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ラプソディー・イン・レッド  作者: 砂握
第一章 喚ばれし者
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05 焔

 星霜殿の中を歩いていると、どうしても物思いにとらわれる。

 その一番の理由はこの静けさにあると、由良はそう思った。

 

 二年前。

 

 先代の姫巫女が真朱を支配していた頃は、この城は人で溢れかえっていた。

 絶えず人が行き交い、静寂は唯一、城の最奥に位置する姫巫女の間にのみ存在した。

 城で働く人々は皆一様に生き生きとしており、境遇としてはこれ以上ないほど厳しい真朱を、少しでもより良い国にしようと必死だった。

 

 貧しくとも活気があったのだ。

 だからどんな苦境にも耐えられた。

 真朱は城で働く皆の力によって保たれていた。

 

 しかし、今はこの通りである。

 国政を行うのに最低限の人員しかいない。

 廊下を歩いていても誰かと出会う事はほとんどない。

 かつては千人近かったところが、百名以下にまで減っているのだ。

 その少数の人々も、顔には疲労がへばりつき、吐き出す息は全て重い。

 この状況に希望が見えないからだ。

 

 希望とは国主、すなわち姫巫女が指し示すものである。つまりは当代姫巫女への不信感が彼らから活力を奪っている。

 

 それは仕方のない事だ。

 今の姫巫女は先の姫巫女と違い、全ての業務において判断が遅く、稚拙だった。

 襲名からこの二年間で得られた評価はひどいものだ。

 国民を含めた誰も彼もが、歴代最低の姫巫女だと思っている。

 そこに来てこの戦だ。

 真朱に生きる九割九分の人間が、真朱の滅亡を確信していた。

 行く場所がないから留まっているだけ。金とツテがある者は既にこの国を去っている。

 今残っているのは、真朱が真朱たる由縁、何も持たない人々である。

 生きる事に絶望しきった彼らに、それでも今の姫巫女は――あの方は、希望を掲げて見せたのである。

 

 ジンキ。

 それがこの絶望の国におけるただ一つの希望だった。


「お呼びでしょうか、姫様」

 

 姫巫女の間、その閉ざされた戸に由良は呼びかけた。

 するとしわがれた声が「お入り」と答えた。

 二年間この声を聞いているが、未だに慣れる気配が全くないなと思いつつ、由良は戸を開け中に入った。


「近くへ」

「はっ」


 御簾の前まで歩み寄る。

 蝋燭の明かりに照らし出された人影が御簾の竹ひごに映る。

 その姿は小さく、あまりにも小さかった。

 由良は胸が痛むのを抑えきれなかった。


「ご用件は何でしょうか、姫様」

「雄黄に潜ませている諜報員が連絡をよこした。軍の一部を北に向けて動かしたそうだ。つまり、我が国に攻撃を仕掛けるつもりのようだ」


 状況が最悪になったと姫巫女は言った。

 だが、そろそろどこかの国が動くだろうと予想していた由良はそれほど衝撃を受けなかった。

 早まりそうになった心臓の鼓動を落ち着けながら、努めて冷静に問いかける。


「雄黄? 翡翠ではなくてですか」

「軍勢は千。おそらく様子見だ。翡翠との戦闘で我が国がどれくらい弱っているか確認しにくるのだ。粘るようなら引き返すし、落とせるような増援を送るといったところだろう」

「……もし我が国が負け、大陸の中心が空洞になったら、青藍が黙っていないでしょうね。雄黄を南に押し戻そうと、すぐさま大量の軍勢を送り込んでくるでしょう」

「青藍だけではない。白亜も翡翠もだ。どんな道をたどろうが、結果として雄黄はこの地を手放さざるを得ないだろうが、その時には我が国はぼろぼろだ。復興すら叶わない状況に陥ってる事だろう」

「今回、何としてでも雄黄を退けなければならないわけですね。ですが千の軍を相手にするには我が軍は……」

「何を言ってる。今回軍は使わない。いや、この先軍は一切使わない。全てあれにやってもらう。そのために苦労して呼び出したのだからな」


 由良は口をつぐんだ。

 あれとはつまり、あの少年の事である。

 由良はあの幼さの抜けきれない顔を思い出し、顔を歪ませた。

 異世界から無理矢理連れてこられ、いわれのない暴力を振るわれた挙げ句、全身に縛呪を刻まれたあの少年。


 彼に〝しつけ〟を施したのは他でもない、この自分である。哀れむ立場にはなかった。

 だが、この先彼を待っている運命を思うと、無性に胸が騒いだ。

 あの屋敷の形をした檻の中から助け出し、国の外に逃がしてやりたいとすら思う。

 だが、もちろんそんな事は出来なかった。彼が唯一の希望だったからだ。


「……あの者は本当に使えるのでしょうか」

「核刀は起動状態になったし、縛呪を刻んで支配できるようにもした。問題は何もなかろう」

「ですが、あれは普通の少年です。果たして千の敵との戦に耐えうるでしょうか」

「耐えなくとも良い。心臓が動き続けさえすれば十分だ。心など――壊れてしまっても構わない」

「姫様……」


 御簾の向こうに座る、姫巫女の感情の揺らぎを察知した由良は、歯を食いしばった。

 あの少年を誰よりも哀れに思い、誰よりも己の罪を知っているのは他でもない、この方だった。

 二年前、姫巫女を襲名したその時から、真朱を守るために己を含めた全てを犠牲にすると彼女は決めたのだ。

 そして由良はそんな彼女についていくと決めた。

 今更彼女の決心を揺り動かすような事を言うなど、あってはならない事だった。


「失言でした。申し訳ありません」

「構わぬ。お前のおかげで己が何をしでかしているのか良く解る。何を言われても己の決意が微塵も動かぬ事もな。私はなるほど、歴代最低にして最悪の姫巫女だ」

「ならば私も歴代最悪の姫守ですよ」


 姫巫女と由良は暗い声で静かに笑い合った。そして笑い終えると姫巫女は静かに告げた。


「ジンキを使うぞ」

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