107:ギャルに過去を話す決意をする
僕はもう彼ら二人の顔を見たくなくて、過去から逃げ出したくて、半ば競歩のようなスピードで歩いていた。途中から星架さんがついて来れなくなったので、手を離して一人で歩く。
「康生、待って!」
「星架、クッツー」
早歩きの僕を星架さんが小走りで、更にその向こうから洞口さんが走って追いかけてきている。けど僕は二人に構う余裕がなくて、ただひたすらに歩いた。そして駅舎に入って、やっと立ち止まった。振り返る。追ってくるのは彼女たち二人だけ。白石クンたちはついてきていない。
そこでようやく、僕は大きく息を吐いて冷静さを取り戻した。と同時、自分の情けなさに拳を握る。あれから一年近く経とうとしてるのに、未だに元クラスメイトの顔を見ただけで、言葉を交わしただけで、このザマだ。
「康生!」
追い付いて、僕の腕を強く掴む星架さん。焦った顔、荒い息遣いに、罪悪感がこみ上げる。
「……ゴメンなさい。急に」
頭の冷静な部分が、「何でもない、大したことじゃない」と取り繕おうとしている。心配をかけたくない。そして情けないところを見せたくない。
「ううん……全然良いんだよ。ホーム行こっか?」
もう遊ぶ雰囲気ではなくなってしまった……よね。僕は洞口さんの顔を見る。彼女の最寄り駅はもう幾つか西側。つまり僕らと遊ぶために、わざわざ出てきてくれたんだ。なのに。
「気にすんなよ。貸し一つってことで」
男前に笑う彼女もまた、星架さんに負けず劣らず優しい人だ。
洞口さんと別れ、僕ら二人はホームに降り、待合室に入る。休日の昼下がり、皆どこかで遊んでる時間帯ゆえか、幸いにも中は無人だった。
「……」
「……」
エアコンからの送風が、首筋の汗を優しく撫でていく。隣には親友が座り、僕の手をそっと握ってくれている。
隔離された空間。外の音も何も聞こえない。
……人心地ついた、という感じだった。
「僕、星架さんに聞いて欲しいです」
「え?」
「いつかは話したいって思ってて……でも勇気が出なくて」
臆病な僕は何かキッカケを欲していた。けど、今日こうしてキッカケを得て「話したい」という欲求の質が変化してるのに気付いた。
信頼の証として、あるいは星架さんの家庭環境だけ一方的に聞いてしまった後ろめたさから、話すことで肩の荷を下ろしたいんだとばかり、自分でも思い込んでた。
でも少し違った。
今はただ純粋に、星架さんに聞いて欲しい。僕のことを知っていて欲しい。情けないところを見せたくないって気持ちは変わらずあるのに、同時にそんな情けない僕を受け入れて欲しいって欲求も、矛盾しながら確かに存在しているんだ。
僕は星架さんの顔を見る。優しく気遣わしげな表情。無理しなくても大丈夫だよ、と目が語っている。
だけど僕はその温かなぬるま湯から、一歩踏み出す決断をした。
「……きっと聞いてて楽しい話ではないです。それでも僕、星架さんに聞いて欲しいんです」
星架さんは驚いて軽く目を見開いて、そして次に母さんみたいに優しく微笑んでくれた。
僕はその笑顔に大きな安心を得て……やがて自分の過去を語り始めた。
僕はかつて中高一貫の進学校に通っていた。横中東駅から徒歩10分の好立地に、実力のある教師陣(予備校から有名な講師を招いたりもしていた)によるハイレベルな授業がウリで、それなりに競争率も高い所だった。
だけど僕はその狭き門をくぐり抜け、学舎の門を叩くことが出来た。母さんは大喜びだった。有名国立大も狙えると、気の早い話もしていた。
僕はまあ、何となく母さんの期待に応えといた方が良かろうというくらいの志望動機だったけど。まあ当時はまだ製作所を継ぐかどうかも、よく考えてなかったから、取り敢えず偏差値高いとこ入っとくに越したことはない、とも思ってたけど。
一年、二年は何事もなく過ごした。男子校だから、青春の甘酸っぱいアレソレは皆無だったけど、同性しかいない気楽さは、それはそれで悪くはなかった。
転機が訪れたのは、三年生も半ばを過ぎ、文化祭のシーズンを迎えた頃だった。
「沓澤、お前んち、木工屋なんだってな?」
クラスの少しだけ不良っぽい(どんな進学校でも、この手のタイプがいるみたい)数人が、そんなことを聞いてきた。
「う、うん」
三年になって初めて同じクラスになった連中で、僕は内心で苦手意識を持っていた。
「文化祭さあ、道具類、頼っても良いか?」
なんだ、そんなことか。僕はホッとしたのを覚えてる。
「うん、良いよ。家から持ってくる」
僕は勘違いしていた。てっきり工具を貸してくれという話だと思ったのだ。
だが、蓋を開けてみれば、劇の大道具、小道具、その全てが僕ひとりの担当になっていたのだった……