181:陰キャが頼もしすぎた
<星架サイド>
すぐに7階まで上がってきた康生を迎え入れる。慌てて来てくれたんだろう。髪は寝癖でうねってるし、ヨレヨレのTシャツとスウェットズボンの出で立ちは、寝間着のままなのかも知れない。
「康生!」
それでもアタシにとっては、この難題に共に立ち向かってくれる心強く、そして愛おしい相棒だ。
その胸に思わず飛び込むと、力強い腕にキュッと体を抱かれる。それだけでまた少し安心してしまう。頭に回ってきた手が優しく髪を撫でてくれる。
「大丈夫、大丈夫だよ」
たっぷり10秒ほど堪能したところで、康生にそっと肩を押された。
「それで……麗華さんは?」
「あ、うん。意識もシッカリしてるし、痛みとかもなさそうなんだけど」
状態を話しながら、リビングへ入る。するとママが座ったまま鼻を押さえていた。
「ど、どうしたの!?」
「大声出さないの。鼻……打っただけだから」
そっか、結構ガッツリうつ伏せに倒れてたけど、たぶん手を出すのが間に合わなかったんだ。それで顔を打ったのか。さっきは何ともなかったけど、遅れて鼻血が出てきたみたいだ。
と、そこで康生がアタシを追い抜いて、するするとママに近づく。途中でティッシュボックスから4枚ほどティッシュを抜き取って、傍にかがんだ。
「上を向かない方が良いです。脳に何かあるかも知れないので」
「もう、康生クンまで大袈裟よ」
ママは軽く笑ってみせるけど、康生が真剣な様子なので、笑みを引っ込め指示に従った。渡されたティッシュを鼻に当て、血を吸わせる。
そこで康生のスマホに着信。ワンコールで出ると、
「もしもし。うん。うん。わかった、ありがとう」
と簡潔な通話を終えた。
「近くに救急外来の評判が良い病院があるんです。家を出る前に母さんに頼んで、連絡をつけてもらってました」
「え?」
「ちょっとした不安でも利用して良いよと言ってくれる優しい病院です。叔父さんの鼻の穴にピーナッツが詰まって運ばれた時もバカにしたりせずに処置してくれたような所です」
それは凄い。何という安心感。ていうか康生の叔父さんさ……
「もしもし。はい、今からタクシーを1台お願いしたいんですけど。住所は東区の……」
とか考えてる間に、康生は今度は自分からどこかに電話をかけている。どこかって言うか、漏れ聞こえる内容からして、タクシー会社だ。そっか、たぶん信号待ちかなんかの時に手早く調べて、番号入れておいたんだ。
「タクシー、5分くらいで来れるそうです」
「……」
「……」
アタシもママも、手際の良さと冷静な下準備に驚いて何も言えない。この場は康生が完全に仕切ってる。
「麗華さん。僕がおんぶしますので、乗ってみてください。体を動かして何か痛みとか違和感があるようだったら、すぐに言ってください」
「あ、は、はい」
ママまで敬語になってるし。え、すごい。康生だよね、この人。あのモチモチでポヤポヤの甘えん坊と同一人物……なの?
康生はアタシの当惑を他所に、言葉通り、ママの前で腰を落とす。ママも康生の首に手を回すようにして乗り、それを確認した彼は、ゆっくりゆっくり立ち上がる。
「どうですか? 体勢変わりましたけど」
「え、ええ。大丈夫、みたい」
それを聞いて康生がホッとした表情を見せる。ママのことも本当に真剣に心配してくれてるんだって、一目で分かるような感情の入り方だった。
「じゃあ少しずつ歩きましょう。星架さん、麗華さんのカバンと、あとは靴を持って玄関のドアを開けて待ってて下さい」
「あ、う、うん」
「あっと、保険証は?」
「財布に入ってる。大丈夫」
ママの答えに康生は一つ頷いて、歩きはじめる。すごい、本当に冷静だ。保険証のことまで。
っとと。アタシも呆気に取られてる場合じゃない。すぐに康生に言われた通りに動いた。玄関ドアを手で押さえたまま、康生が出てくるのを待った。やがて二人の体が廊下に出ると、ドアを閉め、鍵を掛け(これも忘れかけたけど康生が注意してくれた)、二人の後をついていく。ママを抱える力強い腕の筋肉に安心感を覚え……
「星架さん、先に行ってエレベーターを呼んどいて下さい」
「あ! う、うん」
そうだ。行動を先回りしてあげなくちゃダメだったんだ。アタシ全く冷静に見れてないや。それに引き換え、康生は幾つ目があるのっていうくらい、よく見てる。
……いや、落ち込むのは後だ。とにかく、アタシはまたまた指示された通り動く。申し訳ないけどエレベーターを止めさせてもらって、ママをおぶった康生の到着を待った。
下の階に降りた所で、エントランスのガラス越しに黒塗りのタクシーを見つけた。
近づいていくと、運転手が後部座席のドアを開けてくれた。そこに康生が背を向けてしゃがむ。ママは背中からシートに移った。
アタシもその隣に乗り込むと、康生は助手席へ。彼が運転手に病院名を告げると、タクシーは出発した。