獄
冷たい感触に目を覚ます。
瞼を開けると、ぼんやりとした視界の中に灰色の壁のようなものが見えた。
視界がはっきりとし、それが壁ではなく床である事に気がついた時、完全に目を覚ました。
どうやら自分は石畳の上に直接寝ているらしい。
だからこんなにも冷たくて寒かったのだ。
ゆっくりと身体を起こす。
固い石の上で寝てしまったせいで、至る所に鈍い痛みがある。
一体どうしてこんな事になったのかと、肩をさすりながら周囲を見渡す。
すると意外なものが目に飛び込んできた。
鉄格子だ。
天井から床まで何本もの太い棒が走っている。
一瞬何かの檻の前にいるのかと思ったが、鉄格子の向こうの通路、更にその奥にまた鉄格子で閉ざされた部屋があるのを見て、己の勘違いに気づく。
檻の前にいるのではない。檻の中に自分はいるのだ。
「はあ……?」
思わず声が漏れる。
何の冗談だと思いつつ立ち上がり、鉄格子の元まで向かおうとすると、じゃらりという金属の響きがして何かに首を引っ張られた。
はっとなって首元を手で触ってみると、ごつい金属製の枷がはめられていた。
外そうと手で引っ張ってみたがびくともせず、枷が肉に食い込んで痛いだけだった。
首枷は鎖に繋がっており、床の一部に止めてあった。
先ほど引っ張られたのはこの鎖のせいだ。
輪っかの一つ一つが大人の親指ほどの太さもあり、虎やライオンなんかを捕まえておくような、とにかく頑丈な代物だった。
とても人間をつなぐようなものではない。
「一体何がどうなってるんだ……」
状況が全く理解できず、呆然と呟いたその時、どこかで扉が開く、ガタンという大きな音がした。
そのすぐ後に複数の足音が反響しながら耳に聞こえてきて、さらにはだんだんと大きくなってくる。
誰かいる。
そしてこっちに向かってきている。
鎖が許すところまで鉄格子に近づき、蝋燭か何かの弱い灯りが照らす、薄暗い廊下の奥を見つめる。
そちらから足音が近づいてくる。
乾いた唇をなめながら、相手が誰だかは解らないが、この状況が何かの間違いである事を訴えようと、頭を必死で回転させ、言葉を探した。
声を出すため大きく息を吸い込んだ時、鉄格子の向こうに人影が二つ現れた。
しかし「すみません」とこちらが話しかけるよりも先に、人影の片方が口を開いた。
「なるほど、これが報告にあった者か」
七十歳くらいか、かなり高齢に見える女がそう言って俺を見つめた。
報告とは一体何の事だと聞き返そうとしたが、女の視線のあまりの冷たさに口をつぐむ。
こちらを一人の人間として見ていない。
動物か何かだと思っているような目つきだった。
「はい。贄倉神社の境内で発見されました。見た事のない格好をしておりますし……おそらく間違いないかと」
そう答えたもう一つの人影は、若い女だった。
恐らく俺より二つ三つ年上、十八歳くらいに見える。
が、その凜とした顔立ちには幼さなど欠片もない。
こちらも鋭い瞳で俺を見つめていたが、そこにはなぜか哀れみの色がある。
意味が解らず二人の顔を見比べていると、老女の方が小さく頷いた。
「まあ、良い。カクトウで刺してみれば解る事だ。連れて行け」
「はい」
老女が淡々と呟き、年若い女が頷く。
若い女はいよいよ憐れみの色を濃くし、懐から大きな鍵を取り出した。
それを鉄格子の鍵穴に突き刺し、ゆっくりと回した。
相変わらず状況は理解できなかったが、自分が牢屋から出られるらしい事に、ひとまずほっとした。
そうして余裕が出て初めて女達が奇妙な格好をしている事に気づいた。
洋服ではない、着物である。
だが、和服とは少し装いが違う。
より中国系の民族服に近く、動きやすそうに出来ていた。
若い女の方は青い簡素な服を着ていたが、老女の方は煌びやかでいかにも身分の高そうな格好をしていた。
牢屋とはあまりにもミスマッチな格好、まるでお忍びできたような雰囲気だ。
しかし一体何の用があってこんなところまできたのか。
何かの間違いで投獄された自分を、わざわざ助けに来てくれたのか……?
尽きない疑問に頭を悩ませていると、若い方の女が扉を開け牢屋の中に入ってきた。
まずはここがどこなのか尋ねようと口を開く。しかし、
「あの、すみません。ここは一体どこ――むぐっ!」
若い女が懐から取り出した布で鼻と口をふさがれ、くぐもった悲鳴を上げる。
とっさに逃れようとしたが、すかさず身体を押さえ込まれ、更に布で圧迫される。
そこに薬がしみこまされていると気がついた時には、ぐるりと世界が回転したような吐き気を伴う浮遊感に襲われていた。意識が急速に遠くなっていく。
――誰か助けてくれ。
声にならないその叫びも、闇の中に吸い込まれていった。