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オーガストのチェス入門  作者: 古地行生
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プラン10・フロム・アウタースペース

 チェスは人生とおなじ、最初のうちは重大な局面にどうしていいかさっぱりわからんもんさ。だからといってそこで意欲をうしなっちゃあ勿体ないのもおなじ。


 そうはいってもなかなか大変なもんだ。オレは辛抱できん若造だったから、道を間違えかけたのは一度や二度じゃない。たまたまなんとかこの歳まで乗り切って、若い(もん)にこう言ってるんだ。「我慢、我慢だ。辛抱が大事だ」。親父がオレに言ってたのと同じだ。不思議なもんだ。正しいことを腹から言っとる自信があるのに、腑に落ちん気持ちがある。それがなんなんだかうまくは言えん。


 勝ち負けのある遊びを覚えたての頃は、何がどうだかわからん内に勝ったり負けたりするもんだ。それがまた楽しい、入門者の特権だからこれ以上余計なことは言わんでおこうとも思うが……もしかしたら楽しみより困惑が上回ってどうにもならなくなるかもしれん。そうなったらまず休むことだ。散歩か馬に乗って遠出でもして、飯を食って寝る。チェスに限らず行き詰まったら一旦離れてみるのはいいことだ。


 年寄りの繰り言は面倒臭いが役立つこともまじっとる。だから時には聞いてやってくれ。干物亭(ここ)にいるやつらはそうでもないが、年取ってから人に相手にされなくなるのはつらいもんだ。善行だと思ってな。頼むよ。また話が()れちまったな、すまんすまん。本題に戻ろう。


 チェスを指した誰もが実感するのは、しっかりした狙いをもってやるのがとんでもなく難しいってことだ。(はた)から見てるだけなら簡単そうに思える。技術はなんだってそうだ。ひょいひょいと仕事をこなしてるように見える人間てのは尊敬に値する。オレの親友のダルテはなんだってあんなにうまく機械工作をやってのけるのか、まったく凄腕だ。


 さてそれで、チェスを指してていったいどの駒をどう動かせばいいのかさっぱりわからなくなったってのは皆よくある事だ。俺も昔はそういう状況にしょっちゅうなっていた。今でもある。


 そういう五里霧中がひと試合だけでなくずっとつづき、嫌気がさして二度とやらなくなってしまうより、今からオレが伝える言葉を知っておいてかみしめてみるのがよっぽどいい。


 チェスの格言は、世にある多くのことわざと同じでほとんどは誰が言い出したかわからん。わかるのはこれらが迷い人にはとても役立つ道しるべであることだ。ことわざといえば、俺の好きなことわざはやっぱり馬が出てくるやつだ。「人にもらった馬の口の中を調べるな」とかな。


 格言は数が多いものと決まっとる。浜の真砂(まさご)といい勝負だ。だからそうだな、特に有名なのを十だけあげよう。どれも教科書のようなもんで、基本が詰まってる。迷ったときは振り返る価値があるものばかりだ。


 だが教科書は聖典じゃない。神が定め(たも)うた世界の法則ではないから常に絶対じゃない。これまたことわざと一緒だ。ことわざなんてまるで正反対のがザラにある。あれは困ったもんだ。誰か整理してくれんもんかな。



――――――――――――――――――――



 格言其の一

「序盤の目標は中央に勢力を伸ばすこと」


 開始直後の大原則というべき指針はこれだ。具体的にはd4、d5、e4、e5の四マスに駒を進めるか効きを伸ばすんだ。たとえば序盤にナイトを動かす場合は端側にはねるより中央側にはねる方がよいとされる。


 端っこのを動かしちゃいかんわけじゃなくてな、そうするならそれが中央へ駒を順繰りに出していく足がかりになるよう意識すると良いってことさ。


 チェスのボードは正方形で、盤の端から先は俺たちの世界、駒たちにとっては存在しない領域だ。端にいるとどんな駒でも効きが弱まる。中央付近にいるとどの方向にも進めるから力を存分に発揮できる。やる気や能力のある人間に冷や飯を食わすのはろくなことにならん。そしてチェスの駒たちの中にそれらがない者は存在しない。駒には必ず力があり、人には必ず魂がある。



――――――――――――――――――――



 格言其の二

「まずキャスリング」


 これも序盤の目標だ。キャスリングのルールを説明した時に言ったことと同じだ。キャスリングできる状態というのは複数の駒の展開完了とイコール、中央に駒を展開させつつキャスリングの準備をするというのが真っ当な進め方だ。


 この上で更に状況をみてキャスリングするタイミングを選ぶようになったりすりゃ相当上達したといえるな。



――――――――――――――――――――



 格言其の三

「クイーンの先駆けは慎重に」


 クイーンは誰が見たって間違いなく最強の存在だ。だから初心者の多くは早々に動かして敵陣に切り込ませる。が、これはあまりいいやり方じゃない。


 序盤は盤の上に多くの駒がひしめいているから、クイーンが縦横無尽に暴れるのは難しい。それにクイーンは最強の駒ゆえに狙われやすい。クイーンを切り込ませる、逆に狙われる、クイーンを別の場所に逃がす、また狙われる、これを繰り返すと女王様が右往左往するだけで他が棒立ちになっちまう。


 このことをわかった上であえてクイーンを出す奇襲策も何種類かあり、好むプレイヤーは多い。さっきの見本試合はまさにそうだ。もし指されても緊張することはない。逆手にとってやるぐらいの気持ちでいけ。



――――――――――――――――――――



 格言其の四

「やられたらやり返せ」


 いよいよ前線が槍をしごいてまじえだし、こちらの駒がとられたとしよう。そうしたら反撃して相手の駒をとる。これが基本中の基本だ。何度も言うが盤外に去った駒は二度と戻れない。とられっぱなしは負けにつながる。相手の陣形を崩すためにあえて駒をとらせる作戦もあるが、これはできるだけポーンでおこなうようにするといい。



――――――――――――――――――――



 格言其の五

「孤立者のいない陣形を心がけよ」


 やられたらやり返すにはそういう連携がとれるようにしておかなきゃいかん。このポーンがとられたら斜め後ろで配置についたポーンで反撃だ、ってふうにな。



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 格言其の六

「勇敢なキングは勝利を導き、臆病なキングは敗北を招く」


 互いに兵力が減り終盤戦に突入するとキング自らが戦う必要がある。とられたら負けだからと戦線から離れすぎていると活用できる駒が一つ減ることになる。兵力が少ない終盤では致命的だ。それにビショップ、ルーク、クイーンからはどんなに遠く離れていても逃げられん。彼らが一マス動くだけで彼方のキングを追い詰めるなんてしょっちゅうだ。上に立つ者は臆病でなく蛮勇でなく勇敢であれ。



――――――――――――――――――――



 格言其の七

「ポーン1点、ナイト、ビショップ3点、ルーク5点、クイーン9点、キングは無限大」


 これはポーンひとつの価値を一点として各駒の価値を表した言葉だ。戦況をはかったり攻撃をしかける時の目安になる。キングの価値は無限大、これは勝敗を決する要素だからだな。


 実際には駒の価値は情勢で揺れ動き、常に絶対じゃない点は要注意だ。価値が不変なのはキングのみだ。それでもたいていはこの通りだし、そのうちに感覚が身についてくる。ポーン、ナイト、ビショップの価値についてはおもしろい議論がある。気になったら調べてみると良い。


 序盤の駒のとりあいでルーク一つに対してナイト、ビショップを一つずつの二つなんてのは、この格言のいい例だ。ルークの価値は5点、ナイトとビショップはそれぞれ3点だから二つだと3たす3で6点、つまりルークを失った側が若干有利とされる。はじまってすぐの頃はルークはあまり動けないから、倒すためにナイト、ビショップの二つを犠牲にするのは割に合わないことが多い。



――――――――――――――――――――



 格言其の八

「ポーンを侮る者は寝首をかかれる」


 ポーンの前進を甘く見てはいけない。プロモーションはもちろんだが、数が多く連携がきき斜め前ニマスに攻撃できるという彼らの特徴は前進するほどに強力になる。油断するとクイーンやルークすら追い詰められ、キングはメイトされる。民草(たみくさ)は生い茂るのみにあらず、だ。



――――――――――――――――――――



 格言其の九

「三秒は考えろ」


 早指しは名人の特権だ。俺たちのようなのは相手が指した手に反射的に動くのは極力避ける、それだけでずいぶんとマシな手が指せるようになる。あまり長く考えるのはいかんが少なくとも数秒は我慢してみる。それでも何も思いつかなかったらそのときはそのときだ。もし負けても次の格言を知っておけばなんのことはない。



――――――――――――――――――――



 格言其の十

「敗北の中に勝利あり」


 歴史に名を残している野戦上手の指揮官というのは勝ちにもっていく采配はもちろんだが、不利な情勢で負けないように踏ん張ったり、敗北を察するや疾風(はやて)のように逃げるのにも優れていたそうだ。死ななきゃ次は勝てるかもしれん。


 さいわいチェスに負けたからと死ぬことはない。ほんとうに命を賭けて決闘としてチェスをするなら別だが、干物亭では賭けチェスは一切ご法度(はっと)だから安心だ。


 負けた試合を振り返ってみるとな、「なんだそういうことか」と気づくんだ。どうにもわからなければオレでも誰でもたずねてみるといい。そして次に活かせばいい。人生と同じだ。死ぬまで同じ過ちを繰り返して後悔し続けるよりは、毎回別のしでかしをした方が愉快だし報われる。


 さ、これで俺のチェス教室はおわりだ。卒業試験はない。ここまでついてきた生徒はみなひとしく卒業だ。干物亭へ通いつめるもよし、他で友達と指すのもよし、飽きたらほっぽりだすのもよしだ。


 若い時分にはなんでもやってみるもんさ。手広く触れてみて、気に入ったものには打ち込んでみて、機会があったらやってみるんだ。いい肥やしになる。


 だが犯罪には手を出しちゃいかん。絶対にだ。この街じゃありふれてるから冗談半分面白半分にやってみたくなるが、いったん悪事に触れるとはまりこんじまうぞ。足抜けは難しい。どんどん深みにはまっちまう。いいかい、これだけは守るんだぞ。


 それじゃまたな。たまには顔を見せにきてくれよ。ジジイの長話に付き合ってくれてありがとうな。

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