002 ホットスタート
あくまでもわたしの主観でしかないが、異世界への移動と転生は一瞬だったように思う。
奇妙な文字列と幾何学模様で構成された不思議な門をくぐり、目の前が真っ暗になったと思ったらすぐに視界が開けたから。
ただ、その、開けた視界が────
ゴォオオオォォ
燃えていた。
しかも結構な勢いで。
どこかの室内だろうかと首を捻った時、周囲に何か転がっているのが見えた。見えてしまった。
熱気でひりつく喉が、声にならない悲鳴を上げる。
それは、かつて人だったもの。
────死体だ。
「なっ、なんで人が死んでるの!? ……ッ!?」
自分で発した甲高い声に驚く。
明らかに魅冬のものではなかったからだ。
慌てて己を見回すと、まず美しく長い金髪が目に入った。
次に、薄汚れてはいるが可愛らしいピンクのドレス。
そして、紅葉みたいに小さな手。
まさかと思い、自分の身体をまさぐる。
あるべきはずのモノがそこには無かった。
……ない、ない! ぺったんこ!
「わたしの自慢の胸がなくなってるぅぅ!」
『そっち!? あなたね、胸よりも今の状況に驚きなさいよ!』
あれっ?
頭の中から女神ネメシアーナの声がする。
「ネメシアーナ! どこにいるの? わたしの頭の中ですか?」
『んなわけないでしょ! 何で私があなたのいかにも容量の少なそうな頭に入らなきゃならないのかしら』
ひどっ!
これでも秀才で通ってるんですけど!
『安心なさい。見えずともそばに居るわ。あなたも頭の中で話しかければ私に届くわよ』
(そ、そうなの? そんなことができるなんて、さすが女神さまですね)
『ふっふーん、それほどでもあるわね!』
試しにお世辞を念じてみたのだが、このドヤりよう。
どうやら本当に通じたらしい。
便利なような鬱陶しいような……
いやいや、今はそれどころじゃなかった。
改めて周囲を見渡せば、あらかた燃えているが豪華そうな一室だった。
アンティークっぽい調度品などからして、お屋敷、もしくはお城だろうか。
それで思い出した。
ネメシアーナはわたしを小国の王女に転生させると言っていたことを。
ならばここは王城で間違いなかろう。
それもクーデターが真っ最中の王城だ。
そしてわたしはこの状況下から脱出しなければならない。
それがネメシアーナと交わした転生の条件だ。
でも、まさか王女がこんなに小さな子だったなんて……
あまり直視したくはないが、周りに死亡者の遺体が四体。
全員男性。いずれも鎧兜で武装していた。
この国の衛兵か騎士だと思われる。
そして今更ながらに気付いた。
わたしは自分を中心とした血溜まりの中で佇んでいたことに。
兵士たちのものではない、わたし……いや、この幼き王女のものだ。
あまりにも大量の失血。ひと目で助からないとわかる。
……まだ幼いのに可哀想……
そう思いながら、先ほどは紅葉に見えた血濡れの小さな両手を見つめた時。
ズグンッ
「っ!?」
突如、痛みと共に頭の中へ知らない光景が怒涛の如く雪崩れ込んできた。
立派な身なりの男女に抱き上げられる光景。
二人が……お父さまとお母さまがわたしを見つめて……愛おしそうに、そして幸せそうに笑ってる。
勉強や習い事があまり好きではなく、王宮教師のミリア先生に叱られている光景。
多分わたしは口をへの字にしてむくれている。
こっそりお城を抜け出そうとして、近衛騎士長ランドルに捕まり説教されている光景。
わたしは泣きべそをかいていた。
隣国の王子サミュエルと庭園で美味しそうにおやつを食べている光景。
わたしと彼はとてもとても楽しげだった。
そう。
これは、記憶だ。
小国アニエスタの幼き王女、キャルロッテ・ド・アニエスタの記憶なのだ。
「あ、あぁ……あ……」
『しっかりなさいミフユ。あなたはミフユ、ただキャルロッテでもありミフユでもあるだけ。あなたはあなた。けれど、キャルロッテの想いも受け止めてあげて』
……そうだ!
どうして思い出せなかったんだろう。わたしは9年前、この子に転生したんだ。
わたしはわたし。キャルロッテはキャルロッテ。
だけど、どちらもわたし。
うん。
あなたの想いも一緒に生きていこうね、キャルロッテ。
だから今はゆっくり休んで。
頭の中でそう告げた時、急速に混乱は収まった。
記憶同士が溶けあい、混ざりあってひとつに融合したのだ。
わかる。
今こそ完全に転生は果たされたのだと。
わたしは火神魅冬、そしてキャルロッテ・ド・アニエスタ。
『どう? まだ頭は痛むかしら?』
(ううん、もう平気。キャルロッテの記憶のお陰で状況も大体わかったよ。しなきゃいけないことも)
『そ、頼もしいわね』
珍しくネメシアーナが感心した声で言う。
少しは見直してくれたのかな。
まずは状況整理……って、あっちちちち! すっごく燃えてる!
ホットスタートってこういう意味だっけ!?
これじゃ炎と煙に巻かれちゃう! 急いだほうがいいね!
でも、このままじゃダメだ!
わたしは血の付いたドレス姿。武器も鎧も身に付けていない。
それはそうだ。いきなり城が襲撃されて着の身着のまま近衛騎士たちと逃げ出したのだから。
そしてここへ隠れた。だけど敵の兵士……そう、敵に護衛の騎士たち共々、わたしは殺害されたのだ。
だけど、このまま移動してまだ敵が残っていたらどうする?
せめて武器くらい持たなきゃ。
わたしは倒れている騎士に駆け寄り、武器を探した。
理想はナイフかダガー。9歳の身体ではそれくらい軽い武器じゃないと扱えない。
しかし、どの騎士もナイフは所持していなかった。
どうしよう。さすがに長剣じゃ重いよね?
せめてショートソードなら良かったのに。
だけど何もないよりマシかな……
仕方なく美麗な鞘に収まった剣を『ごめんなさいお借りします』と騎士へ呟きながら持ち上げる。
「えっ!?」
驚きの声が漏れてしまう。
思いのほか剣が軽かったのだ。
「なにこれ? 木剣?」
チャキンと抜いてみるが、どう見ても金属製の刀身だった。
しかし軽く振り回せば、切っ先は思い通りの軌跡を描く。
(ネメシアーナ、キャルロッテって剣の達人だったの?)
『そんな記憶ないでしょうが。今のあなたは大抵のことが出来るようになってるのよ。私の権能でね』
(えぇ!?)
『……向こうがその気ならこっちだって、ね……目に物見せてやるわよ……うふふふ……』
またなんかブツブツ言ってるけど、まさかそれっていわゆるチート的なやつを授けてくれたわけ?
しかも『大抵のこと』ってザックリしすぎじゃない?
あ、そういえば! 一番大事なことを聞き忘れてた!
(この世界って魔法はあるの?)
『常識よ。むしろ疑似的なものしかないあなたのいた世界がおかしいのよ』
やったー!
念願のリアルガチ魔法!
……え、魔法ってないほうがおかしいんだ……?
『いい? あなたに与えた力を使うコツは、妄想力よ。慣れれば【ディヴァイン・ゴッデス・オンライン】で戦っていた時くらいスムーズになるわ』
(そうなの? え、待って、妄想って何よ。簡単に言うけど、そんなにうまくいく? ゲームと生身じゃだいぶ違うんじゃない?)
『ごちゃごちゃうるさいわね。だから、慣れよ、慣れ。誰だって最初は素人でしょうが』
(うーん……それはそうなんだけど……)
いまいち説明がフワッとしすぎてて不安!
なんだかいきなり巨大ロボットに乗せられた子みたいな気分だよ!
でも、使いこなせるかは結局わたし次第ってことだよね。
だったら生き延びるためにもやってみるしかない!