう」

「未玖、ヘボって言ったじゃん、さっき」


 莉世がポツリと呟いて、未玖は堪えていた笑いを吹き出してしまった。



 放課後、教室に誰もいなくなってから、千早は未玖を迎えに来た。それが何の気遣いなのかはわからないけど。でも、きっと何かを思って、遅く来たんだと思う。


「ごめん、待った?」

「待った。待ちまくった。もう、最悪」

「……そこまで言うことないだろ」


 呆れたように呟く千早を見て、未玖は小さく微笑んだ。千早は、不思議そうにこちらを見てくる。


「お前、変なもん食っただろ」

「食べてませーん。さ、早く帰ろう」


 席から立ち上がって、机の横に掛けた鞄を手にした。千早は、ドアにもたれかかって、未玖を待っている。


「あのさ」

「ん?」

「私、千早のこと好き」


 ……ここから離れるためには、自分から動くしかなくて。これが、離れる方法かどうかはわからないけど。でも、何もしないよりかは、原動力になると思うから。


「……友達としてだけど」


 言葉を失った千早に、笑い掛ける。訳がわからないという顔をする千早の横を通って、教室を出る。少しだけ歩いて、振り返る。

 一年前より、一週間前より、昨日より。きっと。


「……俺は、恋愛対象としてなんだけど」


 これで、一歩前に進める。

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