17.サリオン
一緒にフォーロットまで来て欲しいと訴えると、サリオンはかなり──あからさまに──嫌そうな顔をした。
「だって、クララを助けるためにできるだけのことをするって、父上と約束したんでしょう? だったら、クララが本当に無事に戻ったことを、サリオンはちゃんと確かめるべきだと思う」
これ見よがしに渋っているようにアンリには見えたが、それでも最後には、サリオンはアンリの主張を受け入れてくれた。
それから、ふとアンリの目を覗き込み──驚くほど優しく微笑った。
「ありがとう、アンリ」
それはあまりに思いがけなくて、アンリは一瞬、何とも応えることができなかった。そのままふいと踵を返してしまった灰色の後ろ姿を、たた呆然と見送る。
「トーリのリングレットは、サリオンの親友だったんですよ」
静かな声に驚いて見下ろすと、煉瓦色のルクレチアが足下にいた。
「もう、何百年も昔のことですけどね」
「じゃあ、どうしてサリオンは──だって、あんなに戦って……庇おうともしなかったし……」
琥珀色の瞳が閃いて見上げる。
「親友だったからですよ」
「でも僕……」
リングレットの涙で濡れた笑みを思い返してみても、アンリはあまり晴れやかな気分にはなれなかった。
「……余計なことを、したんじゃないのかな。よく事情を知りもしなかったくせに……」
琥珀色の瞳が細められる。
「確かに、飛び出していったときには、気が違ったのかと思いましたけどね──言っときますけど、そんな子供の発言に惑わされるような方々じゃないんですよ、柱の姫たちは。そりゃ、姿は幼く見えるかもしれませんけどね」
それでもまだ表情の晴れないアンリに、ルクレチアは大きくため息をついた。
「あなたの言葉は、きっかけにすぎないんですよ。審判は姫たちが下したんです。そんなこといつまでも思い悩んでいるよりも、自分の心配をしたらどうなんです? リングレットのように姫たちが送ってくれるとしても、エルデンへ戻るには、〈間〉を通らなきゃならないんですよ?」
「え……」
その言葉に、アンリは少し青ざめた。
しかし銀と真珠の冠をかぶったヴァニーが、夢の中を通ってフォーロットまで送ると申し出くれたので、アンリは安堵した。
できることならもう二度と、あの空間は通りたくなかった。そしてその〈間〉を永遠にさまよう運命からリングレットを救ったことだけは、良いことだったのだと信じたかった。
出発にあたってサリオンは、柱の姫それぞれから、いささか大仰な別離の挨拶を受けなければならなかった。
「エルデンのクララに、お詫びの言葉を伝えてくださる?」
サリオンに、長く恨みがましい嘆きの言葉を送った後、クレア=ムーシュはそう言って、白い羽根の耳飾りを二つ、アンリの手のひらに乗せた。
「一つはあなたのよ、小さな案内人殿」
頬に唇づけて、クレア=ムーシュは笑った。
「火竜に代わってお礼を言うわ、エルデンのアンリ。あなたの名は英雄として語り継がれることでしょう──火竜たちの間でね」
悪戯っぽく笑って、ミステラ=リリアはアンリの頬に唇づけた。むき出しの腕に絡みついた小さな火竜は首を傾げて、鉄色の瞳でじっとアンリを見つめていた。
「トーリのルクレチア!」
唇を離すとすぐに、ミステラ=リリアは足下にいたルクレチアを抱き上げた。
「すぐにサリオンを連れて帰ってくるのよ。いいこと?」
煉瓦色の耳元でそっと囁く。
「それが、あなたがあたしを愛してくださる理由ですか、姫様?」
「まあ、憎らしい子ね」
笑って小さな額に唇を押し当て、炎の姫は煉瓦色のルクレチアを地面に下ろした。
「リングレットも言ってたね、トーリのルクレチアって……」
翻って遠ざかるオレンジ色のガウンを見つめながらアンリが言うと、ルクレチアはメイアッシュの鞍に飛び乗った。
「そりゃ、あたしがトーリ火山の火口で産まれたからですよ。言いませんでしたか?」
「知らないよ」
アンリは少し口を尖らせたが、ルクレチアは気にも留めないふうで鞍の前端に座り込んだ。
「じゃ、言い忘れたんですね。たいしたことじゃないでしょう?」
ベル=エスターが跪くサリオンの額に唇づけて別れの儀式を締めくくり、ようやくサリオンは立ち上がることができた。
「──もういいかい?」
ヴァニーは明らかに面白がっているように笑っていた。サリオンは答えずに、キャンベルローズの背に飛び乗った。
少し離れた草の陰に、アンリはアーデルとユーンの姿を見つけた。小人たちは恐る恐るヴァニーとサリオンを見上げたまま、結局出てくることができなかった。
夢の世界にはもう白い城はなく、代わりに一面草原が広がってその向こうに森が見える様子は、イストの風景を思い出させた。
「あら。ようやくそれで満足するようになりましたか」
炎のように揺らめくルクレチアの声に驚いて見ると、アンリは見慣れた青い服に、慣れた藍色のマントをつけていた。メイアッシュの鞍も使い古したもので、冠も毛皮も王笏も、どこにも現れてはいない。その見慣れた自分の姿が、なぜだかアンリはたまらなく嬉しかった。
すぐ前を歩くサリオンの解いて眩しい銀の髪の上で、ガラスの鈴が瞬いて転がっている。出立前に何度か、サリオンは髪をひとつに編もうとしたが、そのたび姫たちの抗議に遭って叶わなかった。
キャンベルローズの背には純白の翼が生えて、心なしか足取りも軽やかだ。また眠っているのか、死神の姿はどこにもなかった。
ふと、小さな衝動に駆られて、アンリは手を伸ばしてガラスの鈴に触れた。ルクレチアが驚いたように目を見開く。
「何です?」
振り向いたサリオンの瞳も、少し意外そうだった。
アンリは慌てて鈴を離した。銀の髪を透かして輝きながら、やはりそれはわずかも音を立てなかった。
「ごめんなさい──あの、やっぱり鳴らないんだなって思って……だって、リングレットが触ったときは鳴ってたから……」
「ああ──これは、リングレットが作ったものですから」
「──だから普段は鳴らないの?」
サリオンは当然のような口調で言ったが、アンリはよく分からなくて眉を寄せた。
「始終鳴っていたら、うるさいでしょう?」
しごく当たり前のことのように言うので、アンリもそれ以上詮索するのはやめにした。
〈あらざる国〉イストでは、鈴が鳴ったり鳴らなかったりすることくらい、些細なことだ。それよりもっと奇妙なことも、アンリはもう不思議とも思わなくなっていたのだから。
「この向こうが、エルデンのフォーロットだよ」
いつの間にか現れた太い木の幹のあたりを、ヴァニーは指さした。
木の前で立ち止まったサリオンの表情を窺い見て、アンリは少し不安になった。
「サリオン、約束したよ……?」
振り向いたサリオンは、やはりあまり良い表情はしていなかった。ヴァニーが不思議そうに首を傾げる。
「約束は守るんでしょう? きっとクララも、サリオンに会いたいと思うし……」
サリオンが何とも答えようとしないので、アンリは慌てて続けた。
「それに話したけど、クララは絵がすごく上手なんだ。だからきっと──そうだ、もう描いてるかもしれないよ、サリオンのこと。少し見ただけで、すぐ何でも描いてしまえるんだから──僕のことは、一度もないんだけど……」
慌ててまくし立てるアンリを、サリオンは少し目を見開いて見つめていた。
「それは無理ですよ、アンリ」
ヴァニーまでがなぜか呆気にとられたようにアンリを見つめていて、うろたえて口をつぐむと、ふいにルクレチアが言った。
「誰も、サリオンの肖像なんて描かけやしません」
「でも、クララは……」
するとルクレチアは、目を閉じて小さくため息をついた。
「エルデンの住人は何も知らないのか、サリオン?」
キャンベルローズまでが、意外そうに言う。
ルクレチアは、つんと顎を反らしてアンリを見上げた。
「じゃあ、あなた、サリオンがどんな顔をしているか言ってごらんなさい──見ては駄目ですよ」
言われて、アンリは一瞬呆気にとられた。あの顔を、忘れられるはずがない。
「…………」
しかし唇を開きかけて、アンリは唖然とした。
──分からない。
「……目は──石みたいで……髪が銀色で、それで──とても綺麗なんだ……」
「それはどうも」
素っ気ない声に慌てて振り返る。
解いたまま輝く銀の髪。硬質な石のような瞳は──
「──緑色、だよね……」
「これだけ誰もがサリオンの名を知っているのに、その姿は誰も知らないなんて、おかしいと思いませんでしたか?」
ルクレチアが呆れた声で言ったが、アンリはまだ、呆然とサリオンの姿を見つめていた。ヴァニーが喉の奥で笑う。
「サリオンが姫たちに我が儘を言ったのは、後にも先にも、あれ一回きりだよね。クレア=ムーシュは、今でもそれで笑ってるよ」
「我が儘なものですか──行く先々に手配書が回っている気分が、あなたに理解りますか?」
サリオンが不機嫌そうに低い声で言う。
「姫たちの手で、魔法が掛けられているんですよ、サリオンには。誰も──言葉だろうと絵だろうと音楽だろうと、語ることはできないっていうね」
まだ困惑しているアンリにルクレチアは言い、小さく笑った。
「あたしは常々思ってたんですけどね、サリオン。あなたが、さんざ文句を言いながらも、エルデン中をほっつき歩くのをやめないのは──各地に散らばってる昔の肖像画を、壊して回るためなんじゃないんですか?」
「どうとでも言っていなさい──さあ行きますよ」
いっそう不機嫌に言い放ち、サリオンはさっさとキャンベルローズを歩かせた。
「クララによろしくね──夢で会ったらまた遊ぼうね」
差し出されたヴァニーの手は、自分と同じように子供っぽかった。
キャンベルローズが幹へと入っていくとき、ふとアンリが振り返ると、一瞬、サリオンに向かってヴァニーが片目をつぶってみせたようだった。
夜明け前だった。
薄明るい周囲を見回して、アンリは驚いた。
「ヴァニー、場所が違うよ!」
しかし道はすでに閉じられ、形跡すらもなかった。
そこは城下の林の中で、薄明かりの中を少し歩くと見覚えのある小高い丘にたどり着いた。サリオンが約束通りについて来てくれているのが、アンリは嬉しかった。
「──あれは……」
薄くかすんだ丘の頂に、騎馬の人影が見えた。
白み始めた空を背景にして顔はよく見えないが、明け方の風に緑色のマントがたなびいて、アンリには誰だか判った。
「クララ?」
驚いてメイアッシュを急がせ、丘を駆け登るとそこに、果たして灰色の馬にまたがる王女クララがいた。
アンリには目もくれず、クララは鞍から滑り下りるとサリオンに駆け寄った。
「お待ちしていました、サリオン殿」
キャンベルローズから下りたサリオンに、膝を曲げて優雅に一礼する。癖のない金髪が、明け方の光に鈍く輝いた。
「命を救っていただき、感謝の言葉もありません」
「ご無事でなによりでした、王女──でも、なぜここへ?」
穏やかな緑の瞳を見上げて、クララは微笑んだ。
「さっき夢の中でヴァニーに会ったんです。それで、すぐにここへ来るようにって言われて──サリオン殿に、冠のお礼だよって言ってましたけど……」
「そうですか」
サリオンは、ふいに柔らかく微笑んだ。
「元気そうで良かった、クララ。心配したんだよ。僕──」
しかしアンリの歓喜にあふれた言葉は、振り向いた険しい茶色の瞳に遮られた。
「あなたに心配してもらう義理はないわ、アンリ。だいたい、どうしてあなたがサリオン殿と一緒なの?」
「そりゃ、君を助けようと思って……知らなかったと思うけど、大変だったんだよ?」
クララの頬が紅潮するのが、アンリにもはっきりと分かった。
「それがおかしいじゃないの! 危ない目に遭ったのは私なのよ? なのに私は何が起こったのか何も知らなくて、それでどうしてあなたが、始めから終わりまでずっとサリオン殿と一緒にいるのよ!」
たぶんアンリがメイアッシュから下りないので──馬上から見下ろされ続けているのは我慢ならなかったのだろう──クララは自分の若駒に身軽に飛び乗った。アンリは内心で笑みを抑えながら、驚いたふうで目を見開いてみせた。
「クレア=ムーシュの部屋で、ちゃんと話したじゃないか! 夢の世界でも、ずっと一緒にいたし……」
「夢の中のことなんて、よく憶えてないわ! あの白い部屋だって、皆、ほかのことに夢中でろくに説明なんてしてくれなかったじゃないの。だいたいね、アンリ──あなた偉そうに言うけど、いったい何の役に立ってたっていうの? 足手まといになる以外、何ができたっていうのよ!」
その言葉に、アンリの頬も赤くなった。
「僕がいなきゃ、君は自分の体に戻れなかったんだよ!? サリオンに感謝するより、まず僕に感謝すべきだよ!」
「誰があなたなんかに! あなたに感謝するくらいなら、体になんて戻らないほうが良かったわ。あなたと違って、ヴァニーはとっても優しかったんだから!」
言い放つクララに、アンリは気持ちを抑えるように大きく息を吸った。
「ヴァニーが君に優しかったのは、君をクレア=ムーシュと間違えてたからだよ。イストではね、君なんてただの、クレア=ムーシュそっくりの女の子にすぎないんだからね!」
「まあ……!」
クララの顔が、面白いように赤く染まる。
兄妹は互いに睨み合っていたので、朝日がとうに昇ったことも、蹄の音も高くフォーロット王が従者を引き連れて丘を登ってきたことも、まったく気づかなかった。
「クララ、アンリ──お前たちいったい何をやっているのだ」
先頭切って駆けてきた王は、息を切らしていた。
「おはようございます、お父様」
アンリを睨んだまま、クララがそっけなく言う。
「お久しぶりです、父上」
アンリも、睨まれている以上、目を逸らすわけにはいかなかった。
王は、当惑したように幼い兄妹を見比べた。
「アンリ──その、サリオン殿はどうしたのだ。お前、一緒ではなかったのか?」
その当惑したような言葉に、アンリは軽い苛立ちを覚えた。
「一緒ですよ。そこに……」
アンリは目を見開いた。
膝の間に座りこんでいたはずの、煉瓦色のルクレチアがいない。
「──サリオン!?」
振り向くとそこは、ただなだらかに下る丘の上で、まだ朝靄の漂う林が麓から広がっていた。アンリだけに見分けられる痕跡が、林の中へと消えていっている。
「行ってしまったの?」
クララも、驚いた様子で丘の麓を見渡した。
「ひどいわ。今度こそしっかり、お顔を憶えようと思ったのに──どういうわけか、どうしてもサリオン殿が描けないのよ……」
「描けるわけないよ」
まっすぐに伸びる痕跡を見つめながら、なかば上の空で言ってしまってから、アンリはようやく失言に気がついた。
クララの瞳が険しい。
「──どういうことよ」
「いや、だから……」
取り繕おうとして、ふとアンリは微笑った。クララが怪訝そうに眉を寄せる。
「じゃあ、どんな顔をしていたか、言ってごらんよ」
不審そうに顔をしかめたが、それでも少し考えて、クララは息を吸った。その唇が、開きかけたまま止まる。
「──髪は、銀色よ」
「そうだね。あの髪だけは、どうしたって忘れられないらしいや」
アンリは喉の奥で笑った。クララのきれいな顔が当惑して歪む。
「銀の髪で……目は──どうして!?」
クララは混乱したように叫んだ。
「忘れるはずないわ! ちゃんと……!」
「教えないよ──教えたら、僕も忘れてしまうもの」
当惑は、たちまち怒りに変わった。
「どういうことよ、アンリ! あなた、知ってるんでしょう!?」
笑い声を噛み殺して、アンリは真っ赤な怒り顔を見つめた。
「僕の絵を描いてくれたら、わけを話してあげてもいいよ──君が眠っている間に何があったかも、全部ね」
茶色の瞳が呆気にとられたように見開かれる。
その一瞬に、アンリは手綱を握りしめた。メイアッシュの耳が期待して動く。
「──ちょっと待ちなさいよ」
しかし手綱は、間際で小さな白い手に押さえられた。
「話はまだ済んでないのよ」
クララの険しい瞳には、強い意志があった。
「その前にサリオンを……」
アンリは何とか細い指を手綱から外そうとしたが、頑固な手はびくとも動かない。
「そんなこと言って逃げようったって、そうはさせないんだから!」
いがみ合う兄妹を、メイアッシュは戸惑いぎみに振り向いて見つめ、それから隣の灰色の若駒と目を見合わせてため息を吐いた。
「こどもたちよ……」
フォーロットの王はなす術もなく、ただ困惑して兄妹を見つめていた。
* * *
北の山並みは荒涼として、重なり合う岩の波が、何びとも寄せつけず連なり続いている。
黒く焦げた草原で、キャンベルローズは脚を止めた。
岩山の麓に、焦げ跡も新しい巨大な岩が三枚、聳えて佇んでいる。辺りは静まり返って、岩の間を吹き抜ける風が、ただ時おり甲高く鳴いていた。
「すべては追憶の彼方……」
目覚めて袋から出された死神が、ひどく気取った調子で呟いた。キャンベルローズが不機嫌そうに鼻を鳴らす。
風を避けて灰色のマントの間に入り込んでいたルクレチアが、顔を出して辺りを見回した。
「何なんです──あの、冠のお礼って?」
サリオンはじっと、岩の峰を見つめていた。
「銀と真珠の冠の礼のつもりでしょう──あれでクララ王女の無事は見届けられましたから、約束は守ったことになります」
ルクレチアは、灰色の胸元から出ようと身を乗り出しかけたが、サリオンの膝の間に死神がいるのに気づいて手を引っ込めた。
「それにしたって──お別れの挨拶くらい、しても良かったと思いますけれどね」
するとサリオンは、胸元を見下ろして微笑んだ。
「お前は、あの王子がよほど気に入った様子でしたね」
「──まあ、人間の子供にしては、よく出来た子でしたよ。それよりサリオン、あなた、またとっとと逃げ出してきて……クララに昔のお礼を言ったんですか?」
「ああ……言いませんでしたね、そういえば」
今初めて気づいたように、サリオンは呟いた。
「いつか言う機会もあるでしょう」
「どうだか──そのたぐいのあなたの言葉ほど、当てにならないものもないですからね」
その呆れたような口調に、サリオンは応えなかった。
「──で、今度はどこの肖像画を燃やしに行くんです? それとも、あなたを讃えた詩集ですか?」
「お前は、私をイストへ連れ帰るようにと、ミステラ=リリアから言われているんじゃないんですか?」
少し可笑しそうに、サリオンは言った。
「それはそれですよ」
マントに埋もれながら、煉瓦色の顎がつんと仰のく。
「何といっても、あたしはあなたの娘みたいなものなんですからね──あなたの行く先が、あたしの道ですよ」
「私の運命はそなたと共にあるのだ、麗しきサリオン──我が君」
感極まったように声を上げたその滑らかな言い回しは、ひどく芝居がかっていた。
「その骸骨を黙らせろ、サリオン。浮かれて落ちでもしたら、私は迷わずその空っぽの頭を踏み潰すぞ」
「潰れて砕けたって、死神を黙らせることはできないでしょうね」
言いながら、サリオンは麻の袋に死神を押し込んだ。
「ああ、白い指のサリオン……」
構わずに袋の口をきつく縛ると、ようやく死神は静かになった。
サリオンが象牙色の首に触れて促すと、キャンベルローズは西へ向かって首を回した。ルクレチアが灰色の胸元から飛び出して、むき出しの首に下りる。たてがみにじゃれるように軽く爪を立てると、キャンベルローズは顔をしかめて振り向いたが、何も言わなかった。
「──サリオン?」
琥珀色の瞳が閃いて見上げる。
緑の瞳は、どこまでも続く巨石の波の彼方を見つめていた。
ふいにサリオンは、背に柔らかく垂れた灰色の三角帽子の端に手を伸ばした。
コロ、ン……
硬質の、澄んだ響きが風に乗る。
解いたままの癖のない銀の髪が、かすかな風に乱されて眩く輝く。
連なり続く荒涼とした山並みに澄んだ音はどこまでも響き、そして消えた。岩のすき間で風が鳴る。
コロ……
ふいに帽子を背に放って、サリオンは象牙色の首を軽く叩いた。滑らかな脚の動きに、灰色のマントが翻る。銀の髪が陽を浴びてたなびき、三角帽子の先で、ガラスの鈴が音もなく瞬いた。
岩の間をすり抜けて鳴る風は大地を蹴る蹄の音にかき消され、そして二度と、サリオンは振り返らなかった。
お読みいただき、ありがとうございました!




