プロローグ
根元から崩れ落ちる高層ビル。
直後、耳をつんざく轟音を立てながら地面へと激突し、あたり一面を土煙が覆う。
周囲には同じように多くのビルが横たわっており、そのほとんどは原型を留めていない。
見渡す限りは火の海と化しており、黒煙がいたるところから立ち込めている。
逃げ惑う人々の泣き声、叫び声、怒鳴り声が不協和音となって鼓膜を震わせる。
一言で表すならば“地獄”
その真っただ中に俺と父はいた。
俺たちの前には学生服を着た少年が佇んでいる。
もとは黒色だったであろう学生服は、血で染まり赤黒く変色している。
少年の顔には一切の感情がなく、ただ無表情であった。
瞬間、少年が俺めがけて迫る。
「ケイ!!」
父が俺を突き飛ばす。
俺は地面を転がり、見知らぬ男の足にぶつかって止まった。
「キザシ!!」
男が父の名を叫ぶ。
「……ケイを頼む。」
「……分かった。」
男は俺を抱きかかえると、父とは反対方向に走り出す。
遠ざかっていく父の背中。
そして……
「……のせ……いちのせ……一ノ瀬!!」
ビクンと体が跳ね、目が覚める。
(またこの夢か……)
最近よくこの夢を見る。
まるで昨日のことのように鮮明だが、夢の中の俺は幼い。
場面から察するに、あの事件のことを夢で見ているはずだ。
だけど俺にはその記憶が……
そこまで考えたとき、視線を感じて前を見ると呆れた顔をした数学教師が立っていた。
「今が何の時間か覚えてるか?」
「えっと、この間の進級テストを返却してたんですよね。」
「そうだ。そして、次はお前が取りに来る番だ。」
「あ、すいません。」
「二年になったんだから少しは緊張感持てよ。来年は受験だぞ。」
担任は俺にテストを差し出す。
クラスメートから笑われ、少し気恥しさを感じつつテストを受け取る。
「どうだ? 赤点か?」
「今見るから待てって。」
最近仲良くなった前の席の相田からの冷やかしを流し、答案を開く。
一ノ瀬 京 と俺の名前が書かれた横に、赤色の41という数字があった。
「キタ! 赤点回避!」
「41点ってほぼ赤点じゃねぇか。」
「うるさい。お前はどうなんだよ。」
「82点で~す。」
「グヌヌ……」
悔しいがダブルスコアだ。何も言い返せない。
「お前数学だけじゃなくて他の理系科目も酷かったよな。なんで理系を選択したんだ?」
「なんとなく。」
「将来かかってるんだからちゃんと考えろよ。」
「アハハ……」
適当に笑ってごまかす。
本当は理系を選んだのには別の理由があるのだが、そのことを言うつもりはない。
それにその理由はきっと実現不可能なものだからだ。
「二ノ宮また100点かよ!!」
突然の大声に俺と相田は声の方を向く。
そこには、男子生徒に見られた答案を隠そうともしない、長い黒髪をなびかせる女子生徒の姿があった。
「当たり前でしょ。だって私だもん。」
恐ろしく傲慢な発言をしている彼女の名前は二ノ宮 零、俺と同じ私立数原高校2年1組の生徒だ。
学校創設以来の天才と言われており、テストは毎回学年一位で全国模試でも上位に名を連ねている。
おまけに容姿端麗、運動神経抜群、コミュ力満載の完璧超人であり、この学校で彼女のことを知らない者はいない。
正直なぜこの高校にいるかも分からないぐらいなのだが、彼女が言うには
「ラボに近いから。」
らしい。ラボというのが何かはみんなよく分かっていないが、大学で研究でもしているのだろうということで納得している。
「二ノ宮はすごいよなぁ。」
相田が呟く。
「俺らとは違う人間なんだよ。」
文字通り、彼女は俺とは違うのだ。
“特別” その二文字は彼女のような人間のためにある。
そんな人間と自分が同じだとは考えてはいけない。
本気で頑張ったところで、結局勝てない。
俺はそのことを身をもって実感している。
「らをつけるなよ、らを。」
相田がわざとらしく不機嫌そうな顔をして詰め寄る。
「ごめんごめん。
まぁでも、何事も適度が一番だよ。」
「お前は適度未満だけどな。」
「うるせぇ。」
相田の頭を軽く叩く。
適度が一番というのは紛れもない本心だ。
キーンコーンカーンコーン
その時、授業の終わりのチャイムが鳴った。
数学教師と入れ替わるように担任の捌幡先生が教室に入ってくる。
「どうしてスーツなんて着なあかんのやろか。動きづらくてかなわんわ。
おっとすまん。気にせんといてくれや。」
ネクタイを緩めながら、関西弁で話す先生。
担任となってまだ日は浅いが、クラスの誰もが気さくでいい先生という認識を持っている。
「今日は特別時程やからな、この後掃除をして下校や。掃除の前に連絡事項だけ伝えるで。
ニュースで見てるとは思うけどな、今年で八月事件から十年や。これに際して生徒会が募金活動を……」
八月事件、その言葉に俺は反応する。
10年前に東京で起こった死傷者数万人の未曽有の大規模テロ事件、それが八月事件だ。
過激派思想集団による犯行とされているが、詳しいことは分かっていない。
そして何より、俺が最近見ている夢がまさに八月事件の夢である。
だが、俺には八月事件の記憶はない。
事件に巻き込まれたのは確かだが、一切覚えていないのだ。
父と二人で東京に行き、避難所で俺を見つけた母が泣き崩れる。
この間の記憶が不自然なほど消失している。
それならあの夢は一体何なんだ……
もしかして、事件の記憶が戻ってきているのか?
どうして最近になって?
一度起こった思考の波は、すぐに濁流となって俺の頭を埋め尽くした。
ズキン
突然頭が割れるように痛みだす。
ズキンズキンズキン
痛みは激しさを増しす。
「ああああああぁぁぁ!!」
椅子から転げ落ち、床をのたうち回りながら叫ぶ。
「おい一ノ瀬、大丈夫か!?」
慌てて走ってくる捌幡先生の心配そうな顔が、俺が意識を失う前に見た最後の景色だった。
初投稿作品です。拙い部分が多々ありますが、応援していただけると嬉しいです。