①友達が、死んじゃった
「夏のホラー2020」企画作品です。2話完結。是非、皆さまに涼しい夜を……。
渋谷駅から棚瀬依理の自宅最寄り駅への終電時間は23:54。依理は田園都市線を降りると、人混みをかき分けながら連絡通路を早足で歩いた。
喪服で髪を振り乱して歩く依理の姿は周囲からも奇異に見えただろう。往来の人々の目線が痛い。
それでも良かった。今夜はひどく疲れていた。なるべく座席を確保し座って帰りたい。それに0:00からは、依理が大好きな男性アイドルグループのラジオ番組が始まる! 辛く悲しい想いは忘れて、ラジオを聞きながら、ゆったりリラックスして帰路につきたかった。
※ ※ ※
―─出雲花之葉が死んだ。
同期だったし、仲は良かった方だと思う。
とても綺麗な子で、会社の男性陣からも人気があった。気遣い上手で仕事も卒がなく、かと言って男に色目を使うこともなく、飲み会も女の子同士を好んでいた。
その花之葉が死んだ……。
通夜のその日、親族はそれについては何も触れていなかったが、噂では原因は自殺。
古い日本家屋の自宅の縁側の軒先で、ゆらゆらと、灯りの消えた吊り灯籠のようにぶら下がっているのを、家人が発見したのだと言う。
そのお通夜は、とても湿っぽかった。誰もが顔に作り笑いを浮かべ、明らかに目に涙を溜めたままの笑顔で、思い出話をしている男性社員もいた。
堪らなかった。
早く、この重苦しい場から去りたかった。
苦手だ。
それに、布団に寝かされている、すでに魂を失った花之葉の傍にいるのが堪らなかった。
「終電ですので」
同僚たちが次々と席を立ち始めたのが、依理にはありがたかった。
ただ1人、先輩で依理たちの教育係でもある佐々木亮だけは、泊まって花之葉と夜を共にすると、その場に残った。佐々木先輩が花之葉に好意を寄せていたことは、会社内の誰もが知っていた。そして、遺族もそれを、拒まなかった。
※ ※ ※
タタタタタタタ、タタタタタタ……♪
……東京メトロ副都心線渋谷駅5番線の発車メロディである「おとぎのワルツ」が流れる。良かった。なんとか座席を確保できた。
終電だということもあり、車内はいっぱいだ。隣に座っているサラリーマンからお酒くさい匂いがプンと漂う。その中を、副都心線はゆっくりと進み始め、やがて車窓の副都心線ホームが足早に走り去っていった。
依理は、ほうっと、ため息をつく。
そしてイヤホンをバッグから取り出すと、ゆっくりと耳に装着した。
もうすぐ、私の大好きな番組が始まる。
イチオシの高龍太くんの声が聞ける!
依理はラジオアプリを起動する。そして番組が始まる0:00を待つ。
高くんは、先輩からも可愛がられる存在で、先輩アイドルグループのバラエティ番組にもよく呼ばれていた。
最近はドラマにも出始めていて、SNSでその演技が絶賛されているツイートを見ては、依理は喜んでいた。
23:59。
もうすぐだ。胸が高鳴ってくる。
毎週の楽しみ。
これさえ聞けば、花之葉のあの悲しそうな死に顔も、その他もろもろ、嫌なことも、嫌な思い出も、忘れられるはずだった。
0:00。
番組が始まる時間だ。
だが……。
(違う……)
いつもの聞き慣れたあの、オープニングテーマじゃない!
番組を間違えたのだろうか。依理はスマホを操作して、前の画面に戻ろうとする。だが、なぜかどれだけスワイプしても、画面が固定されてしまっていて、戻れない。
だが、依理がそれでも聞き入ってしまったのは、男性MCのタイトルコールがイケボだったからだった。
「告白・千一夜! ましろくんの『ラララン・ドリーム・サロン』!」
依理は声フェチだった。声の良し悪しが恋愛の上でも重要項目となる。それは高くんもそうだ。そして、この「ましろくん」というMCの声は、高くんと同等の、いやもしかしたらそれ以上の、優しい癒やしの響きを持っていた。彼の声が依理の胸を打つ。
聞いてみよう。
依理は思った。
今は、イケボの海におぼれたい。幸い、聞き逃し配信もある。高くんの声は、後で寝る前にでも、ゆっくりと聞けばいい。
※ ※ ※
「さて、始まりました。告白・千一夜! ましろくんの『ラララン・ドリーム・サロン』。この番組は、ゲストの心に潜む闇を、根っこからすべて解き放ってしまおうという、超告白ショー。悲しい告白も過激な告白も、なんでもオッケー♪ 本日も生放送でお送りします! そして~。あなたのお相手はすでにおなじみ、私、ましろくん。ましろくんがお勤めいたします。さて、今日の気になるゲストですが……、ああ。新卒2年目のまだまだフレッシュな会社員の女の子ですね~。果たして、どんな告白をしてくれるのかな? ちなみにこの番組の中では、嘘はご法度。すべて、洗いざらい告ってもらいますので、リスナーの皆さまもお楽しみに♪」
滑らかで優しくて、あたたかく、そして心と体すべてを包み込んでくれるような声。こんな番組があったなんて知らなかった。依理は半ば幸運に感じていた。ラジオアプリの不具合か何か知らないが、お気に入りの声に出会えたからだ。
「では、その前にまず、ご紹介する曲は……。今、大人気ですね! 男性アイドルグループの新星・ライシス・マターの『フェイク・フレンド』!」
(これ! 高くん達の曲!)
依理のテンションはマックスになった。電車の中で、皆に気づかれないよう口ずさむ。電車が大きく揺れた。隣の酒臭いサラリーマンの方が依理の肩に当たった。だが、それも不快とは思わなかった。
それにしても、どんな番組なんだろう。依理も人並みに、告白とか秘密話の類は大好きだ。噂話も大好物。会社でも休憩時間に給湯室に入って、同僚たちと、社内の噂話に花を咲かせる。その時間がたまらなく好きだった。でも、そんなの普通じゃない?
やがて、ライシス・マターの曲が終わる。私の好きな曲を一発目でかけてくれる。そんな番組の進行も依理は気に入った。
「さて。ライシス・マターの『フェイク・フレンド』、皆さまいかがだったでしょうか。実はこの曲をリクエストしてくれたのは、他ならぬ本日のゲストの方! シングルカットされておらず、ライブでもあまり歌われないそうですが、だからこそ聞きたかったそうです。いやいや、僕のお喋りはこのへんにしましょう。では、早速お呼びします。本日のゲスト~、カモン!」
それも依理の興味を引いた。同じライシス・マターのファン。しかも高くんの高音が最も美しく聞ける曲で、アルバムの1曲。
(分かってる!)
そう思ったのだ。どんな子なんだろう。新卒の会社員というから芸能人ではなさそうだ。誰か有名な人だろうか。例えば、インフルエンサーとか?
だが、その声を聞いて、依理は驚がくすることになる。
「こんばんは」
え……?
「ラジオ出演なんて初めてで、すごく緊張しています。ましろくんさん、よろしくお願いします」
「いや、ましろくんさんって……(笑)。ましろくんでいいよ」
「あ、あ……、そ、そうですよね。ありがとうございます」
「はい、落ち着いて~。まずは自己紹介を」
「そうですね。あのー。会社員をしております。まだ入社2年目です」
「初々しいですね。そのちょっと緊張している感じも好印象ですよ。では、お名前をどうぞ」
「あの……。私、棚瀬依理です。23歳です」
これは……私の声だ……!!!
※ ※ ※
依理の心臓が高鳴った。
――そんな……。私、こんな番組出てない……。というか、今日初めてこの番組を知ったのに、こんなの、こんなの、おかしい!
でも。
もしかしたら、同姓同名の別人かもしれない。同姓同名で、たまたま声も似てるだけ。たまたま年齢も同じなだけ。世の中は意外と広い。そんな偶然あってもおかしくない。
「なるほど~。棚瀬さんは、今は関東で1人暮らしというわけですね。寂しくない?」
「ええ。時々、寂しくなりますけど。猫を飼っていますので」
「ええ、猫ちゃん! じゃあ、今も棚瀬さんの帰りを心細げに待ってるんじゃないですか?」
「かもしれません。可愛いんですよ。帰ってくるとニャーニャー鳴きながら飛びついてくるんです」
──私、猫、飼ってる……。
依理の心臓の鼓動が止まらない。電車のリズムを心臓のリズムが追い越す。
電車は池袋に止まった。ドッと人が降り、電車の中が空いて、乗客がまばらになった。
「じゃ、心配だよね。なのに今夜はどうして、こんな時間まで外出してたの? 猫ちゃん、お腹すかせてない?」
「すかせてるかもしれないですね。でも、今日はちょっと、どうしても出かけなければいけない用事があって……」
「どうしても? え? じゃあ、何かあったってことかな」
「はい……。実は……。友達が亡くなったんです」
「ええ!?」
「そのお通夜で……。この時間まで、その子の家にいたんです。同期の子で、すごく男性社員にも人気があって」
「うん、ごめんね。辛いだろうけど続けて。なんでもましろくんが聞くから」
「いいんですか」
「もちろん。僕が受け止めるよ」
「じゃあ……」
車窓の外で、要町の駅が映る。通過駅。「要町」の文字が高速で流れ去っていく。
「……自殺だったんです」
「自殺……?」
「はい。首を吊って……」
あり得ない、あり得ない!
これは
“私”だ。
“私”が、電車の中で、“私”が出ているラジオを、今、聞いている!
※ ※ ※
「首を吊った……。それはただ事ではないね。遺書か何かはなかったの?」
「いえ。残されてなかったそうです。詳しいことはご遺族の方も口を閉ざされていて。とりあえず同期や、親交のあった同僚や上司。あとは、お友達が数人いらしていました」
「そうか……。それは残念だったね。でも珍しいんじゃない。自殺ってことだと、お通夜にご親族以外は呼ばないのが普通でしょ?」
「それが……。亡くなられる前日、ご本人がこう言っていたそうなんです。『私がもし、死ぬようなことがあったら、絶対に会社の同僚や友達を呼んでね』って。お母様が『そんな縁起でもないこと言ってはダメ』って諌めたらしんですけど、ご本人は笑いながら『でも本気だから』と……。結局、それがあの子の最期の言葉になりました」
「つまり、遺言だった……」
「ええ。どうしても呼んでほしいという強い願いが、お母様の脳裏から離れなかったそうです。それで……」
「そうか。きっと何か、複雑な事情か、あと何か、目的が、あったんだね」
冷や汗が止まらない。ダメだ。こんなの聞いてちゃダメだ!
依理はスマホの電源を消そうとした。だが、次の“自分”の言葉で、その手を止めてしまった。
「複雑な事情と言うか……。私たちがイジメていたせいかもしれないんですけどね」
え……!
依理の心臓が止まりそうになる。