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13.炎と炎

 リングレットの跡は、輝く首輪に残る痕跡から追うことができた。

 城を出て一番近い門から都の外へ、そしてまっすぐに北を目指している。その道は、数日前にアンリがサリオンを追ったのとほとんど同じ道筋だった。

 夕日が赤く沈んでいく。


「──リングレットは、イストのトーリ火山に住んでいた妖精です」


 首を並べて駆けながら、サリオンが話してくれた。


「〈火〉の姫ミステラ=リリアの寵愛を受けていたこともありましたが、ふいに姿を消して数百年は、トーリの火口深くで独り暮らしていたそうです。そしてその間に、彼女はトーリの噴く炎を手懐けてしまったのです」

「由々しきことなんですよ、これは」


 鞍の前端にしがみついたルクレチアが口を挟む。


「火山の噴く炎は、大地の吐き出すものです。これは純粋に自然の力ですから、柱の姫でさえ、敬意を表して手出しをしません。魔法の力で操って良いものではないのです」


 続けたサリオンの口調も、心なしか重々しい。


「じゃあ、リングレットも魔法使いなの?」


 途端に振り返ったルクレチアの琥珀色の瞳には、明らかに呆れたような色があった。

 サリオンがため息をつく。


「イストそのものが魔法なんです──」


 ──この世には『自然』と『魔法』の二つの力が存在する。

 エルデンとは、自然の力によってのみ支配されている世界。

 イストとは、自然と魔法、二つの力で支配されている世界。

 そして二つの世界のすき間を、〈(はざま)〉が埋めている──


「イストに生きるものはすべて、魔法を力の源にしていますから──そういう意味で言うなら、イストの住人はすべて、魔法使いです」

「つまりイストには、魔法使い(・・・・)なんていう言葉は存在しようがないんですよ──道は合っているんでしょうね?」

「ああ……うん、大丈夫」


 小馬鹿にしたようなルクレチアの言葉に、アンリは曖昧に頷いた。リングレットの痕跡は、街道を外れてはいない。


「柱の姫は、それぞれ五つの自然の力を象徴し、魔法の力によって『姫』という姿を取っています。ですから、魔法の力の存在しないエルデンでは、姫は『姫』という自我を保つことができません──理解りやすく言えば、さっきのクレア=ムーシュのように、記憶を失ったような状態になってしまうということです」

「ええと……」


 必死に理解しようと努めてはいたが、アンリの頭は混乱していた。ルクレチアがため息をつく。


「無理に理解しようとしなくたっていいんですよ。こんなこと知らなくたって、この先の五十年の人生に、支障はないでしょうからね」

「──つまり、リングレットは……弄っちゃいけないものを、弄ったんだね?」


 それは必死に考え抜いた結論だった。サリオンが少しだけ表情を和らげる。


「まあ──そういうことです。リングレットにしてみれば、トーリの炎を操ればミステラ=リリアが褒めてくれるだろうと、その程度の考えだったようですが……」


 サリオンの顔から、表情が消えた。

 ふいと逸らされたその瞳は、白く輝く道を見据えているようで、もっとずっと遠くを見つめているようでもあった。


「──トーリの炎を解放するようにと、当然リングレットは姫たちから責められました。どうしてあんなに、頑なになっていたのか……責められて逆上した彼女は、火山に命じて大噴火を起こさせたのです」


 夕日はとうに西の山向こうへと沈み、薄紫色の闇が東の空から迫ってきていた。


「トーリの噴火は、イストにもエルデンにも大きな被害をもたらしました。イストの傷はそのまま姫の傷となり、姫たちはおよそひと月、生死の境をさまよったのです。それから──」


 暗がりで振り向いたサリオンの表情は、アンリにはもう判らなかった。


「捕らえられたリングレットは、この輝く首輪をはめられて──イストを追放されました」


 サリオンの手の上で、金属とも布ともつかないその輪は、絶えず色を変えて鈍く輝いていた。


「追放って──どこへ?」

「……〈間〉へ」


 アンリはゆっくりと、唾を飲み込んだ。


「この首輪をつけている者は、イストやエルデンの入り口も出口も()ることができません。リングレットは永遠に、〈間〉をさまようよう定められたのです」

「永遠に……?」

「輪を外せるのは、柱の姫だけですから」

「──でもそのリングレットが、どうして夢の世界にいたんです?」


 ルクレチアが言うと、サリオンは小さくため息をついた。


「どうしてでしょうね……追放されたときに、必死でどこかへ逃れようとして、紛れ込んだのか……」


 それから五百年──夢の外れのあの混沌の中で、イストかエルデンへ逃れるきっかけを待ち続け──そして、ついにクレア=ムーシュを捕らえた。夢の残骸が見せた幻は、恐らく、首輪を外すよう迫るリングレットと、拒むクレア=ムーシュの残像だろう。


「クレア=ムーシュがエルデンへ逃れたのは、リングレットには幸運でしたね。記憶を失くしたクレア=ムーシュに首輪を外させるのは、造作もなかったでしょうし……」


 アンリはずっと目を伏せて、ただ痕跡だけを見つめていた。

 歪んだ夢の残骸ばかりの、空も大地も曖昧なあの不確かな何もない場所──五百年という時間は、アンリには永遠にも等しかったが……


「アンリ」


 突然、手綱を掴まれた。メイアッシュが荒い息で脚を止める。

 闇が間近まで落ちていた。


「ここで明るくなるのを待ちましょう」

「え、でも……」


 そこは郊外の丘の麓で、白く舗装された街道はもうほとんど闇に紛れてしまっていた。


「今夜これ以上進むのは無理です」


 促されて見ると、メイアッシュの首はすっかり汗に濡れ、かすかに湯気が立ち上っていた。


「必ず追いつきますよ」


 多少不満ながら鞍から滑り下りたアンリに、サリオンは穏やかに言った。


「リングレットは、歩いて逃げているんですから」

「……どういうこと?」

「何かに乗るということを知らないんですよ、彼女は──まあ、イストの住人はたいがいそうなんですが。羽があるわけではありませんし、疲れを知らないわけでもありませんから」


 街道を少し離れたところに小さな茂みを見つけて、一行はそこで冷たい食事を取って、束の間眠った。

 空が白むとすぐに、サリオンはアンリを起こし、朝靄の中を北へと進んだ。行く手に、二日前にも目指した白岳が迫ってくる。


「どうやら、イストへ行くつもりのようですね……」


 ルクレチアが誰にともなく呟いた。その体は、城を出てからずっと暗い煉瓦色のままだった。

 昼近くなって山道に差し掛かると、キャンベルローズがメイアッシュを先導するために先に立った。

 予想通り、リングレット痕跡は岩を縫いながらまっすぐに、苔むした岩の門まで続いていた。象牙色の背から滑り下りて、サリオンが門へ駆け寄る。


(いわお)よ!」


 応えるように、低いため息が響いた。


「──(うつ)ろの朋友よ」


 ゆっくりと、岩に二つの窪みが現れる──震える口のようなものと、その上で黒い石を覗かせる一つ目のようなものと。


「そなたに目覚めさせられて後、(われ)には浅きまどろみも許されぬ……吾のあずかり知らぬ何が、かように静穏を乱すのだ……」


 その地鳴りのような声は、どこか恨めしげでもあった。

 その低い声を聞きながら、アンリは岩だらけの斜面をじっと見下ろしていた。


「あの……サリオン」


 躊躇いなら、声をかける。

 振り向いたサリオンは、邪魔をされて少し苛立っているようにも見えた。


「跡はまだ続いている……リングレットは山を下りていってるよ」


 サリオンは怪訝そうに眉を寄せ、再び岩の窪みを振り返った。


「巌よ、私たちはイストの妖精、リングレットを追ってきたのです。黒い巻き毛の……」

「トーリのリングレット……」


 低い声がぎしぎしと響いた。


「かの者は、門の開放を求めて吾を訪れた──由々しき罪人の身で。吾が姫がイストから追放した者に、どうして吾が門を開くことがあろう?」

「──賢明な判断でした、巌よ」

「その言葉を誉れとしよう……虚ろの朋友よ」


 呟くように言って、二つの窪みはゆっくりと盛り上がり、岩肌に紛れて消えた。


 岩山を下るのは、登るよりもはるかに難しいことだと、すぐにアンリは気がついた──まして手綱のあまり効かない馬に乗っているときには。方向の指示にはかろうじて従うものの、キャンベルローズから何を言われているのか、どんなにアンリが頼んでもメイアッシュは速度を緩めない。


「どうして登る前に、すぐ引き返してくるって分からなかったんです?」


 激しく揺れる鞍にしがみつきながら、ルクレチアの毛は赤黒く逆立っていた。


「跡を追うことしか、できないんだってば……」


 それが言い訳がましいことは、アンリにも分かっていた。

 痕跡がどんなに行き来を繰り返していても、アンリにはそのすべての道筋を順に追っていくことしかできない。


「まったく──あなたといいあの王様といい、どうもどこか抜けていますよね」


 そのことをルクレチアがいつ持ち出すかと、内心アンリはびくびくしていた。

 アンリだって、本当に父が息子の不在に何日も気づかないなんて、思いもしなかった。


「だから……クララのことで、きっと頭がいっぱいだったんだよ……」


 ルクレチアは呆れたように鼻を鳴らした。


「あなたのお父様ですからね──あなたが良いなら、構いませんけれどね」


 白岳の北側へとリングレットの痕跡は下り、そのまま北に連なる山々を目指しているようだった。

 麓近くまで下りてきたところで、サリオンはメイアッシュを追い越した。


「もういいですよ、アンリ──行く先は分かりました」


 キャンベルローズが脚を速めて、アンリは手綱を短く握って体を低くした。この先はたぶん、メイアッシュはアンリのどんな指示も聞いてくれない。


「あの山の中に、たしかもう一つ、イストへの門がありますよ。大昔の地震で、岩の下に埋もれたきりって話でしたが……」


 アンリの胸の下で鞍にしがみついて、煉瓦色のルクレチアの声はくぐもって聞こえた。




 北の山並みは、想像していた以上に荒涼としていた。

 剥き出しの岩が重なり合って峰を作り、ねじれた木々がその隙間から這い出して、茂みを作ろうともがいている。

 巨大な岩が互いに互いを支え合って積みあがっている様は、わずかに触れただけでもすべてが崩れてきそうで、そこを通る者を不安で落ち着かない気分にさせる。


 重なり合うひときわ大きな巨石の山に向かって、まっすぐに走っていく人影が見えた。たなびく漆黒の髪──


「リングレット!!」


 サリオンが叫んだ。

 黒髪が波打って一瞬だけ振り返り、すぐに速度を上げる。その足が、今にも岩に掛かろうとした──


「もの言わぬ岩よ!」


 突然、キャンベルローズが鋭く嘶いて後脚立った。


「地の下の(いわお)よ──虚ろの朋友の言葉を聞け!」


 その声は、太い角笛のように豊かに大気を揺るがした。


「──!!」


 轟音が地面を揺すった。

 三枚の岩が、突然地面から現れたかと思う間もなく聳え立ち、リングレットの行く手と左右を遮った。振り返ったリングレットの漆黒の巻き毛が、ベールのように肩から乱れ落ちる。

 サリオンはキャンベルローズの背から滑り下りて駆けだした。


 リングレットは小さな石のナイフを取り出して、豊かな巻き毛をひと房切り取った。そびえる岩の頂に向かってそれを放ると、艶やかな髪はふわりと広がって伸び上がり、まるで網のように岩肌に絡まりついた。

 サリオンが三枚岩の根元までたどり着いたときには、リングレットは黒髪の網を足場に、岩の頂まで登りついていた。紅い唇が、サリオンを見下ろして歪む。

 立ち止まり、サリオンは大きく息を吸った。


「そよぐ風よ、逆巻く大気よ──羽の擁護者の言葉を聞け!」


 途端、突風が辺りで吹き荒れた。

 アンリは鞍から滑り下り、メイアッシュの脇で小さくなってルクレチアを抱きかかえた。冷たい風が(やいば)のように、リングレットの黒ずんだ紅いガウンを翻し、切り裂く。

 しかし、リングレットが怯んだのは一瞬だった。黒い巻き毛が岩に絡みついてその細い体を支え、岩の向こうへと降りる足場を作る。

 ルクレチアがアンリの腕をすり抜け、追いかけて、アンリも三枚の岩の向こう側へと駆けだした。


「萌え出るものよ、牙を剥くものたちよ──宿り木の賓客の言葉を聞け!」


 岩の根元から、無数の茨が勢いよく地面を突き破って現れた。鋭い棘を持つ枝が岩の表面を瞬く間に埋め尽くし、そこここで真紅の花を開く。

 アンリはその場に立ちすくんだ。

 どこから現れたのか、三枚の岩は牙を剥き唸る狼の群れに囲まれていた。


「諦めなさい、リングレット! ──逃げられると思っているんですか!?」


 サリオンの口調は厳しかったが、声にも表情にも怒りは感じられない。

 血だらけの腕を片手で押さえて、リングレットは茨に覆われた岩の頂で唇を噛んでいた。サンダル履きの素足にも茨が巻きつき、血が岩肌をしたたり落ちる。狼たちはひしめき合いながら、リングレット見上げて吠えたてた。


「リングレット!!」


 再びサリオンが叫ぶ。その緑の瞳を見下ろして、ふいにリングレットの唇が笑みの形に歪んだ。

 サリオンが息を飲むのが、アンリにも分かった。


「ギャン!!」

「わあ!!」

「下がって!」


 キャンベルローズとメイアッシュが嘶いて後ずさる。

 突然現れた炎が岩肌を埋め尽くした茨を一瞬で燃やし尽くし、巨大な岩を包んで周囲に一気に広がった。狼たちが悲鳴を上げて散り散りに山へと逃げていく。

 アンリは、両腕で顔を覆ったまま動けなかった。


「ご覧、サリオン! 私の力を!!」


 高らかに笑うリングレットの、大きく広げた手の間から、火炎はほとばしるようにあふれ出していた。

 炎の波は明確にサリオンに向かって押し寄せていたが、緑の瞳はリングレットを見据えて動かなかった。


「流れる水よ、降り注ぐ滴よ──鱗の理解者の言葉を聞け!」


 一瞬の間の後、唸るような音が遠く轟いた。はるか頭上から、逆巻く水の流れが伸びてきたかと思うと、火炎に向かって降り注ぐ。

 一瞬の豪雨によってリングレットの炎は掻き消え、辺りにむっとする蒸気が立ち込めた。

 アンリはほっとして、詰めていた息を吐いた。


「やった……?」


 しかし次の瞬間、蒸気を突き破って、炎の海が目の前に現れた。大量の蒸気が消え失せて熱波に変わる。

 地面に飛び下りたリングレットが赤い海の真ん中で、甲高い笑い声をあげた。その額は汗で濡れ、炎にあおられた漆黒の巻き毛が貼りついている。


「無駄よ、サリオン! 炎を操る私の力を忘れたの!?」


 リングレットが腕を差し出すと、炎が波打ってサリオンへと押し寄せた。


「サリオン……!」

「ばか! 下がりなさい!」


 血糊のように黒っぽいルクレチアが叫んでいる。それでも動けないアンリのマントを、キャンベルローズが強引に引っ張った。

 赤い炎が手のように伸びて、熱気がアンリの顔をかすめる。


「サリオン!」


 サリオンは、今や炎の海のただ中にいた。銀の髪と灰色のマントが熱気にあおられて翻っている。

 そのとき、熱に揺らぐ空気を裂いてサリオンが叫んだ。


「燃え上がる炎よ、焼き尽くす火よ──陽炎の寵児の言葉を聞け!!」

「サリオン!?」


 ルクレチアが悲鳴を上げる。

 身動きひとつしないサリオンの周囲で、オレンジ色の炎が噴き上がった。


「気でも違ったんですか!?」


 汗ににじんだリングレットの喉から、甲高い笑い声がほとばしる。


「サリオン──!!」


 アンリはほとんど泣きそうになって駈け出そうとしたが、キャンベルローズは藍色のマントをしっかりくわえて離さなかった。メイアッシュが怯えて嘶く。

 そのとき、ふいに、リングレットの顔から笑みが消えた。


「なん……!」


 汗で濡れた顔が青ざめる。

 サリオンの足下からほとばしったオレンジ色の炎が、ゆっくりとリングレットの赤い炎を押し戻していく。

 オレンジ色の炎の輪の真ん中で、サリオンの服も髪も、わずかも燃えてはいなかった。

 サリオンがゆっくりと歩き出すと、リングレットは顔を引きつらせて後ずさった。赤い炎の海が押し戻されていく。


「この炎を、押し返すことができますか、リングレット?」


 サリオンの声は、いつにも増して穏やかに聞こえた。


「あの炎の海のあとで、どれほどの力が残っていますか? この、陽炎の寵児のために燃える炎を、あなたは操ることができるんですか? さあ、リングレット──どうします」


 美しい顔は苦しみに歪められたが、藍色の瞳は憎しみに輝いていた。


「誰が、サリオン──お前なんかに……!」


 しかしリングレットの赤い炎は、もはやわずかにその体を包むばかりとなり、辺りは一面、はるかに熱いオレンジ色の炎に包まれていた。熱気が間近まで押し寄せて、アンリはルクレチアを抱きしめて息苦しさにむせた。


「諦めて審判を受けなさい、リングレット」

「──お前に何がわかる!!」


 叫んで、リングレットは崩れるように膝をついた。藍色の瞳はまっすぐに、サリオンを睨みすえている。


「どの姫からも愛されたお前に……陽炎の寵児と呼ばれたお前に……!」


 その瞳から涙がふいにあふれ、アンリは驚いた。


「何もない……歪んだ夢の外れで、ただ時を過ごしてきた私の気持ちなど……お前にどうして分かる! いつ〈間〉へ放り出されるとも分からない、あの無限の恐怖の中──ただイストへ逃れることだけを願って、それだけを支えに存在していた私の気持ちが……お前なんかに……!!」


 サリオンの表情は動かない。


「ええ、分かりませんよ、リングレット──でも私には、憎しみに駆られた今のあなたを、解放することはできません」


 サリオンが一歩、歩み寄る。オレンジ色の炎は今にもリングレットの体に触れようとしていたが、赤い炎は、なおもリングレットの体を守るように薄く包み込んでいた。


「──誰ひとり、あなたを憎んだ者などいなかったのに」


 リングレットが悲鳴を上げた。

 その顔に、はっきりと恐怖の色を認めて、思わずアンリはキャンベルローズを振り切って駈け出した。熱気が空気を歪めている。


「やめて、サリオン! 死んじゃうよ!」


 しかし、サリオンは振り向きもしなかった。


「サリオン──お願いだよ、やめて!」


 腕にしがみついて顔を見上げた。

 炎に照らされて紅潮したように見えるサリオンの顔に表情はなく、緑の瞳は石のようで、そこだけが冷たく見えた。


「──リングレットは、自分が助かる道を知っています」


 静かな声に、藍色の瞳が憎しみを帯びた。


「──!」

「サリオン!!」


 オレンジ色の炎が、漆黒の巻き毛を焦がした。


「──やめて!!」


 甲高い悲鳴とともに、最後まで残っていた赤い炎が千切れて消えた。

 途端、オレンジ色の炎の輪が後退した。その中心で、焦げた地面に手をついたリングレットが、力なく俯いている。

 炎の海は、煙のように掻き消えていった。熱い空気がかすかな風に流されていく。


 サリオンが歩み寄っても、リングレットは動かなかった。


「なぜです、リングレット──なぜ、罪を重ねようとしたのです。イストへ戻っても、追われることは分かっていたでしょう」

「──帰りたかったのよ……あなたには、分からないでしょうけれど……そうでしょう、サリオン──幸せなひと」


 静かに言って、リングレットは濡れた顔を上げた。その表情は疲れて、先刻までの激しさはどこにもない。

 暗い藍色の瞳をじっと見返して、ふいにサリオンは目を逸らした。


「あなたのことは、姫たちに任せます──私は、あなたを裁きませんから」


 するとリングレットは唇に、かすかに自嘲するような笑みを浮かべた。


「同じような台詞を、以前にも聞いたわね……もう何百年も昔で、よく覚えてもいないけど……」

「私は忘れませんよ、リングレット──一度も忘れたことはありません」


 リングレットは疲れたように瞳を逸らしたきり、何も言わなかった。


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