21.たったひとつ、欲しいもの
エディトが大人の男に軽々と抱き上げられ、連れていかれるのを木偶のように見送った後、ラースはぽつりと言った。
「あの茶会に関わった者たちを、一人残らず全員僕の前に引き出せ」
人形皇子のあだ名に相応しい、抑揚のない声だった。
こうなった時のラースは、たとえ彼の胸の中でどんな激情が渦巻いていようと、外からは一切窺い知ることが出来ない。
「……宮殿警護部の捜査をお待ちください」
「待てない」
ロジェの言葉にラースは物憂く首を振った。
「事態は一刻を争う。お前もそれくらい分かっているだろう」
こうしている間にも、エディトの体の中で名も分からぬ毒が彼女を苛んでいる。一刻も早く毒物を特定し、解毒剤を調合させなくてはならなかった。
ラースが付き合っていられないとばかりに、扉口に向かって一歩足を踏み出した時、背後からロジェが尋ねた。
「恐れながら、あなたはどんな理由をつけて、彼らの体に触れるおつもりで?」
「――何だと?」
ラースは不快げに眉を寄せて振り返った。
「だってあなたは、片っ端から彼らの体に触れて回るおつもりなのでしょう?」
当然だ。それが一番早い。
ロジェは殊更、恭しく腰を屈めてみせた。
「ええ勿論、あなたがなさることの理由を、下々にいちいち伝える必要などございませんが」
彼はそこで声を潜めた。お忘れでしょうか、あなたのそのお力は、皇帝家の秘密中の秘密。
「あなたがただならぬご様子で、片っ端から皆の体に触れて回る。犯人に触れた瞬間、『お前だな』と叫ぶ。そんなことをしたが最後、大して利口でない者も気づくでしょう。――もしや皇子は、手を触れた相手の心の内が読めるのでは? と」
それが何だと言いたげに、ラースは緩く首を傾げた。
ロジェの言葉はラースにとって、まるで意味をなさない音のようだった。
「……今のあなたは、そんなことを取り繕う気もないようですね」
ロジェは呆れたように呟いて、「宮殿警護部の捜査をお待ちください」と繰り返した。
飄々とした細身のロジェから、力ずくでも止める、という気配がした。
場合によってはラースを再び羽交い絞めにし、ラースが諦めるまで拘束することも辞さない、とロジェの目は雄弁に告げていた。
「どうか」
上質な白手袋をはめた手が、準備運動をするように、小指側からゆっくりと指をほぐした。
「殿下、戻ってきてください」
この侍従がこんな顔をするのは、年に一度、あるかないかのことだった。
戻ってきてください――か。
ふ、とラースの唇から失笑が漏れた。
――どうしようもない。長い付き合いの侍従にこんなことを言われては。
静かな狂気と張り詰めた気配は、薔薇の一片のごとき笑みでどちらも消えた。
「僕は本当に無力だな……」
この力さえあれば犯人を、ひいては毒物を特定することなど造作もないというのに。
ラースは忌まわしい力を無理やり与えられる一方、その力を好きに使うことは許されていないという訳だった。
「無力で……何も出来ない子供だ」
弱っているエディトに気遣われ、シェストレムには呆れられ。
ダグ・シェストレムのあの態度は当然だった。ラースはエディトを守らなかったのだから。
「……シェストレムなら守っただろう」
大事な局面での状況判断を、決して間違わぬと軍でも評判の男。エディトを軽々と抱き上げる腕を持ち、キスひとつでエディトを安心させる。
シェストレムの名が出た途端、ロジェがすっと目を細めた。
「あの放蕩者が何か?」
「お前の個人的好き嫌いは知らない。残念ながら、僕はあの放蕩者に何一つ敵わない。……今のところは」
だからと言って、指をくわえて見ているつもりなどないが。
ラースは舞い落ちる薔薇の花弁のように、はらりと優雅に踵を返した。
「――陛下にお目通り願う」
ただの人形皇子だった頃から、これまで何度となく通った父へと続く道を、自ら進んで歩くのはこれが初めてかもしれなかった。
簡単なことだ。表立って動けぬのなら、何でも知っているあの人に聞けばいい。
父は既に動いているはずだった。
今回の件についても、まことしやかに囁かれるヴァルテル四世の「秘密機関」が――実際にはそんなものは存在しなかったし、したとしても構成員はせいぜいラースとあのお喋りな管である――宮殿警護部と連携し、速やかに犯人を特定することだろう。
レプスウルサの皇子が臨席した茶会において、毒物が使われるなど、決してあってはならないことだった。一刻も早く解決しなくては皇帝家の威信にかかわる。
「あの方は、きっと何かご存知だ」
犯人につながる何か。
それさえ分かれば、犯人だけが知り得る情報――エディトに使われた毒物が何かということも分かる。
ラースが知りたいのはそれだけだった。
犯人の追及も、報復もどうでもよかった。
ままならぬ足を引きずって、ラースは一歩、また一歩と、杖を突いては前に進む。
頭を下げる用意はあった。意地の悪い質問にも、何でも答えるつもりだった。
この先何年でも、操り人形にも鸚鵡にもなろう。
だからエディトを助けてと縋る。
愛しているのかと訊かれたら、ラースはきっとはいと答える。愛がどういうものかは知らなかったが。
「……エディト」
そのままのあなたを抱きしめさせてと、ラースを丸ごと優しい笑みで包んだ人。
人形皇子の青い目から、一粒の涙がこぼれ落ちた。
「愛とか恋とか運命とかどうでもいい。僕はエディトがいい」
「人はそれを愛とか恋とか運命って呼ぶんじゃないですか」
後ろからロジェがぼそりと言った。




