ゴリラの国の作法
フレム第一学園、それがミリアとカーチスの通う学園の名前である。
第一とあるのは厳しい試験にて一定以上のラインを超えた者のみが学園に入学を許され、そしてそのランクによって第二第三と落ちていく。
最下級の第十学園になると設備はあってないようなものとなり、逆に第一学園ならば最新鋭の設備を月単位で交換するほどの予算を得られる。
なお慣例により王族はこの試験を受けずに第一学園への入学が決められている。
そう、筋肉が嫌いで筋肉に囲まれるだけで吐き気と胃痛に襲われるような王族であっても。
「ミリア、君はどうやって試験を通ったんだ?」
「試験ですか?」
吐き気と胃痛に襲われている王族は、オーガの里に迷い込んだ妖精のごときミリアのみに視線を向ける事でかろうじて意識を保っていた。
外部の音など聞こえないと言わんばかりの様子、そして一切合切を視界に入れないようにミリアに顔を近づけている様はまさに変態であった。
「君がゴリラの同類だというのはまぁいい。しかしその身体つきは相当なハンデだろう」
フレム学園の入学に必要な試験項目は細かく分けられている。
まず知力だが、それなりの計算ができるのであれば第五学園程度までは難しくない。
しかしさらに上を目指し、頂点である第一学園をというのであれば相当な知識を求められる。
その後は腹筋、背筋、デッドリフト、ウェイトリフティング、懸垂、マラソン、短距離走と言った肉体的な要素が求められる。
知力だけが優れていても他の科目が悪ければ第一学園に入学することは叶わないのだ。
「言うほどではありませんよ。手足が短いだけです。例えば短距離走ならより速く足を動かせばいい、それだけのことです」
「言うは易く行うは難しというが……」
「そうですね、それだけの力を得るのには随分と苦労しました」
「苦労というと、やはりトレーニングか?」
「はい、お母様の指導では水上を走る訓練をしました。最初は10mも進んだところで沈んでしまったのですが、今はフレム大湖を踏破できます」
「……俺の耳がおかしくなったかな。あの海と見まがう湖を踏破?」
「踏破です。水上を走り抜けます」
頭がおかしくなったとしか思えない発言。
しかしミリアはいたって真面目であり、経験則からその表情は本気であると理解してしまったカーチス。
理想の女性、ゴリラではないと思っていた女性はゴリラを超えた超ゴリラだったと知らされたことで彼の胃痛は最高潮に達していた。
「モーリス」
「どうぞ」
差し出された胃薬を瓶から直にがぶ飲みするカーチスを横目にミリアは教室に戻っていた。
背丈に合わない椅子に腰かけ、そして尻の下に持参したクッションを3つ束ねて乗せる事でどうにか机から上半身をのぞかせる。
ゴリラも真っ青な体格のフレム住民からすれば一般的なそれは、子供の姿で成長が止まってしまったミリアにとって大きすぎた。
だからこそのクッションではあるが、それでもまだ背丈が足りていない。
口をとがらせるもそれで解決しないことの方が世の中には多く存在し、そして歳をとればそれだけ想い一つでどうにもならないことなど増えていくのだ。
そんな事実に直面してなお、ミリアは不満を顔に出していた。
「まぁ、表情筋で感情を取り繕えないなど、貴族はおろかフレムの民としても失格ですわよ」
そんな風に声をかけてくる令嬢は少なからずいる。
相手にしても面倒なだけと割り切っているものの、学園での生活態度は将来に関わってくると知っているミリアは妥協することはない。
「そうですね。見た目からしてこれですから、今後気を付けます」
「あら、貧相な筋肉の割には物分かりがいいのですね。そんな筋肉でどうやって殿下に取り入ったか気になりますわ」
「物好きなだけでしょう。私のような存在が珍しいのですよ」
「えぇ、まさに珍獣ですものね」
語弊があるが、他国に行けばミリアは可愛らしい令嬢として扱われる。
その他大勢の令嬢が珍獣であり、そもそも筋肉で人を見るのはフレム王国だけである。
「ミリア嬢、せっかくですから少し勝負でもいかがでしょう」
「勝負ですか、私はあまり得意ではないのですがそれでも良ければ」
「ふふっ、逃げたらそれこそフレム人の名折れですものね。流石にその程度の教育は受けていますか」
「えぇ、若輩者ですがどうぞお手柔らかに」
勝負、それはある種の悪習である。
その内容はただの腕相撲だが、ゴリラの集う国ではただの腕相撲ではない。
ルールは通常のものと変わらないが、その内容は過激である。
数世紀前、とある貴族の間で行われた決闘が現代まで続くそれの原因となった。
元は詐欺で告発された貴族がいた。
だがその肉体は見事なものであり、切り捨てるのは惜しいとされた。
一族秘伝の方法で鍛え上げられた肉体、敗北した場合はそのトレーニング方法を公開し刑を受ける事、勝利すれば放免という条件で行われた決闘。
それにおいて貴族はその手を握りつぶされ、そして勝負の最中に腕を捥がれてしまった。
以後この勝負は男性が行う決闘とは別に力試しや、女性同士の勝負などに用いられるようになった。
男同士の決闘は命を賭け、女同士の勝負は美を賭けるという理由から定着したのだ。
命までは奪わない、しかし敗北と骨折によりトレーニングを中止せざるを得なくなり筋肉の減少をもたらすそれは……ゴリラたちに歓迎された。
どちらが強いかはっきり決まる、そして敗者は烙印を押される、そういった思惑とは別に力自慢のためにこの勝負を好んで挑む令嬢が後を絶たないほどである。
もはや社交界ではデビューする者達が必ず行うものとなっており、通過儀礼であり、そして遊びである。
フレムという国において遊びで怪我をするのは未熟の証とされるのだ。
「それでは、はじめ!」
近くにいた令嬢が手を取り合ったミリアとゴリラから手を離す。
勝負は一瞬だった。
ぐしゃりという湿った音、直後にガシャンという硬質な音が響いた。
ミリアの手は血にまみれていた。
令嬢の手を握りつぶしたことで。
ミリアの表情は普段と変わらなかった。
まるで日常の一コマを見るかのように。
そして、令嬢は青ざめていた。
「わ、私の手が……」
「勝負ありですね。なるべく後遺症の残らないように潰しました。早めに治癒魔法を受ける事をお勧めします」
ハンカチで手を拭いながら答えるミリアに、ゴリラたちは戦慄した。
伝承の手を握りつぶしたというのは誇張表現だと考えられてきたからだ。
しかし、目の前でそれが真実のものとなった。
たとえ見た目がゴリラでなくとも、ゴリラを凌駕するパワーを持っている。
それがミリアという女だと、教室にいた全員が理解した瞬間だった。
「お見事です。ルーブル嬢」
「あなたは……マッスル嬢ですね」
「どうぞユリアとお呼びください」
差し伸べられた手を握り返すミリア、その瞬間だった。
ユリアの細腕、マッスル家秘伝の筋肉を持たない小柄な令嬢にしか見えなくなる肉体操作術、それを解いたことで肥大化した腕でミリアの手を潰そうとしたのだ。
だが、教室は静かだった。
骨が軋む音すらしない、ただただ静寂。
「では、私のこともミリアとお呼びください」
「ふふっ、あなたとはお友達になれそうだわ。どうぞ敬語などやめましょう。ここではお互いにただの学生なのですから」
「あなたがそう望むなら。今後ともよろしくユリア」
がっしりと握られた二人、何も考えていないミリアはともかくユリアは不敵な笑みを浮かべていた。
なお、教室に入ったカーチスが片腕だけゴリラになった令嬢を見て卒倒するまであと10秒。