58:ギャルを安心させた
「わ、わ。どうしたんですか?」
星架さんが急に僕の手を握ってくる。細くてスベスベの指に包まれる感触。あの雨の日は筋肉を触るって名目があったけど、今は何もない。完全に星架さんが触れたいから触れてる状態。
「せ、星架ちゃん?」
母さんも驚いてる。洞口さんは……何か口パクしてる。握り返せって言ってるように見える。そう言われても。
「ゴメン、マジで嬉しかったから。あの銀水晶の森、思い出してくれたの、努力してくれてたんだね」
「いや、まあ、努力ってほどでも。半分は懐かしい記憶を楽しんでたって言うか」
ここで、母さんが下手くそなウィンクをして部屋を出ていく。何か盛大に勘違いされてるような。
「アタシね、明菜さんから康生がアルバム必死に見返してるって聞いてさ、モールん時の、覚えてもらえてなくて怒っちゃったのが響いてるのかなって」
「あ、ああ。また怒られないように思い出せることは思い出しとく為って感じに受け取ったんですね?」
「うん」
言いながらコテンと僕の胸におでこを付ける星架さん。また8歳児になりかけてる?
「うーん、正直そういう気持ちもゼロじゃなかったですけど、そこまで後ろ向きには感じてなくて。星架さんと付き合うなら……」
「付き合う!?」
うわ、ビックリした。いきなり顔を上げた星架さんと真正面から見つめ合ってしまう。けどすぐにまた逃げるように胸の中へ。
「えっと。まあとにかく、あの時のこと、大丈夫ですから。イヤだったら付き合い自体やめてます」
逃げグセのついてる僕が「無理だ」って思う相手と、我慢して付き合うことは、まずないんだよね。星架さんのは、怒った原因が彼女の情の深さ故だから、全然イヤな気はしてないんだよ。
「でもやっぱ理不尽だったから」
「まあ、でもウチの姉さんに比べたら全然」
生理の時とか、何もしてないのに八つ当たりされる事とかあるし。まあ、生理自体が女性にとっては理不尽なものだけど。
「とにかく、心配しないで下さい」
洞口さんに言われたからじゃないけど、僕は繋がれてる手にそっと力を込めた。星架さんの手、あったかい。
「……うん、ありがと」
更に体重を預けてくるもんだから、僕は殆ど抱き留めるようにして支える。
そんな僕らを見て、洞口さんが名監督みたいにウンウン頷いていた。
「しっかし、この時期に風邪引くとはなあ」
夏風邪は何とやら、か。
「まあバカだったと言うより、鈍足だったって感じですね」
「でもさ、康生ってそれこそ再会の時、チャリ助け起こしに来てくれる動き、メッチャ俊敏だったよね。こないだの野球だってバントヒット決めてたし。まあアレはエラーなかったら怪しかったけど」
「ああ、僕、瞬発力はある方なんですけど、体力が絶望的なんですよ。だから走る距離が長いほど反比例して遅くなるんです」
家業と少しの筋トレの効果で蓄えた筋肉も重荷になってるんだよな。もっと外に出てランニングとかしないとなんだけど、どうしても家に居る方が好きなもんだから。
「ゆうてマンションの駐輪場の端から南口のエントランスまで、大した距離じゃないっしょ?」
洞口さんがマンションの構造を思い出しているのか、少し宙を見ながら言った。甘いな。まだ僕のモヤシリティを侮ってる。
「ヒキガエルに逃げきられますからね、普通に」
「ははは。流石にそれは。子供の頃の話とかでしょ?」
「今朝ですね」
「今朝ァ!?」
二人ともビックリしてるけど、紛れもない事実だ。病み上がりだったことを考慮しても負けていい相手ではなかった。
「クッツーさあ、今の年齢でカエルにやられとったら、60なる頃はカタツムリに追い越されるぜ?」
ワンチャンあるかも。てかクッツーって僕か。
「夏休み入ったら山行こうぜ。キャンプだキャンプ。あと花火もやるか」
「えっと」
これは本気で誘ってくれてる?
「なあ、星架。アンタもクッツーと一緒に遊びたいだろ?」
「ま、まあ。それは、うん。康生の都合が合えば」
星架さんも来てくれるなら安心。てか、そりゃそうか。洞口さんがサシで僕を誘うワケないよね。
「オッケ、決まり。クッツーの空いてる日は、星架に連絡で」
男らしいと言うか、竹を割ったようなと言うか。洞口さんはパワフルだ。
取り敢えず……今年はいつもとは全く違う夏になりそうだ。