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よもつへぐい

作者: いとうちゅうや

 今から考えてみれば妹が亡くなってからぼくらの家族はどこかおかしくなっていた。父も母もぼくを責めないだけで本当はぼくが妹を殺したと思っているに違いなかった。ぼく自身今でも悔やんでいるのだからそれはそれで仕方のないことだ。

 夜、布団に入ると何故か泣きたくなった。悲しいわけではないし涙が出るわけでもない。ただ訳もなく泣きたくて誰かの胸に抱かれてさめざめと泣きたいと思う。そうすれば安らかに眠れそうに思う。その胸は母でないことは確かだった。あの日母はぼくを強く抱きしめたけれど、そしてぼくのせいじゃないと言ったけれど、ぼくを許していないことはわかったし母の胸でいくら懺悔したって許されることではないと知っていた。ぼくはいったい誰の胸で泣きたいのだろう? 気づくと何故かぼくは妹の胸でさめざめと泣いている。それは余りにも身勝手な空想だと思う。妹は苦しんで苦しんで死んだのだし、ぼくが殺したのだ。ぼくは許されてはならない。薄められた苦しみを食みながら眠りに落ちるしかないと思う。

 やまない雨はないと他人ひとは言う。確かに雨はいつかやむ。そして穏やかな日差しがぼくらを包む。けれど雨はまた降ってくる。咀嚼できない悲嘆は何度でも飲み込むしかないのかもしれない。牛の反芻のように消化されるまで。

 ぼくは高二の冬に再会した間宮先生の最後の言葉をよく思い出す。


 そんなときわたしは心の井戸に降りていく。そして枯れ葉や小石や粘っこい泥をいっしんに取り除いていく。掘り続けているとやがて泉が湧いてくる。最初は少し濁っている。けれどそのうち澄んでくる。そして汲めば汲むほど泉はこんこんと湧いてくる。その泉は君の泉ともつながっている。地下水脈を通じて繋がっている。その泉は忘却の河の水ではないから苦しみや悲しみを忘れられるわけではない。どんな味がするかも飲んだものしかわからない。この水を掌に受け留めるとき君ばかりでなくいろんな人の哀しみや祈りが満ちてくる。


 ぼくはまだ爪の間を泥濘で汚すだけで澄んだ水脈にまで達していないのかもしれない。


                  (一)


 ぼくは中学校に入学して別人に生まれ変わろうとした。妹がいた頃の自分には戻れないにしろ何の喜びも生きがいも見いだせない自分から抜け出したかった。もちろん同級生の顔ぶれはほとんど同じだった。だが学校も教室も先生もみな違った。だからぼくは今が生まれ変われるチャンスだと信じた。

 背筋はちゃんと伸ばして、歩くときは大きく腕を振って挨拶ははっきりと笑顔をたやさずに……。ぼくはまるで通学路を行進する幼稚園児みたいだった。中にはぼくを揶揄する同級生もいたがやあ! って笑い返した。やがて皆はそんなぼくに慣れたしぼくもこれが本来の自分だと錯覚した。そしていつしかぼくはクラスの中でも目立って挙手し発言する生徒の一人になっていた。


 ぼくは学校の帰りに近くの公園に寄り道した。公園には遊具は設置されていなかったから幼児をつれた親子はめったに来なかった。公園の奥にはあずまやがあって、ぼくは大きなケヤキの梢に覆われたベンチで母が帰宅する時刻まで過ごした。

 公園は平日人影もまばらでそこでぼくは宿題を済ませたり本を読んだり、ぼんやりスズメやヒヨドリの声を聴いた。ケヤキを揺らす風は心地よかった。夏の日差しは木々の葉々が遮ってくれたし、冬のベンチは冷たかったけれどぼくは寒いのは嫌いではなかった。ただ風が強い雨の日だけは横殴りの雨が瞬く間に体の芯まで染みこんで走って帰った。

 妹とポケットにおやつを忍ばせて遊んだのもこの公園だった。妹は公園に面した街路樹のプラタナスが好きで、左手をぼくとつなぎながら右手でプラタナスに次々タッチしていった。特に公園の入り口脇の少し斜めに生えた一本だけ若い樹がお気に入りで、キリンさんだキリンさんだとよく抱きついた。たぶんもとあった樹が枯れてその樹だけ植え替えられたのだ。まだら模様はアミメキリンに似ていた。

 お兄ちゃんってばよく見てよ。キリンさんがむしゃむしゃ葉っぱを食べているから。ぼくは妹の目線でその樹を見上げてわかった。少し傾いだ若木がまっすぐ伸びて頭上だけに葉が茂っていた。若葉を食べようとキリンが細長い首を梢の中に突っ込んでいるかのように。

 プラタナスは不思議な樹だ。樹皮が日焼けの跡の皮膚みたいにいつも所々反り返って捲れていてつい引っぱがしたくなる。外皮はチョコレート色で剥がれた跡は濃い抹茶色やヨモギ色、剥がれたばかりのところは象牙色をしていた。そしていつも幹のどこかが生まれ変わろうとしていた。

 ぼくと妹はそこで何をして遊んだだろう。妹は遊びを見つける天才だったからしばしば時間を忘れた。公園には遊歩道脇に街灯があって少し暗くなると自動で点灯した。ぼくらは母より遅く帰りたくなかったから点灯を合図にベンチを後にした。それは妹がいなくなってからも同じだった。


 中学校に入学して三ヶ月ほどたった頃、家族のこと最近起こった家庭での出来事をレポートする宿題が出された。担任教師は作文から生徒の家庭事情を読み解こうとしたのだと思う。ぼくはその夜に起こった夫婦喧嘩のことを書いた。

 久しぶりの親子三人揃った夕食だった。父の帰りはいつも遅く酔っぱらっていることが多かった。父母がどんな会社でどんな仕事をしているかぼくはほとんど知らない。ただ父はいつも疲れていて母と些細なことでよく揉めた。母はぼくばかりでなく父も許していなかったのかもしれない。家族四人そろってどこかに出かけたことは数えるほどしかなかったし、父に遊んでもらった記憶もほとんどない。母はしばしば家事のことで父をなじった。その都度妹は母にすり寄り話題を変えさせ、そして父は黙って妹を引き寄せた。

 その日父は何処かで母と待ち合わせたのか珍しく二人いっしょだった。母は父と目を合わそうとせず矢継ぎ早に学校での出来事などを質問したので、ぼくは困って三丁目の佐藤さんちのショコラが仔犬を三匹産んだこと、彰くんが今日も登校しなかったことなどを話した。社会科の藤田先生のことは話さなかった。

 母が缶ビールを開けたので父もグラスにビールを注いだ。父は母を待っていたのだ。TVでは相変わらずの歌番組をやっていて母が突然画面の歌手を指差して父に何か言い、ふたりはひとしきりぼくには分からない話題で盛り上がっていた。しかしふたりの会話は何処かわざとらしくぼくははらはらした。そして唐突に藤田先生の蔑んだ眼と怒鳴り声を思い出した。今日の二限目の授業だった。その授業で藤田先生は対人地雷敷設の実態を熱弁した。地雷はカップ麺一個の値段で手に入るのだと先生は言った。軽くて小さくて、金属探知機にも反応しないプラスティック製のもの筆箱みたいな木製のものもある。玩具のように見えるから兵士ばかりでなく多くの子供たちも犠牲になっている。重火器や戦車などに比べて殺傷力は劣る。けれどその費用対効果はそれらを凌ぐ。

 さてそこでだ。どうしてだと思うって、先生はシャツの袖を捲くり上げながら教室を見渡したのでみんなは一斉に俯いた。

 ぼくは通学路や近所の公園空き地に人知れず仕掛けられた地雷を思った。

 先生がぼくを名指した。

 ぼくは公園の砂場の犬猫の糞より始末が悪いって答えた。真っ暗な映画館の床に仕掛けられたチューインガムのトラップみたいだって。みんなはほっとしたみたいにゲラゲラ笑いだした。

 突然藤田先生の顔が怒りで剥き出しになった。初めて見る貌だった。ぼくは先生が笑いながら出席簿で頭をぽんと叩いてくれるものだと思っていたので狼狽えた。

 藤田先生は未だに年間一万人を超える人たちが、片足、両足、命さえも奪われていることをお前は知ってて言っているのかと、クラスの仲間を見渡しながら語気を強めて言った。

 そんなこと知っていると言い返しそうになってぼくは怖くなった。ぼくの方こそ地雷を踏んだのだ。しどろもどろに謝罪している自分が愚かしく惨めだった。

 一人の兵士の足を奪うことは彼の両肩を支える兵士、担架を担ぐ兵士、隊列の士気までも奪うのだと先生はもうぼくを見ることもなく国家や企業の悪について喋り続けていた。

 ぼくは生活圏の中に仕掛けられ続ける地雷を思った。今もどこかで誰かが犠牲になっている。街にはそこら中にカップ麺の空が無造作にうち捨てられている。


 父に続いて母が三本目の缶ビールのプルトップのリングに指をかけた。母はますます饒舌になり、それにつれて父の重い口が開かれた。母は父を誘っていた。すり鉢状の巣穴の下のアリジゴクみたいに。蟻が落ちてくるのを。

 危ないってぼくは思った。そっちに行っちゃいけない。そっちは地雷原なんだよ。

 ぼくは友達の失敗談を喋りだしたけれどもう遅かった。パスタが盛られた大皿は割れなかった。鈍い音をさせて二度弾んで止まった。スパゲッティはテーブルから床に無様に雪崩れミートソースの飛沫が壁を汚した。ぼくの飲みさしのグラスがスローモーションのように放物線を描いて派手な音をさせて割れたのが救いだった。

 後から片付けるからそのままにしておいてって母が言った。頭が痛いからもう寝るって。

 お前は動くなって父はぼくを制止し床に飛び散ったガラス片を拾い掃除機をかけた。母が階段を上るわざとらしい足音がホースを握る父の手を一瞬止まらせた。

 ぼくと父は互いの顔を見ずに黙って食事を再開した。TVではお笑いタレントが大きな口を開けて笑っていた。中断された食事のせいでぼくは空腹なのか満腹なのかわからなくなった。父が下品な音を立てて咀嚼するのがいやだった。食べ残しをかきこむとぼくは部屋に引揚げ課題の作文を書き始めた。

 

 次の週の日曜日の朝、担任の女教師と教頭先生が不意に我が家を訪問した。ぼくは自室に退くように言われ母がひとり応対した。父は接待ゴルフで不在だった。

 どうしてあんなこと書いたのって後で母はぼくを責めた。顔から火が出そうだったと。作文では皿を投げたのは母とは書けなかったから父だったことにした。すると父はレポートの中で酒飲みの暴君になっていき、母は深夜ひとりダイニングキッチンで散らばったガラス片を拾った。

 母は、「夫は酒は飲むが飲まれたことはないし暴力を振るったこともない。息子は読書好きの夢想家だから大げさに書いたに違いない。」と弁明した。教頭先生はすぐに納得したようだったが、担任教師は母の目の奥を覗き込み頷きながら同じ内容を言葉を換えて何度も問いかけてきて閉口したそうだ。

 月曜日の朝、教室に入ると皆の会話は中断され一斉にぼくを凝視めた。クラスメイトはみな知っていた。作文を信じた担任教師が家庭内暴力(DV)を疑い校長を説得して近隣から聞き取り調査をしていたのだ。

 次の日ぼくは近所の上級生にからかわれた。お前んちの両隣と向かいの鈴木さんち、町内会長さんとこにも女先生と教頭が聞き込みに行ったんだってな。お前今度は何やらかしたんだ? って。

 担任教師はその後ぼくの嘘を問い詰めはしなかった。クラスの仲間の陰口もそのうち消えた。けれどぼくはもう妹と暮らしていた頃の自分に戻ることも、新しい自分になることも出来そうになかった。ぼくは妹を死なせた直後の自分に戻っていた。

 それは両親も同様だったのかもしれない。その日以来父母はぼくの前で諫かうことはなかったし母は努めて笑うようになった。そして考えてみればぼくの部屋から妹の持ちものが突然消えたのはその後しばらくしてからだった。それまでは妹がいないのが不思議なくらいに机も椅子もランドセルも当時のまま残されていた。机と椅子はぼくとお揃いのものだった。年齢に応じて高さが調節できるごく普通の学習机と椅子とのセットだ。母はもっと女の子らしい机を勧めたがお兄ちゃんと同じものがいいと言い張ったらしい。たぶん妹もぼくと同じように遠慮したのだと思う。ぼくらの家庭は貧乏ではなかったが決して裕福でもなかった。

 部屋に入ると以前は否応なく妹のお気に入りの品々が目に入った。もう甘酸っぱい子猫のような匂いは消えていたが面影は至る所に潜んでいた。母なのか父なのかその両方なのか、妹の椅子に誰かが座った形跡があったり教科書とか妹のお気に入りのぬいぐるみの位置が変わっていたりした。

 妹の私物が消えてからも二段ベットだけは残された。妹が居なくなってからもぼくは上段のベットで眠った。

 不思議だった。妹の愛用品が視界から消えてからぼくは反って妹の不在に怯えた。よく嫌な夢を見た。水族館にいるような美しい熱帯魚が遊泳していてぼくは海底にいるらしい。色とりどりの珊瑚の間から縞模様のエビが触覚を撓らせイソギンチャクは流れのままに触手を揺らめかせて、ぼくは夢中になって海底を散策している。ルリスズメの群れが岩礁の洞窟へとぼくを誘う。いつもこの辺りでぼくは危険を察知するが、体はどんどん奥深く魚影を追っていく。すると必ず洞窟は急に狭まり体のどこかが引っかかって焦れば焦るほど抜け出せなくなる。ニシンとかラッコとかのいる北の海を泳いでいるときもある。ラッコを追って昆布の林を抜けようとすると、必ず昆布が体に纏わりつきぬめりが蜘蛛の巣のようにぼくを絡めて身動きできなくなる。ぼくはそのつど布団を撥ねのけゼイゼイ息を吐きながら寝汗にまみれた。

 ぼくは妹の死に顔を見ていない。父母が許さなかったし母も絶対見ないと言った。葬儀の祭壇には満面の笑みの写真が飾られその写真はその後リビングルームに飾られた。ぼくはどんな姿であってもどれだけなじられ責められても妹が直接夢に出てきてほしかった。こんな生殺しの夢は嫌だった。でもこれがぼくへの罰かもしれないと思った。  

 ぼくは母が本当は女の子が欲しかったのを知っている。ママ友に話しているのを聞いたことがある。最初の子が男だったことを父は喜んだが母はがっかりしたって。

 母と父が諍いを始めそうになったり部屋が沈黙と気まずい空気に満たされたりする度、妹が居たならって思う。きっと彼女がいたならぼくらの家庭は笑いに満ちていたと思う。それは美味しいものを食べたり綺麗なものを見つけたりしたときも同じだった。妹がいたらどんなに喜んだだろうと思う。ぼくより妹の方が生きていればよかったって思う。


                  (二)

 

 二学期が終わろうとしていた雨の日だった。国語の間宮先生が突然ぼくを呼び止めた。先生は少し吃もりながらいっしょに帰らないかって誘った。長身の先生の雨傘から雨垂れがぼくの傘へと伝い流れてきた。先生は時折ぼくを振り返り何か言ったけれどぼくは先生の傘から不規則に落ちてくる雨音に聴き入っていてほとんど聴き取れなかった。ぼくはあの時なんて答えただろう? 先生は歯を見せて笑っていた気がする。

 先生の部屋は色褪せたクリーム色のアパートの二階の突き当たりにあった。今でもはっきりと憶えている。あのときの戸惑い。我が家の乱雑な部屋の風景とはまるで違っていた。家具も食器も夥しい書籍も不自然なほどに整然と並び息苦しいほどだった。TVでたまに目にする生活感が全く感じられない嘘の部屋。あの部屋にどこか似ていた。

 先生は薬缶をガスコンロにかけるとコーヒーでいいかいと聞いて、ぼくが頷くと食器棚から手回し式のコーヒーミルを取り出し湯が沸くまでに豆を挽いた。ガリガリと初めて聴くいい音がして香ばしい匂いが立ち上がってきた。先生はドリッパーの内側に紙フィルターを被せ挽き立ての豆にゆっくり湯を注いだ。蟹が吹き出す泡のようにコーヒーの粉は膨らんで強い香りがぼくらを包んだ。

 

 キ、キッ、君は神話が好きみたいだね。作文にギリシャ神話やアーサー王物語、ローランの歌まで出てきたのにはさすがに驚いた。でも日本にもすばらしい神話がある。古事記は読んだことあるかいって先生は訊いた。

 ぼくは返答に困って俯いたまま黙っていた。古事記は出だしの所で躓いて読んでいなかった。長ったらしい神々の名が次から次へと現れて。

 最近古事記を読み返していて、今度勉強会を開こうかと考えているんだ。一緒に勉強しないかって間宮先生が真正面からぼくを凝視めた。長身の先生が少し傾いだ棒杭みたいに眼鏡越しにぎこちなく笑っていた。


 聖剣は何もエクスカリバーやデュランダルばかりじゃない。

 草薙の剣は知っているだろ? 三種の神器の一つ。ヤマトタケルを野火攻めから救ったあの名刀はハヤスサノオがヤマタノオロチを退治したとき尾の中にあって、十拳(とつか)の剣を刃毀れさせたから見つかったんだ。

 知ってた? って先生は得意そうに続けた。


 ぼくは先生の勉強会に参加することになった。先生が担任をしていたB組の裕太君や駿介君も一緒だった。放課後の勉強会の時先生は不思議と吃らなかった。ぼくはそれが嬉しかった。先生は決してぼくが巻き起こした事件について触れなかった。


 この世界に天地が初めて現れたときはこの国は浮いている脂のようで、海月みたいに漂っていたんだ。これらを成した神々は皆独神(ひとりがみ)として身を隠した。

 その後に現れたイザナキ、イザナミの神に天つ神々は沼矛(ぬほこ)を与えてこの漂っている国をつくろい固めよと命じたのでふたりは天の浮橋から沼矛を指し下ろして掻き回した。シチューを煮込むみたいにね。その沼矛の先から落ちた滴りが積もって島ができた。そしてその島にふたりは天降った。


其の島に天降(あまくだ)()して、(あめ)御柱(みはしら)を見立て、八尋殿(やひろどの)を見 立てき。(ここ)に、其の妹伊耶那美(いざなみ)命を問ひて()ひしく、「汝が身は、如何にか成れ る」といひしに、答えて(まを)ししく、「吾が身は、成り成りて成り合わぬ処一処在り」とまをしき。 (しか)くして、伊耶那岐(いざなき)命の(のりたま)ひしく、「我が身は、成り成りて成り余れる処 一処在り。(かれ)、此の吾が身の成り余れる処を(もち)て、汝が身の成り合はぬ処を刺し塞ぎて、 国土(くに)を生み成さむと以爲(おも)ふ。生むは、奈何(いか)に」とのりたまひしに、伊耶那美命の答 へて()ひしく、「(しか)()し」といひき。(しか)くして、伊耶那岐命の詔ひしく、「然 らば、吾と汝と、是の天の御柱を行き廻り逢ひて、みとのまぐはひを()む」とのりたまいき。


 ぼくが一人の時、間宮先生は訊いた。

 君はイザナキとイザナミを兄妹だと勘違いしていただろ? イザナミのことは妹と書かれているし、名前もイザナキとイザナミの一字違いだったから。君は恋人や妻のことを親しんで古くは(いも)と呼んだことを知らなかったんだろ? だからどうしてふたりの最初の子は水蛭子で葦船で流されたのかって訊いた。

 あのときは裕太君たちもいたから神託によれば、女性の方から先に告白したのが良くなかったと説明した。君は本当は、ギリシャ神話のオイディプス王のことを訊きたかったのだろ? この二柱の神は兄妹だったから、国土を次々と生み殖やすために罰を受けたのではないかと。

 彼らが兄妹だと仮定するのは確かに興味深い。けれどそうでなくてもあの初々しさは感動的だろ?

 天の御柱でイザナキと廻り逢ったときイザナミは思わず「あなにやし、えをとこを」って言い、イザナキは「あなにやし、えをとめを」と応えた。なんて素敵な響きだろう。そう思わないかい?

 イザナキもイザナミもまさか着衣なしで地上に天降ったわけではなかった。それならどうしてイザナミは自分の体が一処欠けているとわかったか、そうしてイザナキは自分に余分なところがあるって。

 いや、ふたりが降り立ったときこの国は生まれたばかりの島だったから生まれたばかりの姿の方が相応しいかもしれない。初々しくふたりは見つめあい互いに確かめ合った。

 君には刺激的過ぎたかな? って先生は笑った。


 ぼくはすぐに古事記に惹き込まれたわけではなかった。最初の頃はただ先生のそばにいて話を聴いていたかっただけだと思う。クラスでぼくだけが先生の本当の声を知っている。それだけで嬉しかった。どうして先生は授業のときに吃るのだろう。誰かがクスクス笑ったりすると、目が泳いで自信なさげでぼくの方まで息苦しくなった。ぼくに話すときみたいに喋ればいいのに。先生の中で何が災いしているのだろう。

 先生は古事記を語るとき思いが言葉に追いつかないほど早口になってときどき一瞬言葉に詰まった。ぼくは固唾をのんで次の言葉を待った。途切れてしまった沈黙と、突然溢れ出てくる言葉との落差にぼくは魅了された。先生は決して吃りなんかじゃない。クラスの連中がひそひそ声で揶揄したりして先生の言葉を受け取ろうとしないだけだ。

 でもどうして先生は古事記にこだわるのだろう。ギリシャ神話や北欧神話の方がもっと素敵なのにとも思っていた。イザナミが身罷ったときのイザナキの描写を読むまでは。


御枕方(みまくらへ)匍匐(はらば)ひ、御足方(みあとへ)に匍匐ひて()きし時に


 それは妹が逝ったときのぼくと似ていた。ぼくもあの日布団の中で笊の活きエビのように身悶えて泣いたのだ。

 先生は語った。

 イザナミが火の神を産んだとき(ほと)が焼き爛れて身罷り、愛する妻がたった一人の子の身代わりになってしまったとイザナキは枕元に腹這いになり足元に腹這いになって慟哭いた。そして十拳の剣を抜いてその子の頸を斬ったと。

 そのとき流れた血や、頭、胸などが次々と神に成ったと続けて黄泉の国の物語が始まった。

 先生は続けた。

 イザナキはイザナミを迎えに黄泉国まで出向いたけれどイザナミとの約束を破ったために連れ戻すことはできなかった。鶴の恩返しみたいに見てはならないものを見てしまったから。

 世界中にタブーを破ったために望みが叶えられなかった神話や昔話が数多くある。例えば旧約聖書の神の怒りで焼き滅ぼされた堕落と頽廃の都市、ソドムとゴモラのような。

 神は善良なロトの家族だけは救おうとしてソドムから脱出するよう勧告した。そのとき決して振り返ってはならないと言い添えて。けれどロトの妻だけが振り返った。そして彼女は塩の柱になった。

 聖書の神は残酷だ。ソドムとゴモラの民はみな情け容赦なく炎と硫黄で焼き殺された。そしてロトの妻は死海の麓で振り返ったために塩の柱にされた。

 わたしは日本の神話が好きだ。古事記には微笑ましいところがある。約束を守らず逃げ帰ったイザナキに怒ってイザナミが追わせたのはヤマンバみたいな醜女だったし、イザナキも機転を利かせて次々と醜女の手から逃げた。まず、髪を結っていたカズラを投げ捨てるとヤマブドウの実がなり、これを醜女が拾い食いしているすきに逃げ、なおも追いかけてきたので櫛の歯を折って投げ捨てるとタケノコが生え、これを引き抜いて醜女が食べている間にまた逃げて……。

 先生はイザナキがいかに巧みに黄泉醜女や黄泉軍たちの追撃を退けたかを話し続けていた。

 ぼくは待ちきれずに先生を遮って訊いた。

 どうしてイザナミはヨモツシコメなんかに追わせたのですか?

 先生は意外な顔をしてぼくを凝視めた。

 イザナミを迎えに黄泉国に出向いたときイザナキに言っただろ? あなたが早く来てくれなかったから、黄泉の食事を口にしてしまったって。けれど愛しいあなたが来てくれたから帰ろうと思う。しばらく黄泉神と相談したいからわたしを視ないでって。

 しかしイザナキは待ちきれずに櫛の歯を折って火を灯して這入り、イザナミの体中に蛆がたかりそこに雷神たちが化成しているのを視て恐れて逃げた。

 憤って追わせたイザナミの無念、哀しみがわからないかな。

 ぼくが聞きたいのはそういうことではないんです。イザナミだって大きな間違いを犯しました。イザナキは覗きたくて覗いたわけではなかった。イザナキはきっと待ちきれずに、ふたりして黄泉神を説得しようと這入って行った。けれど腐乱したイザナミを見て動顛して逃げた。どうしてそれがイザナミを裏切ったことになるのでしょう。

 イザナミは最初から自分で追っていくべきだったんです。そうしていたらイザナキは逃げなかった。逃げ切れるはずはないんです。ヨモツシコメや化成した雷神、黄泉軍に追わせたイザナミが悪い。

 先生は声を立てずにしばらく笑っていた。ぼくには泣いているようにも見えた。

 イザナキは視てはいけないものを視てしまった。

 女は死んでも女だから。


 次の日先生は鞄から本を取り出しぼくに手渡した。宮沢賢治を読んだことあるかい? って訊きながら。

 ぼくは生意気な表情をしたのだろうか? 先生は笑いながら童話は読まないって顔だなって言ったけれどぼくが受け取るまで手を放さなかった。

 今度うちの学校も読書感想文コンクールに参加することになった。君も推薦しておくから来週までに感想文を書いてきなさいって先生は言った。

 課題図書の一つが宮沢賢治の「銀河鉄道の夜」でぼくが気に入るに違いないって先生は思っていた。ぼくはまだ不満な顔をしていたのだろうか? 先生は困ったように頭を掻きながら語り出した。

 

 主人公の両親には事情があって彼は印刷所で活字拾いのアルバイトをしている。今ではワープロが常識だが昔は一字一字はんこみたいな活字を探して組んで印刷していた。アルバイトなんて呼び方も相応しくないかな。多くの国で今でも子供達は家族のために働いているから。

 主人公は仕事を済ませたあと病弱なお母さんのために牛乳をもらいに行く。その帰り道、登った丘の頂に天気輪の柱が立っている。銀河ステーションのプラットホームの標識みたいな。

 気づくと主人公は銀河鉄道の列車に乗っていて親友のカムパネルラと再会し、銀河を巡る旅をする。そして長く暗い孤独の闇から抜け出すんだ。

 さっき言った天気輪の柱。あの柱は太陽柱のことだとわたしは考えている。


 太陽柱? ってぼくは訊いた。

 気象条件によって太陽が地平線に没する瞬間、天上に向かって一直線に黄金の柱が立つ。天上から御柱が地上へ降ろされたように。君も見たことがないかい?

 学生時代、恋人と東北を巡る旅をした。そのとき初めてこれが太陽柱かというような太い光の柱を見た。山の頂きから天まで届く勢いがあって驚嘆した。そしてイザナキとイザナミが御柱と見立て、廻り逢ったのはこの太陽柱じゃないかなって思った。イザナミが思わず「あなにやしえをとこを」って言ったのは。

 そう言って先生は慈しむように本の背表紙を触りぼくの胸に強く押し当てた。

 賢治もたぶん、丘の上から祈りのように伸びた太陽柱を見たに違いない。

 カムパネルラ、彼は亡くなった賢治の妹がモデルだとも言われているんだ。

 ロマンチックだと思わないかい?


 けれどぼくは先生の期待を裏切った。ぼくは約束の日に感想文を提出できなかった。

 妹も溺死したのだ。カムパネルラのように。

 本を返すときぼくはみんなの前で強がって、ロマンチックな物語だなんて信じられないって言って先生の目を盗み見た。

 先生は見るみる赤面し小刻みに震えだした。押されたぼくの背中が黒板にぶつかり黒板消しが落ちて白墨の粉が舞い上がった。


 キ、キッ、キミハホントハヨンデナイノダロ!


 ぼくは何も弁明できなくなった。眼鏡越しの先生の瞳が激しく揺れていた。

 その日以来間宮先生の姿を察知するとぼくは、踵を返すか同級生の間に紛れて背を向けた。階段や廊下の角を曲がるのが怖かった。長身の間宮先生が不意に現れそうで。


 ぼくは中学校を卒業するまでのおよそ一年余り間宮先生と目を合わせることはなかった。先生の授業の前になると急にお腹が痛くなってトイレに駆け込んだ。ひどい下痢でやっとズボンを上げて立ち上がってもまた痛くなって便器にしゃがみ込んだりした。そんなときはもう授業が始まっていたから保健室のドアをたたいた。養護教諭のあかね先生はいつも笑顔でときどきカモミール味のハーブキャンディーをくれた。

 最初に保健室に駆け込んだ日は熱を測られ、ステンレスのへらで舌を押さえられて懐中電灯で喉の奥を照らされた。へらは苦い味がした。先生は生徒名簿を本棚から抜き取り、ぼくの目を反らさずに問診票に症状を細かく書き込んでいった。仮病を疑われるのが嫌でぼくは事細かく訴えた。

 病院で診てもらったことはあるの? って先生が訊いたから、いつもすぐ治るから大丈夫ですって答えた。一度病院でちゃんと診てもらわなきゃだめじゃないって言って先生は誰かに電話した。お母さんにも連絡しようか? って訊いたのでぼくは冷や汗が出てきた。もう痛くないから教室に戻りますって立ち上がったとき、あかね先生がハンカチーフでぼくの額の汗を拭ってくれた。じゃ行きましょうと言って。

 先生の車は普通の白いセダンだった。ぼくはピンクか黄色を予想していたから意外だった。車内は花なのか香水なのか何かいい匂いがした。

 クラスの仲間とはうまくいっている? って先生が訊いた。詰問という感じではなく甥か誰かに話すみたいに。ぼくは多分って答えた。

 何か部活やっているの? ってまた訊かれたので一瞬迷って今は何もと答えた。それから少し沈黙が続いて、何か音楽かけようか? って先生が訊いたので頷くと聴いたことのない洋楽が流れてきた。たぶん先生が好きなラブソングに違いなかった。

 ぼくは病院が近づいて来るにつれ、どうしようって思った。さっきまで痛んでいたお腹が今はほとんど痛くなかった。何処も悪くないと言われたらどうしよう。ぼくは嘘つきになってしまう。

 病院に着いたとき診察を待っている患者は五名ほどで老人ばかりだった。ぼくは誰も顔見知りがいなくて良かったって思った。お婆さん二人が突然雑談をやめぼくとあかね先生を凝視めたから。

 診察室に通されると、初老の少し小太りの医師があかね先生とぼくを交互に見てどうした? って訊いた。あかね先生は問診票を渡しぼくに聞こえないように何か医師と立ち話をした。医師はぼくをちらっと見てあかね先生に頷いた。

 ぼくは制服を脱いで白いビニールカバーで覆われたベットに横になるように言われ、両膝を立てて楽にしてと言われた。医師はぼくのシャツをたくし上げおなかを触診しながら、所々指で強く押してここは痛くない? って訊いた。ぼくはその都度、少しとか、そこ痛いですって答えた。医師の手は温かかった。

 それからベッドに座るように言われて、上を脱いでと言われたのでカッターシャツを脱いだ。重ねてシャツも脱いでって言われたのでぼくは少し驚いて医師とあかね先生を交互に見た。あかね先生がぼくの視線を避けた。ぼくは疑われているのかもしれない。いじめや体罰を。お父さんと間宮先生の顔が目に浮かんだ。あかね先生は担任教師からぼくの作文の内容や、間宮先生に怒鳴られ黒板に押しつけられたことを知らされているのかもしれない。

 帰りの車の中でぼくはあかね先生に小声で尋ねた。ぼくは何処が悪かったんでしょう? って。先生は少し言葉を探していたが、君は意外とナイーブなのねって微笑んだ。医師は神経性の胃腸炎だろうと言ったそうだ。あかね先生が胃腸炎で良かったって、もう一度笑った。

 今日はありがとうございましたってぼくは深くお辞儀した。本当に嬉しかったから。先生はちゃんと眠れている? って訊いた。少しは運動しなくちゃ駄目よって。


 ぼくは国語の授業の前に病院でもらった薬を飲んだ。たいがいはそれでやり過ごせた。廊下でたまにあかね先生とすれ違うとき先生はウインクした。というか片目を上手く閉じられなかったので目にゴミが入ったみたに。ひょっとしたら皆にわからないようにわざとそうしたのかもしれない。ぼくも微妙に真似て笑った。


 中学校を卒業してから人混みの中で不意にあかね先生や間宮先生のことを思い出した。たぶんあかね先生の匂いや、間宮先生の声を何かが連想させたのだと思う。その度ぼくは不思議な懐かしさと幸福感に包まれた。ほろ苦い悔恨とともに。

 ぼくは卒業する前に間宮先生に謝るべきだったのだろうか? 間宮先生はぼくを呼び止めることはなかった。ぼくがずっと逃げていたのだから仕方ないけれど、ぼくは怯えながら待っていたのかもしれない。


 高校に入学してぼくは図書館で宮沢賢治の「銀河鉄道の夜」を読み直した。新修宮沢賢治全集が底本となった普及版だったと思う。何故かその本では主人公がカムパネルラの死を知るのは終わり間近の夢から目覚めた後だった。間宮先生から渡された本がこの普及版だったならぼくはたぶん最後まで読み切り感想文を書いていたに違いなかった。けれど先生から渡された本では母の牛乳をもらいに行った帰り道、橋の袂で人だかりがしていて船から落ちた同級生を助けようとしてカムパネルラが溺死したことを知るのだ。カムパネルラは壊れた(ふいご)のような音をさせながら水中で手足をばたばたさせていた。まるで妹みたいに。ぼくは苦しくて先を読み進められなかった。その衝撃は今でも生々しかったから記憶違いであるはずはなかった。

 先生から渡された本は普及版に改訂される前の初期の稿の版に違いなかった。どうして先生はぼくに銀河鉄道の夜を読ませたかったのだろう? それも黄ばんだブックカバーに覆われた旧字体の本を。

 カムパネルラは銀河鉄道の夜の登場人物でぼくが一番嫌いなやつ、ザネリの身代わりになって死んだ。ぼくは先生に責められている気がした。おまえはカムパネルラにはなれなかったと。もちろん先生がそんなことを言う人じゃないことはわかっていた。けれどぼくはザネリ以下の人間かもしれないって思った。ぼくは妹を助けられなかったし、カムパネルラのように身代わりになることも出来なかった。

 カムパネルラ、その名の由来はイタリア語のカンパネッラ、小さな鐘のことだった。賢治にとってはたぶん弔鐘のことだって思った。

 ぼくは間宮先生の声と部屋を思い浮かべた。無機質なあの何かが欠けた部屋、そして夥しい書籍群。先生から貰った古事記をぼくは何処に仕舞い込んだのだろう。


                  (三)


 ぼくは高校生になってからも気持ちのいい夕方は公園のあずまやで過ごした。ピアノのたどたどしい演奏がその日も聞こえてきた。向かいの家の恵梨香ちゃんに違いなかった。曲はモーツァルトのトルコ行進曲。ぼくはモーツァルトの良さがわからなかったし、まして何故トルコ行進曲なんだろうって思っていた。リクエストできるならベートーヴェンの月光なら良かったのに。

 恵梨香ちゃんは以前はいつも同じところでつっかえて聴いているのが辛いくらいだった。何度も何度も同じところをお復習いして突然弾けるようになったときはぼくもほっとした。いつの間にかメロディーを憶えてしまったから当然続くべき旋律が続かないと気持ちが悪かった。今はたどたどしくはあったが恵梨香ちゃんは通して弾けるようになっていて安心して聴けた。

 不思議だった。今まで無味乾燥だと思っていたトルコ行進曲の旋律が、突然ぼくの心に染みいってきた。ぼくにも、ぼくら家族にも幸せな日々があったのだとピアノが鳴っていた。

 妹がキリンさんだキリンさんだとはしゃいで柵の周りを駆けていく。転んじゃうから走らないでと母がその後を追っている。父は逃げやしないよと笑っている。最初で最後の家族四人揃って行った動物園。

 隣のクマ舎から臭いが漂ってきていたが、妹が譲らないのでキリン舎の前のベンチでお昼をとった。母の手作りのお弁当は綺麗に色分けされていて、ぼくと妹の好きなタコちゃんウインナーや玉子焼き、肉団子、ミニトマトが入っていた。キリン舎にはダチョウもいっしょにいて二羽がぼくらの目の前を行ったり来たりしていた。

 妹はその年生まれたばかりのキリンの赤ちゃんに夢中だった。三歳の誕生日のプレゼントにもらったのがキリンのぬいぐるみで、彼女はいつもそれを抱いて寝ていたし、赤ちゃんキリンのもこもこした感じが確かにぬいぐるみに似ていた。

 キリンの親子は観客から人目を避けるように奥の檻の前から離れなかった。母キリンは子供をかばうように背後に隠そうとしたが、乳を求めて赤ちゃんキリンがしばしばぼくらの前に現れた。その都度妹は母キリンに呼びかけた。

 可愛い! なんて可愛い赤ちゃんなの。もっとよく見せて、お願いだからって。

 妹の声はよくとおるから、見物の家族連れやカップルが妹へ微笑みの視線を残して通り過ぎた。ぼくはそれが恥ずかしくてならなかった。

 何度目の妹の呼びかけだったろうか。突然母キリンがゆっくりこちらに歩いてきた。妹を目指して。それはただの偶然だったかもしれないけれど、ぼくにはそうとしか見えなかった。

 赤ちゃんキリンが母キリンを追ってきた。母キリンは呼び込むように腰をずらしたから赤ちゃんキリンがぼくらの目の前に姿を現した。母キリンはずっと妹を凝視めていた。そして赤ちゃんの顔を長い舌でぺろりとなめた。この子可愛いでしょって自慢しているみたいに。見物客から歓声が沸き上がった。その声を聞きつけて観客が詰めかけてきた。キリンの親子は一瞬ぼくらを見て元の檻の前へゆっくり歩み去った。

 妹がいた頃、TVで偶然キリンの映像が流れる度この日のことが話題にのぼった。今では誰も言い出さない。けれどキリンの前には必ず、目を輝かせた妹がいる。

 音楽って不思議だ。恵梨香ちゃんのたどたどしいトルコ行進曲のテンポが連想させたのだろうか? キリンの親子を見つけて歓声を上げて駆け出す妹と、彼女を追いかける母の姿がありありと目に浮かぶ。幸せだった日々が。

 恵梨香ちゃんの演奏はだんだん間延びしてきて、一度ミスタッチしたあと不協和音が続けざまに鳴り響き演奏が中断された。そしてどこかで聴いたことがある歌謡曲が始まった。恵梨香ちゃんはもう練習に飽きたらしい。なんて曲だろう。ぼくは曲名を思い浮かべようとしたが思いつかなかった。やっと思い出しそうになったときまた違う曲に変わって演奏は突然途切れた。お母さんが食事に呼びに来たんだと思った。ぼくもそろそろ帰らなくちゃって。

 

                  (四)


 ぼくは高一の冬初めて小説を書きだした。間宮先生に勧められたからかもしれない。先生は詩や小説を同人誌に時々投稿していて一度作品を読ませてもらったことがある。少年が母とデパートに買い物に行き、人混みで迷子になる話だったと思う。日常から遊離した少年の孤独の目眩のような感覚がリアルに表現されていた。先生は恥ずかしそうに笑いながら君にだって書けるよと言った。君の作文には物語があるからと。それは先生の照れが言わせた言葉に違いなかった。それでもぼくは嬉しかった。だから何度か試みた。しかし詩か散文か区別できない雑文しかぼくには書くことはできなかった。

 高校生になって小説が書きたくなった本当の動機は、妹の夢を見たからだ。

 その夜初めて妹の夢を見た。

 ぼくらは手をつないで小学校の裏手の田んぼ道を歩いていた。妹は習ったばかりの唱歌を繰り返し歌いぼくもそれに合わせた。そのうち妹は歩き疲れ、お兄ちゃん負んぶ負んぶとあまえてぼくは妹を背負った。妹の腕がぼくの首に絡み付き、体の温もりと柔らかさがぼくの背中を包んだ。まだ舗装されていない田んぼ道だったからところどころ水たまりの跡のような凹んだところがあって、足を取られる度に妹の顔がぼくの首筋にぶつかり髪からシャンプーのいい匂いがした。そのうち妹はぼくの肩に頬をあずけてうつらうつらし始めた。首に回され組まれた両腕が徐々にほどけてきて、ずるずるとずり落ちてくるのでぼくは腕で妹のお尻をたくし上げるのだが、たくし上げてもたくし上げてもずり落ちてきて、眠っちゃだめだと叫んだ瞬間妹の両手が肩から外れてぼくは目を覚ました。

 上布団が二段ベッドの上段から垂れ下がり床に届きそうになっていた。布団を引き上げ抱きしめたとき妹の温みと声が蘇ってきた。妹はもうぼくを許してくれたのだろうか? それはぼくの身勝手な願望が見させた夢に違いなかった。ぼくは許されてはいけなかった。けれど嬉しかった。妹が夢に出てきてくれたことが、そしてぼくの体が妹を忘れていなかったことが。


 出だしが決まるとぼくは一気に第一章を書き終えた。


                 妹がいた夏


 毒々しい濃赤色の実を選んで摘み取り、僕は口いっぱいにヘビイチゴを頬張った。十一歳の初夏の頃。

 校庭の合歓の木には妹が好きだったピンクの花が満開だった。彼女が好んで描いたキリンの親子の、カールした長い睫毛のような不思議な花。

 ヘビイチゴは真っ赤に熟していたのに、青くなる前の白い未熟なイチゴのような、甘くも酸っぱくもないぼそぼそした食感をしていた。僕はためらわず、ひとおもいに呑み込んだ。

 どれだけ畦道にしゃがんでいただろう。見上げる空には羊たちの群れが何処までもつながり、風が僕の前髪を揺らした。

 僕はイチゴのような真っ赤な血を吐いて死ぬはずだった。

 母は迷信を鵜呑みにしていたのだ。

 口元を拭うと、掌が無駄に紅に染まった。


                 ***


 日曜日の午後の田んぼ道、土手の熟したヘビイチゴの実を美味しいよって、偽って妹に食べさせた。妹は縁日の真っ赤な金魚のように口を開けて、嬉しそうに頬張った。

 母が妹の口を抉じ開け、果実を指で掻き出し、噛み砕かれた果肉は背中を叩きながら吐き出させた。

 僕は初めて母にぶたれた。母の手はよく撓う鞭のようで、頬に熱いものが走ったかと思うと、左側だけジーンと痺れてぐにゃぐにゃに膨張した。耳の中でクラス中の嫌な連中がトライアングルを狂ったように鳴り響かせていた。僕は自分の痛みより母の動揺に驚愕した。僕は取り返しもつかない事をしてしまったのだ。

 妹は初めはきょとんとしていたが、二人のうろたえぶりに驚き、大声で泣き出した。妹が死んだらどうしよう。僕も声を上げて泣いた。


 大丈夫! 全部取ったから。

 唾を吐きなさい。ぺって。

 そうそう。もういっぺん吐いて。

 苦しい?

 そう、もう大丈夫。

 白雪姫みたいに、すぐに良くなる。

 毒イチゴはあっちへ飛んでった。


 妹が出来るまで、僕は一人っ子の鍵っ子だったから、孤独な遊びに慣れ、孤独と友達だった。そんな僕の王国に妹は無邪気に裸足で踏み込み、乳と蜂蜜の匂いのする掌でべたべたと撫で回し、舌足らずに僕を呼び、追い回した。

 妹はいつもは母にべったりと纏わりついているくせに、母がいなくなると僕の後を仔犬のようにクンクン鼻をいわせながらついてきた。


 どうしてだろう。僕は不意に妹に悪さをしたくなる。


 その年の夏妹は溺死した。

 僕が殺した。


                  ***


 ぼくはここから全く書けなくなった。何度も読み返した。読み返すたびに嫌になった。主人公の心もぼくの真実もそこには書かれていなかった。ぼくは何かから逃げようとしていた。手直しするだけではだめだと思った。最初から書き直さなければだめだって。

 

 お昼の休憩時間、中学校の同級生だった大沢君が不意にぼくの肩を叩いた。相変わらずなんか書いてるなって笑いながら。ぼくが慌てて机の下にノートを隠そうとしたのがいけなかったのかもしれない。

 大沢君は何を書いているのかってしつこく訊いたけれど、ぼくが曖昧な返事しかしなかったのでつまらなさそうに自室に戻ろうとした。そして思い出したように振り向きざま間宮先生の話をした。

 先生、今学期が終わったら郷里に帰るって弟が言ってたと。

 ぼくがどうして? 何処に? って矢継ぎ早に訊くので大沢君はえっ? て顔で今度聞いとくよって答えたけれど、それは実現されそうになかった。


 今学期までとするともう時間が残されていなかった。

 

 中学校の校庭脇のポプラ並木から長い影がぼくの座っているバス停のベンチの方へ伸びてきて、ゆっくりこちらに近づいてきた。間宮先生だとすぐにわかった。長身でショルダーバッグを提げたら二、三歩でずり落ちてしまいそうなほどに右肩が下がっている。

 先生がだんだん視界に迫ってきた。ぼくはあれほど会いたかったはずなのに、胸元に鞄を強く抱き締め、ただ足下を凝視めていた。

 先生がぼくの前を通り過ぎ、一瞬立ち止まってぼくの制服を確認した。


 イッ、イッ、イトウ君じゃない? って先生が訊いた。ぼくは泣きそうになった。

 ご無沙汰していますってぼくは応えた。先生学校辞めるんですって? って。

 先生は両親の都合で郷里に帰るのだと言った。君はずいぶん背が伸びたね。学校は楽しいかい? って。

 ぼくは勇気を出して鞄からノートを取り出し作品を先生の眼前に開いた。先生はぼくの隣に座って読み始めると急に顔を上げ、まじまじとぼくを見て、小説? って訊いた。ぼくはただ頷いた。

 先生は読み終わってからもしばらくノートを凝視めたまま黙っていた。

 貴史君から聞いたよ。彼、君の妹の同級生だったんだって?

 君が卒業してから彼が入学してきた。わたしがその時のクラス担任だったと言って、先生が顔を上げ、ぼくの眼を見た。

 あの日何も知らずに君を責めた。わたしが悪かった。


 詫びるのはぼくの方です。みんなの前で先生を侮辱した。先生は悪くないんですってぼくは謝った。

 何度か君を呼び止めようとしたんだよ。けれど君はもうわたしの手の届かないところに行ってしまったって感じた。追ってはいけないって。

 そして先生はノートをぼくに返しながら言った。

 この小説すごくよかった。けれど最後の一行は違うんじゃないかな? 

 君は妹を殺してなんかいない。

 

 昔サナトリウムだった病院の裏手の松林が一カ所隆起していて、そこからなら簡単に堤防に上れると貴史君が言ったから彼の後をついて行った。黒松林の地面の所々に落ち葉の吹きだまりがあって、その上を歩くと真綿みたいに柔らかかった。時々松葉で滑って転びそうになっては彼に笑われた。革靴はよく滑るんだよ。滑る度に松葉からテレピン臭が昇ってきて油絵を描いていた学生の頃を思い出した。

 

 ぼくには先生たちが辿った道がはっきり見えた。確か途中に有名な俳人の句碑があった。その正面には昔は綺麗な白浜が広がっていてその一帯は名の知れた海水浴場でも避暑地でもあった。父が子供だった頃はよく裸足で渚まで走って行ったって聞いたことがある。サンダルだと足裏との間に砂が入ってくるし運動靴だと砂まみれになる、だから両手にサンダルとか運動靴や靴下をぶら下げ、ズボンの裾を深く折り曲げて焼けた砂を蹴散らして猛ダッシュしたと。

 今は防波堤ができて砂浜と松林を分断し当時の面影はない。

 堤防の手前の道を左手に折れ海岸沿いに進めば、両手で抱えきれない程の太い黒松が今でもところどころ不揃いに並んでいる。先生が昔サナトリウムだったと言っているのはたぶんその先にある総合病院のことだ。その病院の裏手に以前は木造の古びた白い病棟があった。父はサナトリウムという呼び方ではなく結核病棟と言っていた。その時も父は唐突にぼくに話しかけてきた。けれど不思議とその言葉はよく憶えている。父と面と向かって会話した記憶がほとんどなかったからかもしれない。

 でもどうして貴史君や妹はあの場所を知っていたのだろう。ぼくらが遊んだのは漁港を凹の形に迂回して横に伸びた堤防の向こうの浜辺だった。そこは砂浜がなだらかに渚まで広がり、海水浴場と同様に満潮になっても海面に没することはなかった。そうして、漂流物に混じって海草や流木や雲母が描いた潮の干満の履歴が帯状に残されていた。ぼくらはいつもその浜辺で遊んだ。

 それに反し昔サナトリウムだった跡の松林は薄暗く人が立ち入ることはまれで、そこに踏み込まない限り堤防の存在は知り得ない。あそこはぼくの秘密の場所だった。

 そこには砂浜を見渡せる小高い場所に枝振りのいい松があって、首吊りの松と呼ばれていた。そしてその先の漁港のまだらにはげた空色の水門脇は、心中や入水自殺の名所とも呼ばれていたと父が話した。ぼくは首吊りの松を探しに行って堤防に登る道を見つけたが首吊りの松は見つからなかった。枝振りのいい松とは浴衣の紐とかベルトを簡単に渡せそうな枝がある松のはずだった。しかしその辺りにある松はどれも頭上高く枝を伸ばしていた。父は都市伝説を信じていたのだと思った。

 或る日堤防から降りようとしたとき一本の傾いで生えた松が目にとまった。病院側にかたむいて生えたその松の一の枝が幹の真際で切り払われていた。父はここには立ち入るなと言っている気がした。だからだろうか。ぼくがあの場所に魅入られたのは。

 ぼくは誰にも邪魔されず、堤防の縁に腰掛け足をぶらぶらさせながら海を眺めるのが好きだった。水面すれすれにボラが跳ねたり、ウミウが潜水しどの海面から姿を現すのか予想したり、ただ波の変化を見ているだけでもよかった。

 漁港の内海はいつもは穏やかで、いびつな鏡のように海面に漁船の船尾や物置小屋、くすんだ白い灯台の影を揺らめかせていた。さざ波が走るたび影も乱れ流れた。目の前の景色は何処にでもあるただの漁港の風景なのに、海面に映る影は目まぐるしく変化し尽きることがなかった。まるで一瞬が永遠みたいに。

 ぼくは一度だけ漁港に行ったことがある。岸壁には船の側面を衝突から守るために古タイヤが横向きにロープでつながれ、物置小屋には繕いかけの網が広げられて、汚れて日に晒され変色した樹脂製のかごや錆びた手鉤などの道具類が雑然と置かれていた。そしてひび割れ欠けたコンクリートの床には干からびたシラスがこびりついて生ぐさい臭いがした。

 現実はどうしていつもこんなにみすぼらしいんだろう。水面に映った万華鏡のような漁港の影は素敵なのに。ぼくはただ堤防の縁に腰掛け、モネの睡蓮の画のように揺れ動く影の港を楽しんだ。

 ぼくは荒れ狂う海も好きだった。波はうねり、ぶつかって弾けたかと思うと打ち消しあい重なり合って突然荒々しい波頭を堤防にぶつけてきた。ぼくはそんなとき、来るぞくるぞと身構えながら波を待った。

 波を待ちながらぼくはいったい何を待っていたのだろう。


 君たちはあんな高い防波堤を上り下りして浜辺で遊んでいたんだねと先生がぼくの追憶を遮った。

 堤防の厚みはどのくらいあっただろう? 道路に引かれた白線の上なら何メートルだって平気で渡れるのに海風が吹く堤防の上はサーカスの綱渡りのロープのようで目眩がした。バランスを崩したら松林側に跳び降りればいいって思ったから貴史君について行けた。

 行く手には石垣とテトラポットに囲われた突堤が岬のように伸びていてその先に小さな灯台があった。貴史君が指をさし、もうすぐ港が見えてくるよって言った。

 砂浜は徐々に狭まり堤防の側面には帯状にフジツボが貼り付き海草が絡み生えていつもはあの辺りまで潮が来ているのかと思うと急に怖くなった。

 しばらく進むと堤防は突堤と交わりそこから先は行けないように太く尖った針が扇状に伸びていた。あの事件があってから設置されたって貴史君が言った。そこから先は漁港で暗く深い海が広がっていた。

 妹が追いかけてきていたことを君は知らなかったんだろ?

 

 先生はぼくが喋りだすのをじっと待っていた。遠くで救急車のサイレンの音が微かに聞こえた。たぶん中学校の裏手の国道を走っているのだ。サイレンの音はだんだん甲高くなりぼくらの前方で急に音調を反転させて、低く間遠になりやがて聞こえなくなった。ドップラー効果だ。近づいてくる音は甲高く聞こえ遠ざかっていく音は低く聞こえる。光も同じように地球から遠ざかっていく恒星は赤っぽく見える。だから銀河系外の天体が赤みがかって見えるのは宇宙が膨張していることを証明している。

 でもこんな時にどうしてこんなどうでもいいことを思い出すのだろう。先生はぼくのためにひとことひとこと言葉を探しているのに、ぼくはドップラー効果だなんて考えている。ぼくは先生に会うべきじゃなかった。先生を利用してぼくは救われたかっただけだ。

 先生はぼくを凝視めるのをやめてポプラ並木を見上げた。西日を受けたポプラの梢がオレンジ色に輝いていた。


 貴史君から聞いたよ。今の防波堤は君が小学校に入って間もない頃、大きな台風がこの地方を直撃したとき決壊して何十人もの人が亡くなったから整備され建て替えられたって。新しい堤防は以前の堤防より高かったけれど、高波を受け流し押し返す波形に内側が湾曲していたから、堤防の斜面を駆け上がって天辺の縁に跳びつき懸垂すれば上に登ることができた。君がやすやすと堤防の上に登るので彼は悔しくて仕方なかったそうだ。君はいつも妹や彼の手を取って引き上げてやったんだって?

 磯の石垣を兎みたいにぴょんぴょん跳んで、大きな爪の磯蟹を捕まえるんだよ流木の枝を使ってじゃないよ、素手でだよって君のこと自分みたいに自慢げに貴史君は話した。そして君の妹は漫画のヒロインみたいな大きな目をしていたって恥ずかしそうに笑った。君は口癖みたいに言ってたんだって?

 波はね、馬のたてがみみたいに靡いていてもね、突然(とっつぜん)おおーきなラクダの瘤のように膨れあがってくるから怖いんだよって。そしてこんなことも言ってた。君のお母さんは心配性で君ら兄妹が海に入ることを許さなかった。だから二人は泳ぎが得意じゃなかったって。あの日僕もいっしょだったら良かったのになって。

 君の妹が堤防から海に落ちたとき君は助けにいけなかった。それをずっと悔やんでいるのだろ?

 

 幾度ともなく繰り返してきた心の声がぼくを突き動かしたけれど、口にする言葉は見つからなかった。ぼくはあの日両親に嘘をついた。そして先生にまで嘘をつこうとしている。妹の足音は聞こえていた。彼女の足音に気づかないなんてあり得ない。彼女は友達の家に遊びに行っているはずだった。だからどうしてここにいるのだろうと思った。そしてぼく一人の時間がまた奪われると。

 ぼくは来るなって叫んだ。妹は一瞬立ち止まってぼくを見た。ぼくはあのとき止まれ、動くなって言うべきだった。

 妹は勘違いして、手を振って歩調を速めた。

 あの時妹はなんて言ったのだろう? 

 いっしょに帰ろって言ったのかそれとも、いっしょにいるって言ったのだ。

 その後のことは何も憶えていない。ぼくは怖くてこわくて、両親にみんなに嘘をついた。しかし網膜に焼き付いた残像は拭い去ることはできない。だからずっと自分にも言い訳した。

 堤防には海岸側から上る階段はなかったから、妹を助けても抱えてよじ登ることは出来なかった。そしていっしょに泳ぎ切るには漁港の船着き場までは遠かった。

 でもそれは言い訳に過ぎない。たとえ泳げなくとも無意識に助けようと飛び込むのが肉親の本能じゃないかって思う。ぼくは臆病で薄情な人間だと思う。

 妹はいつも何かうきうきわくわくすることを探していた。それがときどき鬱陶しくもあったが、彼女が現れただけでその場の雰囲気がまるで変わった。彼女にはみんなを輝かせるような不思議なオーラがあった。彼女の未来はバラ色に輝いているように見えた。けれど、苦しみと恐怖の中でその一生を終えたなら、それがなんになるのだろう。その半生がどんなに光り輝いていったってどんな意味があるんだろう。


 先生はぼくを凝視めながら何か喋りだしそうだったけれどしばらく黙っていた。

 犬を散歩させていた母くらいの年齢の女性がぼくらの前で立ち止まり、ぼくと先生を交互に見遣って何か言いたそうだったが、犬がリードを引っ張るので視線を残して走り去った。ポプラの影がぼくの目の前まで伸びてきていて日はもう沈もうとしていた。


 わたしも大事な人を亡くしたとき誰かが言っていたことを思い出した。ひとは誰でも二度死ぬんだって。最初は命を亡くしたとき、そして誰の記憶からも消えてしまったとき。誰からも忘れ去られたときひとは完全に死んでしまう。

 君の妹はまだ生きている。君の心の中に、そしてわたしの心の中に。君がこの小説を完成させて誰かがそれを読んだならその人も君の妹を記憶に残すだろう。君は大事な人に妹の話をしてあげなさい。恋人ができたなら。子供たちができたなら。そうすれば君が亡くなってからも君と君の妹は彼らの中で生き続ける。


 それからって先生は続けた。

 君が最も気に病んでいたことだろうけれど、脳内ホルモンのことは高校で教わったかな? って先生は訊いた。

 そのなかに苦痛で耐えられなくなったと脳が判断したとき放出されるホルモンがある。快楽ホルモンとも呼ばれているけれどそれが作用すると苦痛を忘れて恍惚となるらしい。瞳孔も開いて眼底に光が降り注ぐから自分が光に包まれたと錯覚するようだ。臨死体験をした者が共通して得も言われぬ高揚感と光に充ち溢れた世界を語っている。

 恐怖と苦しみはきっと長くは続かなかった。君の妹もまばゆい光に包まれ、幸福感に満たされて息を引き取ったとわたしは信じている。


 そうして先生はぼくの肩に手を置き言った。

 わたしにも学生の頃恋人がいた。彼女は子供が好きで宮沢賢治みたいな小学校教師に憧れていた。わたしには彼女のような夢も情熱もなかったから、進路を決めかねているわたしのことでよく言い争いになった。その日も彼女をいつもどおり駅まで送っていくはずだった。

 男が彼女の目の前で踏切の遮断機を揚げて線路に入って行った。彼女は大声で呼び止めたけれど男はレールの間にしゃがんで動かなくなったそうだ。彼女一人の力で男をレールから引き剥がすことはできなかった。列車は間近に近づいてきていて彼女を手助けしようとする者は現れなかった。彼女が体当たりして男を軌道から押し出したとき歓声が湧き上がった。しかし警笛と甲高い金属音が歓声を悲鳴に変えた。

 救急車はすぐには来なかった。

 葬儀の日わたしはどうしても棺の彼女に詫びたかった。しかし両親はそれを許さなかった。黄泉国のイザナミのようにはしたくなかったのだと思う。

 

 古事記を読んでいたあの頃君はわたしに訊いたね。

 黄泉戸喫(よもつへぐい)()つってイザナミは何を食べたんですか? って。 わたしはあの時たしか黄泉のかまどで煮炊きしたものだと答えた。君のこと何もわかっていなかったんだな。

 黄泉のかまどで調理された料理、もはやこの世に、あたりまえの日常に戻れなくなる食事。

 君もわたしもヨモツヘグイをしたのだ。


  参考文献:小学館日本古典文学全集1 古事記 

  校注・訳者 山口佳紀 神野志隆光

  第三書館発行 ザ・賢治 宮沢賢治全一冊 一九八五年初版発行    

                  

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