216:ギャルが本気を出した
8月30日。
決戦の朝は、これから晴れるとも降るとも判断のつかない曇り空をしていた。
7時に起床。身だしなみを整え、朝食をとり終えた辺りで玄関のチャイムが鳴る。相手が誰だか分かってるので、そのまま出た。
銀に程近いアッシュグレーの髪色の女の子。僕のために入れてくれたというエメラルドグリーンのメッシュも艶やかで、よく手入れされてるのが一目で分かる。朝の陽光を浴びて、キラキラと輝いていた。
「おはよう」
「おはようございます。もう調理器具の支度は出来てますよ」
「サンキュー」
少し派手なサンダルを脱いで、玄関に上がってくる。段差を昇るときに手を引いてあげると、にししと歯を見せて笑ってくれた。
リビングに入ると、父さんたちがこっちを向いた。朝食を終え、出勤までの僅かなリラックスタイム中。星架さんが申し訳なさそうに、
「おはようございます。朝早くからすいません」
そんな挨拶をする。
「おはよう……大丈夫よ、気にしないでちょうだい」
既に数日前から、ケーキは我が家で焼く予定で話はまとまっていた。麗華さんがディナーのご馳走を作るために溝口家のキッチンは独占してしまう。そこでウチのキッチンを貸して、ここで焼いたものを自転車で運び入れるという形でまとまっていた。
朝からなのは、一回で上手く焼けなかった時のための予備時間&溝口家のリビングにオーナメントを飾り付ける時間なども考慮してのことだった。
そのうち、父さんが朝礼の準備があるとかで早めに工場へ出勤。母さんはもう少しだけ星架さんのケーキ作りを見守ってから、ショップへと出勤した。出がけに「頑張ってね」と星架さんの両手を握って激励していた。
星架さんは母さんを見送った後、少し涙ぐんだのを誤魔化すように、
「二人とも通勤時間0分って良いよね~」
なんてちょっと外したことを言った。
星架さんは作るのが二度目とは思えないほど淀みなく作業を進めていく。恐らくだけど、重井家から帰った後も工程を書いたメモを何度も見返したり、イメージトレーニングしたり、そういう陰の努力を積んだんだと思う。
僕が本気でモノを作っている時の目をカッコイイと言ってくれる彼女だけど、今こうしている彼女の目も惚れ惚れするほどカッコよかった。創作と菓子作り。誰かの笑顔のために……そう願って作るモノにどれほどの差異があるだろうか。
「ふう~」
完成。一発成功だ。完成品の味見が出来ないのがケーキの怖いところだけど……分量、温度、時間、全て教科書通りに実行していたから、まず大丈夫だろう。
「お疲れ様です」
「うん。康生もサポートありがと」
頬を撫でられる。と、
「あ、こっち側、クリームついてる」
半笑いでお約束をしてくる。僕は軽く屈んで撫でられた方とは逆の頬を向けた。取ってください、と言う前に、星架さんの唇が縦断するように頬を何度もついばんだ。
「アタシもついてるかも?」
唇を突き出して、少し目を閉じる星架さん。今日はピンク系のルージュを引いてる。当然どこにも白い塊はない。だけど僕は何も言わず、その唇に自分のそれを優しく重ねた。
この後、溝口家へ移動すれば麗華さんの目がある。キスは今日これで最後になるかも知れないと思うと、いつまでも離しがたく、随分と長い間そうしていた。
姉さんの朝食(この調子だと朝昼兼用になりそうだけど)を用意して、ラップをかけて冷蔵庫に。代わりにケーキを慎重に取り出し、紙箱へ。予め用意していた保冷剤も惜しまず同梱し、いざ出発。
スターブリッジ号に載せて星架さんが運ぶことに。僕は駅伝の白バイよろしく、先導するようにその前を走った。障害物や段差がないか。デリケートな創作物を運ぶことも稀にあるから、こういうのは初めてじゃないけど、いつやっても心臓に悪い。
いつもの2倍くらい時間をかけて、星架さんのマンションに到着した。
中にお邪魔すると、麗華さんが出迎えてくれる。普段から綺麗なお母さんだけど、今日はまた一段とめかしこんでいた。星架さんと歳の離れた姉妹と言われても頷いてしまいそうだ。
「今日はよろしくね……」
だけど着飾った外見とは裏腹に、内心はきっと不安だらけなんだろう。弱々しい声だった。ただそれを指摘しても困らせるだけなので、なるだけ柔らかく笑って挨拶を返すに留めた。
「じゃあ、オーナメント、やらせてもらいますね」
壁飾りは星を模ったものを選んだ。星を架けるなんて言葉遊びで、星架さんは苦笑してたけど。モコモコの手触りのモールも幾重にも架けていく。カーテンレールに掛かったフックにも、ボール状の装飾を吊るしていく。プルプルと背伸びした足が震えているところに、星架さんが脇腹を突っつくものだから、
「ぬはっ」
と変な声が出て、親子二人に笑われた。
「いやいや、星架さんが笑うのはおかしいでしょ」
そんなツッコミを入れて、それを聞いた麗華さんがまた笑ってくれた。少しは緊張も和らいでくれたかな。それならピエロをやった甲斐もある。
……そう言えばメイク教室の時も、僕がピエロ役をやって星架さんをリラックスさせたっけ。なんだかんだ似た者親子だね、なんて思いながら、僕は再び手を伸ばすのだった。




