不老不死令嬢
不老不死。それは全ての人間が憧れる理想。
中国の皇帝や、お偉いさん達が次々とそれを求め、しかし得られなかったもの。
だが彼女は違った。
忘れもしない。十五歳のある日、私は海辺でとある女性と出会った。
「ねえお前さん。不老不死っていうのは知ってるかい?」
若く見えるのに、すっかり希望を失った目をしている、不思議な女性。
私は彼女を見据え、首を傾げた。
「知ってますけど……、それがいかがしたんですか?」
すると女性は、「信じられない話だけど」と言って、訳の分からない事を語り始めたのだ。
「いやあね、あたし、実は不老不死なんだよ。……ずっとずっと何年も、何十年も、この世界を生きて来た。永遠の命ってのは素晴らしいと思うかも知れない。あたしも最初はそう考えていたよ。だがあたしはもう、疲れちまった。だからね、あんたにあたしの力をあげたいと思ってるのさ」
女性は微笑み、「どうだい?」と小首をかしげる。
私は何が何だか分からなかったけれど、なんだか楽そうだと思ってしまった。
「面白いお話ですね。ではその不老不死の力、私に下さい」
女性はふふっと笑うと、なんと突然、右腕をスッと突き出して来た。
「あたしの腕を食べな。しっかり噛むんだ。ほら」
だがそう言われても、私は戸惑ってしまう。だって普通、人の腕を食べようだなんて思わない。
しかし躊躇う間にも、女性はこちらをじっと見つめて来る。よしときゃ良いのに私は、好奇心とかなんとも言えぬ感情に駆られ、思わず言われた通りに女性の腕を噛みちぎってしまった。
甘く柔らかい肉の味が口中に広がる。これが人の肉の味なのだろうか。
ふと目を開けると、そこには女性が頽れていた。
「これで、やっと……」
そして、死んだ。
私は一体何が起こったのか、しばらく理解できなかった。だがそれを飲み込んだ時、込み上げて来たのは恐怖とかではなく、ただただ信じられないという驚きの気持ちだ。
夢だったのかのように思える出来事。しかしそれが本当であった事は、彼女の死体が証明している。
私は携帯電話を取り出し、110へ掛ける事以外思いつかなかった。
きっとこんな事を言っても誰も信じないだろう。だが本当なのだから仕方ない。
私はその日から、背が少しも伸びなくなった。
異変は少しずつだった。
髪が全然抜けないし、生理的な現象も訪れない。それどころか、心臓の呼吸が止まり、やがて呼吸すら必要なくなったのだ。
細胞が再生しない。本当の本当に私は、『不老不死』という理想を掴んだのである。
やがて私は、「不老不死令嬢」と呼ばれ、世の中の注目の的となる。
胸にナイフを刺しても、ビルの十階から突き落とされても死ななかった。
元々家柄が良かったから一躍有名人になり、毎日テレビに出演、家に記者がひっきりなしに押し寄せる始末。
最初のうちは、とても嬉しかった。
けれど数ヶ月後、世界では不老不死の方法について論争、ついには研究のために私の体を奪おうと紛争が起こり、すぐに大きな戦争になった。
そして次々に小国が滅び、やがて大国も崩れ始め、私の暮らすこの国も砲撃を受けた。
全てが一瞬で吹き飛び、目の前で住み慣れた屋敷や親しい人々が砕け散った。
その中でただ一人、私はぼうっと立ち尽くしていた。
人類が滅亡するまでには、そう長い時間が掛からなかった。
無人となった荒野の中、不老不死令嬢は今日もただ寝そべっている。
全部が虚しくて、何もする気が起こらない。
死にたい。何回そう思った事だろう。だが彼女は死ねなかった。どうやっても死ねなかった。
ふと、かつてあの不思議な女性が言っていた言葉を思い出す。
『あたしはもう、疲れちまった』
私ももう疲れた。
誰かにこの力を譲り渡したい、そう思う。
けれどきっともうそれはできないのだろうと、私にはわかっていた。
だってこの力は、己の体を他人に与える事でしか伝染しないのだから。
寂れた街の残骸の中を、冷たい風が吹き抜けていく。
それを私はただじっと佇み、見ていた。
数えるのも嫌になる程月日が過ぎて、尚何も変わらない日々は続く。
「一体いつまで、この虚無を生きるのでしょう。この星が滅びたとしても死ねないのですか……?」
誰にともなく無駄な問い掛けをし、はぁ、と溜息を吐く事の他できないのである。