第四章 息子たちの絆
誰の人生の中にも、「停滞」を感じる時間は訪れる。
今回は、四人の「息子たち」が迎える、そんな時期のお話。
第一節 息子たちの変化
ヘリウム3濾過プラントは、次段階の建設工程へと入っていた。木星太陽化計画は、理論から実装へ。人類史の新章、その最前線。そんな中で。
「……最近、立ちくらみがある。」
大助が何気なく言ったのは、ある日の仕事上がり、更衣室での事だった。
太地は着替えの手を止める。
「疲れたんだろ?」
そう言いながらも、視線は逸らさない。
だが数日後。定期検査の数値が、揺れた。白血球数の異常変動。染色体損傷マーカーの数値が、軽度だが上昇している。診断端末に表示され文字。
“宇宙放射線病の疑い”
音が消えた。大助は静かだった。太地のほうが、言葉を失った。
「……まだ確定じゃない。」
医療主任が淡々と言う。
「医療後送だな。精密検査のため、地球圏の医療ステーションへ行く様に。」
大助は、渋々の表情で頷く。
「…了解しました。」
だが二人きりになったとき、太地が初めて声を荒げた。
「なんで言わなかった?」
「言ったら止めただろ。」
「当たり前だ!!」
二人を包み込む、重苦しい沈黙。大助は苦く笑う。
「俺は現場の人間だ。」
太地は震える。怒りでも、悲しみでもなく。恐怖。
“失うかもしれない”
その可能性が、初めて具体化した。
出発の日。宇宙港の、ボーディングブリッジへと通じる連絡通路で、船へと乗り込む前の大助が言う。
「なに、すぐに戻れるさ。」
それだけ。太地は頷くしかない。
「ああ、待ってる。」
言葉は短い。だが、重い。そして輸送船は大助を含む、数名の医療後送者を乗せ、地球圏へと飛び立って行った。
初めて単独で行う任務は、木星軌道上での濾過プラントへの、外装の取り付け。
嵐は去ったが、余波は残っている。補助磁場制御が不安定。大助の席は、空。太地は単独でシステム調整に入る。
今まで、隣にいた。判断の直後、実行があった。今は。自分で決め、自分で実行する。警告表示。
「磁場共鳴発生の恐れ。」
大助ならどう動く?一瞬、思考が止まるが、違う。と思い直す
“俺はどう動く”
太地の脳裏に、太一の言葉が蘇る。
「理論は、現場で証明されて初めて完成だ。」
太地は決断する。位相を大胆に変更。一時的に出力を落とし、共鳴を逃がす。数秒の不安定。だがその直後に、安定曲線が戻る。成功。
管制からの声。
「……いい判断だ。」
太地は、深く息を吐く。初めて。“自分の判断”で、守った。だが。格納庫で一人、ヘルメットを外した瞬間。空席が、痛い。
「早く戻れよ……。」
小さく呟く。
第二節 息子たちの残像
神尾は、事故の恐怖から、立ち直ってはいなかった。操縦は正確、理論も完璧。だが。最後の踏み込みで、越えられずに止まってしまう。教官の評価は。
「安全側に寄りすぎている。」
それは、決して悪いことではない。
だが、プロには、“踏む瞬間”その判断が必要だ。
その夜。寄宿舎の屋上で語り合う二人、夜風に吹かれながら、陣がくちを開く。
「俺、頭にあの瞬間が焼き付いてる。」
接触音。衝撃。同期の蒼白な顔。
「次がもし、俺だったらって考えると、手が止まる。」
亮太は黙って聞く、本当は自分も怖い。だが、支えると決めた。
「なあ、陣。」
名前で呼ぶ、神尾が顔を上げる。
「俺さ、怖い時ほど、お前の顔思い出す。」
陣は、眉をひそめる。
「は?」
「お前、無駄に冷静だろ?」
「無駄って何だ。」
顔に苦笑いを浮かべながら、陣が返す。
「その顔があるから、俺は踏める。」
亮太は真面目な真顔で言う。
「だから、止まるなら一緒に止まれ。踏むなら一緒に踏む。」
二人の間に落ちる沈黙。やがて、陣が小さく笑う。
「……重いな。」
「知ってる。」
亮太も優しく微笑む。
陣は息を吐く。
「じゃあ、次は踏む 。」
恐怖は消えない。だが、共有されると軽くなる。二人は、初めて本当の意味で“信頼”に触れる。
その頃の木星圏では、太地が一人で立つ。地球圏の神尾は、もう一度操縦桿を握る。遠く離れていても。それぞれが、誰かの存在に支えられている。
第三節 息子たちの止まる時間
宇宙開発機構が運営する医療ステーションは、アカデミーと同じコロニー内の、医療区画に存在する。そこでは主に、任務の中で宇宙線に被曝する事で、身体を内側から傷つけた、宇宙飛行士達の治療が行われている。
白と静寂に包まれた検査室で、大助は薄い青色の病衣一枚の姿で精密検査を受けていた。結果は予想より重かった。
検査後の診察室で、医師から説明を受ける。放射線による染色体損傷は軽度を越えているが、治療は可能であるとの事。
「今回は点滴で、身体にナノマシンを入れます。」
「数回に分けて行う必要があるので、暫くは入院が必要ですね。」
療養と、段階的なリハビリ。医師は淡々と告げた。
「完治の見込みは高い。ただし、即時復帰は不可能です。」
それは事実。だが大助にとっては…“戦線離脱”以外の何物でも無かった。
病室の窓からコロニーの透明壁越しに、地球が見える。木星とは違う、青さ。大助は目を閉じる。
「……情けない。」
初めて出た本音。守ったはずのプラント、成し遂げた任務。だが体は、正直だった。守る側が、守られる側になった。
ナノマシンによる治療が、開始される。大助は医療ベッドに身を横たえたまま、腕を差し出した。細い針が血管に入る。透明な液体が、ゆっくりと体内に流れ込んでいく。
数秒遅れて、じんわりとした熱が腕から広がった。
「……これ、毎回変な感じだな。」
大助が顔をしかめる。
モニターには、損傷した細胞がゆっくりと正常化していく映像が映る。
ある日の治療の合間、病室のドアにノックの音がする。医療区画に似つかわしくない、軽い足取り。
「入るぞー。」
声だけで分かる、亮太が見舞いにやって来た。手には、なぜか紙袋を持っている。
「医療区画に持ち込み可能な範囲で、最大限ジャンクっぽい物持ってきました。」
中身は、宇宙食メーカーが本気で作った、高カロリー・リハビリ支援スナック。大助は少し笑う。
「規定は?」
「もちろん確認済み!」
どや顔の後。しばらくの無言。やがて亮太が、心配そうに言う。
「重いのか?」
大助は正直に答える。
「ああ、思ったよりな。」
視線は逸らさない。
「戻れる。でも、すぐじゃない。」
亮太は椅子を引き、腰を下ろす。
「太地、今一人だな。」
分かっている。その事実が一番、胸に刺さる。
「俺、置いてかれそうだな。」
ぽつりと呟く、冗談めかしているが、本気だ。亮太は少し考えてから言う。
「置いてかれたら、追いつけばいい。」
大助が苦笑する。
「簡単に言うな。」
「簡単じゃないっす!」
真顔で言う。
「俺、今それやってる途中なんで!」
特別加速課程のことや、事故のこと。全部を抱えたまま。
「怖いのは、消えないよ。」
亮太は続ける。
「でも、消えないままやるのがプロなんでしょ?」
どこかで聞いた言葉。
大助は小さく息を吐く。
「……生意気だな。」
「誰の教え子だと思ってるっすか?」
一瞬の、静かな笑い。
亮太が立ち上がる。
「太地には、今日来るって事は言ってない。あいつ、多分今、自分を責めてる。」
大助の目が動く。
「だから、戻るって自分で言って欲しい。」
亮太は振り返る。
「あなたがいないと、あいつ完成しない!」
それは、まっすぐな本音。
やがて亮太が帰り、ドアが閉まる。そして再び訪れる静寂。大助は天井を見上げる。自分は、守られる側になった。だが、それでも。“戻る場所”がある。
これは、敗北ではない。一時停止だ。
端末を手に取り、メッセージを送信を太地に送る。
”治療は順調だ。戻る。必ず。”
返信は、すぐに来た。
”待ってる。”
モラトリアムは、まだ終わらない。
第四節 息子たちの隣
ヘリウム3濾過プラントの建設は、新たな段階へと至り、作業負荷は上がる。
そんな中、太地は新たなペアを組まずに、単独での作業を貫いていた。ログは増え、判断の連続。主任が静かに言う。
「海野、臨時でパートナーを付ける。」
それは至極、合理的な判断。木星圏での、命の危険と隣り合わせな作業は、感傷では決して回らない。
「候補は三名。経験は十分だ。」
太地は、ほんの一瞬、目を伏せる。新しいパートナーとペアを組めば、効率は上がる。安全面も、比べるべくもない。
だが、”空席が埋まる”。その事実が、彼の胸に引っかかる。
「……必要ありません。」
主任が眉をしかめる。
「感情で言っているなら、却下だ。」
「違います!」
太地は顔を上げる。
「今は単独のほうが速い。」
嘘ではない。ログも、操作も、すでに大助の癖を織り込んでいる。
「新規の連携構築に時間を割くより、今は自分が二人分考えます。」
二人の間に流れる、重い沈黙。やがて、 主任は太地を見る。
「…仕方が無いな、条件付きで許可を出す。」
「一週間で結果を示せ。」
「了解!」
通路を歩きながら、太地は小さく息を吐く。守っているのは、席ではない。“帰る場所”。
翌日の作業の合間、船の窓から木星の巨大な縞を見上げながら、呟く。
「お前の席だ。早く戻れ。」
一方、地球圏の医療ステーションでは、大助の治療は一応の成功をみせていた。染色体損傷は修復傾向。だが、体力は落ちている。
リハビリ室で大助は、マシンジムと重力負荷トレッドミルに励む。汗で白のコンプレッションインナーが透け、呼吸も荒くなる。
医師が言う。
「焦らないことが最短距離です。」
焦らないなど、無理だ。そして、止まらない。一歩、また一歩。
大助は、リハビリの合間に端末で、汗を拭きながら木星圏のログを読む。太地の判断記録。単独での磁場制御修正。大胆な位相変更。
「……やるじゃねぇか。」
思わず笑みが溢れる。だが同時に、胸が痛む。置いていかれる恐怖。
でも次の瞬間には、違う思考を巡らせる。“追いつけばいい”、あの日亮太が言った言葉。大助はトレッドミルの速度を上げる。
「絶対に戻る。」
汗が床に落ちる。それは決意の形。
第五節 息子たちの帰還
アカデミーでは、特別加速課程第一期生が、初の最終実技試験の段階を迎えていた。学生たちに与えられた課題は、作業艇の緊急ドッキングを、故障想定下での手動制御で行う事。シミュレーターを使用しての試験だが、難易度は実戦レベルである。
二人は自分たちの順番を迎え、シミュレーターのコックピットに着いているが、神尾の呼吸が浅く、そして早くなる。あの日の接触音が脳裏をよぎる。亮太が横で言う。
「陣?」
亮太の、短い呼びかけ。
「止まるなら一緒に止まる。踏むなら一緒に踏む。」
一瞬だけ、神尾が目を閉じる。そして見開く。
「踏むぞ!」
警告音が鳴り、一瞬の推進タイミング。時間にして1秒も無い。神尾が判断し、亮太がスロットルを開く。接触寸前。だが、ギリギリの成功。衝撃は感知されずに、船体は安定した。教官席は、沈黙し…やがて。
「おめでとう、合格だ。」
神尾の手が震える、恐怖は消えていない。だが、乗り越えた。亮太が笑う。
「な?」
神尾が息を吐く。
「…お前、うるさい。」
だが、その顔は晴れている。
二人は並んで、結果ボードを見る。成績は上位で、特別加速課程の実技試験を通過した。神尾が言う。
「あとは学科を通れば、木星だな。」
亮太は空を見上げる。木星はまだ遠い。だが、確実に近づいている。
木星圏では、太地が単独での任務を成功させる。帰投後、嘆息混じりに主任が言う。
「やれやれ……戻ってきたら、二人でやれ。」
その一言に、太地は安堵の表情で主任のデスクを辞するのだが、その後ろ姿を見送りながら、机上の端末画面で、主任が大助の治療データを眺めながら、不穏な表情を浮かべている事に気が付く者は、まだ誰も居なかった。
変わって地球圏では大助が、リハビリの次の段階へ進む許可を得る。
アカデミーでは、亮太と神尾が、次期木星圏実習生候補に名を連ねる。離れていても、選んでいる。それぞれが。“隣に立つ”未来を。
ある日、大助の端末に表示された文字。
”木星圏への帰還を許可する”
大助は、しばらくそれを眺めていた。
「帰還…か。」
思わず苦笑が漏れる。地球に戻ったはずなのに、“帰還”は木星へ。退院前、最後の診察で医師が言う。
「定期検査は継続してね。それから、決して無理はしない事。」
「了解です。」
笑顔で即答するが、目はもう遠くを見ている。
退院の日、荷物は少ない。元から持ち物は多くない。だが一つだけ。リハビリログを保存した端末をバッグに入れる。これは、弱さの記録ではない。戻るための証。
大助が治療を終え、木星圏への「帰還」を果たす日の朝、再び旅立ちの場所となる、コロニーの宇宙港。そこに常設されているカフェで、彼は出港前の静かな時間をすごしていた。
「早いっすね。」
振り向くと、そこには亮太の姿。片手をポケットに突っ込み、いつもの顔。だが目は、少しだけ違う。
「試験の準備は?」
大助が何気なく聞く。
「学科の追い込み中だよ。」
その為に寝不足なのか、亮太の目は若干の充血をみせている。
「お前らも、木星だってな?」
「とりあえず実習生として、だけど。」
亮太は肩をすくめる。
「俺たちの働き次第で、その後の扱いが決まるらしいんで。」
責任は、重い。大助は頷く。
「いいな。」
「何が?」
「今から上がれる。」
亮太は少し笑う。
「追いかける側も、結構キツいっすよ。」
大助は一瞬、目を細める。
「追われる側もな。」
二人は沈黙のまま、暫くの間カフェの窓越しに、停泊中の輸送船を眺めていた。そして、出港を告げるアナウンスに促されるように、亮太の表情が真顔に変わる。
「太地、待ってますよ。」
「知ってる。」
短い。だが、十分な言葉。亮太は続ける。
「俺も、追いつきます。」
「当たり前だ。」
大助はボーディングブリッジへと向かい数歩進み、止まる。そして、振り返らないままで言う。
「亮太。」
「はい?」
「怖いままでいい。」
亮太の目が、わずかに開く。
「止まらなきゃ、な。」
そしてハッチが閉じ、ブリッジが切り離される。輸送船は、ゆっくりと港を離れる。
亮太は見上げる。今はまだ、自分が残る側。だが、取り残されてはいない。
第六節 息子たちのすれ違い
その頃、神尾陣はアカデミーのシミュレーター室にいた。最後の学科対策。シミュレーターのデータフォルダーに記された、アカデミー卒業実技試験のログ。操縦記録の氏名は。
”南雲大助”
神尾は、そのデータを何度も見ている。理論値の外側。限界の踏み込み。“あの日の0.7秒”。
「……追いつく。」
小さく呟く。
彼が目指しているのは、亮太ではない、もっと先。もっと遠い背中。だが亮太は、それを知らない。輸送船は、地球圏を離脱して木星へ。
亮太は端末を開く。特別加速課程最終評価。自分と神尾の名前が、並んでいる。
「……待ってろよ。」
誰に向けた言葉か。自分でも、まだ整理できていない。
シミュレーター室では、神尾が自分の端末に、そっとそのログを保存する。フォルダ名、”目標”。スリープモードにした端末を小脇に抱え、陣はシミュレーター室を後にする。
亮太は、まだ知らない。自分の親友が、誰を追いかけているのかを。
と、言うわけで、モラトリアムな回でした。
この話、なかなかお色気を出す機会に恵まれませんな…でもまぁ、何とかそのうちに。




