私とコックピットと
自分を隠すように閉じる分厚い装甲が外界と自分とを隔絶する。遮断される視覚・音・振動、その他諸々の情報から意識を背け、自分の側に目を戻す。目に入る順にそこにある、あって当然のものたちを意識の中で反復しながら観察する。
球体状のコックピットの中で、湾曲した座席シートに沈む自分の身体。手には骸骨のコスプレのようにも見える、手の甲にセンサー類が詰まった小さな脈構造を持つ草臥れた手袋をつけている。
目の前に視線を移せば、天井の心許ないフックに吊るされ、無造作に情報機器を接続したAR投影ゴーグルがある。下手に向きを変えようものなら、まるでそれ自身の生命が絶たれてしまいそうなほどに脱力して、視界の前に居座っている。
股の間から隙間を縫うように顔を見せる少しの操作パネルとコックピット側面両側には操縦桿が1本ずつ備わっており、今いる空間があくまで人型兵器のコックピットであることを外界と自身とを遮断させながらも感じさせる。
起動していないコックピットの中は静寂に包まれ、周りの環境が与えるはずの情報などでは崩れることの無い絶対的な一種の領域を形成していた。
―――心地よかった。外の環境が持つ、鉄錆びの鼻の中を反射しながら進む鋭い匂いや、焦りと怒りを含んだ音としての情報、自分の行いを辿らせる装甲や地面などの様々な触覚などというものは今現在の自分にとって到底耐えうるものではなかったから。
しかし、これらの領域も外界の実効的な変化の前では実に無力であった。コックピットの装甲を蹴るようにコンコンと音を立てながら登る音がする。その軽快な音の主がおそらくコックピットハッチの前で足を止め、短い残響のあとに崩れかけた領域を再生しようとするかのようにコックピットは一瞬の静寂を取り戻す。少しの間をおいて、眩しく色味を孕んだ光がコックピットハッチが発する鈍く重い唸り声を伴って視界を蝕む。
「起動していないコックピットの中に籠るなって何回言ったら分かるんだ」
よく知っている声の情報も加わる。そして次に耳を覆うようにして私を襲ってくるのは荒く震える整備車両らしきもののエンジン音と、たしかな質量を持った金属同士の衝突音である。
全てだ。音の分別だけでなく、私の聴覚を刺激するタイミング、順番などにいたる全てが聞き慣れた情報であるはずだが、この波のように私を貫くものたちが一斉にかかってくる感覚には慣れる気配がない。この波が私に"2075年"を思い出させるからかもしれない。そう思わなければ自分を保てないほどに、そう思わなければ、今この瞬間から私が形であることをやめて融解し、波に攫われてしまうほどに。
そんな刹那の襲撃を中途半端に受け流し、苦しい顔を隠すようにして身を屈め、領域の中で私を支えていたシートから背中を引き剥がす。コックピットの上に設置されたハッチから侵入してくる重い空気をかき分け、上半身を外に露出させる。コックピットの中ではあまり感じられなかった嗅覚を刺激する情報たちも段階的に私の脳に届けられる。
燃料の有害らしい雰囲気を持つ匂いや、倉庫の中に留まるホコリを含んだ重い空気の粒子の匂いが私の内臓を揺らす。私は自身の心にズカズカと押し入ってくる無礼な匂いたちを胃の中に飲み込み殺すように、深呼吸を挟んだ。自らの身体をフィルターにしてほんの少しの物理的な汚れを蓄積させながら吐いた息に含まれるのは、私の体の中で不要と判断された二酸化炭素や匂いの記憶の数々であるのは当然のことである。同時に私はこれらの浄化作業を通さなければ保つことのできない自分の身体と心を恨まずにはいられなかった。
私の世界であったコックピットを整備士に譲り、予め用意されていた梯子を使って自然と人口の熱を持ち合わせたコンクリートに1歩を確かめるように慎重に接地する。隔絶されていた私と世界との接続を実感し、地面は私に少々の安堵感を与えた。
そうしてコックピットは大地という存在の不変さと切り離されながらも、やはりその狭く自分以外の要素を受け入れない閉鎖的な空間は、私にとってもう1つの安全な世界を形成しうる唯一の存在であると実感するのである。
少し歩いた後に自分が先刻までいた場所を振り返れば、その兵器の全貌が顕わになる。その人型兵器はコート(C.O.A.T─Compact Omni frame Armored Tactical unitの略)と定義され近代兵器の設計思想の変遷に大きく貢献した、実に無機質な人型兵器である。全高はおよそ6メートル程度であろうか。腹部の球状コックピットはコートの小さい全高に対して1/4弱程の大きさを占め、数々の改修を得て洗練されたボディーに小太りに似た物理的な不格好さが残る。
観察を繰り返し次に目を引くのが、その背中に背負う角に丸みを帯びたコンテナである。その異様な大きさは軍人のバックパックか、もしくはハイキングに用いるリュックサックを連想させ、一介の兵器というよりも巨大な兵士といったような印象を見る者に抱かせる。しかし実際にはこのコンテナ自体には給弾用や燃料タンクなどのバックパックとしての役割はなく、れっきとした一種の武装として搭載されている。コンテナ内部にはDRF(Decoy Reflection Field)システムが搭載され、敵のレーダー波を屈折・反射させることでレーダー上に仮想の機体を写し出し、現実の機体数との齟齬を発生させる。このシステムの登場と共に、戦場はレーダーによる超長距離戦闘から実機の数を把握するための有視界戦闘への転換を強いられるほどに、DRFもまた近代戦術を大きく変化させる一要素であった。
兎にも角にも、自らの領域を絶たれてしまった私は、しばらくそこから動くことができなかった。それは決して整備の完了や他人の指示による束縛などではない。現在の環境に対抗することに集中している私にどこかへ出向いて良い空気でも吸ってこいと言う方が酷な話であろう。他人にとっての気分を落ち着ける場所というのは(少なくともこの基地内では)私にはまた違う種類の、私を脅かす新しい情報を持った一種の訓練場のような場所であるから。
そんなことをコートを自らの前に据えながら考え、やはり思うのである。結局いつも、何度考えてもこうなってしまうのだ。
―――この私の身体を、心を殺そうとする世界の中で、コックピットが唯一私が存在することを了解する領域になり得るのだ。私は兵器という心を蝕む存在を嫌悪しながらもコックピットに依存しなければ生きていけないという矛盾を抱え、さらには自らが自らを一兵器としてその存在を決定し、生涯を終えるであろうことに深く絶望するのだ。
一見無関係に見える出来事がやがて収束し、1つの事象を起こすように、この解らしきものに近づいていくのを感じる。
―――単純な話である。結局私は人として、1つの生命として存在するために、恐怖を感じる対象と安らぎを得る対象の両方を位置づけなければいけなかったのだろう。それはなんでもよかったのかもしれない。形成される過程も自由であったのかもしれない。ただ世界中の一例として、私の場合は兵器とコックピットがそうであったのだ。そうなってしまったのだ。
私は兵器に対して異常なほどに恐怖し、同時にコックピットには、また異常なほどの安心感を覚えるのだ。もしかしたら、それは決して矛盾というものではないのかもしれない。一種の因果関係として、十分に成立しうるのかもしれない。しかしそんな考察はどこまで深くとも、所詮不確かな妄言に過ぎない。
その中で確かなことがあるとすれば、やはり私はコックピットに安堵を提供してほしいのだ。人間として存在するために、人間であることを捨てて依存しているのだ。兵士という自らの身分でつくった綱で私は逃げるはずのないコックピットを束縛しているのだろう。
そんな関係なのだろう。私とコックピットとは。