スケッチの間に
ひらひら舞う花びらに、そっと手を伸ばす。
偶然乗った花は、風に吹かれて、すぐに手のひらから離れた。
「動くな、邪魔だ、帰れ」
「動く、邪魔してない、帰りません」
振り返れば、スケッチブックを片手に私を睨む彼の姿。
風景画を専門とする彼は、またサクラの木を描いているらしい。
出会ったときも描いていた。
そのときの絵は、私が自転車で追突したお陰で、もう存在しないけど。
それでも、私の心には鮮明に残っている。
迷いなく引かれた線の中、力強いのに繊細で優しい絵。
「目障りなんだけど」
「頑張って集中してね」
「……ウザイ、帰れよ」
彼の機嫌は、あの頃に増して随分酷くなった。
それは私に心を許すようになったから……なんて、都合よく解釈しているけど。
時々不安になる。
それが何から生まれるのかはわからない。
でも、怖くなる。
明日には彼がいなくなりそうで。
「まだ完成しないの?」
「する訳ないだろ。早く見たいんなら、大人しくしてろ」
再び手元に視線を落とした彼は、もう私を見なかった。
時々上げる視線の先は、私よりもずっと高い場所。
「もっと、私を見て」
聞こえないように、囁く。
彼のいる視界は、時々サクラが舞って、彼を隠す。
彼が。
彼がいなくなりそうって言ったけど、私の方が先に彼の前から消えそうだ。
……その方がいいのかな。
彼にとって、迷惑な私。
いない方がずっといい。
優しい彼は直接的に言わないけれど、それを察するべきなんだろう。
「……帰るね」
足音を立てないように、そっとその場を離れようとした。
……彼の知らぬ間に、消えてしまおうと思ったのに。
「だから、動くなっつってんだろ?」
「はぁ? 帰れって言ったじゃない」
「……空耳だ」
そんな、まさか。
ちゃんと聞こえた。
その口ではっきりと言ったじゃない。
「……ごめん。だから、動くな」
「訳わかんない」
「わかんなくていい」
そう言っている間も、彼は手を動かす。
顔は上げるけど、目は合わせない。
どうして、そんなことを言われるのか。
今までの彼を思い浮かべても、全く想像がつかない。
「……完成」
どうにも出来なくて、その場でうろたえていると、彼はぽつりとそう呟いた。
そして、やっと私を見る。
「ほら、早く来いよ」
「……うん」
ゆっくり彼に歩み寄ろうとすれば、彼の方から動き出す。
その距離はすぐに縮まり、目の前には完成したばかりのモノクロの絵。
それを目にしたとき、私は言葉を失った。
声が出ない。
……そこに描かれたのは、紛れもなく私。
「い、つから?」
「さぁね。結構前からかな。……大体下書きごときに、あんなにも時間がかかる訳ねーだろ?」
捲られるスケッチブック。
風景画と風景画の間に、いくつも描き残された私。
そのどれもが優しい筆跡で刻まれていて。
「俺、人物画でもいけそうじゃね?」
無邪気に笑った彼に、私は思わず飛び付く。
それを受け止めた彼の手は、たくさん描かれた絵のように、温かかった。
スケッチの間に
(お前のこと、好きだから)
♯溢れる想いを君に様/09.04.10 提出
04月お題『サクラ咲く季節』より。




