53:陰キャの母親と会った
康生は遠慮なしに残りのお茶(まあ殆ど残ってなかったけど)を全部飲み干して、またウトウトし始めてしまった。夢現のまま、喉が渇いたから一瞬起きただけ、って感じか。規則正しく、ぽん、ぽん、と胸の辺りを叩いてあげてると、すぐに寝息を立て始めた。ホント、ちっちゃい子みたい。
少しベッドから離れて、空になったペットボトルをカバンにしまいこむ、直前で手が止まってしまった。いやいや。ガチでそこは超えたらダメなラインだから。アタシはそのペットボトルを……
「風邪、うつるよ?」
「うひゃああああ!!」
マジで心臓が止まるかと思った。振り返ると、さっきと同じく半開きのドアからこっちを覗いてる春さん。
しーっと唇の前に人差し指。いや、アンタが脅かしたんでしょうが。
そっとベッドを見るけど、康生は完全に夢の中。身じろぎすらしてない。ふう、良かった。
「完全に寝ちゃったかあ。ビワは後だね」
春さんは、アタシを手招きする。どうやら、面会は終了ということらしい。春さんに続いて階段に足を掛けて……少しだけ康生の部屋を振り返る。早く良くなってね、と心の中で励ました。
あまり長くお邪魔してもアレだから、そのまま帰ろうとしたんだけど、ちょうど一階に降りた時、玄関ドアからガチャガチャと解錠の音がした。そしてすぐドアは外側に開く。
「ただいま~」
多分、お母さんだろう、40代くらいの女性が入ってきた。茶髪で細身、化粧っ気はない。特に鷲鼻ではないから、姉弟はお父さん似かな。
「あら? お客さん?」
「あ、康生クンのクラスメイトで、溝口と言います。お邪魔してます」
ペコッと頭を下げて自己紹介。するとお母さんは途端に目を輝かせた。
「康生のお友達!? お見舞いですか? まあまあ、わざわざありがとうございます。母の明菜です」
「星架さん、ビワ持ってきてくれたから、後で康生に食べさせてあげよ」
「まあ。お土産まで? ありがとうございます」
お母さんに頭を下げられてしまう。こっちは色々もらってしまって、そのせめてものお返しなワケで。そう畏まられると、逆に居たたまれないんだけどな。
「さあ、どうぞどうぞ。何もない所ですが、上がって行ってください」
と押し込むようにリビングにつれてかれてしまった。ウチのママほどの圧はないけど、それなりにパワフル。おばちゃんって大体似るんかね。
勧められるままにテーブルにつくと、明菜さんが対面に座った。春さんはキッチンに行ってお茶の用意をしてくれるみたい。
「いやあ、本当にお見舞いに来てくれるようなお友達がねえ、いつの間に」
しみじみ言われる。そんなに友達が珍しいのか。まあ、教室での康生の様子を思えば無理もないか。
「あの子は学校ではどうですか? 溝口さん以外のお友達も沢山?」
うわあ。キッツい質問が飛んできた。嘘つくか悲しませるかの二択じゃん。
「お母さん、そんなワケないじゃん。星架さん一人だけでも友達出来ただけ喜ばないと」
アタシを見かねたのか、カウンターキッチンの向こうから春さんが助け船を出してくれた。
「そうだよねぇ。まあ、それでも春の言う通り、溝口さん……星架ちゃんで良い?」
「あ、はい」
「星架ちゃんに感謝しなくちゃね。本当にありがとう」
「え、いえいえ」
再び頭を下げそうな勢いだったから、慌てて両手を振る。ちょっと千佳の気持ちが分かったわ。アタシは康生が好きで、一緒に居ると楽しいからつるんでるだけだから、感謝されるような事じゃない。
「大人しくて少し変わった子ですが、人に優しい子です。どうか仲良くしてあげてね?」
「はい。康生といると楽しいですから」
即答すると、明菜さんはホッとした表情で笑った。アタシは照れ臭くなって、つい視線を逸らして……リビングの横の引き戸が開いてるのに気付いた。和室に繋がってる。
その和室の丸テーブルの上、何か本のような物が開かれたまま放置されてる。他は片付いてるのに、あっこだけ?
「ああ、あれはアルバムです。今月の初めくらいだったかな。康生がいきなり引っ張り出してきて」
「へえ」
見てみたい。子供の頃の康生、可愛いんだろな。8年前の記憶じゃ、もう細部は覚えてないからな。
「あの子、なんか強迫観念じゃないけど、切羽詰まった感じで、ずっと見てて。それからもちょくちょく見るもんだから、しばらく和室に置いとこうって。あっちは仏壇くらいしかなくて、使ってないですからね」
アタシは……さっきまでの好奇心がすっかり萎むのを自覚した。
結局、アルバムの話はそれっきりになって、後は軽く雑談しながらお茶だけ頂いて、沓澤家を後にした。