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ラプソディー・イン・レッド  作者: 砂握
第二章 鬼
9/13

08 覚醒

 核刀をシズマの心臓に突き刺した後、由良はすぐに彼から距離を取った。

 胸に短剣を生やしたシズマはゆらゆらと揺れた後、膝から崩れ落ち、倒れたまま動かなくなった。

 

 時間だけが過ぎる。

 

 姫巫女から聞いた話ではこれでジンキの力が覚醒するという事だったが、少しも変化はない。

 まるで死んだように――いや、本当に死んでいるのではないか。

 

 常人なら致命傷だ。

 この少年が言っていた通り彼はただの人間で、我々が勘違いをしていたのではないか。

 何かの間違いで異界から連れてこられた少年を散々いたぶり弄んだ挙げ句、たった今命を奪ったのではないか。

 だとしたら我々の罪の大きさは計り知れないし、真朱の未来も潰えた。

 ジンキなどという奇跡などに頼らず、さっさと現実を受け入れて国民の亡命先の手配をしてやれば良かったのだ……。

 

 由良はすぐそこまで迫った蹄の音を聞きながら、歯を食いしばった。

 

 今更後悔しても遅かったし、そんな暇はなかった。

 とにかく今はこの百の兵を使って少しでも雄黄の軍勢を消耗させなければならない。

 まず間違いなく全滅するだろうが、何とか時間を稼いで姫巫女の元に知らせを届ける必要があった。

 ジンキ使役の可不可を判じ、不可であればここで死ぬ事。

 それが由良達の役目だった。

 自分も兵士達も覚悟は出来ている。覚悟が出来る者だけがここに来た。

 だから振り返り号令を飛ばせば、彼らは疲れ切った瞳に最後の光を浮かべ、武器を手に取り戦うだろう。気高く勇ましく、守るべき国のために、守るべき人々のために。

 

 由良は息を吐き、意を決した。

 倒れ伏した少年から視線を外すと、背後を振り返った。

 

 方術士達がかけた〝幻幕〟という術により兵士達は透明になっている。

 しかし完璧ではなく、光が揺れたり景色が波打ったりしていて、すぐそこにいる事が解った。これは元々あまり役に立たない術で、風景の透過も不完全で、動くとすぐに本来の姿が現れてしまうという欠点だらけのものだった。夜に山林で潜伏する時ぐらいにしか使えないこの術を今回使ったのは他でもない、敵に姿を見えなくするためではなく、彼――ジンキから身を隠すためだった。

 

 姫巫女の指示である。

 が、それも無駄に終わった。

 ジンキは覚醒せず、この場にいる全ての者が死ぬのだ。

 由良は号令を放つべく息を大きく吸い込んだ。

 敵が駆る馬の鼻息すら聞こえるほど接近したこの距離で、果たしてどこまでやれるだろうと思いながら、口を開いた。

 

 だが、彼女が叫ぶよりも早く、背後で砂をかく音がした。

 由良はもう敵の一番手が到達したのかと、舌打ちしながら振り返った。

 敵を風の刃で切り刻む術を振り向きざまに放とうとした由良は、しかしそこに思いも寄らぬ光景を目にして凍り付いたように動きを止めた。

 

 死んだはずの少年が一人、ゆっくりと立ち上がっていた。


「お前――」

 

 無事だったのかと、由良は思わずそう声をかけようとしたが、少年の様子がおかしいのに気づいて口を閉じた。

 

 こちらに背を向ける彼は糸が切れたようにうなだれている。

 よく見れば手足も小刻みに震えていた。

 何も言わず、手にした槍だけをぎしぎしと音がするほど強く握りしめている。

 尋常な雰囲気ではない。

 が、具合が悪いとか弱っているように見えるかというとそうではない。

 むしろはち切れんばかりの覇気に満ち、次々に湧いてくる力を持てあましているように見えた。

 周囲の空気が怯えるように震えている。

 由良は無意識に後ずさりした。

 

 その時、空を切り裂く音がした。

 はっと顔を上げると、表情が見えるほど近づいた敵兵の一人が、走る馬上から矢を放ったところだった。

 矢は放物線を描きながらうなだれる少年に向かって落ちてくる。

 由良は慌てて危ないと叫ぼうとしたが、恐怖で唾が上手く回らず声を出せなかった。

 

 為す術なく、ぶすりと音を立てて矢は少年の肩に突き刺さった。

 衝撃で少年の身体は少し揺れたが、痛みを口にする事もなければ、気にした様子もなかった。

 ただ誰かに呼ばれたように頭を上げ、正面から迫り来る軍勢に顔を向けた。

 彼がどんな表情を浮かべているのか解らなかった。

 だが、勢いよく突進してきていた敵軍全てが、号令をかけられたわけでもないのに足を止めた事から、漠然と予想はついた。彼らはきっと、そこに鬼を見たのだ。

 

 あれほどうるさかった荒野が、しんと静まりかえる。

 雄黄軍、真朱軍、由良、少年。

 誰もが動かなかった。

 緊張だけが急速に高まっていき、やがて限界点に到達した。

 張り詰めた空気に耐えきれなくなった一頭の馬が一際大きな声でいななき、それが合図となった。

 

 雄黄軍の指揮官らしき男は我を取り戻し、何事か叫ぶと片手を高く上げた。

 敵兵は一斉に弓を構え矢をつがえた。

 指揮官が手を振り下ろした瞬間、無数の弓が空に打ち上がった。

 頂点に到達した後、雨のようにこちらに降り注いできた。

 由良は背後に向かって叫んだ。


「方術兵! 風で押し流せ!」


 自らも気を練り上げると、両手を広げて術を放った。

 びゅうと音を立てて強風が巻き起こり、降り注いできた矢の群れを一気に蹴散らす。

 勢いを失った矢が折れた小枝のようにぱらぱらと落ちてくる中、由良は敵軍が第二射を放つのを見た。

 方術士達は再び術を放つのに時間がかかるから間に合わない。

 次は盾で防ぐしかないと、顔つきを険しくする。

 が、彼女の予想は杞憂に終わった。敵軍の狙いは真朱軍ではなく、あの少年だった。


「危ない!」


 今度は叫べた。

 だが、叫んだところで矢を防ぐ術はなかったから意味はなかった。

 矢が風を切る音を聞きながら、巻き添えを食うのを避けるために咄嗟に横に回転した由良は、すぐに立ち上がると必死の形相で少年の方を見た。


 大量の矢が身体中に刺さった少年は、微動だにせず佇んでいた。

 少年の姿にその場にいた全ての者が息をのんだ。

 と、その身体がぐっと膨れあがった。

 息を吸い込んだのだと解った瞬間、少年は咆哮を上げた。

 耳にした者の鼓膜を破りそうなほど激しいそれは、とても人間とは思えない獣のような声で、ただただおぞましかった。

 

 由良は全身に鳥肌が立ったのを自覚しながら、自分達の勝利を確信した。

 そしてそれは現実のものとなった。

 

 少年の――鬼の咆哮で敵軍の馬は使い物にならなくなった。

 兵士を振り落とし、鬼と反対側へと逃げ出した。

 軍勢はその時点で崩壊していたが、本当の悪夢はそこからだった。

 咆哮を終えると共に走り出した鬼は、馬よりも風よりも速く、あっという間に敵の先頭に到達すると、手にした槍をまるで物差しか何かのように軽々と振り回した。

 

 穂先に当たろうが柄に当たろうが関係ない。

 槍を叩きつけられた兵士達は豆腐のようにひしゃげ、ちぎれ、空を舞った。

 指揮官が何か叫んだようだったが、何を言ったところで無駄だった。

 鬼の引き起こす惨状を目にした兵士達は一瞬の内に恐怖で顔を染め上げ、散り散りに逃げ出した。

 錯乱したせいでこちらに逃げてくる兵もいたが、彼らに武器を向ける者はいなかった。

 

 恐怖に支配されたのはこちらも同じ、身動き一つ出来なかった。

 兵達が雄黄兵のように我を忘れて逃げ出さなかったのはただ単に、鬼の槍が敵方に向いていたからに他ならない。

 既に真朱兵も由良も傍観者となっており、畏怖と共に暴れ回る鬼を凝視するだけだった。

 

 雄黄軍が撤退するのにそれほど時間はかからなかった。

 と言うのも、撤退の合図が出るまでその場に残っていた者、生きていた者が非常に少なかったからだ。

 大半は最初の段階で逃げ出し、残った者も他の者が鬼に襲われている間に逃げ出した。

 背中を見せて逃げていく彼らを狩る事など容易かっただろうが、返り血で全身をどす黒く染め上げた鬼は、追撃しようとはしなかった。

 

 その理由はすぐに解った。

 鬼の顔が首だけでこちらを振り返ったからだ。

 

 血まみれの顔の中に白く輝く二つの瞳と目が合った時、由良は死の恐怖に支配されると共に、味方の兵達が〝幻幕〟で覆われていない事を奇跡的に思い出した。

 慌てて方術兵達に指示を出す。

 真朱兵達の姿が透明になったその時、鬼は首から下もこちらに向けた。

 その首からぶら下がっている大きな数珠のようなものが一瞬何か解らなかった。

 しかしすぐにその正体を悟った。

 湯気の立つそれは雄横兵のはらわただった。

 

 ――しくじれば即死だな。


 由良は震える呼吸を無理矢理落ち着け、姫巫女に教わった呪文を頭に思い浮かべた。

 大丈夫、全部思い出せる。

 しっかりやれば〝あれ〟を止められる。

 由良が決意を固めたのと、鬼がこちらに向けて一歩踏み出したのはほぼ同時だった。

 獲物を嬲るようにゆったりと歩いてくる鬼を見据えながら、由良は気を集中し、口を開いた。


「掛けまくも畏きジンなるキに願い奉る。御身の力の元、禍は去り安寧が満ちたり。我は導き手。御身を安住の地へ還す者なり。我が声に耳を傾け、我が誘いに身を任せよ。陽は沈み、夜が訪れた。獣も草木も眠りに落ちる。御身も彼岸へ還り給え。静まり給え、眠り給え。恐くも此の拍手に器人の御魂の奥底へ還りましませ――」


 鬼はもうすぐそこまで来ていた。

 緊張と恐怖で全身汗まみれになった由良は、練り上げた気が霧散しそうになるのを必死でこらえながら、両手を広げた。

 ぎらつく鬼の瞳を真っ直ぐに見つめ、呼吸を止める。

 ありったけの気を込めて拍手を打った。

 手を伸ばせば届く距離で、鬼は足を止めた。

 

 由良は力の封印が成功したと思い、表情を緩ませた。

 が、鬼が見えない鎖を引き千切るかのように小刻みに震える手を伸ばしてきたのを目にした瞬間、血相を変えた。

 呪文が効いていないのか。

 いや、効いていなかったら今頃自分は死んでいる。

 鬼は明らかに動きを制限されているし、破けた戦装束の下からのぞく入れ墨は、力を持っている証拠に赤く光り輝いている。

 間違いなく効いている。

 効力が薄いだけだ。

 最高の方術士である姫巫女といえども、神に等しい力を持った鬼を完全に制御するのは困難だったのだ。

 

 しかし、動きを封じられただけで十分だ。

 由良は息を吐き出すと、手を伸ばし、鬼の胸に刺さった短剣に触れた。

 そしてひと思いにそれを引き抜いた。

 

 すると由良の首をもぎ取ろう苦心していた鬼はぴたりと動きを止め、振り子のように身体を揺らしたかと思うと、前のめりに倒れた。

 念のためしばらくそのまま待ってみたが、動きはなかった。

 由良は口の中にたまった唾を飲み込み、恐怖をねじ伏せてそれを抱き起こした。

 血まみれの首筋に手を当て、ほっと息を吐く。

 脈は少し弱いが正常だった。長い長いため息がこぼれる。

 

 ようやく戦が終わったのだ。

 一週間戦い続けたように感じるほど疲労は重かったが、まだ日の光は弱いまま、戦が始まってからわずかな時間しか経っていなかった。

 由良はその場で横になりたい気持ちを抑え、幻術が解けて姿を現した兵士達に指示を出し、撤収作業に入った。

 

 腕の中の鬼――少年を来た時同様、罪人移送用の馬車に乗せようとした時、由良は二つの事に気がついた。

 

 一つは少年の左手の中にへし折れた槍の柄が握り込められていたという事。

 そしてもう一つは血まみれの顔に涙が流れていたという事だった。

 

 由良はじっと腕の中の少年を見下ろし、歯を食いしばった。

 様々な思いが心をかき乱し、胸を痛ませた。

 しかし由良はそれらの全てを意志という刃で切って捨て、冷徹に呟いた。


「次からは槍をもっと頑丈にしなくては」


 その言葉は朝日が照らす赤黒い荒野の中、一際大きく響き渡った。

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