146:ギャルにあーんをした
星架さんが卵を溶いてくれている間に、冷蔵庫からラップにくるんだタマネギの微塵切りと、チャーシューの入ったタッパーを取り出した。チャーシューは僕のお手製で、色々と改良したタレに漬け込んである。
「うお! 特製チャーシューじゃんか。コウちゃ~ん、一口ちょうだ~い」
流石は姉さん。目ざとい。
「美味いんすか?」
洞口さんも興味を惹かれた様子。
「激ウマ。タレが康生にしか出せない味なんだよ」
「……康生く~ん、ウチにも一口お恵みを~」
いやしんぼが仲間を増やしてしまった。と、そこで視線を感じて隣を見ると、星架さんまで物欲しそうな顔をして僕を見ていた。ああ、あっという間に感染が拡大してしまった。
嘆息して、タッパーを開けると、縛っていた糸を外し、豚肉のブロックをまな板の上に解放した。
「うわ、良い匂い」
地獄の餓鬼たちが集まってきた。包丁を二回入れて、二枚切り出してやる。食器棚から小皿を出し、ペタッと乗せて渡すと、餓鬼たちはリビングのテーブルへ戻って行った。
星架さんにも切ってあげると、「あーん」と口を開けて催促された。仕方ないなと苦笑して、手掴みで食べさせてあげる。舌で受け取って口を閉じ、最後に僕の指をチュッと吸った星架さん。
ぞわっと、経験したことのない感触に背筋が震えた。や、やばい。今の。
「どった?」
まさかの無自覚。本当に指についたタレを舐めとる以上の意図はなかったらしい。だけど僕は指にされたキスが呼び水になって……
「康生?」
舐められた方とは別の手で星架さんの小さな顔に手を添える。指先に彼女の耳たぶが触れた。最近つけ始めた落ち着いた雰囲気のピアスが小さく揺れる。そっと閉じられる瞳。キレイに整えられたアイライン。視線を下げると、ぷるんと瑞々しい唇。今日はピンク系の明るいルージュだ。
「……」
ゆっくりと顔を傾けて……星架さんの顔の向こうに、かぶりつき特等席から見つめる4つの瞳を見つけた。
「あ」
急速に冷えていく頭。ここがどこで、何をしていて、他に誰が居るのか、そんなことがキレイさっぱり頭から抜け落ちていた。「ん?」と目を開けた星架さんも、僕の視線を辿って、二人の餓鬼を見つけた。途端に、バツが悪くなって俯く。
「ああ、いえいえ。私どものことはお構いなく」
そういうワケにいくもんか。
「ていうか、チャーシューは?」
「もうないよ~、そんなの」
洞口さんが心底嬉しそうな顔で、重井さんのモノマネをして、からかってくる。
「……ご飯抜きにしますよ?」
「ああ、ごめんごめん。もう言わんから」
やいのやいの、騒がしい昼食になった。
午後の部で、星架さんのちぎり絵は完成を見た。初めてにしては普通に上手くできていた。鼻高々という感じだったので、思わず頭を撫でて褒めると、ますます笑顔になって可愛かった。
僕の方もほぼ完成。常連の歴女さん(40代くらいの大人しい人だ)が欲しがってくれたら、日頃のご愛顧も兼ねて、格安でお譲りしようかな。ただ時々「解釈違いです」とか言って見向きもされない時があるから、そん時は店に飾っておこう。
「かあ~、ウチだけ完成せずか。悔しい」
「初心者のクセに欲張りすぎなんよ」
まあ言い方は兎も角、僕も星架さんに同意ではある。でも、出来てる部分は普通に敢闘賞レベルだし、センスは全然悪くない。と言うようなことを何度も言って励ましたけど、作業スピードの壁を超えるまでには至らなかった。
やっぱり純粋に難しかったよね。複雑な色合いが多かったし。
それでも自分が作りたい物を作るのが一番だし、その為に時間を沢山かけるのも醍醐味と言えば醍醐味で。時間かけまくって完成させた物は本当に愛おしいからね。
「続きは……盆の中頃かな」
「あ、里帰りするんですか?」
「うん。荊鬼な。実際の光景も見れるし、目に焼き付けて帰ってくるわ」
ああ、それは強いな。写真も撮ってこられそうだし、何よりモチベにも繋がるからね。
「クッツーは帰るん?」
「うーん。父方はここだし、母方も鎌呉だから割としょっちゅう会ってるんですよね。向こうも、わざわざ混む時に来なくても良いよって言ってくれてるし、今年は控えようかなと」
「……そっか」
あからさまにホッとした表情の洞口さん。彼女も、星架さんが今年はどちらにも帰省できないのを知ってるから。僕が盆休み中、ずっと傍に居られるって知って安心したんだろう。
「……」
星架さんと目が合う。切なげな笑顔を見るに、僕の気遣いも筒抜けなんだろうな。
……家庭内別居なんてされたら、そりゃ子供からすると、どちらの実家に帰省しても角が立つに決まってるし、自重するよね。
夫婦間で何があるのか僕には知る由もないんだから、筋違いかも知れないけど……それでも少しだけ怒りを覚えてしまった。