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 あれ以来、少しだけ過激になりそうだった雰囲気はなくなった。会長効果ってすごいんだな、と私は思った。デニスは学校にくるかと思ったら、あまりこない。

 仕事が見つかったからということもあるけれど、少し寂しい気がする。

 勉強と読み書きはだいぶんできるようになってきたと思う。

 グレンさんとは図書室でよく話す。面白い本をよく紹介してくれていて、デニスに読み書きと本を読んでいることを伝えれば、それに見合ったような絵本や児童文学を紹介してくれる。

 今日も図書室に向かった。

 グレンさんは毎日図書室にいるそうだ。確かに、毎日いた。

「こんにちは」

「やあ、こんにちは。どうですか、教室は」

「特になにもないです。友達はやっぱりできそうにありませんけど」

「そうですか……。ジゼルさんは素敵な人なのにもったいないですね」

「いえ、私、ぼーっとしてて鈍いので、元から友達はいなくて……」

「それは……、申し訳ないことを聞いた。あ、デニスくんはどうですか?」

「デニスなら、毎日お仕事に行ってます。楽しそうですよ。そこの店主さんがいい人らしくって」

「そうですか、それは良かった。ここで、そんな笑顔で仕事ができる場所なんて少ないですからね、彼は本当に運がいい人だ」

「ええ、本当に」

「そうだ、ジゼルさん。今度の休みは空いてますか?」

「空いてますよ」

「よかった。それじゃあ、どこかに行きませんか? 街に出たことがないのでしょう? 一人では怖いかもしれませんが、二人なら大丈夫ですよ。ね?」

 グレンさんは手をとって優しく笑っている。

 心配してくれてありがたいものだと思う。でも、私は獣人の人がいじめられているところを見たくない。それがあって街に出るのを渋ってしまう。

 だけど、ここまでしてくださるのだから、頷くべきなのだろう。きっと、グレンさんならば、そんなことがあっても放っておかないだろうし。

 私は頷いた。

 グレンさんはメガネの下でにっこりと笑って「ああ、良かった。断られると思ってたんですよ。11時でどうですか? お昼ご飯も一緒に食べましょう」という。私はニコニコしながら頷いた。


 その日の授業を終え、部屋に戻るとデニスが珍しく先に戻っていた。

「おかえり! いいもん買ってきたんだ!」と駆け寄ってきた。尻尾がふさふさと右左と揺れている。機嫌がいいらしい。

「何買ったの?」

「へへ、人形だ! ふかふかしてるんだぜ!」と彼はテディベアを差し出してきた。

「わあ、かわいい! ありがとう、デニス! ふかふかだあ」

「だろ? へへ、今日の飯は何にする? 鴨とうさぎがあるけどよ」

「んー、私でも作れるやつがいいなあ」

「あんたが作れるのねえ。ま、いいや! 鴨でいいよな?」

「うん」

「羽むしっとくからさ、野菜切っといてくれよ」

「うん」

 始めて皮むきをした頃から、私は大分皮むきも料理も上手くなった。これもデニスのおかげだと思う。平原で暮らしている時から、自分で料理をしていたらしい。最初はよく失敗してまずいものを作っていたという。それを吐きそうになりながら食べたり、それで食あたりになったり……、大変そうだけど、私には楽しそうに思えた。

 ひとりだったの? と聞くと「気楽だろ?」という一言で終わった。あまり踏み入るべきところではなかったのに、私は本当に鈍い。

「あんたさあ、飯作るの上手くなったよな」

「教えてくれる人が上手なんだよ」

「ふうん。今日は鴨、焼く」

「うん」

「味付けしてみろよ。不味くても食べるからさ」

「え」

「そんな不安そうな顔すんなって、俺、本、一人で読んでみたいんだ。あんたがいたんじゃ甘えちまう。頼んだぜ」

 そう言われてしまうと引き止めることもできない。彼は私が借りてきた絵本を一生懸命見つめながら声に出して読み始める。

 焼くだけだから簡単だ。まず、肉から入れるらしいので、お肉を先に炒める。それから野菜を。バターってどれくらいいるんだろう。スプーン一杯? あれ、でも足りない感じがする。

 あ、なんか焦げてる感じもする。あれ、どうしよう。水を入れればいいのかな? あ! ダメになった感じがする。とりあえず、野菜も入れちゃえ。


「うーん、普通かな」

「普通かあ」

「可もなく不可もなくって感じ。野菜がべちゃべちゃしてるけど、肉はまあまあうまいんじゃねえの」

「そっかあ。いつか美味しいって言わせてみせるね」

「おう」

 結局、出来上がった料理は本当に可もなく不可もなくという感じだ。不味くはないんだけど、特別美味しいわけじゃない。デニスの作った料理の方が美味しいから、彼が作った方がいいんだろうけど、彼は彼で本を一人で読んでみたいらしいので、これからは私が作ることになるんだろうか。

 料理の本でも借りてみようかな。

「今日の仕事はどうだった?」

「簡単、普通、問題なしって感じ。テンチョーが喧嘩に付き合ってくれるから身体もなまってねえし、あんたがいじめられてたらボコりにいけるぜ!」

「ボコらなくていいよ」

「そうか? じゃあ、やめとくけどよ。なあ、あとでな、あれ俺が読んでみるから聞いてくれるか?」

「いいよ」

「そのあと、勉強教えてくれ」

「うん」

「俺さあ」と彼は鴨をつつきながらぽつりと「ずっと人間の生活に憧れてたんだ」と言った。

 私はきょとんとした。

「絵があってさ、本があってさ、平原には滅多にないもんだから、俺ずっと憧れてたんだ。人間の生活ってきっと平和で理性的なんだろうなって。俺たちみたいに喧嘩に明け暮れたり、地面をかけて獲物を捕まえるような生活してねえんだろうなって」

「うん」

「でもよ、あんたと暮らしてると、そう変わりねえんだなって思った。根本がって意味だぜ。あんたらも弱いものはいじめるし、偏見は持ってるしさ。俺の憧れてた人間ってのは、あんたみたいな考える人だったんだ。でも、そんなの一杯はいねえし」

「がっかりしたの?」

 彼はバッと顔をあげて「してねえよ! むしろ、知れて嬉しいんだ。それに、あんたには色々教えてもらってるし、もっと面白いんだ!」と笑った。

 私も少しほっとして笑った。彼が人間を嫌いになったら、嫌だなと思っていた。

「私もね、ずっと平原の暮らしに憧れてたの。窮屈じゃなくて自由そうで。私、外で走ると怒られるの。だからね、ずーっと憧れてたの。いつか、行ってみたいなあ」

「きたらいいじゃねえか。俺、いつでも案内するぜ? 家にだって泊めてやるしさ」

「でも、多分、無理」

「なんでだ」

「父と母が許さないもの。先生にだって怒られちゃう。それに、きっとお嫁にいけなくなるもの。そうしたらね、家から追い出されちゃうし、迷惑かけちゃう。私、一人娘だから」

 彼は私をじっと見つめて「ひとり娘だから大切にするんだろ? だったら、娘の意志ってのを尊重するもんなんじゃねえの?」と言った。

 私はうつむいて「そうかもね」と言った。

 彼はもうなにも言わず、食事を終えて、お皿を片付け始めた。

 時々、こうやってギクシャクする。しょうがないことだと思う。彼も私も違いをわかっているし、あまり踏み込むべきじゃないって思ってる。でも、多分、私の方が彼をイライラさせてると思う。愚鈍で愚図で、彼みたいにさっぱりとできない。ずっと考え込んじゃう。

 その日は彼が読む言葉を聞きながら、訂正したり、教えたりした。彼は真剣に学んでいる。きっと学校にいる誰よりも。デニスはすごい。行動してちゃんとやってしまうんだから。私は行動しないで考えてるだけ。ダメだなあ。本当に。


 次の日、デニスは仕事でさっさと出かけていった。

 私は校門前でグレンさんと待ち合わせだ。

 彼はメガネをかけて待っていた。まあ、そうしないと外出しづらいものなのだろうなと思うと少しかわいそうに思える。

「お待たせしました」

「いや、全然待ってませんよ。行きましょうか」

「はい」

 今日もよく晴れていた。

 デニスには夕立が降るから、それまでに帰ると言われている。

 今頃、テンチョーさんと一緒に元気よく働いているんだろうか。そうだといいな。

 グレンさんが連れていってくれたところは少しマニアックだけど、面白いものばかりだった。やっぱり本が好きらしくて、古本屋では知っている本を見つけてはどういうものだとか解説してくれたし、作者についてもあれこれと説明してくれた。知らないことばかりで面白かった。

 途中で「あ、えっと、こんな話ばかりですみません。面白いですか?」と聞かれたので、勢いよく頷けば、ほっとした顔で笑われた。

 お昼は路地に入ったところでとった。メガネが曇るのでグレンさんは、少しだけ周りを見てから外した。

「前ね、生徒の一人が来てて、すごく焦ったんです」とその時を思い出して苦いものを口一杯に頬張ったような顔をされたので、思わず笑ってしまった。

「ふふ、違うんです。あの、変だったわけじゃないんですけど、ふふ……、ごめんなさい」

「いえ、いいですよ」とグレンさんは優しく笑った。少しドキッとしたけれど、メガネを外されたからだと思う。

 彼は爽やかで優しそうなイケメンと呼ばれるタイプの人だ。顔がいいっていうのは羨ましいことだ。

 私なんてぼーっとした顔と言われまくってきた。先生だけは、かわいいと言ってくれたけれど、お世辞だろう。両親にはもっとああだったらいいのになんて言われてきた。鏡を見ても特別美人には思えない。悲しいことだ。

 ランチの後も色々なところに連れていってくれた。初めて、ちゃんと王都の中を歩き回って、私は胸が一杯だった。少し憧れていた王都。獣人の人がいじめられているのは見なかったけれど、人間ばかりだった。

「ジゼルさん、ジゼルさん。この髪飾り、今日の記念にどうですか?」とグレンさんは綺麗な水色の髪飾りを手に持った。

「そんな、いいですよ」

「いえ、僕が贈りたいんです。ダメですか? きっとジゼルさんにあいますから、ね? 校則違反になるものではありませんし、ぜひ」

「あ、そ、それじゃあ……」

「よかった」とグレンさんはその髪飾りを買って、その場でつけてくれた。

 お店の方に「まあ、彼女さんによく似合う。お似合いねえ」と言われた。私は、違うと言おうとしたが、グレンさんが「ははは」と笑ってごまかしたのを見て、私も笑っておいた。その方が王都ではいいのかもしれない。

 彼は他の市場にも連れて行こうとしてくれた。やんわり辞退しようとしたが「ジゼルさんに紹介したいんですよ、王都のことを」と爽やかな笑顔で言われてしまっては断りづらかった。

 きっと夕方に帰ってもなにも言われないだろう。私とデニスは少しお互いに線を引いて、踏み込まないから。

「ジゼルさん」とグレンさんが柔和に笑う。手を取られて「ここからは人通りが多いですから」と言われて、納得した。私はぼーっとしてて、鈍いし、そうしてもらった方が迷惑をかけずに済むだろう。

 夕方になって、学校に帰ろうとした時に雨が降り出した。

 デニスの言った通り、夕立がきたのだ。軒先に雨宿りしようとしたが、どこも先客で一杯だった。私たちは走って少し路地に入ったところで雨宿りをした。濡れそぼった服からはぽたぽたと水が垂れる。さっとグレンさんがジャケットを脱いで「すみません、先に渡しておけばよかったですね」と被せてくれた。

「いえ、気になさらないでください」

「そうですか?」

「ええ、大丈夫ですから」

 空を見上げて「夕立でしょう。すぐにやみますよ」と少し腕をさすりながらグレンさんが言った。

 雨で濡れた上、まだ少し肌寒い気候だ。私も少し寒い。でも、グレンさんの方が寒いだろう。私にジャケットまで貸してくださっているんだから。返すべきだろうけれど、きっと辞退されるし、この気遣いはありがたく受け取っておいた方がいいだろう。

 そう考えて、腕をさすっていたら、ふわっとグレンさんが肩に腕を回して「寒いですね」と困ったような笑いながら腕をさすってくれる。

 申し訳ないやら恥ずかしいやらでいっぱいいっぱいで私は下を見つめた。石畳はツルツルと光っていて、雨粒がバシャバシャと跳ねている。

 お互いにずっと無言のまま雨があがるまでひっついていた。

 本当は離れたかったけれど、どうしたらいいのかわからずに固まっていた。こんなに密着したのはデニス以来だ。

 学校に帰るまで私はうまく受け答えができず、グレンさんに申し訳ない気持ちでいっぱいだった。面白いところに連れていってくれたのに、最後の最後でこれじゃあ申し訳がない。でも、グレンさんは不機嫌になるでも私を責めるでもなく、ただ柔和に笑って隣を歩いてくれた。

 本当にいい人だ。

 寮の門の前で「今日は、ありがとうございました」と頭を下げた。

「こちらこそ、ありがとう。楽しかったです。風邪をひくといけないから、中に……」

「はい、そちらも風邪には気をつけてください。それと、あの、ジャケット、ありがとうございます。洗って返しますね」

「そこまでしなくていいのに。でも、ありがとう。あの、よかったら、また今度の休みも誘っていいですか? 僕の好きな作家の個展があるんです。どうですか?」

「あ、是非」

「今度の休みからなんです。あいてますか?」

「はい」

「じゃあ、また同じ時間に同じ場所で待ち合わせましょう。それじゃあ、今日は楽しかったです。今度の休みも楽しみにしてます」とグレンさんは男子寮に入ってしまった。

 私もすぐに部屋に戻った。

 デニスは濡れてなくて、部屋の中には美味しそうな匂いが漂っていた。

 デニスは私を見るとびっくりした顔をした後「風呂、一応沸かしてあるから、早く入れよ。風邪ひいちまぞ!」と怒鳴るように言われて、私はそれにびっくりしながらもお風呂に向かった。

「着替えの服、表においとくぞ!」

「うん!」

 お風呂は沸かしたばかりの熱さだった。

 今度の休みもグレンさんと一緒に街に出るのか。

 今日はとても楽しかった。あの雨宿りのことは別として、いい日だったと思う。

 彼はなんの他意もなく優しくしてくれているだけだろう。獣人と友達だから珍しいと思っているからだろうな。いい人だ。気遣ってくれてるんだ。

 お風呂から出ると、机の上にはスープが出されていた。

「食べてあったまらねえとな」と彼は素っ気なく言った。

 卓に着くと、デニスはじいっとこっちを見てきた。いったいなんだろうか。

「お前、あのカイチョーってのと一緒にどっか行ったろ」

「え、うん」

「やつの匂いがあんたからした。あのジャケットそいつのだろ?」

「うん」

「雨が降ったから貸してくれたのか? いいやつだな」

「うん」

「どこ行ったんだ?」

「街。色々なところ案内してもらったんだよ」

「ふうん」

「……デニス、ちょっと不機嫌? お店で嫌なことでもあったの?」

「不機嫌じゃねえよ! なんもなかったって。ただ、なんかむかっときただけだ。あんたが気にすることじゃねえよ。それより、スープどうだ? さっきスープに変えたんだけどよ」

「美味しいよ!」

「そっか、ならいんだ!」

「今度の休みもグレンさんと一緒に出かけるね」

「おう。俺、その日も仕事だ。えっと、今日のこれぐらいの時間に帰ってくるのか?」

「うん、多分ね」

「じゃあ、待ってる」

「うん」

 デニスはその日、少しだけ不機嫌なままだった。でも、次の日には治っていた。

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