220:陰キャが執事になった
<星架サイド>
や、やった。遂に、本当にこの瞬間がやってきた。ママとパパ、両方が素直になってくれた。こんな事って起こるんだ。どこかまだ夢の中のような、現実感のないフワフワとした感覚で、二人を見守っていた。
お互いが相手の目を見て、ふっと逸らしてしまって、また視線を上げて目が合って。そんなことを繰り返してる。無言、無音。いつの間にか康生たちのテーブルも静まり返っていた。ママが大きく頭を下げたのが見えたんだろう。
「……」
「……」
沈黙は時計の秒針が一周するくらいは続いたと思う。或いはもっとか。
もう少し待ちたい気もしたけど、これ以上は放送事故じゃないけど、逆に場が壊れてしまいそうで。アタシは意を決し、スカートのポケットに忍ばせていた2つの小さな木製のリングケースを取り出す。ここだ。ここしかない。
「ママ、パパ」
二人がアタシを見る。どこかホッとした表情のママ。何を言い出すのかと純粋に疑問符を浮かべるパパ。アタシはテーブルの上にそっとケースを置いた。
「これは……」
「開けてみて」
アタシに促されるまま、二人はそれぞれ自分の前に置かれた木箱を手に取り、蓋を押し上げた。中には勿論、あのペアリングが入ってる。
中からそれを取り出したママが、感嘆の声を上げる。
「あら綺麗。透明感があって……」
「花が入ってるのか? これは紙細工か?」
パパも蛍光灯の光に透かすようにして、指輪を下から覗きこむ。
「これ」
ママが先に気付いてくれたみたい。
「紫陽花の花?」
まあママは好きな花を聞かれてるし、それを作ってくれたのかと推測が立ちやすいってのもあるんだろうけど。でもそれも思い入れの強さあってこそ。
「紫陽花……」
パパも思い出してくれてるかな? と、そこで康生がサイドボードから一冊、アルバムを持って来てくれる。ナイス機転。アタシはそれを受け取ると、ペラペラと捲り、例の写真を見つけた。そのページを開いたまま、テーブルの上に置く。
「そうか。鎌呉、行ったな、確かに」
パパも写真を食い入るように見つめ、それでキチンと思い出したのか、軽く目を閉じた。十何年前に想いを馳せているんだろうか。
「この時は幸せだった……星架も元気で、大きくなったら海外も連れて行ってあげよう、なんて話してたものね」
「そんなことも話したかな」
「それに……アナタにも今よりずっと素直に接することが出来てた」
「……」
パパは答えず、アタシの作った指輪をそっと右手の薬指に嵌めた。左手の薬指、ママとの結婚指輪と対になるように。
ママも倣って、指輪を手に持った。だけどそこで少しだけ考えて……それをそっとパパに渡す。パパは意図を汲んだのか、ママの右手を取った。そしてその薬指にリングを通した。
ママの赤くなった顔。本当に少女に戻ったみたいな。
「あはは~、麗華おばさん可愛い~」
雛乃の無邪気な笑い声。茶化す意図もほとんど無かったんだろうけど、ママは更に赤くなって、縮こまる。流石にこれ以上は、千佳たちの前だと恥ずかしいか。
「……気に入ってくれて良かった。さ。ケーキにしよっか」
武士の情けで話題を変えてあげる。
「ありがとう、星架。大切にする」
「ありがとう。どんな高価な指輪より嬉しいよ」
パパもママも、場の空気もあるんだろうけど、普段では考えられないくらい素直になっていた。ずっとそうだったら良いのに、と思うけど、大人の世界では難しいんだろうな。正直者はバカを見るのが社会だからね。
でも今この場には、バカにしたり、素直さを弱さと見たりするような人間はいないから。この会が終わるまでは、或いは今日が終わるまでは、このマジックアワーが続いて欲しい。
「ケーキです」
康生がいつの間にか、冷蔵庫からケーキを取り出していた。箱を開け、保冷剤を取り、皿を人数分配り……全部テキパキとこなしてくれる。うーん、この有能カレシ。しゅき。
「どうぞ」
康生がケーキカッターをパパに渡す。蛍光灯を反射する銀の煌めき。パパはそれを持つと、ケーキを改めて見た。白いクリームで余さずコーティングされたスポンジの上に、イチゴがふんだんに乗っている。アタシの自信作。
「ありがとう、康生くんも色々と手伝ってくれたんだろう?」
目を閉じてふるふると首を横に振る康生。なんかマジでデキる執事みたいな雰囲気を醸し出してるけど、さっきまで英語教師をバカにしてたんだよなあ。
「僕が作ったのはそのリングケースだけです。後は指輪本体も、ケーキも全部、星架さんが一人で作りましたよ」
アナタたちを思って、という付け足しは野暮だと思ったんだろうけど、言外に滲んでいた。
アタシは何だか照れ臭くなって、
「って言ってもケーキは雛に教えてもらったし、リングも康生のコーチあっての物だから」
拗ねたような口調になってしまった。だけどママもパパも本当に優しい顔(それこそアタシが小さかった頃みたいな)で笑いながら、「ありがとう」と口を揃えて言ってくれるのだった。




