第3話 風の鳴る丘で
最初に工事の車が来たのは、八月の終わりだった。
白いトラックが二台、鉄塔のふもとに停まっていた。
男たちがヘルメットをかぶって、測量の道具を広げている。
「おい、なんだよあれ」
カズが息を切らして立ち止まった。
俺も、心臓が早く打っていた。
“そのとき”が来たのを、言葉にしなくても全員わかっていた。
「立入禁止って……ほんとにやるのかよ」
リョウが呟く。
杭の間にはロープが張られ、黄色い札が下がっていた。
《関係者以外立入禁止》
ミツルが口をとがらせた。
「ふざけんなよ、俺たちの基地ここなのに」
「うるせえ、静かにしろ!」
カズが怒鳴った。けど、声が少し震えていた。
男たちは俺たちなんか見向きもしない。
無機質な測量器の先で、基地の方向を指していた。
「壊される……のか?」
ミツルの声がかすれた。
「まだだ、まだ何も決まってねえ」
カズがロープを握った。
「見ろよ、杭打っただけだ。俺たちが守れば――」
そのとき、ヘルメットの男が振り向いた。
「おい、君たち! 危ないから離れなさい!」
カズは何も言わず、ロープを放した。
そのまま拳をぎゅっと握ったまま、丘を下りていった。
夕方の空は、赤くもなく青くもなく、ただ灰色だった。
その日の夜、カズの家のガレージに集まった。
外では虫が鳴いていた。
「なあ、どうする?」
リョウが言った。
「見てるだけなんて嫌だよ」
カズは腕を組んで黙っていた。
「……俺たちの基地、奪われてたまるか」
「でも、相手は大人だぞ」
ミツルが弱々しく言う。
「おまけに町の連中だ。親父もあの話知ってるっぽいし」
「それでもだ!」
カズが机を叩いた。
「俺たちが何も言わなきゃ、全部なくなるんだぞ!」
その声に、俺の胸が熱くなった。
“何かを守りたい”って気持ちは、言葉よりも確かだった。
「……やろう」
俺は言った。
「できること、全部」
次の日から俺たちは“作戦会議”を始めた。
といっても、やれることなんてたかが知れてる。
通学路の掲示板に「開発反対!」って書いた紙を貼ったり、
基地の前に「ここは子どもたちの遊び場です」って看板を立てたり。
それでも、俺たちは本気だった。
「サナも手伝ってくれた」
ある日、ミツルが報告してきた。
「絵が上手いから、ポスター描いてくれたんだ」
俺は一瞬、言葉を失った。
胸の奥がざわつく。
「なに? お前、サナと連絡してんの?」
「たまたま会っただけだよ。てかユウ、顔怖い」
俺は「別に」と言いながら、鉄塔の方を見た。
あの赤い光が、少し遠く感じた。
放課後、サナが丘に来た。
麦わら帽子をかぶって、ポスターを抱えている。
「これ、持ってきた」
広げると、そこには色とりどりの文字が描かれていた。
《この町を、残したい》
子どもらしい字なのに、どこかまっすぐだった。
「すごいな」
「でしょ?」
サナが笑った。
「おばあちゃんにも見せたら、“いいことしてるね”って」
その一言が嬉しかった。
けれど同時に、言いようのない不安もあった。
数日後。
町の掲示板から、俺たちのポスターがすべて剥がされていた。
風が破れた紙片を転がしていく。
「誰だよ、こんなこと!」
カズが叫んだ。
俺は何も言えなかった。
そのとき、近くの坂をスーツ姿の男たちが歩いていくのが見えた。
役場の人間だ。
その後ろに、町の土木課に勤めるサナの父親の姿もあった。
サナが黙って俯いた。
「……お父さん、あの工事の責任者なんだ」
言葉が、喉の奥で止まった。
夜、基地に一人で行った。
風が強くて、草がざわざわと鳴っていた。
空には星が少しだけ見えた。
「……どうすりゃいいんだよ」
呟いても、返事はない。
鉄塔の赤い灯が、ゆっくり点滅していた。
ポケットの中に、サナが描いたポスターの切れ端があった。
《この町を、残したい》
その文字を指でなぞった。
あのとき確かに、みんな同じ気持ちだった。
けれど今、何かが少しずつズレていく音がした。
次の日、カズが言った。
「夜中に見張りしようぜ。トラックが来たら止める」
「マジかよ」
リョウが青ざめる。
「危ねぇって」
「いいんだよ、やらなきゃ気がすまねぇ」
その夜、俺たちは懐中電灯を持って丘へ向かった。
風が強く、空には雲が流れていた。
基地の中に入ると、懐中電灯の光が揺れた。
誰も口を開かなかった。
ただ、鉄塔の影が俺たちを包んでいた。
――風が鳴った。
その音は、まるで鉄塔が泣いているようだった。