第三話 向こうの時間
眠る前に、
時計を見る癖がついた。
何時に起きるかではなく、
何時間、向こうにいられるかを
確かめるために。
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眠りに落ちる瞬間、
意識が途切れることはない。
ただ、
場面が切り替わる。
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あちらでは、
朝だった。
光の入り方が、
もう見慣れている。
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彼女は、
キッチンに立っていた。
何も言わずに、
同じ空間にいる。
それだけで、
胸の奥が落ち着いた。
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恋は、
いつの間にか
始まっていた。
告白も、
劇的な出来事もない。
気づいたら、
そばにいる。
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向こうの時間では、
私は迷わない。
言葉を選びすぎない。
表情を気にしない。
間違えても、
取り繕わない。
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彼女は、
それをそのまま受け取る。
直そうとしない。
評価しない。
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仕事の帰り、
並んで歩く。
何を話したかは、
よく覚えていない。
でも、
歩いた距離と、
沈黙の温度は
残っている。
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こちらの世界では、
人といると、
少し疲れる。
向こうでは、
呼吸が浅くならない。
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ある日、
現実で約束を忘れた。
悪気はなかった。
ただ、
別の予定で
頭がいっぱいだった。
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それが、
どちらの予定だったのか、
すぐには思い出せなかった。
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帰り道、
ふと考える。
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今日、
私はちゃんと生きただろうか。
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問いの答えは、
向こうにあった。
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眠る前、
彼女からのメッセージを
思い出す。
現実には存在しないはずの、
記憶。
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それなのに、
私は確かに
待っている。
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今日は、
早く眠ろう。
向こうで、
話したいことがある。
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そう考えた瞬間、
胸の奥が
少しだけ冷えた。
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私は、
どちらの一日を
大切にしているのだろう。
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答えは、
まだ出さない。
出したくなかった。
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ただ、
一つだけ
分かっている。
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向こうの時間は、
もう
夢ではない。
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私の生活の、
一部になってしまった。
第四話:こちらの生活




