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6.ベル=エスター

 灰色の羽の少女が、白い華奢な椅子を運んできてくれた。

 サリオンとサトリは寝台の頭のほうに椅子を置いたが、アンリは、寝顔がよく見える足元に腰を下ろした。ルクレチアが、当然のような顔でその膝で丸くなる。なかば無意識にその短い毛を撫でると、煉瓦色がわずかに明るくなった。


「──ここしばらくは、王様ごっこに熱中していたんです、ヴァニーは。たぶん、エルデンから来る王様だの王女様だのに、興味を持ったんでしょう」


 サトリの声は穏やかで、優しげな口調が少しだけ、死んだ母を思い出させた。クララの母とは反りが合わなかったらしいが、アンリたち兄弟にはとても優しかった。


「それで、どうして真珠なんです?」

「冠を欲しがったんだそうです。夢の世界では何でもヴァニーの思い通りになりますけれど、所詮は夢──実体のないまやかしでしょう? それで、クレア=ムーシュにきれいな冠をねだって……姫もほかの姫から珍しい石だの珠だのをもらって、色々作っては与えていたんです」

「相変わらず、ヴァニーには甘いんですね」


 象牙色のサトリは、少しだけ微笑った。


「我が儘に遊ぶことが、夢の支配者ヴァニーの役目ですもの。機嫌良く遊んでもらわなくては、眠ったときに悪夢ばかり見せられてしまいますわ」


 何を話しているのかよく分からないので、仕方なく、アンリはルクレチアの毛並みを熱心に整えていた。短い毛は炎のようで、艶やかに柔らかい。


「では真珠を手に入れて、それで冠を作って持って行ったんですか?」

「いいえ」


 サトリの白い頬から笑みが消える。


「真珠は、ヴァニーがぜひにとねだったものだったんです。ですから、意匠もヴァニーの気に入るよう相談してから決めると──ご自分の管轄する夢の世界ですから、危険なことがあるなんて思いもしませんし……二、三日の不在もいつものことで、最初は誰もおかしいと気づかなくて……こんな……」


 サリオンは長い指を頬に当てて、考えこむ様子でクレア=ムーシュを見つめていた。


「──では、その真珠は、まだこちらにあるんですね?」

「ええ、もちろん──お待ちを……」


 サトリは足早に通路へと消えた。

 サリオンは枕元で考え込んだまま動かなかったが、ふいに顔を上げるとアンリを見た。


「なんとかヴァニーを呼び出すことができれば、二人の消息か、少なくとも手掛かりがつかめると思いますよ」

「でも、どうやって……?」


 何しろ二人が何を話していたのか、アンリにはさっぱり分からない。

 サリオンは少しだけ表情を和らげた。


「ヴァニーは我が儘な子供で──だからこそ夢の世界を支配できるのですが──およそクレア=ムーシュの言うこと以外、聞こうともしません。ですが、何かが欲しいと思ったら、それを我慢することもできない子供なんです」


 ふいにサリオンの瞳が逸らされて、視線を追って振り向くと、サトリが戻ってきていた。骨を細工したような、透かし彫りのある白い箱を手にしている。


「これですわ」


 サトリは、アンリにもよく見えるように箱の蓋を開けてくれた。


「これ、真珠……?」


 思わず言ってしまった。ひと目見てすぐに、それが真珠だと判ったのに。


 フォーロットでは、王女の冠は真珠で飾られる。華やかなドレスは好まないクララも、その美しい冠は気に入っているらしく、少し改まった席には必ず着けていた。王はクララの冠を作るために、はるか南の国まで人を遣って、大粒の真珠を集めさせたと聞いた。

 しかし今目の前にある真珠は、どれも比べものにならないほど大きくて、オリーブの実ほどもあるようだった。白い箱に紫色のビロードを詰めて、そこに五つ綺麗に並べてある。


「シィラ=ドリーにもらったものです」

「〈水〉の姫ですよ」


 サリオンはアンリのためにそう言い足して、サトリから真珠の箱を受け取った。


「サリオン──どうするの……?」


 サトリの淡い黄色の瞳には、不安の色が濃くあった。


「予定通り、これで冠を作ろうと思います。ヴァニーの見たこともないような美しいものを。ヴァニーが絶対に欲しがるようなものをね」

「ああ……では、糸を?」


 サリオンは少し首を傾げて考え込んだ。


「輝るものの方がいいでしょうね──エヴァ=ステラに頼んで、金か銀で細工を……」

「どうして虚ろの塔まで行く必要があるんです?」


 突然、ルクレチアが口を開いた。その声は、アンリがすっかり聞き慣れてしまった、少し小馬鹿にしたような口調だった。


「ヴァニーの一番欲しがっている銀が、今ここにあるじゃありませんか」

「ルクレチア──でも、そんな……」


 サトリは当惑しきった瞳を、煉瓦色のルクレチアと、次いでサリオンに向けた。サリオンは首を傾げたまま、ルクレチアの琥珀色の瞳を見返している。


「──そうですね。じゃあ、ベル=エスターに細工を頼みましょう」

「サリオン──本気?」


 サトリは信じられない様子で、両手を口元に当てた。座ったまま、その困惑した顔を見上げて、サリオンは穏やかに微笑んだ。


「なにも全部切る必要はないでしょうし」


 言って立ち上がる。促すようにルクレチアが膝から飛び下りたので、アンリも立ち上がった。


「サリオン、姫をどうか……」


 マントを肩に掛け直すサリオンを見上げるサトリの瞳は、今にも涙をこぼしそうだった。


「大丈夫ですよ──クレア=ムーシュの身が本当に危険なら、この塔も、あなたたち有羽族も、無事でいられるはずがないじゃありませんか」


 俯いたまま、サトリは答えなかった。ただサリオンがその象牙色の髪にそっと触れると、黙ったまま、灰色の胸元に顔を埋めた。翼に包まれた肩が震えている。

 なす術なく立ち尽くしていたアンリは、キャンベルローズに背中を押されてようやく部屋を出た。




 象牙色のサトリは、外には出てこなかった。

 塔の周りでは、様々な鳥や翼を持つ者たちが、固唾を飲んでサリオンを見つめていたが、サリオンは一瞥しただけで螺旋階段を駆け下りた。


「詳しいことはサトリに」


 階段の上で見送る灰色の翼の少女にだけそう告げて、キャンベルローズに飛び乗る。ルクレチアはアンリより先に、メイアッシュの鞍に乗っていた。


 二頭はあっという間に鳥や人の輪を駆け抜け、アンリは少しほっとした。黙ったまま見送るかれらの目はどれも悲痛そうで、アンリには見つめていることができなかった。


「眉間に皺を寄せるのはおよしなさい。今に、そういう顔になってしまいますよ」


 言われてようやく、アンリは自分がひどく険しい表情(かお)をしていたことに気がついた。


「どうして、こんな面倒なことをするの? そのヴァニーって子に、ちょっと来てって頼むわけにはいかないの? それとも、こっちから行くとか……」


 誰もがクララよりもクレア=ムーシュの身を案じていることが、アンリにはもどかしかった。たとえクレア=ムーシュが、どれほど重要な存在であろうとも。


「夢の世界に行くことは、そりゃあ簡単ですよ。夢の入り口は『無意識』ですからね──つまり、眠ればいいんです」


 意外なことに、ルクレチアの声は馬鹿にするでもなく真面目そうだった。


「でも夢はヴァニーが支配していますから、『無意識』を入口にして行ってしまうと、ヴァニーの支配を受けてしまって、自由には動けないんです──夢の中では、体はなかなか思うように動かないでしょう?」

「うん……」

「でも、意識のはっきりしたままで夢の世界へ行くことは、たとえ柱の姫でもできません──ヴァニーの許しがなければね。それで、ヴァニーですけど、何度も言うように我が儘で気まぐれなんです。一番困ることは、大好きなクレア=ムーシュ以外の言うことは、ほとんど一切聞かないってことです。夢の世界からヴァニーを呼び出すことは、クレア=ムーシュ以外にはできないんです」

「じゃあ……冠なんか作ったって、何にもならないじゃない」


 その声は小さく、まるで拗ねた子供のようだと、アンリは自分でも思った。


「冠を作るだけなら、そりゃあね──サリオンに任せておおきなさいな。できないことをできると言ったりはしませんよ」


 言って、ルクレチアはアンリを見上げた。その琥珀色の目は少し細められて、どこか気遣わしげに見えた。


「何しに来たんだか、分からなくなってきたよ……」


 思わず泣き言が口から洩れた。


「今さら何です。サリオンを脅してまでついて来たがったくせに──サリオンがいいと言ったんだから、ついて行けばいいんですよ。死神を見習って、も少しずうずうしくなったらどうです?」


 少しだけ澄ましたように、ルクレチアは顎を反らした。

 草原を駆けるサリオンの向こうに、茶色い山が鋭く聳えているのが見える。山の麓には濃い森が広がっているようで、一本、ひときわ高い木が見分けられた。


「死神……そういえば、イストに来てから静かだね」


 死神は、岩の門にたどり着く直前までしゃべっていたと思うのだが、〈(はざま)〉を抜けた衝撃で、アンリは今までその存在をすっかり忘れていた。


「また眠っているんでしょう」


 ひどく素っ気なくルクレチアが言う。アンリは少し考えて、眉を寄せた。


「死神って……死んでるんでしょう? 眠る(・・)って……?」


 するとルクレチアは、小さくため息をついた。


「そう──それがあたしたちにも理解(わか)らないんですよ。分かるのは、眠ってるときはしゃべらないってことだけでね。──ほら、〈地〉の姫ベル=エスターの宿り木の塔ですよ」


 濃い緑の森の中を走っていても、行く先に聳え立つ巨木の大きく枝を広げた姿はよく見えた。


「柱の姫は、みんな塔に住んでいるの? 五人?」

「そうですよ。羽の塔のクレア=ムーシュに、宿り木の塔のベル=エスター。鱗の塔のシィラ=ドリー。陽炎の塔の〈火〉の姫ミステラ=リリア。それに、虚ろの塔の〈土〉の姫エヴァ=ステラ──どの一人が倒れても大変ですよ」

「ふうん……」


 近づくにつれ、その木の太さと高さとに、アンリは改めて目を瞠った。

 周囲に続く森のどの木よりも、その木は丈高く聳え立っていた。大きく広げた枝にもうねり(・・・)のある幹にも様々な蔓や茎が絡み、枝の窪みには草や小さな木さえも根を下ろし、そこここで色とりどりの花を咲かせている。まるで見慣れた木のようで、でもアンリには、これが何という木なのか見当もつかなかった。


「サリオン!!」


 誰かが叫んだ。

 巨木の幹から根方まで埋めつくすように集まっていた動物たちが、いっせいに振り向く。ウサギやネズミが熊や狼と並んで座っているのを見てアンリは驚いたが、ここでは不思議と自然な光景にも見えた。


「サリオン、どうか力を……」


 二頭のためにいっせいに分かれた動物たちの間を駆け抜けると、鳶色の髪の老人が駆け寄ってきた。


「姫は上ですね?」


 キャンベルローズの背を滑り下りたサリオンは、止まろうともしなかった。地面を這う太い根を踏み越えて、草や蔓に覆われた幹を登り始める。

 ルクレチアがぴょんと跳んで先に行ってしまったので、アンリもあとに続いて登り始めたが、キャンベルローズとメイアッシュは根方に留まった。


 太い幹に走るうねり(・・・)や張り出した枝が足場となって、登るのは案外とたやすかった。艶やかな葉をつけた枝に囲まれると途端に周囲は薄暗くなり、少し湿った空気が心地良い。見上げると、陽を透かした枝葉の間で、何かがきらめいていた。

 登るにつれて頭上を覆う枝葉が減って周囲は再び明るくなり、梢の近く、張り出した枝をくぐるとそこに、陽を浴びて輝く金色の宿り木があった。

 梢近くでもまだ太い枝に根を下ろす、その金の枝は細かく絡み合って、美しい球状を形作っている。それは大きな鳥の巣のようで、その丸く開いた入り口に、若草色のガウンをまとった緑の髪の少女が立っていた。


「ベル──」

「ああ、サリオン! 我が宿り木の賓客よ!」


 サリオンの言葉を遮って、少女はその高い首に抱きついた。


「久しぶりですね」


 少し腰を屈めたサリオンは、苦笑して、陽に灼けた細い腕を首から外させた。


「必ず来てくれると信じていたわ」


 腕をほどきざま、小さな唇がサリオンの頬に軽く触れる。


「法螺貝を吹いたのはあなたですか?」


 ようやく腰を伸ばして、サリオンは言った。少女がにっこりと微笑う。


「もちろんよ。ほかならぬ、あなたを呼ぶための法螺貝ですもの。他の誰にも吹かせたりしないわ」

「吹く前に、私がイストに入ったことには気づいていたでしょう」

「まあ、もちろんよ、サリオン! どうして(わたくし)に分からないわけがあって?」


 そう言って、小柄なベル=エスターは声をたてて笑った。


「いいでしょう? あの音で、イスト中の者があなたが来ることを知ったわ。こうでもしないと、あなたはすぐに、こっそり去っていってしまおうとするんだもの──ところで、いつ紹介してくださるの? そちらの可愛らしいお連れを?」


 サリオンは、諦めたようにため息をついてから振り返った。身の丈よりはるかに長い緑の髪を背に垂らした美しい少女を、アンリはただ呆然と見つめていた。


「エルデンのアンリです。妹君を助けるために、私に同行しています」


 アンリは慌てて、片膝を付いて頭を下げた。


「珍しいことね、サリオンが同行を許すなんて」


 ふいに視界の端に陽に灼けた素足が現れて、驚いて顔を上げると、ベル=エスターが腰を屈めてアンリの顔を覗き込んでいた。大きな黒い瞳は濡れて、敏捷な草食の獣を思わせる。漂う甘い香りは、額を飾る花冠の、色とりどりの花々から降ってきているようだった。

 目を見開いたままアンリが動けずにいると、ふいにベル=エスターは微笑んだ。


「ようこそイストへ──そして、(わたくし)の宿り木の塔へ。私の名はベル=エスター、〈地〉の姫です。エルデンのアンリ、あなたを歓迎します」


 その背はアンリよりいくらか低いようで、一見するとさほど変わらない年頃のようだったが、その目で見つめられると自分がひどく小さな、幼い子供ででもあるかのように感じられて、アンリは戸惑った。


「ありがとうございます……」


 ようやく答えると、ベル=エスターは微笑を深くした。と、その目が大きく見開かれる。


「ルクレチア!」


 アンリが跪いたときにマントが広がって、琥珀色のルクレチアはその裾を避けてアンリの背後に下がっていた。今、尻尾をぴんと立てたルクレチアがアンリの脇をすり抜けて近づくと、ベル=エスターはそのしなやかな体を抱き上げて頬を寄せた。


「可愛い、正直なルクレチア──会いたかったわ」


 琥珀色の毛が、いっそう金色を帯びる。

 喉を鳴らすルクレチアを抱きしめたまま、ベル=エスターはサリオンを振り返った。若草色の薄い透けそうなガウンが翻って、アンリの鼻先をかすめる。


「羽の塔には、もう行ったのでしょう?」


 その口調は穏やかだが真剣で、見返すサリオンの瞳からも表情が消えていた。


「それでお願いが」

「そうでしょうね。中で話しを──あなたも一緒にね」


 急に振り返った黒い瞳に見つめられて、慌ててアンリは立ち上がった。


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