朱雀大路の魔物
朱雀大路を北に上っていると、なにやら大きな声が聞こえる。よくみると緑色のいと大きな魔物が、地面が割れるのではないかと思うほど大きな雄叫び上げながらこちらに向かってくる。あなたはいったい何なのか、私には見当もつかない。京には鬼が出ると音に聞くが、このような魔物が出るなどといった話は聞いたこともなく、そのために、背中の方からだんだんと寒気が私を包囲し、それはそれはとてつもなく恐ろしく感じた。魔物は大路を所々立ち止まりながら、ゆっくりとしかし着実にこちらに向かってくる。あの魔物の止まるところ見れば、大勢の人がその中に飲み込まれていく。魔物は人間を喰らうために現れたに違いない。人を喰うと魔物は両の頬を橙色に染め、さも美味そうに食べているのである。次は私の番かもしれない。私はそう悟ると直ちに走り出した。同時にかの魔物も私の方に物凄い速さで迫ってくる。あゝ、だめだ。私もあの魔物に飲み込まれてしまった。私は死の痛みを覚悟したが、そこに痛みや苦しみは一切なかった。
恐る恐る目を開けると、そこには先ほど飲み込まれたはずの人々が、魔物の体に腰かけてくつろいでいる。私が立ち尽くしていると、一人の婦人が私に話しかけてきた。少しわかりにくい言葉を話していたが、要約すると私の着物を珍しがっているのだろう。しばらく夫人の話を聞いていると、この魔物が立ち止まった。先ほどまで雄叫びを上げていた魔物は「千本三条、千本三条」と叫んでいるように聞こえた。夫人は魔物の口から外に出ていった。私はますます混乱した。なぜ食われたはずの人々が魔物の口から出ていくのか。もしかするとここはもう現世ではなく、魔物の体があの世とこの世の出入り口になっているのかもしれない。そうこうしているうちに一人また一人と口から出ていき、ついには私一人になってしまった。これから私はどこに連れて行かれるのだろうか。私はなるべく目立たないように小さくなって、恐る恐る魔物の体に腰を下ろした。どうやら魔物の体は透けているようだ。その透け具合というとかつて聖武帝が集めたという碗のごとく透き通っており、やはりこれほどのものは現世のものではないのだろう。私はもう戻れないのだろう。そう考えているうちに魔物はどんどん羅城門に近づいてきた。私は何とかしてこの体から出なければならない。私はかの御方に呼ばれているのだ。早くいかねばならない。早く魔物の中から出なければならないのだ。魔物は羅城門で立ち止まった。私は誰かに肩を叩かれている感じがした。それはだんだんと強くなって行く。痛い痛いと感じ、我慢しようと目をつむった。きっと魔物が私の肩を齧っているのだ。しばらく耐えていると痛みが引いてきたので、私は目を開けた。気がつくと私は朱雀門に居た。「朱雀門にて候」従者がそういうと私は牛車を降りた。先ほどの魔物はどこに行ったのだろう。私は間違いなくここがいつもの京であると確信し、生きていることに安心した。
私はこの出来事がどうも気持ち悪く、必死で忘れようとした。あれから十年、何事もない日々を暮らしている。あれがいったい何だったのかは皆目わからないが、毎日を大切に過ごしている。




