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恐怖に打ち勝てずに何が会社員か


 着の身着のまま2人連れたって駅へと向かい、列車(9両編成で後ろ6車両は日光を入れないために窓がない。2人は最後尾の車両に乗り込んだ)に揺られること半刻、吸血鬼は時折うつらうつらとすることはあるが列車が揺れるたびに目をぱちりと開けてしまっている。熟睡できないのだろうと少し浅田は申し訳なさを感じていた。


「すみません。気を使わせてしまって」

「何がです?」

「乗車券を買うときに普通券でいいって仰ってくれたじゃないですか。普段はグリーン車に乗っているでしょうし、座席に不自由させてしまっているかな、と」


 大企業勤めのダンジョン探索員は管理職と同等の給料と福利厚生が受けられる。交通費もグリーン席やビジネスクラスなどへのグレードアップの値段込みで支給される所が多い。事実アージもその例外ではなかった。


「問題ありませんよ。窓のない車両に付き合ってもらってこっちがお礼を言いたいぐらいです。それに普段は通勤に列車なんか使ってませんし、そもそも高い席苦手なんですよ」

「ほう。そのこころは?」


 〝通勤に列車を使っていない〟という部分にも引っかかりを感じていたが、とりあえず後回しにした。浅田のこの判断は正解だったと言えよう。聞いた暁にはおそらく電車内で本気の説教が始まっていた。


「実は私って閉所恐怖症なんです」

「え?」


 別業界の話になるが、吸血鬼に一番売れている家具は棺桶である。寝具としてはもちろん職場に休憩所のように持ち込んだり、日差しが強い日なんかは移動時にキャスターをつけて引きずってもらったりすることもある。吸血鬼の憩いの場であり、本能的に安心できる場のはずなのだ。


「狭いところが苦手なので、個室然としたところよりもこういう開けた場所のほうがリラックスできるんです…吸血鬼なのに狭いところ嫌いってやっぱりおかしいですかね?」

「いや、そんなことは。でも黒沢さんって頻繁に洞窟とか入らなきゃいけないですよね。あれは大丈夫なんですか?」

「仕事なので大丈夫です」


 その理屈は通るのか?浅田は訝しんだ。


「もしかして最近残業してるのってダンジョンが狭い所だからじゃないですか?絶対パフォーマンス落ちてますよね?」

「なんなら最近ちょっと鎌のさきっちょとかも見るのが怖くなってきたりしてます」

「え?先端恐怖症も?異動願い案件じゃないですか」


 なぜよりにもよって狭いところで剣先を突き合わせる仕事をやっているのか。


「まあ、腕っぷしを買われて入れてもらったわけですから転属希望なんて出したらクビにされちゃうかもしれませんし」

「なりませんよ。うちの会社は身内には甘いですから」


 寧ろ恐怖症の原因が当社にあるとして労災認定を自分で出しかねない。アージはそういう会社だ。


「じゃあせめてセカンドキャリアとか考えたらどうですか?一生を洞窟の中で終えるのはコウモリ以下の人生ですよ?」

「辛辣ですね…まあのんびり考えていきます。まだまだ二百年は現役やるつもりですから」


 一瞬世界が止まってしまったのではないかと錯覚するほどの静寂が、車両の中を支配した。


「…へぇ」


 ここで黒沢は自身の失言に気付いた。今の発言は現代社会における暗黙の了解である〝異種族間での寿命マウントすんな〟に十分抵触する。日本でも普通に殺し合いに発展するタブー中のタブーである。


 勿論普段ならパーフェクトコンプラ吸血鬼がそんな失言をするわけないのだが、疲労がピークに達していたためポロッとこぼれてしまった。周りの乗客からの冷たい視線もただ受け流す他なく、突然静かで心地よかった車内の空気が息苦しく感じ始める。


 浅田が黙ってしまったのも空気を重くするのに拍車をかけていた。すぐに軽口でも言って流そうと思ったのだが何か言おうとすればするほど口は重くなり、心は沈んでしまう。


 他種族と交友する上で結局避けられない問題でありながら、当事者たちは目を背けることしかできないその問題を突然浴びせられたことで(悪気がなかったことはもちろん分かっているが)彼女は自分でも驚くぐらい落ち込んでしまっていた。


 二人は現状を打開するために別の話題(EXIT)を必死に探していた。自分の中にないのなら外に手を伸ばすしかないと神経をとがらせていた。だから、()()()()に気づいたのもほぼ2人同時だった。


「っ!?黒沢さん!これって…んぐっ」

「はい。ちゃんと口閉じといてください。すぐ脱出しましょう」


 なるほど車内が静かなわけだ。周囲から感じる冷たい目線は、いつの間にか失言をした吸血鬼ではなく、こっそり眦に涙まで溜めていた人間でもなく、というかそもそも特定の何かではなく、それぞれ何も無い虚空を眺めていた。


 この車両の中で、2人を除いた乗客達は人間も吸血鬼も分け隔てなく、目を開けたまま意識を失っている。


 この世界には、戦闘に携わったことがない人間でも必ず香りと味を覚えさせられる毒物が存在する。それは吸血鬼にとって最も慣れ親しんだ武器であり、人間にとって一時恐怖の象徴だったものであり、それは腹をすかせた吸血鬼が狩りをするために撒く催眠ガスである。


 黒沢はすぐに浅田を小脇に抱えて隣の車両へ飛び込んだ。しかし隣も、その隣も、たどり着いた最後尾の車両にまで満遍なくガスが回っている。唯一分かることは、ガスの濃度が先頭車両に近づくにつれて高くなっているということだけだ。考えてみればもう次の停車駅はとっくに通り過ぎている時間だ。十中八九運転手も眠らされていると見るのが妥当だろう。


 黒沢1人ならこの状況からでも逃げることは容易い。しかし考えつく脱出方法はいずれもか弱い人間を抱えて行うにはリスキーなものだ。


 今此処では元凶を叩くことが最善なのは少し考えれば分かることだが、ガスは黒沢でも思わず足がすくむ量だった。吸血鬼が特有の器官を使って吐き出すそのガスは、空気より重く、どこか甘い香りがする。耐性があるはずの吸血鬼(同族)でさえ眠らせるこの濃度と量は相手が格上である可能性の高さを物語っている。


 しかし彼の腹はとっくに決まっていた。


 

 




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