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彼が現れた次の日の学校はつらいものばかりだった。
今まで話しかけてくれたクラスメイトは誰も話しかけてくれなくなった。それどころか、皆から無視をされるようになった。教室にもいづらくて、先生からの目線も怖くて、私は図書館に向かった。
あそこは人が少ない。特に中休みは少ない。だから、ほっとする。
ついでだから、本を借りていく。
デニスが読みたい本がわからないので、絵本や児童文学、それからついでに王都の歴史の本を選んでいく。他にもなにかないかなと探していると「うそー!」という大きな声がした。
図書室にいつもいる柔和な生徒が少し目を細めた。
大声を出した生徒は周りを気まずそうにキョロキョロ見た後「本当なの、うちの学校に獣人がきたって!」と隣の生徒に聞いた。
「そうなの、一年のクラスに獣人と友達の子がいるんだって」
「ありえない……。やだ、私、そんな子と友達になりたくない。絶対、やばい子でしょ」
「そうなんじゃない? 野蛮人で勉強もろくにできないようなさ」
「同じ学校に通ってるなんて思われたくない」
「同類にはされたくないよねえ。ていうか、普通に学校やめてほしいわ」
「ね」
私はそそくさと逃げるように本の貸し出しに向かった。
いつもいるメガネの生徒は小さい目を細めて「この絵本、僕好きなんだ」と言いながら貸し出し処理をしている。
「絵が綺麗だろう?」
「はい」
「ここまで綺麗に自然が描けるのはなんでだろうと思ったら、獣人の人だったんだ。どうりで生き生きしているわけだよ」
私が少しだけ驚いて見ていると、その人は「さっきの言葉に胸を痛めているようだったけれど、あまり気にしない方がいいよ。はい、処理は終わったよ」とにっこり笑って、本を渡してくれた。私は思わず笑顔になって「ありがとうございます」とお礼を言った。
少しだけいい気分のまま教室に帰ると、机が水びだしになっていた。驚いて周りを見ると、皆、堂々とこちらを見ている。私は雑巾を持ってきて、なにも言わずに拭き始めた。
ボコボコにするなんてできない。確かに怒りはわくけれど、だからと言って人を傷つけたいとは思わない。だって、想像するだけでひどく虚しく、悲しいことだからだ。やり返してやりたいとは思う。でも、やり返したら、きっとこれはひどくなっていく。なにもしなくてもひどくなるかもしれないけれど。
授業のベルがなって、先生がやってきた。
雑巾で机を拭いている私に「早くしなさい」とだけ言って、授業を始めた。
帰りたい。でも、帰れない。
今日からは、帰るときにものを置いていってはいけないな、と私は考えながら窓の外を見た。空が高く澄んでいる。
学校が終わり、私はまっすぐ部屋に戻った。
誰も私に話しかけてこないので、すぐに帰れた。
部屋に戻っても、デニスはいない。窓が開けっ放しになっているから、どこかに行ったんだろう。どこに行ったのかはわからないけれど、彼ならきっとうまくやっている。
やることもないので、授業の復習を軽くしたり、借りた本を読んだりした。
王都の歴史の本は分厚く、少し難解な言葉で書いてあった。気になるのは獣人の話だ。なぜこんなにひどいのか理由を知りたい。
本を読んでいる途中で窓にトンという軽い音がして「よっ、ただいま」という声が聞こえた。
「おかえりなさい」
振り向くと、野ウサギと野菜を手に持っていた。
デニスは何事もなく部屋に入って、厨房に向かいうさぎをさばき始め、お湯を沸かし始めた。よくかんがえてみると、デニスには私のように食堂で食べるなんてこともないだろうから、ここでご飯を作るのは当たり前だ。なにか買ってくればよかったかもしれない。
でも、デニスにはデニスの生活リズムがある。こうやって狩りをしたり料理をしたりすることが彼にとっては大事なことかもしれない。
私が黙ってデニスを見ていると、彼は「ちょっと手伝ってくれ!」と私を呼んだ。
厨房ではうさぎの皮が綺麗に剥ぎ取られている。彼はうさぎをさばきながら「野菜の皮むきしてくれよ」と言った。
「私、野菜の皮むき、したことない……」
「えぇ?! したことねえの?」
「家じゃ、料理は皆メイドとか料理人がやってたから」
「ふうん、お嬢様っていうのは料理しねえって聞いたけど、本当だったんだな。でも、わりかし捌くの見ても平気そうだけど」
「街でそういうのよく見たから」
「なるほどな。そんじゃあ、俺が野菜の皮むき教えてやるよ。よく見とけよ」と彼は包丁を野菜に当てて、するすると皮をむいていった。じっとその手つきを見ていると、彼の手の甲に傷があるのがわかった。
「この傷、どうしたの?」
「ん? あ、これか。これはな、狩りの途中でできたんだよ。こんなことしてりゃあ、怪我なんてしょっちゅうだから、気にすることねえよ。ほっときゃ勝手に治らあね。で、どうだ。皮むきの仕方、わかったか」
「うん」
「じゃ、後も同じ要領だから頼むぜ」
私は渡された野菜をじっと見つめた。
できるかな、あんなにうまく。
恐る恐る野菜に包丁を当てる。少し力を込めるとサクリという音がした。そのまま、彼がやったように野菜をまわしていくと、皮が少し剥けた。そのまま、やっていこうとしたら深くささりすぎたのか身の方まで削れてしまった。野菜の皮むきって難しいんだなあ。
私は無言で野菜を剥き続けた。とても不恰好で恥ずかしいできだったが、デニスは「初めてなんてそんなもんだ。気にすんなって!」と肩を叩いて慰めてくれた。ありがたいやら申し訳ないやら、私はへらりと笑ってみせた。
グツグツと煮える鍋にうさぎの肉と野菜を放り込んでいく。バターに牛乳、塩、それから小麦粉をバタバタ入れていく。
「シチュー作るんだよ。何日かは持つだろ?」
「そうなの?」
「おう、持つ持つ。あとは鍋の様子みてるだけだし、本読んでたんだろ? 読んでろよ」
私はすでに本よりも初めて身近で見る料理の方に興味があったので、椅子を二つ持ってきて「私も鍋の様子見たい」と言えば「あんた変わってんな」と笑われた。
「仕事、まだ見つかってねえんだ。どこも「お前みたいな獣人はお断りだ」ってんでよ。他はこっちを奴隷かなにかにしか思ってない野郎で机ぶん投げて逃げてきた。いいとこ見つかりゃいいんだけどな」
「街に出てなにかあった?」
「あんたが心配してるようなことはねえよ。確かにジロジロヒソヒソされたけどよ、そんな情けねえ奴らの相手はしねえぜ、俺。石だって投げられたってなんとかならあ。へへ、あんたが心配する必要ねえんだよ。どうせ、俺は無頼だからさ、そのうちふいっと出ていくさ。野良犬だと思ってくれりゃいいよ」
私はどう言っていいのかわからずにうつむいた。
「なんも気にしなくていいんだ。むしろ、あんたの方が大変だろう? 爪弾きにされてんじゃねえのか?」
私はさらにうつむいた。
「すまねえ、俺、考えなしでよ、いっつも。ここのこと考えりゃ、あんなことしない方がよかったんだろうけどさ、やっとあんたに会えると思ったらよ……。悪かった、すまねえ、許せ」
「別にそれはいいの。ただ、どうしてこんなにひどいんだろうって」
「そりゃ、俺たちがあんたら人間から見ればバケモンだからだろ。訳のわからないものを怖がるのは普通だって俺は思うぜ」
「でも、ちゃんと生きてるし、心があるのに」
「あはははははは! あんた本当に変わりもんだな! そんなもん考えてちゃラチがあかねえよ。心があろうとなかろうと、相手の問題だろ、そりゃ」
そうなのだろうか。相手のことを考えるべきなのではないだろうか。
「あんたはさ、考えすぎなんだよ。ぼーっとしてると思ったら、頭の中は常にぐるぐる回ってる。ちったあ、自分のことも考えな。そんなんだから、こんな野良犬になんかに懐かれんだよ。あんたもシチュー食うか?」と彼はにっこりと笑った。
「じゃあ、少しだけ」
「おう、食え食え! 食って寝りゃなやみも一瞬は吹っ飛ぶぜ」
シチューが机の上に並ぶ。湯気がたっていて、真っ白で美味しそうだ。
少しとろみがついている。
うさぎの肉は柔らかくて美味しい。にこにこしていると「な、食べてりゃ一瞬だけでも吹っ飛ぶだろ?」と自慢げに笑った。
「なあ、あとであんたがガッコーでやってる勉強ってのも教えてくれよ。うるさくしねえからさ」
「うん」
「へへ、ありがとな! 平原に帰ったら、皆びっくりするぜ。あのデニスが本を読んでるだなんて! ってな!」
「平原の生活ってどんな感じなの?」
「んー、そうだなあ。街っていうより村って感じだな。野生の動物捕まえたり、野菜作ったりよ。だいたいのもんは自分たちで作るんだ」
「へえ、いいなあ」
「そうか? 俺はあんたらみたいな生活もしてみたいぜ。だってよ、こんな雨にも風にも怯えなくてすむ家があって、娯楽もあるんだぜ? 羨ましいよ、俺は」
「そっか」
「なあ、あんたさ、外に出ねえの? あんたと同じ服着た連中が外ウロウロしてたけどよ」
「うん……」
「まだ怖いわけか? あんたあっちじゃ外にいたのにさ。俺と一緒じゃなきゃ、あんたの言う怖い目っていうのは見ないんじゃねえの?」
「そうだと思うけど、でも怖いの」
「ふうん。あんた、強いのに弱いんだな」
「へ?」
「人を助けんのはよ、強いからできるんだぜ。弱っちろいやつはんなことできねえ。なんもしねえんだ。それより食ったし、本と勉強教えてくれよ!」
と、彼は立ち上がって、勉強机に座って早くしろよ! と言った。
私は、彼の言ったことを考えながら、彼に今日教わった勉強を教えた。教えるということは大変なことだ。彼はどんどん質問してくるし、私は考えてもみなかったことを聞かれて驚いたり戸惑ったりした。先生なら、答えられるんだろうな、という質問もあった。
彼は今日の復習を終えると「勉強って面白いもんだな!」と笑った。今度、優しい問題集でも買おうかな。喜んでくれるだろうか。
私が選んできた絵本を彼は「すげえ! すげえ! 本物みてえだ!」と大はしゃぎしていた。
最初は私が読んで聞かせた。彼はじいっと絵を見ながら静かに耳を傾けていた。終わったら「俺、あんたの声好きだな」と言うので、少し照れた。
それから、文字の練習をした。ペンの持ち方を教え、彼は一生懸命文字を書き写した。
「俺、いつかあんたが読んでくれた、これ、一人で読めるようになりてえな」
「大丈夫、読めるようになるよ」
「へへ、喧嘩ばっかの俺が本ねえ。ちょっと照れらあ! 俺、頑張るぜ」
「うん。私も頑張る」
「おう! なあ、もういっぺん、寝る前に読んでくれよ」
「うん」
「やりー!」
「これ、気に入ったの?」
「おう!」
今度買ってプレゼントしよう。きっと大喜びしてくれるだろう。
寝る前にいっぺんだけというのは、伸びて、結局4回も読むはめになった。彼の目はキラキラと絵を見つめていた。私もデニスみたいに強くなれるかな。なれたらいいな。