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明日、食事に行ける。その事ばかりを考えて、オレは運送トラックの助手席に座り、本を開いていた。右手の上で開きっぱなしになっている、カバーで偽装されたライトノベルは開いたままで、一行だって読むことが出来ず、心は外の景色にばかり向く。雲がたなびくのを見て、ほんわかと心地よいような気分になり、それは彼女と明日、食事に行けるからだということに気づいた。オレは嬉しい。
運転席の西田さんはオレに運転代われと言わなかった。浮ついた人間にハンドルを握らせて事故っても嫌だと思ったのかもしれない。遠くには大楠山、三浦富士、砲台山。少しずつ空は斜陽し始めいるが、まだ青いものが残っていた。視界の端には、藍色に変じている空が見えた。
三浦海岸駅を少し上に登ったところの畑地帯を、海側向けて車は走っていた。あの辺りの裏道にクロネコヤマトがあり、これからそこで荷物を積む作業が待っている。作業は八時ころまでかかるだろう。だだっ広い畑には、今は何も植えらておらず、十二月ごろのキャベツをふと懐かしく思った。もう少しするとここでもスイカなど植えるだろう。が、今はまだ休閑地だ。
ラジオから、DJが喋る声が聞こえてくる。DJはずいぶんはきはきして嬉しそうだった。思いがけなく、上手くやれよネッ、という発言が飛び込んできて耳を疑ったが、気づくとそのシーンは過ぎていて、別の場面。別のトークに切り替わっていた。
歌が流れる。大塚愛。さくらんぼ。
愛し合う――オレが曲に聴き入ろうとしたその時、西田さんがラジオのチャンネルを変えた。何局かザッピングして、交通情報に西田さんは選局を合わせた。西田さんのこういうところ、オレはあまり好きじゃない。きっと悪気はないんだろう。ただ交通情報を聞きたいだけなんだろう。それにしてはまるでこちらの手を読んでいるようだ。オレは時々思うんだが、この世はオレなんかには理解できない仕組みで動いていて、その仕組みに通じていないのは実はオレだけでさ。そしてオレの身の回りには、味方と敵になる人の二種類がいて、そのどちらもがその仕組みをうまく利用して、オレを動かそうとしているわけだ……。こんなふうにラジオをザッピングして交通情報にチャンネルを合わせることで。
それはわりとオレの中にあって、身近な考えだった。それからオレは、明日になれば食事に行けるということに考えを戻す。だからだれに何をされようとぜんぜんいいのだ。オレは勝っているし、明日は、朋ちゃんが待っているのだから。
するとその時、交通情報が僕の耳に入った。
明日は雨になる模様。
とのこと。
―――――
運送トラックが目的の集積所に着くころになり、オレは開いていたラノベを閉じて席についているラックに収納した。車は空で、あとは降りて、仕分けと確認をして、着替えて帰るだけだった。辺りは暗く、くろぐろした光を飲み込むような海が集積所と道路を挟んで対峙している。
トラックはすでに三台帰ってきていた。それから着替えると、西田さんが今日は酒をおごってくれるという。どうして今日、オレは思った。明日用事のある日に限ってこの人はこんなことを言い出すんだろうか。都合の悪いことを、タイミングの悪い時に言う才能に恵まれた人間は一定数いて、西田さんもその手合いの人種ではないか、そんな風な気がオレにはしていた。けど、それは正直当たっていないかもしれない。今日の感覚ではそう思えけど、意外に西田さんは、役に立つことも言えるひとだからだ。
「駅前の韓国の居酒屋だけど、どうする?」
「明日は用事があって……」そう断ると、
「そうか」と西田さんは言い、その話は流れた。帰宅途中、駅前の明かりの少ない山沿いの道を歩きながら、ふと、あの誘いには別に乗ってもよかったんじゃなかったかという気がしてきた。明日のことで相談もできるし、西田さんならウザがらみもしてこなさそうだ。酒癖が良いのか悪いのかは知らないが、悪いという話を聞いたことがない。それでも、とオレは思う。今日の一杯のマッコリより、明日、ロイヤルホストで飲むミルクコーヒーの方が何倍も、そう――何倍も何倍も――価値がある筈なのだ。そのことに、異論はない。
お金ってやつはさ、こうして使うべきなんだって今では思う。今ではきちんとそう思えるようぐらいにはなったさ。そうなんだ――お金はさ。