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彼女と食事をする機会に恵まれて、有頂天になっているからと言って、彼女と日常的に合えないわけではない。むしろオレは朋ちゃんとすごく近い場所で暮らしていた。オレの部屋がアパートの307号室でで、朋ちゃんの部屋が303号室なほどには。だからとても慎重にならざるを得なかった。振ったり振られたりでどちらかがここに住めなくなるなんてことは避けたい――けどオレはそんな最悪を想定していなかった。彼女を傷つけるようなことをすれば、大人が飛んできて、オレを彼女から引き離すだろう――そして多分オレの住処さえ奪うだろう、というようなことは全く考えもしていなかった。
告白、というのが、オレは苦手だ。朋ちゃんとは一緒にいて嬉しくなるし、楽しい。だからその内、お互いの気が何となく通じ合ったら、それでいいんじゃないか。これはちょっと友達に対する価値観と似ているなあなんて思ったり。友達のことを友達って、普通さ、言わないだろう? ところが、恋人同士になるためにはそれを言う。きっと正しさとかオレの思ってる以前に、これはなんていうかしきたりみたいな何かだろうと思う。それから夕食に、302号室の古田さんの家で鍋をやることになっていた。具はなぜか、カレーだった。朋ちゃんは先に来ていて古田さんと鍋をつついていた。古田さんは七十代ぐらいのおばあさんで、趣味で和歌を作っている。朋ちゃんと古田さんはその関係で知り合い、オレと朋ちゃんは単に仕事の同僚だった。
先にコタツについていた朋ちゃんは、こちらを見ると、「この間はごめんね」と言った。
「ん?」
「ほら。あの」
「あああれは。じゃあまた今度でいい?」
古田さんが席を立っているのを見、すかさず言った。
「土曜は」
「用事が」
「じゃあ日曜!」
「そんな都合よくならないよ」
「いつだったら?」
「とりあえず鍋食べよ」
そう朋ちゃんが言ったところへ、古田さんが戻ってきた。
やっぱ、何もかも伝えなきゃ変わらないのかなあ。とはいえ、それに気づいたところで、今度は逆にいい言葉が思いつかなかった。今、何か言うか? 今告白? いや、確実に玉砕だろ。この空気じゃ。
「どうしたの?」
古田さんがそこへ口を挟む。「気分が悪いんだよ。そうでしょう? 帰った方がいいよ」
「朋ちゃんさ、オレ」
「食べましょうか」
「何か言った?」
「いや、ああ……、やっぱ気分が悪いや。オレ、部屋戻るよ」
「じゃあね‼」と、古田さん。このクソ婆。オレは思った。
「最近、雰囲気変わったね」
「そう思う?」
「あたしもそう思うよ‼」
「うん。良くなってきてるよ」
「そうかな」
「じゃあ。あたしはどう見える?」
「古田さんは以前と変わらず。最高です」
「やったね! あんたもあたしを見習って、及第点とると良いよ」古田さんは言う。朋ちゃんはオレと古田さんが会話する外側から、笑顔を作ってそれを眺めていた。朋ちゃんは賢いなあ。オレは思ったよ。賢くって、よく考えてものを言ってる。だからオレとは違うんだって。がむしゃらになってないんだって。要するに、なんだか冷めたところのある子だとオレは思った訳。そんなのは許せなかった。はた迷惑かもしれないが、朋ちゃんのその部分だけは叩き崩してやろう、そうオレは思った。
―――――
307号室には戻らず、少しの間、部屋の片隅で酒をちびりちびりやっていたが、大の男の酔客が同じ部屋にいて、女の子がいい気分をするはずがないはずだということに気づきはやばやとそこを立ち去った。去ってから、何とも言えない気分になった。もっとあの場余で酔いつぶれてしまった方がよかったんじゃないかとか、救急車で運ばれる自分を想像してみたりしながら、風呂に入り、歯を磨いた……爪痕を残せない3のロクデナシより、爪痕を残せる10のロクデナシの方がいいに決まってる。そういう理論だ。