ゴリラの国はやばい
ミリア・ド・ルーブルは伯爵令嬢である。
幼い頃は可もなく不可もなしという評価を与えられていたが、ある日父の職場である王立書庫に足を踏み入れてから彼女の人生は一変した。
聳え立つ壁のような本棚にぎっしりと詰め込まれた古今東西の書物、それらに魅了されたミリアは寝食を惜しんでそれらを読み漁る、わずか8歳の少女が大人でも音を上げる専門書をだ。
毎日父の職場に足を運んでは何冊もの本を読み漁り、そして乾いた布が水を吸うかの如く知識を会得していく彼女に父は大層喜んだ。
だがそれを良しとしなかったのがミリアの母であるローラだった。
彼女は生粋のフレム人であり、読書よりもトレーニングをと申しつけたが書庫で暗殺術の本から学んだ身のこなしを利用して家を抜け出すミリアを捕まえられる者はいなかった。
幼い彼女は野猿として縦横無尽に屋敷と書庫を移動していた。
さすがのローラも「これだけ動けるのであれば後は筋肉をつけるだけ」という結論に至り、必要最低限のトレーニングをこなせば文句を言う事はなくなり、またその裏には父ブルースによる重い書物を探すのもトレーニングであるという言葉に書庫通いを正式に許可された。
こうして王立書庫の書物を片端から読み漁っていったミリアだったが、ある日禁書に出会ってしまう。
12歳の頃、無駄なトレーニングをせず柔軟に育てた筋肉を万全に生かした彼女は周囲の子供よりも二回り以上小さく見えた。
しかしその持久力に敵う者はいなかったため、一部ではもしやゴリラになるよりも猿と呼ぶ方が良いのではないかなどという風潮まで出てきたほどである。
それを問題視した王家に呼び出されたミリアとブルースは釈明、そしてミリアが蓄えた知識をもとに持久力の重要性を唱え、実際に20人の騎士から1時間逃げおおせてみせるという離れ業を披露した事でトレーニング方法が一新された。
その褒美としてミリアが求めたのは禁書庫の閲覧資格であり、それを手に入れたミリアは数mの高さにも届くであろうスキップをしながら書庫に突撃し、そのまま賢者の呪いを受ける事になった。
母ローラは絶望した、娘の筋肉がこれ以上成長しないという事実に。
父ブルースは心配しながらも内心安堵していた、娘がゴリラにならないことに。
ブルースは元は他国の王族だった。
継承権が低く、次期国王になることは不可能と早々に見切りをつけたブルースは自らを材料にフレムとの親交を深めてくれと願い、鍛え上げたのだった。
その努力が実ってかフレムに婿として出向くことができたが、鍛え上げたと言ってもフレム人ではない彼には限界があった。
フレム王国の貴族は上位になればなるほど筋肉量が多く、それは各家庭に口伝のみで伝えられるトレーニングによるものとされている。
そういった特別なものを持たない、フレム貴族からすればそこそこ程度にも満たないブルースは王族と言えども高位貴族と結ばれることはなく、どうにかこぎつけたのが子爵であった。
こうしてフレムの人間となったブルースだが周囲のゴリラに威圧され、胃を痛めながらも周囲のインテリゴリラと対等に渡り合うだけの知識、そして元王族として得た物全てを使い王立書庫の整理整頓を完璧なものとすることで功績を評価され伯爵になったのだった。
長らく書庫の番人を務めてきたルーブル家だが、その主な仕事は重要な書物の保全である。
それを誰でも瞬時に目当ての本にたどり着けるようにした、王城にも匹敵する巨大な建物の中に無限にあるのではないかとさえ思うほどの本を並べなおした、ただそれだけの理由で出世できたと驚くブルースはゴリラに魂を売り渡す域に達していなかったのである。
結果、母ローラはミリアの受けた呪いに対する対抗策を探したが既にかけられた呪いをどうにかする方法はフレムに無く、父ブルースは呪いを解析した結果成長が止まるだけであり今後ミリアの力は強くなっていくとローラを納得させたのである。
そして当のミリアといえば、禁書に指定されるだけのことはあると謎の喜びを感じながら次はなんの本を読もうかと思案していた。
こうして生まれたインテリ合法ロリゴリラだが、嘲笑の的になったのである。
街を歩いても、社交界に出ても、常に嘲笑される彼女は次第にそれが面倒になっていった。
そしてついに彼女は動いた。
ベッドを王立書庫に運び込んだのだ、素手で。
街中を小柄な子供が涼しい顔して巨大なベッドを運ぶ光景は異様だった。
だがそれは見た目が全てではないと街の者達に知らしめるには十分な効果を持っており、また自分たちの行為が貴族の令嬢にどんな思いを抱かせてしまったのかという罪悪感を埋め込んだ。
その罪悪感を消す方法はなく、そしてミリアは最初からそんなものを気にも留めていない。
面倒だから、耳障りだからという理由で王立書庫に自室とも呼べない区画を造り日がな本を読み漁って、時に整理を手伝い、そうして体を鍛えていったのである。
ちなみにこの国の本は頑丈な事で有名だ。
なにせ読み手が筋肉の塊である。
一般的な羊皮紙などを使った書物は簡単に破損してしまう。
ではどうしたのか、極薄の金属板に溝を掘りそこに黒色金属を流し込んだのだ。
結果としてフレム王国の冶金技術は超高水準となり、この国で生産される装飾品は高く売れるようになり、国は潤った。
問題があるとすれば通常の本にも増して重いそれを長時間読めるだけの筋力と持久力が必要になり、ゴリラたちは魔法派と呼ばれる者達以外手に取ることが無くなってしまったという事くらいだろうか。
彼らは筋力こそあるが持久力がなく、また床に寝そべったりするのははしたないと考え、テーブルの上に乗せて読もうにも頑丈なものでなければ本を乗せただけで簡単に壊れてしまうからである。
結果として持久力に優れた魔法派と、瞬発力に優れた肉体派という区分が出来上がった。
そんな彼らは鎧も武器も使わない。
生半可な武器では壊れてしまい、鎧よりも己の筋肉の方が頑丈と豪語し、事実鋼鉄の斧を振るったところで幼子の皮膚を傷つける程度でしかなく、あまつさえ切りかかった側の斧は刃こぼれしてしまうという惨状である。
そんな国だというのに鉱物資源は腐るほどあったため、王城に匹敵するサイズの書庫いっぱいの本を作ってもなお余るという状況だった。
こうして生まれた魔法派に匹敵する持久力と、肉体派に匹敵する瞬発力を兼ね備えたハイブリッドゴリラがミリアである。
その事に気づいていない者は多いが、彼女に親しい者はこう語る。
「あれは呪いさえはねのける事ができればこの国最高にして最強の令嬢だろう」
なお、鉱物資源に超高水準冶金技術、武器も防具も身につけない兵士達しかいない国となれば方々から戦争を仕掛けられるが自国には一人の犠牲者も重傷者も出すことなくそれらをあしらい続けてきたフレム王国は現在周辺諸国から遠巻きにされている。
アクセサリーだけ買えればいい、という扱いで交易こそしているがもはや戦争を仕掛ける国は存在しない……そう思われていた。