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ANOTHER

 もう一つの自分。

 もう一つの世界。

 もう一つの想い。

 もう一つのことは。

 ――もう一つの自分。


「×××なんか死んでしまえ」


 今も微かに残る記憶の断片が、きつく胸を締め付ける。自分に向けられた言葉なのか、それとも誰かに向けた言葉なのか。声も視界も霞んでいて、もう誰がいるかさえ分からない。そんな世界で、俺はただ胸の痛みを堪えて、立ち尽くすことしか出来なかった。

 ……時々思い出す、たった一つの記憶。微かに、それでも俺の中では一番鮮明な記憶は、何もかも忘れてしまった俺を、今もまだ苦しめる。


◆◇◆


 街外れにポツンと残された、今はもう人の声を響かせない、廃墟ビル。俺は目の前で行われようとしているそれを、つまらなさそうに見つめていた。首を吊って死ぬつもりなのか、天井付近の横に伸びた柱に長く切った布を掛けて、楕円を作っている。何と言っていいやら、一先ず俺の目の前でそれをしようとするなんてバカだ。俺のことはまだ見えていないはずだから、仕方ないんだろうけど。でもまぁ、バカだろう。そういうことにしておく。

 準備が整ったようで、ソイツは輪の中に顔を突っ込んでいた。あとは足元の台を蹴り倒すだけ。俺は右手に鎌を持ち代え、くいっとそれを引いた。鎌の刃先が薄い布切れを破る。それとソイツが台を蹴り倒したのは、ほぼ同時だった。足下で何とも言い難い音が響く。さすがにあれは痛いだろうなぁ、と呑気に思いつつ、俺は柱から飛び降りた。


「ってー」

「大丈夫か? 思ったより綺麗に落ちてくれたみたいだけど」


 姿を見えるようにしてから、俺はソイツに声を掛ける。ソイツは涙目で俺を見上げた。……あ。


「お前、男だった?」

「どっからどう見ても、男だよっ!」


 これだけ元気なら問題ないだろう、と一人納得していると、ソイツは鬼のような表情で俺を睨んでいた。その視線に気付いて、俺もソイツを見つめる。


「お前誰? てか、邪魔しないでくれる?」


 いかにも不機嫌そうな声色で、ソイツは言った。へぇ、と俺は小さく笑う。こんな分かりやすい鎌を担いでいるのに、誰かなんて聞いてくるなんて。大概の人は、これを見ると一目散に逃げ帰った。

 ……それなのに、ソイツは。逃げるどころか、文句までつけやがった。面白い。


「俺は一応死神らしいよ」

「あっそ。死神もどきなら、俺をさっさと地獄に連れて行ってくれない?」

「無理。俺、そっちの仕事は担当外だから」


 笑顔で返すと、ますます怪しそうにソイツは俺を睨んだ。久々かもしれない、こんな人間らしいヤツを担当するのは。大体精神がどっか行ってる人とか、迎えの姿も見えないくらい閉じこもってる人とかを担当することが多い。……と言っても、俺は殆どエセ上司の下で、雑用ばかりこなしていたから、こういう仕事は初めてに近い感覚があるんだけど。


「お前、名前は?」

「黎」

「なぁ、黎。自殺する前に、ちょっと遊んで行かね?」


 この世の遊び程楽しいものは、あっちには存在しないのだから。


◇◆◇


「……で、なんでゲーセンなんだよ」


 黎が後ろで呆れたように呟く。俺はそれを無視して、ゲームセンターに入った。鼓膜が張り裂けそうなほど無駄にデカイ音が頭に響く。いつ来ても同じ音量、同じ音楽。何も覚えてないくせに、それだけは感じた。

 ……むかつく。そんな苛ついた感情が顔に出ていたのか。黎は怪訝そうに俺の顔を覗き込んだ。


「怒るくらいなら、出れば?」

「別に怒ってない」

「俺、とっておきの場所知ってるんだよね」


 そう言って、黎は意地悪く笑った。その笑顔に何故か懐かしさを覚える。気のせい、だよな?黎と会ったのは今日が初めてのはずだ。それに、生前関わりのあった人の担当につくことはない。そういう規則だから。

 ……でも。死神の中でも唯一生前の記憶を持たない自分に、その規則は通用するのだろうか。会っても、何も執着を持たない。生前の姿と死神である今の姿は全く違うので、相手に分かることはない。ただ死神自身は生前の記憶を持っているから、その人に執着してしまう可能性がある。

 執着して、自分のいるべき世界に戻らなくなることを防ぐために、定められた規則。何も覚えていない俺に、何の意味も持たない規則。それが俺に適用されているのかどうかは分からない。

 では、今感じたこの懐かしさは何だろう。


「聞いてる?」

「……聞いてるよ」

「じゃあ、さっさと行こうぜ」


 黎は俺の腕を掴もうとして、失敗していた。綺麗にすり抜けた自分の手を見て、目を丸くしている。その様子を見て、俺は少しばかり後悔した。……実体作るの、忘れてた。


「ほら、行くぞ」


 実体を形成してから、俺は黎の腕を掴んだ。黎は触れた手に、また驚いているようだ。さっきは触れられなかった手に、だけじゃない。きっと温度を持たない冷たい手にも、驚いているのだろう。俺は何となくそう思いながら、ゲームセンターを後にした。


 さっきとは変わって、俺は黎の背を見ながら歩いていた。黎はなるべく人通りの少ない路地を選んで、そのとっておきの場所に向かっているようだ。

 人が嫌いなのか、それとも死神の俺に気を使っているのか。前者ならともかく、後者なら無駄なお世話だ。死期の近い人以外が死神の存在に気付くことなんてないのだから。見られる心配も触れられる心配もない。それらが出来るのは死期の近い人かそれを許した人だけ。


「そういや、死神もどきの名前は?」

「俺の名前?」

「聞いてなかったから。俺だけ名前で呼ばれるのも気持ち悪い」


 黎は前を歩きながら、そう言った。俺は少し悩む。言ってはいけないという規則はない。だが、後のことを考えると、あまり言いたくないのが本音というところ。何と言うか、反応が手に取るように分かるっつーか……。


「教えてくれないの? 俺の名前は聞いたくせに?」


 黎が追い討ちを掛けるように言ってくる。俺は小さくため息をついて、呟いた。


「……め」

「ん?」

「彩女だよ」


 ブッ。勢いよく吹き出すと、黎はその場で足を止めた。予想通りだったが、やっぱり気に食わない。好きでこんな名前をつけられた訳じゃない。あのエセ上司が面白がってつけたに違いない。


「彩女か、女みたいな名前だな」

「悪かったな」

「いや、良いんじゃない? 記憶に残りやすい名前で」


 いいネタにもなるよ、と黎は笑いを堪えるようにして言った。俺にとってはネタなど必要もないものだけど。でも、何故だか頷けるのは、その笑顔にまた懐かしさを感じたからか。


「さっさと案内しろよ、とっておきの場所」

「了解。もうすぐだから」


 先程とは一転して楽しそうに前を歩く黎に、俺は少しだけ微笑んだ。


◇◆◇


「ここだよ」


 そう言って案内されたのは、小高い丘の上の公園。平日の昼間だからか、それとも場所が不便なのか、人は少なかった。


「ここから見る街は何故か綺麗なんだよね」


 黎に釣られて、街を見下ろした。俺には綺麗なのか、よく分からなかった。しかし、黎は懐かしそうに、また愛しそうにそれを見ている。自分の街かそうでないかの差だろうか。

 暫くそこを離れそうもなかったので、俺は公園の中央にある噴水の淵に腰掛けた。風に乗った水飛沫が、頬を湿らす。水の中を除き込むと、水面の景色が一変した。


「……グッドタイミングで」

《大変伝え辛いんだけど》


 水面に映る同僚は苦笑いしていた。これで何となく事情は掴めたが、続く言葉を待つ。


《君の上司がそっち行ったから》

「またかよ」

《随分気に入られたみたいだね》

「あんな変人に気に入られても、全く嬉しくない」

《まぁまぁ。そろそろ着くだろうから、後はよろしく。始末書は僕に任せて》

「頼んだ」


 俺の言葉と同時に、水面の景色が戻った。今は青い空と白いとも灰色とも見える雲しか映っていない。俺はこれから起こるだろうことに、深くため息をついた。……全く、何を考えてやがるんだ。

 ふと顔をあげると、黎の隣に見慣れた姿。初対面のはずなのに、もう打ち解けあっているようだ。黎にもその見慣れたヤツにも、笑顔が映っている。これだけが取り柄だもんなぁ、と呑気に思いつつ、俺は黎とソイツの元に向かった。


「あの名前、あたしがつけたのよ」

「へぇ、やっぱりアンタだったか」


 ソイツを後ろから睨みつける。その冷たい視線に気がついたのか、黎は苦笑していた。当の本人は慣れたもので、満面の笑みで振り返る。


「あ、彩女ちゃん発見」

「その名前で呼ぶな、エセ上司」

「ひどいわね、仮にも上司に向かって」


 寒気がする。毎日聞き飽きているが、この寒気にはどうも慣れなかった。切実に担当を替えて欲しいと願う。いつか凍え死にそうだ。


「綺麗な上司さんだね」

「ありがとう、嬉しいわ。彩女ちゃんも嬉しいでしょ」

「さっさと帰って下さい」

「あら、随分冷たいわね。最近相手しなかったから、捻くれちゃったのかしら」

「……黎、行くぞ」

「あ、あぁ」


 俺はエセ上司に背を向けて、歩き出した。黎は後ろを気にしながらも、俺の後についてくる。


「あなたが来たら、是非私の配属にいらっしゃい」


 なんて、エセ上司は呑気に手を振っていた。……ついてこないだけ、ましか。


◆◇◆


「黎」

「何?」


 暫く歩いた後、俺は足を止めて、後ろを歩く黎に声を掛けた。     

 そろそろ本題に入らなくては、タイムオーバーで処罰が下る。あの上司に半分以上は回るから、どうでもいいが。早く昇進して、アレの元から離れるには、なるべく避けたいところだから。


「お前、何で自殺しようとしてたんだ?」

「……別に。死にたかったから。そういうアンタはどうなんだよ?」

「え?」

「さっきの上司さんから聞いた。死神は自殺した人がなるんだって」


 そんなことも喋りやがったのか、アレは。俺は心の中でため息をついた。


「覚えてない」

「は? 死神は人間だった頃の記憶があるんだろ?」

「俺にはないんだ。全部、覚えていない」


 綺麗さっぱり忘れていたんだ。俺は徐々に赤くなる空を見上げた。目を閉じても、過去の自分を見つけることは出来ない。人間だった頃、男だったのか女だったのかさえ、分からない。


「死神の仕事、何かは聞いたか?」


 後ろを振り返って、俺は黎に尋ねてみる。黎は静かに頭を横に振った。そこまでは話さなかったようだ。何ともエセ上司らしい。ここからが俺の仕事という訳か。


「人それぞれ違うんだ」

「どういうこと?」

「死神は自殺したヤツが必ずなるんじゃない。この世に少しばかりやり残したことがあるヤツがなるんだ。だから、人それぞれ、死神になった理由は違う。よって、仕事内容も人それぞれなんだ」

「もし、その仕事が達成されたら?」

「魂は天に返される。無に戻って、また一から始めることが出来る」


 それは本当の死を意味すること。

 そして、再びこの地に戻ることを許された、証。

 残された記憶は全て失ってしまうが、必ず自分に繋がっている人のもとへ返される。

 それを求めて、死神は生きる。

 誰かのために、生きている。


「……じゃあ、彩女の仕事は?」

「死は迎えるものだと、教えること。死は自分から招くものじゃない」

「それを、俺に伝えに来たのか?」

「どうだろな。元々俺は記憶が無いし、それが自分の仕事だとは確信できないし」

「本当の仕事は他にあるかもしれないってことか」

「そうなるだろうな」


 黎は何故か寂しそうに笑った。

 それを見ているのが辛く思えて、俺は思わず黎から視線を逸らす。

 二人の間に、静かな時間が流れる。

 時間という時間が流れたのかどうかは分からない。

 ほんの数秒だったかもしれないし、十数分にも及んだかも知れない。

 確かなのは、記憶が無い死神の俺にとって、一瞬にも近い時間だったことだ。


「俺は生きた方がいいか?」

「……好きにすればいい。ただ、俺みたいなのにはならないでほしい」


 タイムリミットが迫る。

 もうすぐ、日が沈む。

 俺の仕事は終わったと思った。

 もう黎の中に、死は見えないから。


◇◆◇


「彩女ちゃん、お客が来るから、お茶入れておいてね」

「はいはい」


 また慌しい日常が訪れた。

 俺はまだエセ上司の命令を聞き続けている。

 いい加減、成仏しないのだろうか、この人は。

 あの仕事の報酬は何もなかった。

 報酬なんか貰っても、逆に気が引けるのだが。

 ……本当は自殺を止めた時点で、黎の中の死は姿を消していた。

 それでも黎に関わりたいと思ったのは、たぶん懐かしさを感じたから。

 もしかしたら、あの記憶の誰かかもしれない、という淡い期待。

 見事に外れてしまったが。


「彩女ちゃん、昇格したい?」

「別に。アンタのもとを離れられるなら、するけど」

「相変わらずひどいわね。まぁいいわ。彩女ちゃんに初部下よ」


 嬉しそうにエセ上司は話す。

 本当は死神に部下も上司もないのだが。

 何故か長年死神をやっているエセ上司と、原因不明の記憶喪失な俺の間にだけ存在する、関係。

 だから、俺に部下がやってくることはないはずだ。


「またふざけたことを言わないでくださいよ、エセ」

「ふざけてないわよ。ほら、入ってらっしゃい」


 エセ上司は部屋のドアを開けながら、外にいる死神を招き入れた。

 俺は入れたお茶をお盆に載せて、そちらに視線をやる。


「こちらが、彩女ちゃんの部下の黎ちゃんよ」


 俺は思わずお盆を落としてしまった。

 足元に虚しく湯飲み茶碗が転がる。

 ズボンの裾にお茶で何とも言えない染みを作っていたが、それを気にしている場合じゃなかった。


「ななな、なんで、お前っ!」

「えー、死神の方が楽しそうだなぁと思って?」


 呑気な言葉に、声も出ない。

 言葉すら浮かばない。

 ……エセ上司の隣で笑っていたのは、紛れも無く昨日半日を一緒に過ごした黎だった。

 黎の中に死は見えていないはずだったのに、何故かここにいる。

 何故かって言っても、自殺したからここにいるとしか考えられないのだが。


「ま、これからよろしく。彩女ちゃん」

「……お前、何考えてるんだよ」

「黎ちゃん、彩女ちゃんの記憶を取り戻す手伝いがしたいからって来てくれたのよ? 感謝しなさい」

「誰が感謝するかっ! さっさと自分の世界に戻れっ」

「そんなこと言っても、もう死んじゃったし?」


 ねー、と楽しそうに笑う黎とエセ上司の姿に、俺はただ頭を抱えることしか出来なかった。

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