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オーガストのチェス入門  作者: 古地行生
9/12

博士の異常な投了

 昔のオレは誰かと揉めたらケンカで殴り合って白黒をはっきりつけてた。そうするのが好きだった。勝っても負けてもいいんだ。だが引き分けはごめんだった。勝ち負けぼんやり痛み分けなんて負けるよりもみっともない、そう思っとったよ。


 そんな農夫が年を取ってみりゃ、ケンカはしなくなったし物事を引き分けでおさめるのも悪くないなと思うようにもなった。人間が丸くなったのか? 保身に走ってるのか? 自分じゃわからん。年寄りになれば誰でもこういう風になるかといえばそうでもない。オレとは逆に年寄りになってからはなんでもかんでも白黒つけなきゃ落ち着かなくなった知り合いがいる。そいつもたまにここにきてる。引き分けだけは嫌だとよく言っとるよ。


 チェスではっきり勝ちたければチェックメイトだ。これはメイトとも言う。メイトなら誰が見てもどちらかの勝ち、もう一方の負けだ。しかしそれ以外の勝利の仕方もある。昔のオレが嫌ってた引き分けもある。


 チェスの試合結果は大別して三通り、勝利、敗北、引き分けだ。白の勝ちは黒の負け、黒の勝ちは白の負け、表裏一体だな。引き分けは双方勝ちを手放すが負けにおちいることもない。試合形式によってはこれらを成績の点数として計算することもある。多いのは勝ちが1点、負けが0点、引き分けはどちらも0.5点獲得とするものだ。


 三通りの試合結果は、チェックメイトに代表される誰が見てもはっきり断定できる盤上の状況での決定と、盤外の状況と行為での決定とに分かれる。まずは盤外の方を説明しよう。



――――――――――――――――――――



 盤外から試合の結末を決めるのは、持ち時間、投了、引き分けの申し出の三つだ。


 まず持ち時間について。チェスみたいな盤上遊戯では試合時間を定めることができる。双方のプレイヤーに持ち時間を設定するんだ。たとえば、どちらも持ち時間は一時間と決めてから試合をはじめる。手番の時にこの時間が減っていき、先になくなった方は強制的に負けって寸法だ。


 かりに砂時計を使うとしたら、自分の番で指す手を考えるときは砂時計を縦にして上から下へ砂が落ちていく。指したら砂時計を横にして砂の移動をとめる。相手の番の間は自分の時間は減らない。それで相手が指したらまた自分の砂時計を縦にする。お互いこの繰り返しだ。


 時間切れになった側はどんなに優勢でも負けになる。気をつけてくれ。たとえチェックメイトまであと一手まで進んでても時間がなくなりゃ負けになる。くやしいったらないぞ。そんな思いをするのを避けるためには相手の持ち時間も気にして、それに合わせたテンポで指さにゃいかん。これは最初のうちは難しいから、持ち時間を長めに設定するのがいいだろう。決め方はいろいろあるから話し合ってくれ。制限時間なしでいくら考えてもいいってのもありだ。どちらかが明らかに強いなら持ち時間に差をつけるのもいい。片方だけ時間ありってのもいいな。



――――――――――――――――――――



 次に投了。これは敗北宣言ってやつだ。チェスではプレイヤーはいつでも自分の負けを認めて投了していい。できれば自分の手番の時に言うのがスマートだな。局面の情勢がどうなっていてもどちらのプレイヤーも投了できる。一見有利な側がしたり、序盤にしたりも許されている。とはいえ、一手指しただけで投了しますなんてのはルール違反じゃないが余程の事情がない限りマナー違反だ。よほどのことといえばそうだな、かみさんにへそくりがばれて殴りこまれたとかそういう、こりゃもう仕方ないってやつだ。


 投了は時間切れと一緒で負けが確定する。どのへんでするかは人それぞれだな。オレはかなり往生際が悪い方だ。意外と親友のダルテもそうだな。他の友人だとおいおいまだ指せるだろうにという局面で投了だという奴もいる。絶対にしないと最初から決めてるのもいるぞ。この辺はそいつの価値観が反映される。オレも時々は意地になって投了しないな。ほどよいところで投了するのが品が良いって考え方もある。


 たとえばこういう局面になったとしたらほとんどの白は投了するが、最後まで指し通す奴もいる。それは自由だ。黒に拒む権利はない。

挿絵(By みてみん)

 ここまでいったならともかく、自分からすぐ負けを認めるのはチェスをやりはじめの人間にはすすめん。敗色濃厚に見えても意外と逆転の目があったりするもんだし、初心者が最後まで指して駒の動きや終盤の流れを経験するのはとても有意義だ。


 相手のキングを追い詰めるってのはしんどいもんで、するすると逃げられてしまうもんさ。だから自分が追い詰められる経験をしておくのはけっして無駄にならん。かわし方が身につくし、逆の立場になったときに追い詰めやすくなる。それになにより、これはオレの持論だが、叩きのめされておくことが大事だ。立つには倒れなきゃいかん。



――――――――――――――――――――



 そうしてみっつめ、引き分けの申し出だ。これは戦争終結のための外交交渉だ。投了は一方的に相手に宣言して終わりだが、こちらは駆け引きだ。どちらかが申し出ると、相手は引き分けに合意するか拒否するか選ばなければならない。言い出すタイミングは投了と同じだ。マナーについても一緒だな。一手だけ指して引き分けにしないかなんて言うのはじゃあ最初から試合をやるなって話だ。頻繁に持ち出すのもよくない。


 申し出が拒否されると試合続行だ。合意を得られればそこで試合は終了し、結果は引き分けとなる。双方ともに勝ちにも負けにもならん。だが無意味じゃない。引き分けは無効試合にはならんのだ。ここが重要だ。勝ちがつかんから勝ちより劣るが、負けもつかないから負けよりは上等な結果だ。


 試合の途中、もしかしたら勝てるかもしれんが負ける公算が強いと読んだら考えどころだ。そういう時に引き分けを提案するのは立派な作戦だ。敗北よりは、というわけだな。


 相手から申し込まれた時もそうだな。勝てる見込みがはたしてどの程度あるのか。繰り言になるが引き分けは勝ちよりは劣り、負けよりは上等な結果だ。その時の盤面はもちろん、自分と相手の強さや調子の具合も勘案した方がいい。持ち時間を設定しているならそれも絡んでくる。時間切れになって負けるよりは引き分けのが断然いい。こちらが時間的に優位だが情勢から負けを予感して申し出るなんてのも一計だ。


 勝てる試合を引き分けにするのは限りなく負けに近い。敗色濃厚な試合を引き分けで終わらせることができれば勝ちに近い。引き分けの申し出が合意に達するかはプレイヤー二人の決断次第だ。戦争をどう終わらせるかの駆け引きは非常に難しい。


 と、ここまでが盤外での勝ち、負け、引き分けの決定方法だ。時間切れで負け、投了で負け、引き分けは双方合意で成立だ。初心者のうちは指すのに集中してこれらまで気が回らんかもしれん。それならそれでいい。


 あとは盤上で決する場合だな。チェックメイトすれば勝ち、されれば負け。チェスの最終局面にはこれに加えて引き分けと判定される形があるんだ。勝つことができなくなるというのはこのことさ。さ、あともうすこし頑張ってくれよ。

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