第四話 こちらの生活
朝、
目覚ましを止めた記憶がない。
気づいたときには、
部屋は静かで、
カーテンの隙間から
昼の光が差し込んでいた。
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遅刻だった。
理由は、
分かっている。
昨夜、
向こうで
遅くまで話していた。
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こちらの世界の私は、
最近、
少し雑だ。
服は適当。
食事は抜く。
返信は遅れる。
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集中力が、
途切れやすい。
仕事中、
ふとした瞬間に、
別の風景が
頭をよぎる。
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向こうの部屋。
向こうの時間。
向こうの彼女。
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「大丈夫?」
同僚に、
そう言われたのは
初めてだった。
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私は、
笑って誤魔化した。
いつもの癖だ。
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帰り道、
無意識に
店に入っていた。
目的はない。
ただ、
足が止まった。
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並んでいたのは、
柔らかい色の服。
夢の中で、
彼女が
よく着ていた色。
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手に取ってから、
はっとする。
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——違う。
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これは、
私の生活には
必要ない。
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そう思って、
棚に戻す。
けれど、
指先に残った感触が
なかなか消えなかった。
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家に帰ると、
鏡の前に立つ。
いつもと同じ顔。
でも、
どこか
しっくりこない。
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その夜、
家族に呼び止められた。
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「最近、
ちゃんと眠れてる?」
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答えに、
詰まった。
眠ってはいる。
でも、
休めてはいない。
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「一度、
相談してみない?」
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その言葉は、
優しかった。
責める響きは
なかった。
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それでも、
胸の奥が
きゅっと縮んだ。
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整える。
戻す。
普通にする。
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そのすべてが、
向こうを
手放すことと
同じ意味に思えた。
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私は、
何も答えなかった。
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その夜も、
眠った。
向こうに行くために。
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でも、
いつもより
景色が
少しだけ
薄かった。
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彼女の声が、
遠い。
部屋の輪郭が、
曖昧だ。
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「疲れてる?」
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そう聞かれて、
私は
頷いた。
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疲れているのは、
こちらか、
向こうか。
もう、
よく分からなかった。
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目を覚ますと、
胸に
重たいものが
残っていた。
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こちらの生活が、
崩れ始めている。
それは、
否定しようのない
事実だった。
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それでも、
私は
向こうを
手放す準備が
できていなかった。
第五話:整えるということ




