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ラプソディー・イン・レッド  作者: 砂握
第一章 喚ばれし者
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03 泉下

 かごの中の鳥はきっとこんな気持ちなのだろう。

 シズマはもう見慣れた白木の格子を眺め、そう思った。

 

 あれから十日経った。

 シズマは一日の大半を座敷牢の中で過ごしていた。

 もちろんこんな息苦しい場所にいたくはなかったし、出してくれと頼んだが、彼の望みを聞き入れてくれる者は誰もいなかった。

 唯一外に出られるのは、あの老女の元――セイソウデンと呼ばれる城へ連れて行かれれる時だけだった。

 

 しかしそれはちっとも歓迎すべき事ではなかった。

 なぜなら老女のいるあの薄暗い部屋へ直行した後、シズマは素っ裸にされ、床に敷かれた柔らかい布の上に無理矢理寝かせられるのだ。

 そして全身に入れ墨を入れられる。

 これが気を失うほど辛い。

 麻酔のようなものをかがされ、意識がもうろうとしているから痛みはぼんやりとするが、どういうわけか肉体的ではなく精神的な苦痛の方が大きかった。

 見えない手で身体の奥の方をいじり回されているような、そんな気持ちの悪さが延々と続く。

 シズマは何度も嘔吐し、何度も気を失った。

 が、終わらない苦痛のせいでその度に正気に戻された。

 

 老女はシズマが泣こうが喚こうが、一切を無視し、ぶつぶつと何事か呟きながら針のようなものを彼の身体に突き刺し続けた。

 逆らう事は出来なかった。

 座敷牢に投げ入れられて以来、ユラはシズマが命令に従わないとすぐに暴力を行使した。

 まるで訓練中の犬のように、痛みを学習させられた彼は、反感の意志を段々ともぎ取られていった。

 そして最後にはユラという飼い主の命令に、大人しく従うようになっていた。

 入れ墨の場合も同じで、逆らえばどうなるか知っていたシズマは、甘んじて苦痛を受け入れた。

 

 そしてその拷問のような時間は十日目の今日、ようやく終わった。

 

 縛呪が完成したと、ユラは彼に言った。

 縛呪とはこの入れ墨の事らしい。

 座敷牢の中にある姿見に初めて身体を映してみたシズマは、その惨状に言葉を失った。

 赤い紋様が全身を走っている。

 まるで赤い蔦が絡みついているみたいだ。

 例外は顔と股間だけ、秘境でひっそりと生きる少数部族が施すような凄まじいタトゥー。

 だが、彼らのような美しさはここにはない。

 憎悪を模様にしたらこうなるというような、負の感情がこれでもかと凝縮されている。

 芸術のたぐいでも神や精霊に捧げるたぐいのものでもない。

 

 これはただの呪いだった。

 

 どことなく座敷牢の格子の模様と似ているように思えるのは、決して勘違いではないだろう。

 この入れ墨には何か意味があるのだ。シズマにとって良くない意味が……。


「失礼いたします。シズマ様、お勉強の時間ですがよろしいでしょうか」


 ふすまの向こうから聞こえたツバキの声に我に返る。

 居住まいを正し、返事をする。

 部屋に入ってきたツバキはいつもの柔らかい微笑を顔に浮かべていた。

 訳の解らない状況の中で唯一の安らぎである彼女の微笑みを見つめ、シズマは無意識に息を吐いた。

 

 シズマを人間として扱わない老女、奴隷のように扱うユラ。

 その二人とは正反対に、ツバキは礼儀正しく優しかった。

 ちゃんと名前を呼んでくれるのも彼女だけである。

 様付けであるのはどうにもなじめなかったが、自分を一人の人間として扱ってくれる事が本当に有り難かった。

 彼女はシズマの世話係であり、教育係でもあった。

 教える内容は他でもない〝センカ〟と呼ばれるこの世界についてである。


「今日はこれまでの復習をしましょう。センカに存在する五つの国、及びその特徴を答えてください。解る範囲でよろしいですので」

「……解った」


 シズマは先日見せられた地図を頭に思い浮かべながら、話し始めた。 


「まずは大陸北部のセイラン。五国中二番目の国土を誇り、有する武力は最大。加工・建築技術の高さが特徴。優れた武具の生産、開発が盛んで、武人が国を治める軍事国家。

 東部のハクアは音楽と芸術の国で、武人の最も少ない国でもある。国境沿いには広大な砂漠が広がっており、実質的な生活空間は国土の僅か三分の一しかない

 大陸南部に位置するユウオウは商業の最も盛んな国。その理由は、あまり大きくない国土と、隣に技術力の高いヒスイがあったため、そして国王が商人の保護に積極的であったからだと思われる。文学は随一で学者や研究者が最も多い。

 五国中最大の国土を持つ西部のヒスイは農業の盛んな国。それを可能にしたのは肥沃な大地と、豊富な降水量。高い医療技術も合わさって、大陸最大の人口を抱えている」

 

 最後の説明に入る前に息継ぎをする。自分の声が少し固くなるのが解った。


「そして大陸中央に存在するシンシュ。人口、国土、資金力……と、ほとんどの点において五国中最下位。唯一他国より勝っている点は、擁する方術士の数。歴代の姫巫女を筆頭として高位の方術士を配している。他の四国が三国と国境を接する中で、唯一四国全てと接している……」

 

 答え終えると、ツバキは驚いたように目を瞬かせた。


「素晴らしいです。とてもよく理解していらっしゃいます。失礼ながら、勉学に気が向かない様子でしたのでてっきり聞き流しておいでかと思っておりました」

「他にやる事もなかったから、覚えていただけだよ。それに気が向かない訳じゃなくて、ただ単に信じられないだけさ。ここが俺のいた世界とは違う世界って事も、方術士がどうとかも、あり得なさすぎて笑う事も出来ない。それとも何か証拠があるのか?」

 

 シズマがややけんか腰でそう言うと、ツバキは困った顔をした。


「確かに証拠のようなものはございませんが……ですがシズマ様、世界という自分の五感では捉えきれない漠然としたものを、何をもってして知覚するのですか」

「そ、それは」

「出過ぎた事を言ってしまい、申し訳ありません。しかし、他人が口にした事実を疑いもなく許容する事はよろしくありませんが、最初から否定するだけでは現実に辿り着けません。賢明であられるシズマ様の事です、これまでの体験を考えれば見えてくるものもあるのではありませんか」


 ツバキの言葉にシズマは苦い顔をした。

 確かにおかしいとは思っていた。

 身に覚えのない投獄、曖昧な記憶、奇妙な服装、町並み。

 十日間も監禁されているのに警察がやってくる気配もない。

 電化製品の一つでもあればここが日本語の通じるどこかの地域であると主張できたが、裸電球一つ見つからなかった。

 

 生活レベルは江戸時代かそれ以前。

 二十一世紀の地球に存在する国とは思えなかった。

 ではSF小説よろしくタイムスリップでもしたかと疑いもしたが、ツバキの話すこの世界の内容は歴史の授業で習ったものの中には存在しなかった。

 誰かに騙されているのではないのであれば、違う世界にいるのだと、そう考えるべきなのかもしれなかった。

 シズマが唇をかみしめているとツバキは苦笑し、穏やかな声で言った。


「とは言え、別の世界につれてこられたなんて、普通は理解できないものです。ただ、目の前に確信が現れた時に目をつぶらないようにするだけで良いと思います」

「……解ったよ」

「有り難うございます。それでは今日はこれくらいにしましょう。後は朗報が一つございます。縛呪の施術が完了したので、屋敷の中なら自由に行動して良いそうです。お疲れ様でした」


 ツバキの言葉にシズマは顔を輝かせた。

 これでようやく自分の好きな時にトイレに行ける。

 今までは座敷牢の中の簡易便器で排泄しなければならず、終える度に鈴を鳴らしてツバキを呼び、後始末をしてもらわなければならなかった。

 なけなしのプライドが削られ、そろそろ限界だった。

 

 シズマはほっとすると共に、一つの懸念を抱いた。

 あの老女――姫巫女達にとって、シズマは今まで格子の内側に入れておかなければならないほど〝重要〟だったり〝危険〟だったりしたはずなのに、入れ墨一つでそうしなくて良くなったという事。

 それはつまり、彼の全身に刻まれたこの赤い紋様がただの紋様ではなく、物理的な力を持っているという事である。

 おそらく、ツバキが語った方術とやらに関係している。

 姫巫女が魔法のような怪しげな術を使うのならば、屋敷から無断で出ようとすれば何かが起きるのかもしれない。

 が、それを確かめてみる気にはならなかった。

 ユラの〝教育〟の結果、シズマはひどく臆病になっていた。

 ツバキは懐から鍵を取り出すと座敷牢の錠を開け、静かに扉を開いた。


「ここは元々あなた様のお屋敷です。ご自由に過ごしてください。屋敷の者はわたくしを含めて五名しかいませんが、皆あなたの僕、何なりとご命令ください。ユラ様に禁じられている事以外ならどんな事でも応じますので」

 

 ツバキは「どんな事でも」と言った時に意味ありげな顔をした。

 シズマはツバキの整った顔と、着物の上からでも解る均整のとれた身体を思って、一瞬馬鹿な勘違いをし、顔を赤面させた。

 ごまかすように「解った」と大きな声で告げ、座敷牢から出た。

 その勢いで部屋から出て行こうとすると、ツバキに声をかけられた。 


「あと少しで夕食ですが、どちらで取られるか決めておいてください」

「解った。ああ、その食事だけどさ、ツバキとか他のみんなと一緒に食べるわけにはいかないの? 一人だと寂しいんだけど」


 食事の時はいつも、座敷牢の中で一人だった。

 ツバキは食事を運んできて牢屋の中に入れた後、部屋の隅でじっとしているだけで一緒に食べたりはしなかった。

 基本的に食事は誰かと一緒の生活をしていたため、それが何とも居心地が悪く、シズマは思わずそう尋ねていた。

 するとツバキは思案の後、薄く微笑んだ。


「他の者は諸事で忙しいので、わたくしだけでよろしければ」

「ああ、それで十分だ。有り難う」

「いいえ」


 シズマはほっと息を吐いた。

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