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凹むカーチス

 カーチスは頭を抱えていた。

 この国の第一王子でありながら、筋肉恐怖症の男である彼はゴリラを視界に入れないようにしてきた。

 だが先日のパーティにて、ミリアの施術を受けたところ今までの、フレム王国においては並以下、他国では死人が出るようなトレーニングを重ねてきた結果見事なゴリラ体型になったのである。


 その後で筋肉の収縮法を教わり、事なきを得たのだがマッスル家秘伝の魔法を併用したものではないため気を抜くとぽろりと筋肉が肥大してしまうのだ。

 だが、筋肉を収縮させるために力を籠め続けるという行為はある種のトレーニングに通じる。

 つまり今、ただ頭を抱えているだけの状態でも彼はゴリラとしての成長を続けているのだ。


「誰か助けてくれ……」


 ぼそりと呟いた彼の肩をそっと叩く者がいる。

 ミリアだ。

 婚約者として私室に通う事を許されたが、ここ数日の憔悴を見ている彼女は僅かばかりの責任を感じている。

 そもそものフレム人の肉体は頑丈であり、同時に鍛えれば鍛えるほど肉になるという体質だ。

 だがその体質が仇となり骨を軋ませ、骨格を歪ませることで成長をある程度の段階で阻害してしまうようになる。

 その阻害を全て取り払った完全無欠のゴリラこそが今のカーチスであり、そしてその姿から全国民、全貴族の期待を一身に背負う事になってしまったのである。


「殿下、私にできる事は多くありませんが……」


「どうするというのだ……このような体になってしまってはもう二度と普通の生活など……」


「方法は、あります」


「……また、私をゴリラにするのか?」


「ある意味ではそうなります。ですが上手くいけばその筋肉を押しとどめた状態で維持できるようになります。今までのように力を籠め続ける必要もなく、毎朝悲鳴を上げることもない。そんな生活が」


「………………教えてくれ」


「こちらを」


 差し出されたのは一冊の本。

 ざらざらとした手触りの表紙はなぜか嫌悪感を抱かせる。


「これは……人の皮か!?」


「はい、4代前の賢者が残した魔導書です。その悪辣により禁忌に手を染め、そして処刑されてなお漂う怨念は呪いとなってこの本に宿りました」


「どういう呪いなのだ」


「かの者は自らの筋肉を鍛えるだけでは飽き足らず、他者の筋肉をも奪っていたのです」


「はっ、その魔法で俺の筋肉を奪うと?」


「それも一興ですが、そのような事をすれば首謀者はもちろん私も殿下も首を落とされるでしょう」


 この国の価値は筋肉が最上、次に重量のある物、家族、財産と続いて最後に命である。

 戦闘民族ではないが、鍛え続ける事こそが至上とされるゆえの価値観だ。

 それを奪うという行為は相手の同意があったとしても許されないとされている。


「重要なのは呪いの方です。この呪いは持ちうる筋肉を魔力へと変換してしまうという物。つまり……」


「この肉を別の力にすることができるという事か」


「御明察です。また付け加えるならば呪いと言ってもある種の変換魔法と同義、発動は一瞬、永続する効果ではありません」


「どういうことだ?」


「つまり、国民から認められる必要が出たらまた鍛えて見せびらかした後でまた魔力に変換すればいいのです」


「……それ、呪いなのか? ある種の祝福とかそっちに近い気がするのだが」


 カーチスの言葉は間違ってはいない。

 魔力量というのは増やすのに難儀するものであり、熟練の魔法使いがありとあらゆる手段を使い10を100に増やすために半生を使うなどざらにあるのだ。

 だがこの方法を使えば10を50にする程度であれば数年で済む。

 他国であれば禁書どころか国宝として祭られるレベルである。


「殿下は筋肉嫌いですからね。フレム人にとって筋肉を奪われるのは死と同じとわかっていても、それでも手放したくなるのでしょう。ですが紛れもない呪いです。一時的であろうと力が奪われるというのは恐ろしい事なのです」


 事実、この本を読んだミリアは数カ月の間まともに動けなくなった。

 呪いの重ね掛けもあり肉体が成長しないミリアは、子供の頃に僅かに得た筋肉を全て奪われたのだ。

 その後復帰できるようになるまでにあらゆる方法で呪いを反転させ、最低限の筋肉を取り戻したのだ。

 ともすればそのまま死んでいてもおかしくはなかっただろう。


「……わかった。だがミリア、責任を感じているのかもしれないが殿下はやめてくれ。急に他人行儀になられても悲しいだけだ」


「……失礼しました。カーチス様」


「こういう時くらいは呼び捨てにしてくれてもいいんだぞ?」


「それはまだ早いという事で」


 こうして一度はゴリラになったカーチスだが、再び細身の肉体に戻ることができた。

 呪いを受けた彼はある意味で解放された気分になったという。

 ……なお、これにより世界最強の魔法使いが一人産まれたのは余談である。

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