吸血鬼、週の残業時間が50時間を超える。
辛くなったらちゃんと病院に行きましょう
霊長類からゆっくりと人類が分岐し、それまで惑星を我が物顔で跋扈していた魔物達をねじ伏せ始めた頃、どこからか現れた人類そっくりの似形をした吸血鬼たちは彼らに紛れ、時には血を吸わせてもらって協力し、時には血を無理やり吸い尽くして対立し、少しずつ数を増やしていった。
西暦1400年頃、密かに勢力を拡大していた吸血鬼たちは個のスペックが人間と大きく違うことからなる優越感を隠そうとしなくなり、ついに〝人類調子乗んな党〟が結成され、数の不利をものともせず、破竹の勢いで人類の家畜化に乗り出した…
…が、その吸血鬼たちはその不死性にも関わらず一人残らず駆逐されてしまった。同族の、たった一体の吸血鬼によって。
彼女は自身の名を語らず、ただその強さのみにより政敵を皆殺しにした後、白々しく新しい政党を結成した。〝人類かわいい大好き党〟。知らん顔をしていた吸血鬼も彼女に片っ端からボコボコにされて強制加入していった。
そして政党内でラグビーのリーグ戦がプレイできるようになった頃(人間は通信魔法で観戦した)、彼女は忽然と姿を消した。
残された吸血鬼たちは彼女のマニフェストを踏襲し、人類との共存を目指して様々な取り組みを行っていった。
そして時は現代、西暦2000年。吸血鬼の協力により世界はすっかり魔物が湧く土地と湧かない土地にゾーニングされ、食料生産の安定化を始めとして科学技術、魔法戦闘術も発展した。
唯一の問題は吸血鬼の数とともに必要となる血液が年々増えていくことへの対策がまるで無かったこと。世界は現在、吸血鬼のための量産可能な美味しい血液の開発を急いでいた。
さて、前置きが長くなったが、その血液産業において魔物の品種改良にアプローチして世界を大きくリードしているのが、日本の大企業“衝動が基”だ。
今年社会人五年目にして競合他社からヘッドハンティングされてきた吸血鬼“黒沢血郎”も社員の一人。今年から血液事業開発部直轄のダンジョン探索員として働いている。
彼は今日も今日とて時間を忘れてダンジョンへと潜り、実験に必要な材料を指定された量にマージンをとって本社へと送れるように魔物を狩りまくっていた。
まだまだ必要分には届いていないがこれ以上残業すると上司に怒られてしまうため、魔物の死体と自身の得物である大鎌を収納魔法に収め、一人洞窟をあとにする。
そうして納品に訪れた事業所にて、彼は同じく残業している事務員からいつも通りお小言を言われる予定になっていた。ここ三カ月くらいはずっとそんなルーティーンが出来上がっていたためだ。今日もいつも通りの展開になるだろうと確信し、closedと立てかけてある扉を何のためらいもなくノックする。
「こんばんわ。黒沢です」
「…どうぞ」
吸血鬼は許可を貰わなければ室内に入れない。扉を開けると広々とした空間に一人ぽつんと人間の女性がカウンターの一つにもたれかかっている。名札には“浅田ともよ”とある。いい香りがする若い人間だ。
「あれ?今日も浅田さんなんですか?もう7日連続夜勤してません?」
「まあ、パートでも残業代出るので…」
「人間は夜寝ないと肌荒れちゃうでしょ。無理は禁物ですよ」
「…じゃあ聞きますけど、吸血鬼は金曜日の朝9時から土曜日の朝4時まで働いても疲れないんですか?脳の構造は大して人間と変わらないはずなのに?」
実際は黒沢は60時間寝ていない。魔力信号発信機を切っている間もパワポで報告書を作っているためだが、この事を彼女に伝えると本格的な説教が始まってしまうため言わない。
「なんかさも当たり前のように流そうとしてますね?今日という今日は逃しません。というか、見逃せないところまでついに来てしまいました」
彼女はここではじめて黒沢に顔を向けた。吸血鬼の角膜は赤く、人間の角膜はだいたい黒い。黒沢は浅田の茶色がかった黒目を気に入っていた。
「見逃せないところ?甘いですね。金曜日の18時00分の段階で既に魔力信号発信機を切っていました。今週の残業時間も規定以内に収まっているはずで…」
「52時間です」
「…なんですって?」
汗を滅多にかかない吸血鬼の背中にひやりとしたものが流れる。さすがに疲れた頭をフル回転して彼女の言葉の真意を探ろうとする。このままでは、まずい
「49時間と、そう思っていたんでしょう?労働基準法で吸血鬼の週の残業時間は50時間までと定められていますからね。これもこれで馬鹿げた数字ですけどね」
そう言いながら、彼女はガクガクと震えだした黒沢にとある情報が入った映像魔法を近くの壁に照射する。
そこには要約すると、上司との飲み会や昼食の時間も業務時間にカウントするという内容が書かれていた。
「ば、馬鹿な!飲み会!?会社の交際費で飲み食いしたことが…残業!?」
「最近コンプラが厳しいので」
「人間の上司も吸血鬼の上司も皆無礼講で好き放題飲ませてくれるんですよ!?」
「最近コンプラが厳しいので」
「そんな…」
ただでさえ青白い吸血鬼の顔色から生気がなくなっていく。それをうっすらと隈のできた目で冷ややかに見つめる人間。浅田は普通に残業は嫌いだ。だが、今日この日のために夜勤をしまくっていたと言ってもいい。有給はかなり溜まっている。浅田は足元から崩れ落ちたこの友人のことを心の底から心配していた。
「黒沢さん、あなたの上司に変わって宣告します」
「やめて…やめて…」
「3月1日午前5時00分現在から一カ月、つまり3月まるまる…」
「あ、あ、あ、」
今年度の有給強制消化です。
こっちの世界の地球の2000年2月29日は火曜日だったんですが、異世界なのでヨシ!